森敦略年譜(1980-2008)

1981年(昭和56年)69歳

 1月14日~27日、軽度の脳血栓のため、東京厚生年金病院に入院。6月~昭和57年5月、「長篇対談 文学と人生」(森敦/小島信夫)を「文芸」に連載。8月、『月山』の舞台になった注連寺境内に文学碑建立。自筆碑文「すべての吹きの 寄するところ これ月山なり」。除幕式に合わせて第一回月山祭を開催。10月~平成元年9月、「わが人生の旅」を「旅の手帖」に連載。12月、『明治の古典2 金色夜叉(尾崎紅葉、森敦訳)』(学習研究社)刊。

1982年(昭和57年)70歳

 7月、『わが青春 わが放浪』(福武書店)刊。8月、『わが風土記』(福武書店)刊。

1983年(昭和58年)71歳

 1月、限定版『酩酊船』(成瀬書房)刊。5月、NHK教育テレビ「森敦おくのほそ道行1」収録。翌月まで随時収録。6月、NHK教育テレビ教養セミナー「森敦おくのほそ道行」第一回放映。翌月まで四回にわたって放映。8月、第三回月山祭で、中上健次作の野外劇「かなかぬち」を上演。11月~平成元年8月、「天に送る手紙」を「本の窓」に連載。

1984年(昭和59年)72歳

 3月~昭和62年2月、「われ逝くもののごとく」を「群像」に連載。8月、限定版『もくえん(杢右ヱ門)の木小屋』(成瀬書房)刊。9月、『意味の変容』(筑摩書房)刊。

1985年(昭和60年)73歳

 2月、NHK教育テレビ「森敦マンダラ紀行」収録。翌月にかけて随時四国八十八ヵ所を巡って収録。4月、NHK教育テレビETV8「森敦マンダラ紀行」が三回にわたって放映。9月、『月山抄』(河出書房新社)刊。

1986年(昭和61年)74歳

 5月、『わが青春 わが放浪』(福武文庫)刊。同月、『マンダラ紀行』(筑摩書房)刊。8月、注連寺境内に森敦文庫完成。竣工式典に合わせて、第六回月山祭を開催。

1987年(昭和62年)75歳

 5月、『われ逝くもののごとく』(講談社)刊。6月、『十二夜 月山注連寺にて』(実業之日本社)刊。11月、『われ逝くもののごとく』により第四〇回野間文芸賞受賞。

1988年(昭和63年)76歳

 8月、『われもまた おくのほそ道』(日本放送出版協会)刊。同月、対談集『一即一切、一切即-「われ逝くもののごとく」をめぐって』(法藏館)刊。同月、第八回月山祭での講演「雲を追って」が、NHK教育テレビ「こころの時代」で放映され、最後の講演となる。翌日、鶴岡市にて「森敦先生野間文芸賞受賞を祝う庄内のつどい」を開く。10月、「浄土」を「群像」に発表。11月~平成元年9月、「楽しかりし日々」を「新潮45」に連載。

1989年(昭和64年・平成元年)77歳

 1月、「吹きの夜への想い」を「群像」に発表。3月、「門脇守之助の生涯」を「文学界」に発表。同月、「喜寿を祝う会」を開く。4月、斯波四郎死去。六月、『浄土』(講談社)刊。
 7月4日~12日、東京厚生年金病院に入院。同月29日、午後5時43分、腹部大動脈瘤破裂のため死去。8月~10月、「君、笑フコト莫カレ」を「文学界」に連載、未完。8月、山形県朝日村名誉村民第一号として顕彰される。同月、第九回月山祭、森敦をしのぶ会となった。9月、東京会館にて「森敦さんを偲ぶ会」を開く。12月、『マンダラ紀行』(ちくま文庫)刊。

1990年(平成2年)没後1年

 1月、『わが人生の旅』上・下(弘済出版社)刊。4月、北川冬彦死去。6月、『天に送る手紙』(小学館)刊。7月、東京都新宿区の神楽坂の光照寺にて納骨式、一周忌。戒名は「雲月院敦與正覺文哲居士」。墓所に森敦最期のことばの自筆文字「われ浮雲の如く放浪すれど こころざし常に望洋にあり」を刻んだ碑を建立。8月、『酩酊船』(筑摩書房)刊。

1991年(平成3年)没後2年

 1月、『われ逝くもののごとく』(講談社文芸文庫)刊。3月、『意味の変容』(ちくま文庫)刊。

1993年(平成5年)没後4年

 1月、『森敦全集』全八巻・別巻一(筑摩書房)刊行開始。平成7年12月完結。12月、大分県宇佐市赤尾光岡城址に横光利一「旅愁」文学碑(「旅愁」の一節の碑文は森敦が生前揮毫)建立。

1994年(平成6年)没後5年

 8月、「組曲・鳥海山」第一章(森敦文章、新井満作曲・歌唱)を山形県遊佐町合併四〇周年記念式典で発表、カセットテープとCDを作成。

1996年(平成8年)没後7年

 3月、『浄土』(講談社文芸文庫)刊。6月、『天に送る手紙』(小学館ライブラリー)刊。

1999年(平成11年)没後10年

 8月、大分県宇佐市の教覚寺境内に、「われ浮雲の如く放浪すれどこころざし常に望洋にあり」を刻んだ碑を建立。9月、『われもまた おくのほそ道」(講談社文芸文庫)刊。10月、鳥海山を一望する遊佐町の大平公園内に鳥海山文学碑建立。自筆碑文「鳥海山は わが観想の 幻の山なりき」。建立除幕前夜祭「鳥海と森文学を語る集い」を開催。

2005年(平成17年)没後16年

 10月、山形県朝日村が鶴岡市と合併したため、鶴岡市名誉市民の称号になる。

2006年(平成18年)没後17年

 2月、『対談・文学と人生』(小島信夫/森敦、講談社文芸文庫)刊。6月、宗左近死去。10月、小島信夫死去。

2008年(平成20年)没後19年

 5月、『酩酊船 森敦初期作品集』(講談社文芸文庫)刊。(森 富子 編) 出典・講談社文芸文庫『酩酊船 森敦初期作品集』(2008年5月刊)

(文章:森敦資料館ホームページ http://www.mori-atsushi.jp/ 「森敦略年譜」より)

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