湯殿山注連寺は天長2年(825)弘法大師空海の開基であり、その後、大師が開創した霊場を慕い京都より訪ねてきた弟子の真然大徳が承和2年(835)、湯殿山権現堂を建立し、真然大徳を第一世とするお寺です。
弘法大師が東北巡錫の旅に出られ酒田より赤川に『アビラウンケン』の梵字が光を放ち流くる様子を見て、赤川を上流への歩みを進め、梵字川に至り、この地に辿り着きました。
この七五三掛の地は、高台より眺めると八方に峯が連なり八葉蓮台の如く見えることから、茲を清浄の地と定められました。大師は桜の木に葛羅で結んだ注連を掛け、壇を築き祈祷した所、湯殿山大権現の勅使、八大金剛童子が現れ、大師を湯殿山の霊場に導かれました。
大師は湯殿山の本地仏金胎両部の大日如来の御尊像を刻み安置したのが注連寺の開基と云われています。
この桜が御神木の七五三掛桜であり、また八大金剛童子の御姿が、頭に白布の宝冠を被り、白衣を着て、首にしめ縄を掛けていたことから湯殿山での修行や参拝の装束とされてきました。
湯殿山の表口別当として、湯殿山信仰の中心となり、また月山、湯殿山は女人禁制の為、注連寺は女人の遥拝所とされ、湯殿山行者の根本修行道場として繁栄を極めました。古来より丑歳は御縁年とされ、迎え干支の未歳と共に参拝すれば十二回お参りしたと同じ程のご御利益に預かることができるとされてきました。御縁年が丑歳とされるのは出羽三山の総奥の院である湯殿山と注連寺が開かれたのが丑歳であったこと、また、月山の全容が牛の臥した姿に似て、臥牛山(がぎゅうさん)と称されているからとも伝えられています。
樒葉聖観音菩薩は、第108代御水尾天皇の第八皇女朱宮(緋宮)光子(あけのみや)内親王(1634〜1727)が自ら作られた御香仏(灰仏)です。
朱宮は京都の林丘寺を開山し、父御水尾天皇の七回忌にご両親の菩提供養のため、樒の葉に名号を書き、一筆ごとに三十三度礼拝し、その樒の葉を粉にして香とし、漆をまぜて三寸の聖観音立像を数体作られました。
當寺住職、宗恩が上京した折、ご縁があり林丘寺を訪れ、樒葉観音を賜ったといわれています。宗恩は境内に観音堂(香伝屋)を建立して、樒葉観音を御本尊とし、両脇に朱宮の両御尊霊の位牌を安置しました。
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2009年、フランスのタイヤメーカー、ミシュランが発行する日本の旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で、「訪れる価値あり」として注連寺と即身仏鉄門海上人が2つ星(★★)、天井絵画と鰐口(日本最大級、直径:5尺5寸、重量:100貫目)が1つ星(★)に選ばれました。