その日、昭和五十六年八月二十八日は、作家・森敦氏にとって決して忘れることのできない記念すべき日となった。万感、胸に迫るものがあったのだろう、時折、目に光るものがあった。
除幕式は僧侶によるご祈祷によって始まり、やや間があって、森敦氏と地元小学生・遠藤篤さん、井上正人さんの二人の手で、紙の蚊帳に似せた「天の夢」なる楕円の白幕は“切って天に昇った。”この日の参集者は、招待者・自主参加者合わせて三百人。予想をはるかに超えるものだった。
祝辞を述べる酒田市海向寺住職の伊藤永恒師と感謝の言葉を述べる森敦氏。
「生存中に碑が建つのは、余り例がないので……。」と固く辞退した森敦氏であったが地元の熱意にほだされて碑は建った。会場では小説「月山」へのサインを求める人が列をなした。
その日、蝉しぐれに静まりかえる会場の注連寺を一層深い沈黙の世界に誘いこんだのは、「組曲月山」(月の山・花の寺・墨絵の村・GENSUKE・死の山)を歌った新井満(あらいまん)氏であった。万雷の拍手が長く長く木霊した。
会場を注連寺の本道にうつし祝宴が始まった。坂本流家元の坂本晴江氏による「舞踏月山」が奉納され、さらに地元の子どもたちによる民俗芸能も披露された。
(文章/写真:「森敦と月山」〈昭和56年11月(株)東北出版企画〉より)
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