即身仏

即身仏の説明です。

 即身仏とは、湯殿行者が湯殿大権現(大日如来)と一体となる為に自らの穢れを取り除き、山草や木の実だけで命を繋ぐ木食行を行います。
 そして苦行の後、衆生の苦しみを代行し救済を成し遂げ三世の人々の幸福を祈り続ける生き仏です。  
 山形県庄内地方を中心に全国には十六体の即身仏が現存しその多くの即身仏は注連寺に入門して湯殿行者になられた注連寺系即身仏です。
 湯殿信仰の布教と衆生救済の聖者として、篤い信仰を集めた鉄門海上人の即身仏が安置され、注連寺は即身仏の聖地とされています

注連寺系即身仏
名称 寺名 安置場所 入定年
本明海上人 本明寺 鶴岡市東岩本 天和3年(1683年)
忠海上人 海向寺 酒田市日吉町 宝暦5年(1755年)
円明海上人 海向寺 酒田市日吉町 文政5年(1822年)
鉄門海上人 注連寺 鶴岡市大網 文政12年(1829年)
鉄龍海上人 南岳寺 鶴岡市砂田町 明治14年(1881年)
仏海上人 観音寺 新潟県村上市 明治36年(1903年)


鉄門海上人の説明です。

弘法大師空海像
●修行中の鉄門海上人

 宝暦9年(1759年)鶴岡市旧大宝寺村に生まれ、川人足となった。21歳で注連寺に入門し仙人沢での木食修行を二千日行い、木食行者として各地にて布教し衰退した湯殿山信仰の復興、拡大に生涯をささげ、文政12年12月8日の暁、71歳にて入滅されました。

※詳しくは、平成29年7月15日発行の『神と呼ばれた木食行者鉄門海』に記載されています。一冊1,000円(消費税込・送料別)また、鉄門海上人お衣入りお守りもお譲りしています。

神と呼ばれた木食行者鉄門会

鉄門海上人の主な活動

1.祈祷による布教活動
 ◇鶴岡市山五十川地区での疫病退散祈祷(寛政4年、享和元年)
 ◇酒田市旧片町の甚助の酒乱治療(寛政8年)
 ◇庄内町常万の村人の病気平癒、村内安全祈願(文政3年)
 ◇秋田県湯沢市角間のケダニ(ツツガムシ)退散祈祷(文政3年)
 ◇秋田県矢島郷内地区の本尊の行方を占う(文政9年)
 ◇北海道松前藩にて藩主の病気平癒(文政10年)
 ◇江戸の眼病平癒

2.社会事業による布教活動
 ◇鶴岡市加茂坂の新道工事(文化7年、9年、10年)
 ◇遊佐町菅野谷地の新田開発(文政3年)
 ◇秋田県湯沢市二井田の喜藤治川原新田開発の伝承(文政3年)
 ◇庄内の漁村に伝わるタコ漁の道具『テツモンカイ』作る
 ◇農村では鍬の大切さを伝える書

3.信仰強化による布教活動
 ◇小児疱瘡の守り札を配布
 ◇湯殿山講中を新しく組織(江戸1組、越後1組、南部3組、松前3組)
 ◇火伏せ守り札『水』と書き鉄門海上人の手形が捺されている掛け軸
 ◇参拝者に短歌の配布
 ◇弘法大師の旧跡を訪ね酒田市赤滝山の登り説法
 ◇『湯殿山 鉄門海』石碑の建立

 異国船の来航や地震などの自然災害が頻繁に発生した時代、貧しく生きる望みを失いかけた多くの人々に希望を与え、心の支えになった鉄門海上人はカリスマ的な宗教者または指導者として、人々の信仰を一身に集め、即身仏になられた今も私たちの幸福を祈り続けています。

鉄門海上人の石碑

 湯殿山信仰の繁栄を示す八日塔や湯殿山単体の石碑は全県に多く点在しています。
鉄門海上人は、湯殿山信仰強化のために自ら建立した石碑や、村人が上人を尊敬し感謝を込めて祀られた物で、多くは集落の鎮守の神社境内や川が氾濫した場所、また街道沿いに建立しています。
 湯殿行者の名前が刻まれた石碑の中でも鉄門海の石碑は突出して多く、当時の鉄門海が多くの人々に慕われていたことが伺えます。
石碑の碑文は多種多様で、『湯殿山』、『南無阿弥陀仏』、などがあり、名前も『鉄』・『鐡』・『鐵』の三通りが使われています。
 特に新田徳純(上州新田貞任の末裔)が書く『鉄』は独特な字体で彫られています。
 また、湯殿行者は一世行人と呼ばれてきましたが、上人の碑文には一世行人の言葉はなく、『木食行者』となっています。そして文化14年に京都仁和寺から『惠眼院』の院号を賜ると、鉄門上人と名乗り、この年から碑文も『鉄門海』より『惠眼院鉄門上人』へと変わりました。

鉄門海石碑分布図

合計194基

鉄門海石碑

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