昭和五十六年八月二十八日、山形県朝日村(現在の鶴岡市)大網の七五三掛にある注連寺境内に森敦氏の筆になる初めての文学碑が建った。月山そのものを思わせる安山岩の巨岩に深く刻まれた碑は朝日村の有志が発案者となり、近郊の市町村の有志、更には、森敦をとりまく周辺の人たちの心からなるご厚志によって建てられたものである。 「月山 すべての吹きの 寄するところ これ月山なり』森敦 昭和五十六年八月建立
除幕式は小説「月山」に出てくる“紙の蚊帳”に似せた楕円形の白幕(中央に“天の夢”と黒々と書かれていた。)を静かに天に吊り上げるというこれまでに他に例のない奇想な趣向で始まった。普通、幕は切って落されるものであるが、これは落ちるどころかするすると天に昇って行ったのである。しかも式典中、風にはためき、まるで天女の羽衣のように舞い、参加者一同に深い感動を与えた。
文学碑に刻まれた文、小説「月山」にはない。何ページの何行目、というものではないが「月山」が世に出て以来、森敦氏は人から求められると、小説「月山」の見開きに、色紙に好んでこの一文を揮亳した。月山の本然(ほんねん)を語って余すところのない名文である。
(文章/写真:「森敦と月山」〈昭和56年11月(株)東北出版企画〉より)
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