幼少の頃から故郷らしい故郷を持たず、放浪のうちに歳月を重ねてきた森敦氏にとって、庄内はまさ に「心の故郷」とも言うべき特別な土地だったのです。県内での居住は、各地合わせて14年間の長きに 渡り、居住地も酒田、吹浦など9ヶ所に及んでいます。庄内の女性を妻とし、庄内をこよなく愛し、生涯「月山」を、この地方を書き続けたこの人こそ庄内人であり、平成元年7月突然の逝去、惜しまれて8月、旧朝日村名誉村民となり、その魂は今も此処に生きているのです。
明治45年、長崎市に生まれる。家族とともに朝鮮に渡り、京城中学に学ぶ。政治家を志す一方、18歳のとき菊地寛・横光利一らと知り合ったことで、文学への傾斜が高まる。横光に師事し、昭和9年(22歳)、処女作「酩酊船(よいどれぶね)」を発表して注目を集める。太宰治・檀一雄らと親交。しかし、間もなく突如として中央の文壇を離れ、以来40年近く全国を転々としながら「放浪の作家」として送る。昭和49年「月山」で第70回芥川賞を受賞(62歳最高齢受賞)。その後、小説・エッセイ等多数の作品を発表、テレビ番組・講演などで活躍。昭和62年「われ逝くもののごとく」で第40回野間文芸賞を受賞。長編小説の話題作「われ逝くもののごとく」は、「月山」と同じく庄内を舞台にされているが、その舞台は広く描かれています。
森敦氏は注連寺に滞在していたとき、寒さを凌ぐために庫裡(くり)の二階に祈祷簿で和紙の蚊帳をつくり、その中で日々を過ごしました。映画「月山」でも、このエピソードは鮮明に描かれています。
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