平和の夏に若い世代に被爆体験を伝えたい、そんな思いで初めての企画(2008年、2009年)。宇佐市在住の被爆者奥城さんに大分市内の親子リズムの会場まで足を運んでいただいての企画でしたが、「子育て中の世代に話すのは初めて、伝えられるなら是非」と快くお引き受けいただきました。
大分県原爆被害者団体協議会会長 8才の時、長崎で被爆。宇佐市在住。
63年たった今も、夏になるといまわしい記憶が呼び起こされ、いたたまれない気持ちになるという。白血球が少ないために風邪などをひきやすく、胃ガンや甲状腺障害など原爆被害の後遺症と思われる病気と闘いながら、被爆体験の語り部として、毎年、宇佐市の小中学校、高校で、「若い世代に伝えたい」と講演をしている。
被爆体験を持つ公民館長として、地域で講演を頼まれることも多く、「私でよければ」と、労を惜しまず活動を続けている。
奥城さんは被曝体験を語るとき、いつも一枚の写真を紹介している。ジョー・オダネルの写した少年の写真、この少年が自分と重なる、年のころなら同じくらい。この少年がどのような状況で写真に写されたのか新聞記事を紹介しながら、語り始めた。
・・・・・ジョー・オダネルは原爆の破壊力を記録する任務で終戦直後の9月22日佐世保から長崎に入った。軍のカメラで破壊された街を撮影すること、個人のカメラでの撮影は許されてなかったが、オダネルは長崎で出会った被爆者、子ども達を写し、未開封のフィルムとしてアメリカに持ち帰った。その写真は以後 43年間封印された。・・・・・
○「はだしのゲン」などのマンガを読んで、少しは知っていると思っていたが、実際の体験を聞くと、本当にひどくて聞くのがつらかった。イラクなどで放射能のある兵器が使われているので、今も核の被害はあると思う。
2008年7月18日 田尻公民館にて
○ 学校の平和授業で、子どもが勉強しているのにあまり関心を持っていなくて、どんなことをしているのかも知らなかった。今日のお話を聞いて、「お母さんもこんな話を聞いたよ」と子どもと話してみようと思う。
○はじめてこんな話をきいた。本当に体験した人からきいたのははじめて。原爆の怖さが伝わってきた。今も後遺症で苦しんでいる人がいると思うと自分も何かをしなければと思う。
2008年7月15日 三川上公民館にて
○本当にあったことだという実感がわいた。被爆三世の会もあり、原爆被害はずっと続いていくことを思うと何とかしてあげてと思う。でも思うばかりでこれといって行動できないが・・・。
2008年8月7日角子原区公民館にて