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遺跡の出土品
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 ここでは、その国の骨董品店・土産店などで買い求めた物。遺跡で拾った物等を展示します。本物か偽物かは分かりません。ローマン・ガラス、ガラス玉等のネックレスはお金・ガラスの展示コーナーへどうぞ。


 

  【楔形文字の粘土釘】

 最近オークションで手に入れた物です。メソポタミア、3000BC頃のウルクまたは初期王朝時代。シュメール語による楔(くさび)文字が円錐(コーン)に刻まれている粘土釘の粘土板です。 大きさ : 12.5 (長さ) x 5.5 (釘根元の直径) cm程


 シュメールでは神殿や王宮などの壁に粘土釘を打ち付ける習慣があり、初めの時期にはウルクなどでは特に色を塗って壁をモザイク柄に見せて装飾としていました。そして、その後代には、その建設に関する記念の銘などが楔形文字により記されるようになりました。
打ちつけられた後は銘が見えなくなりますが、神のみが読むことができるものとされました。
 当出品物は解読されていませんが、具体的な文面の例としては、
「強き勇士で、ウルクの王、アムナヌムの王であるシン・カシッドが自分の王宮を建てた」のような感じです。
 左の遺跡が、イラク南部にある【ウルクの遺跡】


 下の写真が、ウルク遺跡にある壁のモザイク装飾用の粘土棒。


 下の文字は、ウルのピラミッドの階段に刻まれている[建設の記念名]

 上の左の写真が、ウルのピラミッド。
 ウルのピラミッドの写真説明は【建築物遺跡】のピラミッドの項にあります。

 左の写真は、建設記念名の拡大図。
 文字は、シュメール文字。
 楔形文字でも、初期の物で象形文字に近い。









 
下の写真右が、バビロンの宮殿の壁にある[建設記念碑]
 
宮殿再建時にはフセインの名を刻んだ煉瓦もはめられていましたが、現在どうなったかは不明。
 バビロンの写真・説明は【建築物遺跡】の城塞の項ににあります。


 【アンカラ博物館で購入のレプリカ】


 両方とも、トルコのアンカラ博物館で購入した、古い出土品のレプリカ。

 左側の物は「円筒の印章」、粘土板にゴロゴロと押しつけると、粘土の上に絵が描かれる1〜2センチほどの物。

 右は、スタンダードと呼ばれているもので、いろいろな物が出土しています
 これは、「太陽のスタンダード」と呼ばれているもののコピー。
   (紀元前3000年ー同200年)
 青銅製の祭儀用表象で、用途ははっきりとは分らない。アラジャホユックの前3000年紀後半の文化層から出土

  下の写真は、橋本三千穂さん提供のスタンダード(アンカラ博物館)、
 個々の造形が実に面白く感じます。



























  【イランで購入した瑪瑙製の印章石】

 イラン、イスファハンの骨董店で購入したもの。店の人の話では2000年前のもという事でしたが、日本の骨董商の方から、紀元前4世紀頃のササン朝の物といわれました。
 こういう形式の物の発生は、イラクのメソポタミア文明初期の頃といわれています。
 彫られているものは、子供を抱いている女性のように見えますが、詳しい事は判りません。誰か詳しい方教えて下さい。

 大きさ
縦:2.5p、横:1.7p、高さ2p。




  【古代シリア 大型印章石】
 紀元前3000年頃のシリア発掘の古代印章。
 この赤い石は レッド・ステアタイトと呼ばれるもので、紀元前3500〜3000年頃のシリア北部ユーフラテス河周辺におかれた特別なコロニーでのみ製作されたと伝えられ、資料でも特定時期のみ現れます。
 また、比較的やわらかいこの石に 特徴的な線描写でのこのような意匠は シリアのウラルトゥ, アララク, またはトルコのタルススなどで出土する印章石に見られるものです。(購入店の説明)
 モチーフは野生山羊と思われ、神聖視された角が誇張され刻まれています。
 古代印章石において各種の動物デザインは 豊かさの象徴で、豊穣多産のシンボルといわれます。


   【イラクの古代印章「馬」】

 残念ながら、作成年代が判らないのですが、イラク出土の古代の「馬」の印章。

 1.4×1.8pの小さい面に、とても動きのある力強い馬が彫られています。







 【地母神・女性の神】

 紀元前2000年代のオリエント文明圏では、この様な両手で乳房を支えている裸婦像が多く出土します。

 気品のある顔立ち、胸部に襷がけのひも、ネックレスに、イヤリング、頭部は繊細なかぶり物か編み上げ。
 単なる地母神というよりは、女神と呼ぶ方がふさわしい。これがどういう目的で作られたのか、誰か教えて下さい。

 この像は、30年ほど前、イスラエルのエルサレム旧市街の骨董店で見つけて、この顔の美しさにひかれて買い求めた物。

 左側の立像は、トルコのエフェソス博物館にあるアルテミス(Artemis)で紀元前10世紀頃のもの。ギリシャ神話では、ゼウスの子でアポロンの双生の妹で、野獣・家畜の保護神。誕生・多産・子供の守護神とされている。
 ここに展示したのは、胸の卵上の物が特徴で、この物が乳房あるいは卵といわれているところが、左側の女性神と何かつながりがありそうと考えたからです、どちらにしても、多産・豊饒の神としてつくられたものと思います。


  【インダス文明期のブレスレット】

 私は、パキスタンには行ったことはありますが、インダス文明の遺跡はまだ見ていません。印章や粘土板の図柄にはとても興味がありました。たまたま、オークションで模様の入ったブレスレットを入手しましたので展示します。
 本品は バローチスタン丘陵麓のナウシャロー遺跡附近から出土した銅製のブレスレットだそうです。年代は 同文化期(紀元前2600〜1800年頃)、後期の前2000年頃と推察されています。
 デザインは 提供者の説明によると「両端が動物の頭部で 有角動物のカモシカを表しているようで、その他 小さな蛇のような形と数条の横線、×印などが認められます」とありました。頭部の模様意匠については、私なりにこれから推理してみようかと思っています。
 材質は銅のようで、作られた当時は美しい光沢があったと思われます。 最大外径 約6.0センチ。



  
【インダス文明期の髪留め】

 紀元前800年頃までのインダス周辺より出土した銅製(又は青銅製)のピンです。このピンは髪の毛あるいは衣服を留めるために使われたものと思われます。つまみ部分に鳥がデザインされています。 最長部 約 9センチ。


  【サハラ砂漠の鏃】

 サハラ砂漠北西部で採集された鏃、長さ 約22mm〜45mm。
新石器時代 3000-5000年前のもの、この時代サハラ砂漠は緑に覆われ多くの動物が生息していました。


  【ドミニカの石器】

 北アメリカ、カリブ海にある島ドミニカ共和国で購入した、【石斧と石棒】10センチほどで両方とも先端に刃が付いています(年代は不明)。
 ドミニカ共和国は、恐竜映画「ジェラシックパーク」でこの島特産の琥珀(こはく)に閉じこめられた蚊の血液から物語が始まったことで知られるようになりました。しかし、この様な日本から遠く離れた島国にも、北海道の三笠から、炭坑の閉山等によりこの地に移り住んでいる人が大勢いることを知ってビックリしました。
 私がこの地を訪れた30年ほど前、この地で印鑑の実印ほどの琥珀に虫のいっぱい入った物が40弗ほどで売っていました。購入しようとしたところ、「そんなのは日本でも買える」という言葉を信じたため、いまだに後悔しています。
 右の人形は、高さ8センチほどの石の人形、ひもを通してぶら下げるようになっています。石器と同じところで売っていました。出土品か、単なる土産品か不明。価格は石器と同じくらい、同類の物はこれしかなく石を削って作った物にしては安すぎるようなきもするので、あるいは古い物かも… 、密かにと期待を持っています。















  【メキシコの人形】

 
[メキシコ・シティ]
 左の人形の頭部は、メキシコ旅行の時ガイドさんにもらった物で、顔の長さ2.5センチほどの粘土製。
 ガイドさんの話では、メキシコ・シティに地下鉄を作ったときに大量に出土したそうです。

 メキシコ・シティは、アステカの湖上都市テノチティトランの上に建設された都市のため、古い湖上都市時代の物と思われます。





 
[モンテアルバン遺跡]

    メキシコ中部にある、山上遺跡。

 右の写真は、空中から撮った絵はがきをコピーした物。




 下の写真は、私の撮ったパノラマ写真










 下の人形は、遺跡の近くの雑貨屋で、紙の箱に無造作に入っていたもの、これらの他にも破片が沢山入っていました。
 左の物は赤土を練って造ったもの、右は石のように堅い、頭の後ろに穴が開いている。一個数百円程度。(ただし、30年前の話です)



 下の物は、博物館に展示されていた物


  【ペルーのオフレンダ】



 私の姉が、友人からいただいた物。
 このオフレンダは、古代のペルー(年代不明)で新しく畑を作るとき、そこの土地を深く掘って、自分が望むものを彫り込んで埋めた時代があったそうで、それが最近になって見つかり、現地の人はお守札として大切にしているそうです。
 左の物は、姉の友人の娘さん(ペルー在住)がそれに枠を付けてアクセサリーとした物です。
 このオフレンダについての詳しいことが分かりません。誰か知っている人がいたら教えて下さい。
 2004年10月のペルー旅行の折り、天野博物館の学芸員の方にこのオフレンダのことお聞きしました、博物館で働いている現地の方にも聞いてもらったのですが、結局わかりませんでした。
 ところで、現在の博物館は鉄格子に囲まれていました、やはり相当治安が悪くなったのでしょう。
 右の写真は、1975年8月の天野博物館、右側茶色の背広の人が故天野芳太郎さん。


  【ペルーの古代布】

 発掘された古代布を、小さな服装のようにして売っている。
 左が、ナスカ時代のもの、右がインカ時代のもの。





















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