昭和一六年に、森敦は横光利一夫妻の媒酌で結婚式を挙げた。相手は飽海郡北俣村字吉ヶ沢(現酒田市)出身の前田暘であった。横光利一と森敦は、森が横光の推挽で、処女作『酩酊船(よいどれぶね)』を昭和九年から新聞連載できるようになって以来の、師弟関係にあった。この師弟は《ふるさと》をもたないゆえに、ともに妻のふるさと庄内が忘れ得ぬ土地となった。 新感覚派の旗手であった横光は、二九歳の昭和二年に菊池寛の媒酌で、鶴岡市鳥居町の日向豊作の次女、千代と結婚。以後、死去するまでの二〇年間、年に一度は「ああここが一番日本らしい風景だと思つた」妻の故郷を訪れたという。土木工事の請負業者であった父の仕事柄、日本各地を転々とする幼少期を過ごした横光にとって、庄内・鶴岡は紛れもない《ふるさと》としてのなじみ深い土地となり、「機械」「旅愁」などの代表作が紡ぎ出されることとなった。
 森敦は、昭和一四年に初めて庄内を訪れ、吹浦の夕焼けに感動して結婚を決意し、鳥海山・月山の山容に触れた。そして、「横光さんはもともと人の世話をよくやいてくれる人だったが、亡くなる直前には特にそうだった。自分の周囲にいる文士志望の青年たちのうち、小説ではやっていけそうもない人には働き口を、ぼくなどには原稿を書く場を探しておいてくれた」その師、横光の訃報に接した翌年の昭和二三年から「庄内を離れ、庄内に来ては離れしているうちに、いつとなく庄内が帰るべきところででもあるように、どこに行っても庄内に来るようになりました。こうして、わたしは吹浦に住み、狩川に住み、酒田に住み、大山に住み、湯野浜に住み、加茂に住むというようにして、庄内平野の町や村をわがふるさとのごとく転々として歩いた」と随筆に書き残している。
 「終戦の日から自宅へ帰るまでの、およそ百ヶ日間ほどのことだが、前から私は、一日人が生きれば何らかの意味で、一つ、その日でなければ出来がたい短編が有るべき筈のものと思っていた。その結果は自然にこの夜の靴のごとき、百ばかりの短編集となったが、しかし、短編集とはいえ、日日の進行であるからは、これを貫く糸は天候と季節の変化である。変わるものが貫いていくという自然の法は、ここでも私は身をもって感じ、ようやく私なりの窮乏を切りぬけ得られた」(『夜の靴』「あとがき」)。横光が感得した、この《変わるものが貫いていくという自然の法》こそは、かの芭蕉が庄内を訪れて開眼した《不易流行》の境地に通ずるものではなかったか。無限に消滅流転を繰り返す流行・変化の営みこそが即ち〈いのち〉そのものの不易・不変の姿であるという啓示が、庄内の信仰風土によってもたらされたのである。
 師に倣って妻をめとり庄内に住んだ弟子は、さらに師の文学を越えようと、昭和二六年に朝日地区七五三掛の注連寺にやってくる。擬死再生を命題とする出羽三山修験のふところ深く、即身仏に象徴される祖霊信仰のメッカである湯殿山の山麓に一冬籠もった体験が、小説『月山』に結実する。この、生と死は循環するとの、死生観をテーマする森文学は、やがて「生と死とは一如をなす」という主旋律を『われ逝くもののごとく』の世界に鳴り響かせることになるのであった。宗教小説の開拓者と目される由縁である。  けだし、庄内は、師弟にとって、心のふるさとであったばかりでなく《文学の原郷》ででもあったのではなかろうか。
 このたび「森敦文学保存会」のHP開設にあたり、ご挨拶代わりの駄文を掲載いたします。二年後の二〇一二年には森敦生誕百年を迎えます。当保存会としましても記念事業を展開してまいりたいと計画を練っているところです。森文学を愛好する皆様からも、企画等につきまして、ご希望・ご要望・アイディアなどお寄せいただければ幸甚に存じます。

庄内と関わりのある森敦文学作品

小説月山

月山《第70回 芥川賞受賞作品》

 作家森敦が昭和26年に注連寺を訪れ、ひと冬を過ごした体験を元に執筆された名作『月山』。1973年に雑誌「季刊芸術」に掲載。1974年に第70回芥川賞を受賞し、“老新人作家”(当時、森は62歳.未だに受賞の最高齢記録.)のデビュー。1976年には本作の文章に新井満(1946-.当時は電通社員)が曲をつけたLP版『組曲:月山』が発表。更に1978年には本作を原作とする同名の映画(後述)が製作されました。

われ逝くもののごとく

われ逝くもののごとく《第40回 野間文芸賞受賞作品》

 1987年に第40回野間文芸賞を受賞。前衛的な構造を持つ長編小説。黒目がちの少女:サキを取り囲む登場人物たちの「多様な死」と小説の舞台になっている山形県庄内地方の「風土と信仰」が、著者(森敦)の代表作『月山』同様の丁寧な筆致によって『独特の曼荼羅的世界』を創り上げている。700頁に迫る長編ながら読むほどに味わいがあり、『月山』と双璧を成す傑作。生誕100年(1912年生)を控え、この機会に是非読んでおきたい一冊です。

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