注連寺と作家「森敦」すべての吹きの寄するところこれ月山なり

森敦文庫と月山文学碑

森敦が注連寺を舞台に描いた小説「月山」
注連寺を舞台に描かれた小説「月山」

作家森敦が昭和26年に注連寺を訪れ、ひと冬を過ごした体験を元に執筆された名作『月山』は昭和49年に芥川賞を受賞しました。

より詳しくは森敦文学保存会へ

注連寺境内にある月山文学碑と森敦文庫
注連寺境内にある月山文学碑と取り壊される前の森敦文庫

人間の生と死を見つめ、天上の世界からのメッセージともとれる森文学の世界を、より広く末永く顕彰するために昭和56年《月山文学碑》建立、昭和61年《森敦文庫》開設されました。しかし、建物の老朽化による収蔵品の維持管理が困難となり取り壊されることとなり、収蔵品の一部は、平成24年10月16日に鶴岡市の郷土人物資料館「大宝館」へ移設されました。 1986年開設以来のべ何千人という方々から愛され続けてきた文庫でしたが、今回このようなかたちによる閉館は残念に思いますが、26年間作家森敦を愛し続けここ注連寺まで足を運んでくださったファンの皆さまには心より感謝申し上げます。

大宝館までのアクセス

より詳しくは森敦文学保存会へ

ゴジラの監督 本多猪四郎氏

明治44年(1911)七五三掛の本多龍傳院(ほんだりゅうでんいん)の家に生まれ、大正10年(1921)10歳で東京に引っ越すまでこの地で過ごしました。亥年生まれの四男ということで、「猪四郎」と名付けられました。

父芳寛は注蓮寺の山内の一つで全国から湯殿山に来る参拝者の案内、宿泊などを行っていましたが、この頃には廃仏毀釈の影響で湯殿山が神社となり、女人禁制が解かれ、また注蓮寺も類焼の災難に遭い、参拝者が極端に減り大変な時代でした。村には養蚕工場ができて村人は養蚕と農業をして暮らしていました。注蓮寺は村の集会場の様になり、子供たちの遊び場になりました。もちろん猪四郎氏も鉄門海上人の前で遊び、縁の下ではかくれんぼなどをして幼少期を過ごしていました。

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