

鉄門海上人は明和五年(一七六八)鶴岡市に生まれました。二十五歳の時に、同寺第六十九世の寛能和尚の弟子となり、鉄門海の名を頂き一世行人となりました。
湯殿山仙人沢で修行の後、人々が難渋している加茂坂に隧道をつくり、また江戸では、眼病が流行して悩む人々のために、自分の左眼を隅田川の龍神様に捧げ祈願し、恵眼院鉄門海上人と呼ばれるようになりました。上人の足跡は、北は北海道から南は四国にまで及び、湯殿山信仰の布教にも大きな業績を残しました。
上人は三千日に及ぶ苦行を行い、62歳で即身仏になりました。当寺では毎年五月八日に例大祭を行っています。

即身仏とは、修行して肉身のままで大日如来と一致する仏になることです。修験者は、即身仏になるために一千日から五千日、五穀・十穀を断ち、山草・木の実だけを食べる木食行を行い肉体の脂肪・水分を極限まで落とし、土中室に入定します。
即身仏になることは、苦行を通して自らの罪や穢れを除くとともに、永遠の生命と肉体を得ることにより未来永劫、飢饉や悪病に苦しむ衆生の難儀を代行して救済するために自らの身を捧げることです。
このようにして現存する即身仏は、族長保存のためのミイラとは本質的に異なるものなのです。