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NPT 国際平和会議閉会総会でのパン・ギムン事務総長の発言 A

◇ 被爆地を訪れて ◇

 ちょうど数週間前、私はグラウンドゼロを訪れました。ソ連が450回以上の核実験を行った、カザフスタンのセミパラチンスクです。そこは不思議なほど美しいところでした。見渡す限り素晴らしい緑の大草原でした。しかしもちろん、惨害の規模はすぐには見えません。

 この広大な地域に、人々はいまだ立ち入ることができません。湖と川は毒され、人びとは癌と先天異常に苦しんでいます。

 1991年の独立後、カザフスタンはこの実験場を閉鎖し、領土から核兵器を撤去させました。今日、セミパラチンスクは力強い希望の象徴です。それは武装解除の新たなグラウンドゼロであり、中央アジア非核地帯が産声を上げた場所です。

 8月、私は別のグラウンドゼロを訪れます。秋葉市長が誇る広島市です。広島で、私はもう一度、核兵器のない世界を求めて声をあげます。広島と長崎の人々、とくに被爆者は、核戦争の脅威を痛いほど知っています。

ふたたび繰り返してはなりません!

 しかし65年経っても、この世界はいまだに核の影の下にあります。この脅威を取り除くため、あとどれだけ待たなければならないのでしょう? この問題を、この先どれだけの世代に引き継がせるのでしょうか。

 ここに集っている私たちは、この無意味なサイクルを終わらせる時が来ていることを知っています。核軍縮は遠い未来の達成できない夢ではありません。これはまさに今取り組むべき緊急の課題なのです。渡したちはこれを達成する決意を固めています。

 かつてもう少しでこの課題を達成できるところまで近づいたことがありました。24年前、レイキャビックで、ロナルド・レーガンとミハイル・ゴルバチョフが、核兵器廃絶の合意がほとんど達成されるところまできたのです。これは、ビジョンと意志を持っている限り、私たちがどれだけ目標に近づけるかを劇的に示しています。

 現世代の核の交渉者たちはこのレイキャビクの経験から教訓を学ぶべきです。大胆になりましょう。大胆であるべきです。なぜならそれが大きな結果をもたらすからです。だからこそ、くり返しますが、みなさんのような人が必要なのです。

 世界には武器がありすぎ、平和には資金が足りないと理解している人びとです。変化をもたらすのは今だと理解している人びとです。

 みなさん、

 NPTは40年前に発効しました。以来この条約は、不拡散体制と核軍縮の努力の土台となってきました。ガーソン氏の言葉を引用すれば、これは20世紀でもっとも影響力の大きな条約のひとつです。思い出しましょう。1963年、専門家たちは20世紀の終わりまでには25もの核大国が誕生しているだろうと予想していました。それはおこりませんでした。その大きな理由は、NPTが世界を正しい方向に導いたからです。

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