イラクの都市・市民・生活 

 現在、イラクはアメリカとの戦後処理中。 
 ここに載せたイラク写真は、1997年5月〜6月、まだフセイン政権下でメソポタミア文明の遺跡巡りをしたときに、たまたま撮っていたイラク市民の表情です。



 
  
バクダットの国際空港からの入国が出来なかったため、イランのケルマンシャー(旧バクタラン西方の町)からバスで国境まで行き、イラクに入国する。イラク入国には、男は60歳、女は50歳まで、エイズの検査がありました。検査費用は50US$。

 【バクダット市内及び近郊】

 右の写真は、私の泊まったアル・ラシードホテル。玄関の床には、ブッシュ前大統領のモザイクがあり [BUSH IS CAIMINAL] と書かれている、ここを踏まないと中に入れない。
 ブッシュは湾岸戦争で一挙にイラク国民の憎しみをかった。
 今度の戦争で。このモザイクがどうなったか分かりません。



 [イラク博物館]
(左の写真)、なんとか入館することが出来ましたが、整理保管していたのかほとんど展示品がありませんでした。今度の戦争で略奪されたといわれますが、重要な物はどこかに保管していたのではないかと思います。
 [カディマイン・モスク](右)
 シーア派の大聖廟



  [千夜一夜の像]
 バクダット市内には、千夜一夜物語の像がありました。
 左側、アリババと40人の盗賊。
次が、シエラザードが王様に物語を話しているところ。イラクの人たちが、シエラザードをどう表現したのかとても興味がありました。
 シエラザードの銅像は、チグリス川東岸アブ・ナウス通りに沿った公園にあります。川の方は軍事施設があるので撮影禁止でした。

  [バクダットのバザール]

 左皿に載っている黄色の物は揚げたジャガイモ。真ん中はパン屋。右はお菓子と雑貨屋。

 左は、香辛料と干した果物を売っている。

 
  【イスラム教シーア派の聖地カルバラー】

  [フセイン聖廟]


 
 シーア派の人々がカリフに押し立てようとしたアリーの息子フセインとその弟アッパースが、
  ウマイヤ朝(スンナ派)の兵に殺された、その場所にたてられたのがこの二つのモスク。


  [アッバース聖廟]














  【イスラム教シーア派の聖地ナジャフ】

 殺されたアリーの墓所がある。
伝説によれば、人々がアリーの遺言通りに遺骸をラクダの背に乗せると、ラクダは歩き始め10キロほど行ってエン・ナジャフで歩みを止めた。
 アリーの血統のみを正統のカリフとするイスラム教シーア派の人々にとって、その時以来、この地は聖地となりました。



  [ナジャフのバザール]



    イラク南部

  【南部水郷地帯】

  [アシの家 マディフ]
 水郷地帯に、数千年前から同じ形で変わらず建っているアシで作られた家。

 右と下の写真はその内部を撮したもの。










 左側の写真は、天井の装飾中に裸電球がある。
 右は、囲炉裏。










 [下の写真は、移動の途中にあった商店、場所不明]


 左の、黒い容器に入っているのは桑のみ、大きさは日本の物の数倍、黒くなくわずかに紫がかっているだけだが、とても甘い。イランでも見かけたことがある。
 赤い箱の物は、イチジク。









  【クルナ】

  [チグリス川とユーフラテス川の合流点]

 左がチグリス川、
 右がユーフラテス川、
 この二つの写真の中間点で二つの川が合流して「アラブの流れ」となる。
 川の奥(上)がバスラ方向。








 左は、アダムの木、現地のテレビ局が取材に来ていた。
 撮影機材は、ソニー製。
 同行者の一人が、質問を受けていた。
 私が一人でここの写真を撮っていたとき、ビデオに撮られたので、もしかしたら私の映像が現地放送のニュースか何かで流れたかも?。

 右の写真、カメラでトンボを撮っていたら、現地の子供たちが、我先にトンボを採りだし、私のところに持ってきてくれました。そのトンボを撮しているところ。ここの子供たちは人なつっこく、ほとんどの人は裸足でした。





  【バスラ】

 クルナで合流した「アラブの流れ」はアラビア湾にそそぎ込む、その河口がバスラ。
 ここは、イラクで唯一の港町、豊かな水と運河のため「中東のベニス」とも呼ばれ、紀元前からインドやアフリカへの航海の玄関口となっていました。港として最も繁栄したのは7〜13世紀のイスラム帝国時代。『千夜一夜物語』の船乗り、シンドバットもこの港から出港しました。


  上の川岸には、一方向を指さしている軍人等の像が幾つもたっています「敵はこの方から」と言っているのだとのこと。














  [バスラの市場]
 バスラは、戦争時の傷跡も残っている状態でしたが、写真でも分かるように市民の表情はとても明るかった。





  イラク北部

 【サマラ】

 バクダット北方130キロ、ティグリス川東岸にある都市。

 アッバース朝第8代カリフ、ムータシス(在位833〜842)が、836年に都をこの地に移し892年まで栄えました。
 左の巨大な円錐形のミナレットはマルウィヤ螺旋尖塔は基壇を含めた高さ53メートル、第10代カリフ、ムタワッキル(在位847〜861)により建設されたモスクの一部。
 向こう側の壁は、金曜日モスク、内側は長方形のがらんとした広場、収容人員は1万人と言われる。






 町の新市街に建つシーア派のアスカリ・モスク。シーア派の十代目と十一代目のイマーム、アリ・エル・ハディとハッサン・エル・アスカリを祀った聖廟。
 写真で黄色く見えるところはすべて純金が張ってある。






 下右2枚の写真は、食堂とその内部、真ん中の写真左側、鶏の絵の下では鶏の丸焼きを作っているところ。右の皿に載っているパン状の物の中には、ご飯・肉・スパゲッティ等が入っていたように記憶しています。 イラクは経済制裁を受けていたにもかかわらず、食料は豊富にありました。

 【モスール】

  ホテルのベランダから撮したチグリス川。

 下の建物は私の泊まったホテル。



 左の川もチグリス川、町の市民が川縁で遊んでいました。
 上の右の町並みを撮した写真は、左の川の写真の尖った建物の向こうにある、古い建築物遺跡からとったもの。

 下の写真は、町の市場









 


    【川魚料理】

 下の写真は、チィグリス川で採れた川魚を焼いた料理の店【マスゴーブ】。
 ほっけの開きを大きくしたような形、泥臭くなく脂がのってとても美味しかった。



 上の写真、魚を切っている人が我々に同行した監視員。とても温厚な人、どこを写真にとっても何も言わなかった。普通は、基地があるので撮影禁止のウルのピラミッド遺跡も何も言わず撮させてくれました。
 これらの人々、戦争後無事で生活しているかとても気になります。