ワニワニ学級 本校

子ども達や自然や日常から生きるヒントを考える



このホームページでは

人類にとって生命の指標(ライフインデキス)である子供達の活動のようすや、

「太陽(Hアルファ画像)」や「お星さま(冷却CCD他)」の写真、

「みんなのペット」「顕微鏡でとった写真」・・・などの自然、

そして日常生活のすべてが生きる上で示唆してくれているものを共に探っていきたいと思っています。

☆★☆ おとなも子供もみなさんどうぞ ☆★☆

はじめての方はこちらからどうぞ

開設日 平成10年6月25日

現代の「新感覚稚児」である(?)
がきんちょ三人組(有安杏果さん・美山加恋さん・鈴木理子さん)や
週末ヒロイン「ももいろクローバー」を、ホームページ内で応援しています。



たぬき先生が開いている別のホームページ

環境ホームページ


ふるさと・地球環境などの実践記録です
上のマークをクリックすると行けます。

NEW  平成22年 4月9日~  8日撮影の桜画像(分校跡地 赤塚駅近く)

http://www.geocities.jp/neverland1660/index.html

 



  あなたは 人目の参観者です。

祝50500人突破!(H22,2,7
(最新更新日 平成28年6月27日 朝

金環日食特集 太陽のお部屋に新設


学習会だより

「すぐ役に立たない」=「いろんな役に立つ」  ・・・6月3週目号

あるビジネス雑誌に「数学」を勧める特集がありました。単に実務上で計算力が必要だから、というのではなく、数学的に考えることなどが様々な場面でいかされるという趣旨です。本音をいえばこうした取り上げ方はまるで数学を学ぶことが投薬のようで嫌なのですが、私がいつも強調している「類化性能」とも直結している話題だったので特集しました。

「思考のジャンプ」と「遊び心」-①  ・・・6月4週目号

理数的に「思考のジャンプ(類化性能)」を鍛えるためのネタは案外どこにでも転がっています。今回はある小学校の5年生、6年生とのやりとりの内容を紹介しています。

「思考のジャンプ」と「遊び心」-2  ・・・6月4週目号

同じ思考のジャンプ力を鍛えるのでも日本人が古くから行ってきたものには「掛け言葉」などもあります。和歌でも大切なポイントですよね。技巧として古典ではならいますが、本当はもっと深いところに意義があります。今回は和歌での書け言葉ではなく、笑点などでも時折やっている「・・・とかけて・・・と解く。その心は・・・」という方を例にしています。

*一見地震とは関係ない話題のようなタイトルでもしばらくは「今のこの時期」を意識してテーマを決めています。なので地震関連の特集として先週設けた欄に、前の週の特集も順次移しています。読み落としのある方は、ぜひ地震前の「ナマズ絵」のものも含めて最初のものから読み返してみてください。


予告

  たぬき流勉強法コーナー  現在「数学編」についてを作成中です・・・体調不良で進んでいません
(今出来ているのは「歴史編 年表つくり」)
 

 

最新更新への直行通路

入れ替えアルバムなどの定期更新以外で更新された場所への直行通路です。(各お部屋の入り口を飛び越して直接その場所へ行くので、ご注意を!それぞれのお部屋に入っていろいろ巡りたい場合は下の方の「お部屋ご案内」からどうぞ)

料理コーナーにレンコン料理コーナーとブリ大根の朝日新聞風レシピ平成22年1月25日
             キンピラごぼうについてのコメント&画像(1月27日)



個人的関心からのミニ情報



NHKミニ番組 日めくり万葉集 HP
今まで放送された和歌と口語訳も載っています

http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/bangumi/index.html



がきんちょメンバー3人組関連情報
たぬき先生は がきんちょ3人組&ももいろクローバー の皆さんの生き様そのものを応援しています!

美山加恋さん
公式ブログ
 



有安杏果さん & ももいろクローバーZ
セーラームーン連載20周年記念の一環として今年公開予定のアニメ主題歌をももクロが担当
ももいろクローバーZの活動 スケジュールはオフィシャルサイトから  

左から 高城れに 佐々木彩夏 有安杏果 百田夏菜子 玉井詩織 早見あかり(現在は卒業)さんです
ももいろクローバーZ 各メンバーの公式ブログ
ありやす~http://ameblo.jp/ariyasu-sd/
れにhttp://ameblo.jp/takagi-sd/
かなこぉhttp://ameblo.jp/momota-sd/
あ~りんhttp://ameblo.jp/sasaki-sd/
しおりん
http://ameblo.jp/tamai-sd/


主として「Z」になる前のコーナーはこちら



鈴木理子さん

公式ブログ・・・H23,8月初旬に再びブログが閉じられました

鈴木理子さん主演
ふみ子の海 公開情報

平成20年 7月6日 主演女優 鈴木理子さん 茨城上映会舞台挨拶ルポはこちらです


この画像をクリックするともっと大きなサイズで出てきます

日本各地の上映情報は  ふみ子の海 公式サイト http://www.fumikonoumi.com/


更新時のひとこと&PR

大地震以降の分 その1(H23年 3月11日~)

 その2(3月18日~) 

その3(4月1日~)

母親他界連絡(前日)以降の分(4月22日)

5月1日以降の分

5月21日以降の分 

ももいろクローバー「未来へススメ!」より

「どんなどんな困難でも きっときっと立ち向かえる 一人じゃ挫けそうでも 助け合えば大丈夫! いつかいつか辿り着ける 夢に夢に描く場所へ 忘れないよいつだって 孤独じゃない強い智(きずな)まっすぐ未来へススメ!」


熱中症対策 「家庭で作る経口補水液」の一例
水1リットルに対して塩3グラム、砂糖20グラム 飲みにくかったらポッカレモンなどを数滴加える

NHKこころの時代「わたしの出家生活」を観ました。出演は仏教学者であり花園大学教授の佐々木閑さん。

釈迦の説く「出家の本質」についての内容で、出家とは何も僧侶などの宗教者のことではなく、科学者や芸術家やその他「何か自分の興味に打ち込むために物質主義的な通常の価値観から離れて本当に納得できる人生を求めている人」すべてが当てはまるという内容でした。

その定義からすれば、「人間として本来の内在的な力を引き出すきっかけをするのがホンモノの教育」という観点から、たとえ依頼が減ったとしても強制的なテスト対策授業を行なわないスタンスでいる私も出家と言えるのかもしれません。

宇宙の始まりなどに関する研究を始めとして、その研究が日常生活の実利にすぐに結びつくわけでもない事柄に何十億・何百億という単位で予算がつく=税金が使われている・・・・というのも、その研究者たちはすべて「出家した身」であり、納税する人たちはみな「お布施をしている立場」というのが佐々木さんの見解です。

すぐに役に立つというわけではない分野は多々ありますが、それを本気で探求しようという姿勢こそが「人間らしい生き方の極地」・・・それを許容し支援しようとする雰囲気があればあるほど「本当の意味で豊かな社会」につながっていく、ということでした。

「出家」という言葉は使っていませんでしたが、私の父や、「大馬鹿になれ」と説いた玉川大学創立者の小原國芳先生、そして上原輝男先生なども同様な考え方だったと思います。

今の日本は、そうした意味では本当の豊かさを求めるのとは全く逆に突き進んでいますね。「伝統文化や権力者の考える結果を出せない学校には予算をつけない」と公言していた首長もいましたが、そういった風潮が一部の権力者やそこに迎合するエリート以外の多くの人たちの居場所を減らす、生活費をそういった目先の利益にばかり目のくらんだ人たちの恩恵のために税金として搾り取る・・・・そんな社会にどんどんかえてしまっています。

*今回の番組の再放送は7月2日(土曜)午後1時からあります。(NHKホームページ 番組予告はこちら

☆今日は平成7年に担任したある教え子のお母様の命日です。PTA行事の際に私に声をかけてくださったことを今でもありありと覚えています。

(26日 朝)ゆうべ、「社会人クラスがあった頃の常連メンバー&チョコレートさんのお友だち」(合計4人)が訪ねて来てくれました。「内側(無意識の世界)から湧き上がってくる言葉」がポンポン飛び交い、大変に有意義な時間を過ごすことができました。

ただ、・・・・・こういった時間・・・あと何回くらい過ごせるのかな・・・・とついつい思ってしまう私でした。

このメンバーのように、特に若い世代には「それぞれが内側に深い世界を直結したつながりを持っている」ということに是非気が付いてもらえるような場作りが出来たらいいな・・・・とずっと思いつつ先細りの一方であるこの数年間。

最後に社会人クラスの記録をザッと振り返りながら盛り上がったのですが、こうしたことが「懐かしい思い出」という過去のものにだけしかならないというのは惜しい・・・・

世代や立場を超えて内在する力を交錯しあえる場・・・現代風の松下村塾のような場・・・KOU君ともよく語り合うのですが、生きているうちに実現したいものです。(とは言っても現実対応に追われ、心身ともに追いつめられていると、先述のように弱気の方が全面に出てしまうのですが)

(25日 朝)時間や腰痛等々の関係で久しぶりに途中まで高速道路を使いました。およそ1年半ぶりです。最高時速は80キロ・・・・運転が不安定になりやすいのはトンネルが続く区間・・・・今回は大型車が脇を追い抜いていった時やトンネル内での明暗が大きく変わる瞬間に不安定になりかけましたがかろうじて踏みとどまることができました。でもやはりかなりの危険を感じたのですぐに次のインターで一般道におりました。やはりなるべく控えた方が良さそうです。事故を起こしては周囲の車にも取り返しのつかないことになりますから。

結局先方へは今回の整形外科受診の件は話しませんでした。(仲介役のような立場の方が不在だったので)

帰宅途中、父方祖母の命日だったのでお墓参り。もちろん同じ敷地内の私の両親の墓参りもして・・・・

帰宅後、ひとやすみしてすぐに家庭教師にでかけたのですが、身体的には疲れでかなりしんどかったものの、やりとりそのものは大変に充実しました。大きな柱はいくつもあったのですが、「イギリスの国民投票の結果」についても話題になりました。普段は精神論がらみの話が中心なので、こういった具体的な・・・特に経済がらみの話題は・・・珍しいです。

最近しばしば話題になる「楽」という漢字からの考察も、数学の「有限と無限の交錯する感覚」や、物理の「ニュートン力学での慣性の法則」との関連に発展し、そこからさらに「地獄・極楽と人生観」という方向にまでいっています。

(25日 朝)NHK BSで放送のアナザーストーリーズ 運命の分岐点「女王 美空ひばり 魂のラストステージ」を観ました。(再放送が6月28日 午後11時45分からあります)

昭和世代ですから日本を代表する歌手であることは存じ上げていましたが、具体的なことはほとんど知らなかったんだなと思い知らされました。私よりずっと年配で亡くなったと長年思っていたんですが、今の私より若い52歳で亡くなったとか、「川の流れのように」がラストシングルで発売後一ヶ月で二度とステージに上がれなくなったとか・・・・ちなみに他界した年は別ですが、私の父方の祖母と同じ6月24日が命日だというのも初めて知りました。

這ってでも続けるという決意でのぞんだという全国ツアーコンサートを初期の段階で中止と諦めた日の夜の日記には「夢」という言葉の常套句を用いて「春風に 花咲くものと 待ちわびし 我が願い 永久に叶わじ  夢の又夢・・・・」と綴られていたそうです。

ちょうど昨日の午前中、あることをきっかけに整形外科を受診したのですが・・・・薬等々で痛みを和らげても、それは腰などが治るわけではなく・・・今後のことを考えても、もうこれ以上の無理は重ねないようにとはっきり言われてしまいました。出来る事なら他の人に任せてもういわきへの遠出はしないようにと。それがどうしても無理なら本格的に体を休める期間を十分にとるようにと。

*レントゲンの結果では私の背骨などはかなりしっかりとしていると言われました。こんな背骨だからこそこれまでの無理がきいたのでしょうと。普通だったらもっと早い段階で無理がきかず動けなくなっていたでしょう、と。でも現時点では余力がほとんど残っていないところまで骨の周辺が悪化しているようです。

そんなことを出先の方に伝えてもボロクソ言われるだけだと思いますが・・・実際に今回の受診も一昨日の電話のやりとりでかなり厳しく「体調が悪い悪いと言いながら医者にかからないで治そうとしていない」と前々から言われていたことをさらに暴言のようにいろいろと言われ・・・・怒鳴りたいのをグッとこらえて応対していたのですが、電話を切ったあとは一人で怒りの言葉を吐き続けました。その夜はイライラで眠れず一夜を過ごし・・・・。

結局何としてでも痛みなどをとめて、これまで通りに自分の踏み台としてこき使おうという魂胆がみえみえ・・・実際にそういったことも何度も言われていますから。平成8年に体がどうしようもなくなって退職した時にもそうでしたが、私を利用するだけ利用して、利用価値がなくなったと判断したとたんにポイ捨て感覚・・・・だから自分は「所詮は使い捨てカイロ」と思い続けています。

明日はまた遠出・・・・今回の結果を告げることになりますが・・・きっとまた「早く医者にかからなかったからそんなことになるんだ!!!!」とボロクソ言われるのは目にみえています。・・・・医者にかかろうがどうしようが、一昨年からのこのような生活をしていたら、こうなっていたのですがね・・・・(むしろ、下手に痛みをとめていたら、さらに無理をしていて実質ボロボロ度が進んでいたと思います)

そんな追いつめられ感が渦巻いていた中、この番組をみたので、余計に(仮に他界しないまでも)「多少でも動けるのもそう長くはないかな・・・」なんていう気持ちになってしまいました。

☆ゆうべ、30年以上前からこの家で使われていた電話の子機が故障しました。寝室に置いていたのですが、居間にある親機の音はほぼ聞こえません。まいりました。昼間も夜も大半は寝室で過ごしているので、うちに電話をしても出ないことが増えると思ってください。

(21日 午前)最近録画しておいたNHK日曜美術館「円空仏」についての番組を休み休み観ています。江戸時代に円空上人が日本各地を旅しながら生涯に12万体の仏像を彫ったといわれています。「円空仏」で画像検索すると分かりますが、天然木の持つ雰囲気をそのまま生かした荒削りな独特な仏像・・・・

数年前に国立博物館で展示会が行なわれた時に実物をみたことがありますが、整って作られている(?)普通の仏像とは全く違う力を感じ、圧倒されました。今回の番組でも紹介されていますが、朽ちかけた木を彫ったものでもその存在感にはグッとくるものがあります。(例えばこちら

植物としての生涯をまっとうして朽ちて滅んでいく木が奥底に宿していた「仏性」を顕現させたかのようです。(勿論仏像として甦れなかったたくさんの木々も、朽ちて土にかえることで次世代の木々の栄養分などとなって甦るわけですが)

ここ数十年、社会的にも肉体的にもまっしぐらに朽ちていっている感覚にどんどん襲われて絶望感ばかりになっている私ですが・・・どこかこうした円空仏にあやかって、もう一仕事は何か残したいという気持ちも甦ってくればな・・・・もっともそれも自分の想い次第なのですが・・・

(18日 朝)昨日はかなり蒸し暑くなり・・・さすがに今季初めてエアコンをつけました。(ドライ運転)

水分補給は単なる水よりも経口補水液の方がいいというらしいですが、市販のをいちいち買っていたのでは生活費があっというまに枯渇してしまいます。なので昨年何かの番組で紹介されていた作り方で作って飲んでいます。ネット検索するといくつかありますが、とりあえず私が知っているのを紹介しますと・・・水1リットルに対して塩3グラム、砂糖20グラム 飲みにくかったらポッカレモンなどを数滴加える・・・・暑い日に長距離運転をするときなどはこれをペットボトルに何本も作りクーラーボックスに入れて持って行きます。

クーラーボックスといっても普通に水道水で作ったのを保冷剤入りのに入れるだけで、冷やしすぎないようにもしています。胃や周辺の臓器を冷やしすぎてしまうと、体の内部から元気を失うようなので・・・・

今日は昨日よりさらに蒸し暑くなるような予報・・・熱中症予防をしっかりしないと、今の私の体はあっという間に変調してしまいます。

(16日 朝)首長の選挙などのたびによく聞かれる言葉の一つに「強いリーダーシップ」というのがありますが、私はそんな風潮に少なからず危惧を抱き続けて来ています。「何かやってくれそう」という期待を持つのを悪いといっているのではないですが、そういったリーダーに依存しきってしまうのは極めて危険。それは人類の歴史をみても分かると思います。

そうした強いリーダーシップで本当に組織(国や地方自治体)の繁栄のために、これまで歪んできたあらゆる人たちの存在意義を大切にする風潮を取り戻そうとしてくれるならいいのですが、残念ながら権力をにぎったとたんに自分の価値基準に照らし合わせて、都合のいい人たちだけが有利になる社会の実現に強いリーダーシップをとって、多くの庶民は単なる踏み台にしかされない・・・・そんなことの繰り返しです。

いい例が学校現場で皆さんの税金で運営されている公立学校が、あたかもリーダーの私設学校であるかのように、成果の出せない学校には予算をまわさない、潰れればいい・・・エリート教育こそが理想の教育・・・・などという信念の方がいましたが、そういう人を選ぶという事はどういった社会の実現につながっていくのか、自分達の生活が具体的にどうなるのか等々を冷静に考えた方がいいのではないでしょうか?

本当に強く活力ある集団(組織)とは土台からしっかりとしている・・・すべてのポジションの人たちが互いに尊重しあい誇りや生きがいをもてる・・・そんな方向への努力の積み重ねで実現するものだと私は考えています。

*「人間の体」に例えてみると分かりやすいかもしれません。いくら脳や心臓等々が大切だといっても、歯が痛い、口内炎が出来た、深爪になった・・・・等々の状態になると、たとえ全体からみるとささやかな事でもベストな心身の状態で活動できませんよね。

さらにいえばピラミッド構造で一部が上をにぎって支配する組織は、トップがこけた時に崩壊します。仮に通常はプラミッド型であっても、いざというときにそれぞれが主体性を持って自分の出来うることを判断し行動できる・・・そんな底力も持っているかどうかが命運を分けます。東日本大震災の時、津波によって行政機関もマヒした際に、各避難所ごとに子ども達も含めてそれぞれができる精一杯の力を出し合って自主的に運営が行われ出してしのいでいくことが出来た・・・・というのは尊い実例だと思います。

全体からみてどんなにちっちゃな力でも終結すれば大きな力になるというのは自明の理です。誰もがそういった可能性を持っているのに、勝手に決めた基準に合わないという理由だけで、邪魔者扱いし、無駄な存在として切り捨てようとする社会は、一時的には合理的なようにみえても、結局はもろくも崩壊するでしょう。

昔から「みんなのためには一部の弱者を切り捨てるのは当然のこと」という立場と「一人を大切にすることが出来ない社会が、みんなを大切になど出来るわけがない」という立場がいつも対立していますが、どうなんでしょうね????

老人福祉にお金をけけるのは無駄・・・はっきりいって先が長くないし世の中の貢献できないのに何故多額のお金を使わなければならないんだ・・・・なんて主張する人たちもいます。そういった意見を主張するのは言論の自由からいってもダメだとはいいませんが、そういう人は御自身が年配者になった時に、社会制度の助けを受けず、いさぎよく身を捨てる覚悟があるんでしょうかね????

案外こういった人たちほど、自分がその立場になった時には平気で今度は「これまで社会に貢献してきたのだから自分は守られるべきだ」と主張するものです。

(15日 朝)今日は私が小学校3年生のときに他界した父方の祖父の命日です。これから例のいわきへの遠出なのでお墓参りもしてくる予定です。小雨まじりの曇り空なので運転には好都合・・・この時期、直射日光をまともに浴びるとあっという間に熱中症になってしまいますから・・・(一応帽子や腕袋、水分補給などの対策はとっているのですがね)

(14日 朝)ゆうべはかなり涼しいというか肌寒いくらいで・・・でも週末に向けて再び気温は上昇傾向に転じていくようです。

昔から私は自他ともに認める「汗かき」だったのですが、ここ数年は汗の量がめにみえて減りました。老化現象なのでしょうね・・・。

各種CMの影響などで「汗が出る」=「悪い事」というイメージが定着してしまっている今時の若者たちからは「汗が出なくなって良かったじゃない」と言われますが、これはとんでもない誤解です。人間の生物としての機能が著しく低下していることを意味しますから。

エアコンの苦手な自分は何年か前までは扇風機派でしたし、エアコンがあってもよほどのことがなければつけませんでした。健康的にはそうした方が汗腺が刺激されて暑い季節へ向かうスイッチが入るということです。現代人はちょっとでも暑いとすぐにエアコンのスイッチを入れるためになかなか汗を出す機能にスイッチが入らなくて、余計に暑さに弱くなってしまっているとか・・・・。

その上冷えた飲み物などを飲みすぎて胃を通して周辺の臓器を冷やしすぎ、内蔵の機能低下を招いている・・・それで余計に体全体(脳も含めて)にまで機能低下を起こしている・・・・まさに悪循環です。

もっとも私が子どもの頃は気温が31度なんていうのはかなり暑い日というイメージなくらい・・・それが昨今のような気温が高い状態が普通になってくると多少話は別です。人間の本来持つ体温調節機能を逸脱しているので、汗をかきにくくなっている人や高齢者はあっというまに臨界点を突破。

特に乳児期からエアコン生活を必要以上にしている赤ん坊は汗腺そのものが未発達になるそうで・・・・ある時期まで適度な暑さを経験しないと、それ以降はもう発達しないということを以前聞いたことがあります。そういった人たちはどんなに若くても老化現象を起こしている人と同じレベルしか体温調節ができないわけですから、そりゃその人に合わせてエアコンへの依存は強くなっても仕方ないでしょうね。

体温調節に限らず学習や人間関係でも何でもそうですが、幼い頃からの適度な負荷は成長にとって必要不可欠です。そうしたことで人間が本来持っている可能性を十分に開発した上で、それでも限界を超えるような場合は文明の力に最低限補助してもらう・・・・暑さだったら、水分補給や扇風機を第一段階とし、それでもダメそうだったらエアコンを弱めにする・・・・そういえばエアコンは「冷房」よりも「ドライ運転」でちょっと汗をかく程度の方がいいそうです。

湿度や気温がエアコンをつけている部屋とそうでない場所とギャップが大きすぎると、それだけで出入りによる体のダメージが大きいことは日常でもよく経験しますよね。(夏のスーパーや電車などそうです。なので私は東京へでかける時には必ず薄手のカーディガンなどを持っていき、涼しすぎると感じた時には首にまいたり背中にかけたり着たりします)

(13日 朝)今日は最初に就職した時に大変にお世話になった先輩であるS先生の命日です。事務職員という立場だったのですが、いつも学校全体(教職員全体)のことを考えてくれていて、事務の仕事が忙しい時期でも学校全体の行事などがあるときには率先して協力していました。その後姿に刺激されて他の若い職員も自分の仕事より全体の仕事に協力という雰囲気が自然にできあがっていました。

S先生の口癖でしたが、「担当になっている先生だって自分のクラスの仕事をかかえている・・・学校全体の行事なのだからみんなで手伝って一気に終えてしまえば、その先生だって早く自分のクラスの仕事をする時間が作れる」という考え方でした。

特に最初の数年間はS先生と同じ敷地内の借家だったので公私にわたって多くの時間を過ごし、仕事の先輩というだけではなく兄貴分のような感じで社会人としてのイロハ、人間としての生き様を教えて頂きました。(その後結婚されたのでその借家からは引っ越していかれました)

そんなS先生と夜遅くまで学校に残って仕事をする日々だったのですが、前夜も8時過ぎまで残っていて「お疲れ様でした、ではまた明日!」と駐車場で声を交わしたのが最期になってしまいました。翌朝、寝ていたところ未明に突然苦しみ出して他界されてしまったという連絡を受けました。確かその時S先生は29歳だったと思います。

S先生の歳を追い越してしまって・・・・今度の8月で私は55歳になりますが・・・・精神年齢はまだまだS先生より下だと感じています。

(12日 朝)最近KOU君から提示されたキーワードとして、『 「楽しい」と「楽」(らく) との違い 』があります。同じ「楽」という漢字を使いながらもどういったニュアンスの違いがあるのか、ということなのですが、昨今の風潮を考える上で分かりやすい切り口のような気がしています。

分かりやすい例を出すと「毎日を楽しく生きる」というのと「毎日を楽に生きる」という違い。前者の場合は「日々様々な苦労などはあるけれども、それらの困難と向かい合いつつ、より深い楽しさを味わう人生」ということも含まれます。別の言葉で言えば「充実感」「達成感」というようなもの。「修行などのために自ら進んで厳しい環境に身をおく」「部活などに熱心にとりくむ」なんていうのはまさにそういった境地です。

学生だった頃、病院に併設されている養護学校の先生方に「余命わずかと宣告された子どもたちが、ギリギリまで熱心に勉強にとりくんでいる姿に衝撃を受けた」というのもそうです。普通の中学校からそういった学校に赴任したある先生は「今まで自分は事あるごとに一生懸命勉強しないといい学校に入れないぞ、いい仕事につけないぞ、といい続けてきたが、そんな将来がない子が、自分の運命を分かっているのに一生懸命勉強している・・・今まで自分は何のために勉強しろ、勉強しろといい続けてきたんだろう」と語られていました。

そんな話をこれまで教室等々でも何度も紹介してきたのですが、多くの意見は「それなら毎日遊んでいればいいのに・・・勉強するだけ無駄じゃない?」というのが正直なところでした。

体を壊してからの20年あまり・・・周囲から少なからず「ほとんど家にいられるなんて楽でいいね」と言われたり「仕事もしないで楽してる」と批判されたりしてきましたが、私自身はそういった生活を少しも「楽しくていいな」と思ったことはありません。特に最近のように家庭教師の仕事も減ってしまい、人生の終焉が近づいているような実感が増大していると楽どころか虚しさや絶望感がますますつのるばかりです。

仮に経済的な問題がなければ「楽に生きられていいな」と思えるかというと、それもそうはならないでしょう。

やはり何らかの形で他人や社会と関わり、何らかの貢献ができているという実感を得たい・・・・直接そういったことが出来なくても、何か主体的な意識を得られるようなこと・・・仮に寝たきりになっても意識世界の中で・・・・それがなければ「本当に生きている」=「何らかの楽しさ」⇒「真の楽しさ」という感覚が得られないと思っています。

(11日 午前)先日録画しておいたNHK特報首都圏「最期の医療をどうするのか」を観ました。これまでの様々なことを生々しく思い出しました。父方・母方それぞれの祖父母、そして自分の両親・・・それぞれ最期をどう迎えるのかで違った状況でしたから。それらについて具体的に自分の想いを書ける状況ではないので、ここにはこれ以上詳しくは書きませんが・・・。

ただ、番組の中でそういった終末医療を専門にしている医師からはそういった段階になった時にどうしてほしいのかについて家族との普段からの対話を繰り返すことが大切だと強調されていました。

何年も人工透析を受けているという番組にでていたあるおじいさんは、毎年行なわれるもしもの時の要望書で昨年までは意識を失ったら透析をやめてほしいに印をつけていたのが今年は透析を続けて欲しいに印をつけたということで・・・・何故気がかわったのかというと、同じような年代で透析を受けていた方々で他界されることが増えてきて・・・そうしたら自分はやはり意識を失っても行き続けたいという気持ちが湧いてきてしまったということのようです。

そういった心境の揺れ動きは当然にあることなので、余計に家族との対話を繰り返すことが大切だということなのですが・・・・そんな家族もいない私のような独り暮らし・独身者がますます増えていくこのご時勢・・・身内がいても知らん顔されるという状況があたりまえにもなってきています。

思わぬ転倒が割と日常だったり、例の遠出の最中に交通事故などを起こすリスクがかなりあがっている自分にとっては「終末を考えるのはまだまだ先だ」なんて言っていられません。意識不明で発見された時、一体どうなるんでしょうね?????

(8日 朝)2008年(平成20年)の今日は「秋葉原通り魔事件」が起きた日。東京に用事があって、待ち合わせにまだ時間があった私は録画用のブルーレイディスクを買いに秋葉原に立ち寄りました。そして犯人が計画を実行に移そうかと何度か現場周辺を車で循環している時間帯に、あの交差点を往復分2回通っています。事件は私が駅に向かった2度目の通過後2~3分あとに起きました。犯人が決行を決意したタイミングがずれていたら・・・私がもう少しのんびりと買い物をしていたら・・・今ここにはいなかったかもしれません。

でも、自分が犠牲者にならずに済んだということに対して当時からそれが強い罪悪感となって残っています。亡くなったり傷ついた方々が身代わりだったような感覚・・・・なので6月8日にも何度か現場に行きましたが、その後も秋葉原へ行った際には現場の交差点で黙祷してきています。


先週の庭の作業から1週間たちましたがまだ腰痛をはじめとしてあちこちのダメージがあるので思うように動けません。やりかけの生垣の剪定などやり残している作業はたくさんあるし、いわきへの遠出もしなければいけないのですが・・・・。

しばらく前から走行中に妙な音がするようになった車の方もだんだん音が大きくなってきています。修理工場でみてもらった方がいいにきまっていますが、先月自動車税もやっとの思いで払ったばかり・・・・8月には任意保険の支払いもあるし・・・一昨年からの長距離走行で車の傷みが加速しているわけですが、周囲は全く知らん顔・・・広い心など持っていない私は「貧乏くじをひかされている」「使い捨てカイロ扱い」等々の恨みが、体に痛みが走ったり、車の妙な音を聴いたりするたびにますます増幅中です。

(2日 午前)「ためしてガッテン」で痛みや認知症そのたいろいろなことに効果が期待できるホルモンの話をしていました。ポイントは「接触」の感覚。・・・早い話が、あの「痛いの痛いの 飛んでけー」っていうのは単なる気休めではなかったということです。(再放送 7日火曜日 午前2時)番組ホームページでの今回のポイントはこちら

番組前半をみながら「でも独り暮らしの自分なんかだったらどうすれば???」と思っていたら、「そんな人には・・・」とあったのですが、それは抱き枕をかかえながら家族等々親密さを感じる相手との電話のやりとり・・・。ちょっと厳しい・・・・。

もっとも声はなくても抱き枕でも実在感を脳が感じればそれなりの効果はあるようで・・・最近の若者で対人関係などの現実対応のストレスに疲れた場合にアニメキャラなどの抱き枕やクッションを愛用しているというのは、このホルモンを分泌させるために本能がさせているものなのかもしれません。

ちなみに自分はいじめられ等々で学校帰りに時には自ら命を絶ったら・・・なんて考えながらいた小学校高学年の頃、ぬいぐるみを脇に置いて寝ていました。高学年になってもそのようなことをしていたのを心配した母は何とかそれをやめさせようとして・・・ある時帰宅したらそのぬいぐるみがなくなっていて・・・母に聞いても「知らないよ」。

あの時には相当精神的に不安定になりましたね・・・。学校に行っている間に何がおきるか分からないという恐怖や母親への不信感もあって、不登校になりかけました。厳しかった母に無理やり行かされていたという感覚(そちらの恐怖の方が勝っていたという感覚です・・・こんなことを書いたら他界した母には悪いですが・・・・)

もちろんいつまでもぬいぐるみ等々に依存するのは問題だとは思いますが、私が学校で日々どんな生活をしているのかを全く理解してもらえていないのに、そういったことをされたのは不信感以外の何物にもならなかったです。

それを補ってくれたのが祖母との電話なのですが・・・遠距離ということで祖母に電話するのは原則禁止されていたので・・・・たまにこっそり電話しても電話料金で「あんた、またかけたでしょう!!!!」とバレて・・・・そんな日々だったことを今回の番組をみながら思い出していました。

番組でも語られていましたが他との接触によってこのホルモンが分泌されるのは共存共栄して種が生き延びていくための自然の絶妙な摂理・・・なのに競争原理等々で他人は競うための相手・・・しかも良きライバル関係というのではなく踏み台にして叩き潰す存在というイメージが蔓延しているというのは大問題です。

そんな甘いことを言っているからバカなんだ、と非難されそうですが・・・・本当に生きた学力を身につけて伸びていきたいなら、なおのことそうした面が子ども時代から大切だというのも、教育生活を通しての実感です。

(1日 昼)お隣のご夫婦の力をお借りしてシュロの作業をしました。けが人もなく無事終了しました。

倒す方向にひっぱるためのロープをはり電柱に結んでいます。(写っている腕はお隣のご主人)

今度は私が塀の上にあがって電柱をたてにしながら強く引っぱりつつ、お隣りのご主人がチェーンソーで根元を少しずつ切り、無事に倒すことに成功しました。


ビデオ画像からの取り込み

ここ数日間の準備作業も含めて腕や足腰に相当ダメージが残っているので、倒した木の処理は数ヶ月かけてボチボチというところですが・・・・今回は無事に終わったものの、やはりこれだけの高さになったものは素人の手を出すレベルでないことは確かだと思います。(ちなみにシュロは重心が上にあるのですが、倒すのは比較的易しい部類に入るそうです。複雑に枝がはっている木などは倒す方向にしてもやはりプロの技術がないと思わぬ方向に倒れてきたりして危険だということです)

*今この更新作業をしていても、どんどん腰や首筋や肩の痛みが激しくなってきて座っている姿勢も辛くなっています。いわきへの遠出はあと数日は無理でしょう。またいろいろと事実を捏造されて言われそうですが・・・・

(6月1日 朝)何とか6月を迎えることができました。正直いって5月1日にめぐり合った万葉集の歌は、そろそろお迎えが来るのかな・・・というここ数十年の不安、そして一昨年からの過酷な日々でいよいよそれに現実味が帯びてきたかのような感覚を刺激するには十分でしたから。で、今年の前半しめくくりであるこの6月の初日にめぐり合った和歌はこれでした。

梅の花 折りかざしつつ 諸人の 遊ぶをみれば 都しぞ思う (843番) 

口語訳) 梅の花を折って髪にさしながら人々の遊ぶのをみると 都のことを思い出す 

単純な和歌といえば単純な和歌ですが・・・ちょうどゆうべあるアニメをみていた時に学生の頃をしみじみと思い出すようなことがあって・・・そんな今の自分には意味ありげな感じがしました。教育などに関していっても、現実対応能力云々というようなことを最終目標にするのではなく、「生命の発露」ともいえるような内在する人間力そのものの向上を目標としての教育を純粋に目指していた頃への回帰・・・実際にその方が下手に得点力指導ばかりをするよりも、ずっと子どもは伸びるし、また大人になっていっても現実対応能力を自ら引き出せるようになるので・・・・

そのようなことをただ思い出して、逆に今に絶望したりするのも愚かといえば愚かなものです。さてこのあと10時頃になったら庭のシュロを切り倒す作業をお隣の方とする約束になっているわけですが・・・・昨日は下準備をいろいろとして・・・でもやはり不安ばかりがよぎります。

マア、あまりに安易に考えて作業をして、大変な結果を招くよりはいいと思いますが・・・・無事今日を終えることができるでしょうか?????

(31日 未明)夜中に妙な夢をみて・・・・舞台はこの家が祖父母の家だった頃、私は学生の頃っぽい。福島県の叔母たちや他界した私の祖父や母も生きていてこの家に集結していて、それぞれちょうど帰ろうとしていた時に私が偶然やってきたという場面。みんなは駅に祖父と一緒に行こうとしています。私はその間、留守番をしようとしますが、母が「あんたもすぐに帰りなさい」と。それで私も一緒に駅にいくのですが、線路の特別工事で電車がストップ。夜の10時頃まで電車は動かないということ・・・今日中に福島県に帰らなければならないという叔母たちは大変困って・・・・というあたりで目が覚めました。

起きてから何かこの夢の内容がひっかかって寝付けず・・・・

寝る前に1日に作業する予定の予習をネットでしていたせいかもしれません。基本的に素人が手を出せるレベルの作業ではない・・・倒れる木に巻き込まれたら周囲の破壊だけでなく大怪我や死にも直結するような危険なことだと多くのサイトに書いてありますから。上の方の比重が極めて重く、倒れる時の衝撃の大きさは日曜日に試しに切ってきた低めのでも十分体感しました。下の画像をみても分かるように、本命のシュロはその何倍もの葉などがついています。

まずはそれを伐採してからというのが基本のようですが、脚立を普通に立てたのでは届かない高さになっている・・・周囲に木やお隣の家があるので倒す方向はピンポイント・・・それが狂ったらえらいことになるし、きちんと倒れてもちょうど重たいあたりがぶつかるのが私道に面したブロック塀なのですが、震災で亀裂なども入っているので壊れることも十分に考えられます。プロはワイヤーなどを使ってズドンと倒れないようにするようなのですが・・・普通のロープを一人で持っているくらいではとてもおさえきれないでしょうし・・・・

マアやってみて無理そうだったらそのときには次の手を考えましょうということになっていますが、やってみた段階で「アチャー」という結果になりそうで・・・・・試しに切ったやつの隣のに一度もたれかけるようにしたらどうかな・・・とかいろいろ考えています。(もっともそうした素人発想が危険の原因なのでしょうが)

私が大怪我というのも困りますが、お隣のご主人が怪我をされたということになったらもっと大変です。

(29日 昼)先ほどお隣のご主人がやってきて、長年懸案になっていた我が家の庭で高く育ってしまってお隣の2階に相当ご迷惑をかけてしまっていたシュロを「私も手伝いますから今年こそ何とかして切りましょう」と。

実際に業者に頼むと料金の幅はそれなりにあるのですが、あの高さだと処理も含めて1本で5~10万くらいになりそうで・・・・素人が切るには危険なレベルにはなっていますが、とてもそんなゆとりは今の私にはないし・・・・具体的に作業の日にちも決めましょうということで今度の水曜日の10時半からと決めました。

とりあえずネットで素人がシュロを切るにはということで検索していくつか調べてみました。足腰や肩などの痛み等々でフラフラの自分にどの程度負担がかかる作業なのかを実験してみることにしました。

用意したのは大型のカッターナイフと鉈とのこぎり。

繊維の部分をカッターと鉈ではぎとり幹の部分を露出させます。健康な人にだったらさほど大変な作業ではないものの、この段階でもともとここ数ヶ月腕全体のしびれもひどくなっていた私の右手の感覚はあっというまに麻痺してきて、道具をにぎっているのがかなり辛い・・・・


休み休みのこぎりで切っていくのですが、これがまた難行苦行。とれものこぎりだけでは切っていけないので、少し切ったら斜めに鉈で切り込みを入れ、再びのこぎりで切って・・・と繰り返しました。そろそろというところで最も周囲の開いている方向に押していくとズドンと倒れました。上の方の硬い葉が思った以上の存在感で門を完全にふさいでしまいました。

動かそうにも重くて全く動きません。大型の剪定ばさみを使ってついている葉を全部とりのぞき、庭のすみへ。(これも相当かさばります。どうしたものか?????)ここまでの作業で体中の痛みに耐えかねてアウト。

何とか通行はできるようにしたものの、これをどかすにはさらに何等分かに切らなければとても動かせません。そんな作業をしたら水曜日に完全に動けなくなりそうなのでしばらく放置です。

この高さのでも倒すときにはかなりズドンという勢いでした。本命をする時には上の方にロープをかけて倒れる方向をコントロールしようかという案がでているのですが、脚立をかけて途中で一度切るにしても、そもそも脚立上の作業が今の私の足腰では不可能。お隣のご主人は「私が高いところはやりますよ」とおっしゃってくださってはいるのですが、私よりずっと高齢の方なので・・・。

そうすると根元を一気にというのが最も安全な策ですが、倒れる方向がくるうと周囲の電線とか軒先とかを間違いなく破壊してしまうのでロープコントロールがカギをにぎるでしょう。

今回倒したものの処理も専門の業者に引き取ってもらうしかないようなものなのですが、そんなお金もないので、多分庭のすみにずっと積み重ねて放置しておくしかないと思います。私がポックリいったら本当にどうなるんでしょうね・・・

(27日 朝)昨日の午後、国内飼育最高齢の象のはな子が他界したということで・・・・私も幼い頃から何度も井の頭公園に連れて行かれたことがあり、(それがはな子だとは知らずにですが)何度も象を眺めていた記憶があります。69歳だったということですから私より長寿・・・。うら寂しい気持ちでいます。

(26日 0時過ぎ)今回の件での心の乱れがこれまで積み重なってきた我慢やグッとくらえて意識の奥に押し込めていた憎悪感覚が連鎖しています。そもそも今回勝手に私を非難している人物だって実を言えば直接の面識は少ないものの「あんたにだけはそんなことを言われたくない!!!自分が間接的にこちらにどんなことをしてきたか分かっているのか?????」と何十年も思っていた不満や憎悪がたまっている相手。

そんな精神状態のためでしょう、昼過ぎからは偏頭痛の発作が起こり、かなりの痛みが続いています。意識が乱れているから何をしてもミスをしたり、ものを落としたり・・・そのたびにイライラがつのって、それこそ大声で「もういい加減にしろ!!!!!!どこまで人の人生を目茶苦茶にすれば気が済むんだ!!!!」と怒鳴り散らしながら家じゅうのものをぶち壊し、その勢いでこんな若い頃からずっと使い捨てカイロ扱いされている人生など終わりにし、あちらの世界から無念な想いを伝え続けたくなるような衝動にかられ・・・・。

ただ、そんなことをしたら最初の段階で偏頭痛や全身あちこちの痛みがさらに悪化し耐えがたくなりそうだったので実行はしていませんが、小声では半分泣きかけているような声で「ナンだよ!もー!!!」を連発しながらますますイライラする連鎖。

たぬき、相当荒れています。(ということで眠れないでいるのでこんな時間に書いています)

*・・・といって更新しようとした際にメールチェックをしたら、かつて家庭教師で教えた子からおめでたい内容のお知らせメールが・・・・。こういうお知らせをして頂けると、世の中の片すみにでも何とかまだへばりついていたいという願望が湧いてきます。教え子たちには私の分まで幸せな人生を送ってほしいと素直に思いますから。(時に人生の波風はあっても)

(25日 朝)昨日も一日中遠出、今回は多少無理してでも電車ではなく車でした。(車の方も調子が悪くて先週から走行中に妙な雑音がします。オイルなどはちゃんと入っているのですが・・・修理っていってもね・・・・今月は自動車税の34500円だけで月収以上吹き飛ぶし)

一昨年の10月以来このような生活がずっと続いているのですが、昨日は極めて不快になるような話が飛び込んできて・・・詳しくは書きませんが、私があたかも水戸でずっと知らん顔をしていて他人に何もかも押し付けているというように他人に吹聴されているようで・・・それをまともに信じている人の中には、私が社会人としての常識のかけらもないように受け止め、厳しく叱りつけ躾けなければならないとまで怒っているとか・・・・。

事実は全く逆で、私の方がすべてを背押わされて体調もどんどん悪化している側だということをきちんと理解してくださっている方々もいたので爆発はせずに何とかグッとこらえましたが・・・・。

このようなことは職場いじめにあっていた頃も何度もありましたが、こちらが反論しようとすればするほど、たとえこちらの正しさが証明されてもさらなる遺恨によってより陰湿になるというのは子供の世界のいじめと同様です。

それこそ見えない世界の方々もきちんと見て下さっていると信じて心身がボロボロになりながらもヤケは起こさないようにとは思っています・・・・が、昨夜は疲れているのに感情が暴走していてあまり寝付けていません。

以前だったらこんな心境の時には香取神宮に出かけるとか、山地の方へ行って天体写真を撮ってくるとかして、意識の転換をはかったのですが・・・先週よりマシにはなっているものの相変わらずムチ打ちの再発や足腰の痛みや軽い不整脈の発作も続いているので、それも出来ません。

悪循環だな・・・・

(23日 朝)最近は天体についての情報にもほとんど疎くて・・・今週末にお月様と土星・火星・アンタレスが接近して見えるというのも全く知らず、ゆうべ偶然知り急いでカメラ片手に外へでました。

月の右の方に火星があるのはすぐに分かりましたが、視力が衰えているのであとはよく見えず・・・双眼鏡で土星とアンタレスは確認。アンタレスはさそり座の一等星・・・たしか心臓にあたる部分だったかな???・・・火星同様に赤っぽい星なので「火星に対抗するもの」という意味の名前なんだそうで・・・。太陽の700倍くらいの大きさの超巨大な星です。今夜以降は月の位置は離れていきますが、土星・火星・アンタレスのランデブー状態はまだ続きます。夜の9時頃だと南南東あたりでみつけられると思います。(画像はフォトショップでみやすいように若干補正しています)

(22日 朝)自分がこの世を去る場合だけではなく、誰かやペットに去られるというような場合も別れの辛さがあるわけですが・・・そんな話題になった時にKOU君から「死んだペットの猫をラジコンヘリコプターに改造した人のことって知ってますか?」・・・と聞かれ・・・・あるサイトを紹介されました。海外の芸術家さんで、自作のようです。(2012年から話題になっていたそうで、いろいろなサイトで紹介されています。サイトによっては閲覧注意とあります)

どのように受け止めるかは個々人で相当開きがあるようですが、私は不幸にして交通事故で亡くなってしまった愛する猫といつまでも一緒にいたいという気持ちは分かるものの、正直「おぞましい」と思ってしまいました。

剥製にすること自体は昔からよく行なわれているわけだし、キツネの襟巻きなどのファッションでもみられますが、ハリコプター型にするというのはまたちょっと違う気もします。(私の見解はこれ以上詳しくは書きませんが)

サイトに載せられている静止画だけでも相当なインパクトがありますが、それを紹介したニュース番組の動画もあります。一応アドレスは貼り付けておきますが、お勧めはしません。(なのでリンク設定はしていません)

http://dailynewsagency.com/2012/06/04/pownews-orville-vliegkat-8fk/

(21日 朝)つい最近、朝の情報番組で、「最近は さようなら という言葉が使われなくなっている」という特集をしていました。内容は詳しく観なかったのですが「もうこれでオシマイ」というようなイメージや「物事の変化を避けたい」という昨今の傾向が敬遠される理由のようです。

もともとこの言葉の語源は「左様ならば」からきているというのを上原輝男先生の講義で聞いたことがあるのですが、ネット検索しても同様のことは書いてありました。それこそ現代よりも日々が不安定だった時代・・・次にまた会えるかという保証などない・・・まさに人と会えるということは「一期一会」であった頃・・・・

「ここで別れたら次はもうないかもしれないからお別れしたくはないけれど、左様な事情があるならばここでお別れしなければならないんですね」というような心境の表れだったようです。それだけに、「今この瞬間を大切に生きる」という姿勢が日々意識されていたのでしょうね。

そしてまた会えたとしたら、互いに無事にまたこうして会えたことを「より喜べる」。

「もうこれで会えないかもしれない などと考えるのは縁起でもない」というのも分かります。私だって随分と前から「もうこれで終わりかな」という気持ちで日々を過ごすようになっているわけだし、今だって遠出によって事故に遭遇したり体調がより本格的におかしくなって当たり前のことがどんどん出来なくなっている現実に日々直面していますから、こうやってホームページを更新できるのは「これが最後になるかもしれない」と毎回思っています。大袈裟ではなく。

私はどうしても「絶望的な方向」へ意識が走ってしまう傾向が幼い頃から強いのですが・・・・逆に言えば「変化が起こりうる確率が高い生活」というのは、悪い方向ばかりではなく、良い方向への転換だって同様に起こりうるということを意味します。(もっと言えば、何が良くて何が悪いのかというのは個々人の意識次第というのもあるし、人知を越えた領域の問題でもあります。)

自然科学的にいえば「安定=エネルギーが小」 「不安定=エネルギーが大」であり、エネルギッシュな人ほど「変化が起きてあたりまえ」・・・・子どもらしく生きている子どもの生活をみれば、それはそのまま誰にでも本来ある姿であることは了解できると思います。

そんな子ども心を大人になっても共存させていけることが大切なのでしょうが・・・幼い頃からいじめ等々の影響で「自分は世の中にとって邪魔な存在」と思い続けてきた私にとって、「そんな子ども心ってどういうこと?」というのも正直なところ。

社会的に定職も事実上ないような生活なのだから、もっと開き直っていろいろと試してみればいいのでしょうがね・・・・

(17日 朝)不整脈の発作まで加わったので明け方4時には起きていたのですが車での遠出は無理と判断。もう一度丁寧に時刻表をみなおしたら各駅停車を乗り継いでギリギリ間に合う行き方を発見。電車で行きました。ただ、午後からは偏頭痛の発作もおき始め夕方以降は痛み止めを飲んでもかなりの状態。

夜には震度4の地震。積み重ねていた本や棚の上のぬいぐるみ等々が崩れました。そして今朝はごく短時間で震度3とはいいながら下からドンと突き上げるような感覚の地震。揺れが強まった時に胸ポケットに入れていた携帯が緊急地震速報を受信してうなり出したのですが、あの音は心臓によくありません。東日本の時のトラウマスイッチになっているので。日曜から不整脈の発作が起きていたので尚更です。

東日本大震災の頃から数年以内にかなりの確率で起こりうると言われている茨城県沖などを震源とするの双子型地震のようなことの前兆ではないか・・・なんていう不安がよぎります。あの時の地震で相当我が家も亀裂等々でダメージを受けているので、自分の体だけでなく住み家の心配もどんどん増幅中・・・・

(15日 夜)土曜日はまだ先週の後遺症が抜けないので電車でいわきへ。電車でといっても長時間座りっぱなしで運転をずっと続けていることから体のあちこちがガタガタなので、乗っているだけでもかなりシンドイ・・・もちろん座っている時間は車で行くよりは短いし、運転する必要がないのではるかにマシですが・・・。

月曜日にはもっと早い時間に行かなければならなくて・・・でもその時刻に着く電車がなくて・・・何とか車で行くつもりではいたのですが、実際に昨日も意識も体もヨタヨタで、ムチ打ちの後遺症がひどいので首を思うようにねじれず、運転中の後方確認がきびしい・・・正常な運転など(しかも平日朝なので日立やいわきのバイパスで通勤大渋滞に巻き込まれます)とてもできそうにないと感じたので、どうしても間に合わない朝のうちだけ(代行してくれると申し出てくださった方がいたので)私は抜きで、朝一番の電車で着いてから合流にしてほしいと先方にお願い・・・とりあえずOKはとったのですが・・・・

今日になって上の方からやはり規則は規則なので代行ではダメと指示があったとの連絡・・・・こちらの体調等々のことを話してねばったのですが結局ダメ。

もう本当に一昨年の10月来、すべての面倒なことを私一人だけに押し付けられ、人生を目茶苦茶にされてきているという怨念がどんどん噴き出してきてしまいました。もう最後には「じゃあ、分かりました。無理してでも朝5時にこっちを出てそちらに行きます。途中動けなくなったり事故を起こしてしまったら、そのときはそうみませんです」とちょっと感情的な言い方をしてしまいました。

規則は規則なのでしょうが決して行かないと言っているわけでもないし、電車がないから30分程度遅れるので代行してくれる型にその間だけお願いというだけなのですが・・・私の命より規則の方が大切なようです。

今は家庭教師に出かける片道30分も相当辛いし、危険な状況なので、明日はこれまで以上に難航した往復になることは確実・・・12日にみた夢のようなことが起きなければいいのですが・・・

本当に都合の悪いことはすべて押し付けられて使い捨てカイロのような人生・・・・それで文句ばかり言われている・・・・人生に対してヤケを起こしたい心境にどんどん自分がなっていくのを感じます。(もう起こしてはいるのですが)

明日は帰宅後に貴重な家庭教師の時間・・・乱れた感情や体調の悪さをなるべくひきずらないようにしたいですが・・・・先ずは無事に帰宅することが最優先事項です。

(12日 朝)またまたリアル感が全開の夢を未明にみました。簡単にいうと突然私が他界した夢。原因もよく自覚出来ていない状態で・・・とにかくハッと気が付いたら浮かんでいて周囲の誰も気が付いてくれない状態になっています。知り合いが大勢いるところに飛んでいくのですが、霊感が強めの何人かは「誰かいるのかな?」とキョロキョロしてくれるのですが、気が付いてはくれません。でも何とかして私物の整理等々でどうしても発見して引き継いで欲しいものについては伝えられないかとあれこれ思案している・・・というあたりで覚めました。

小さい頃からよく「未明にみた夢は正夢になりやすい」などと周囲に聞かされてきましたが・・・どうなんでしょうね????

ただ、「正夢」ではなくて「逆夢」だったにしても、ならばどのように残りの人生をしっかりと過ごすのかを考え、精一杯実行しなければ、生きながらえる意味もないわけですが・・・・

いつ来るか分からない終わりに向けて、身辺整理やエンディングノート等々をしっかりと準備している方々も大勢いらっしゃいますが、案外思い込みが強く、頭の中の世界が実際に投影しがちな傾向の強い私がそのような行為に出ると自らその時期を早めてしまうような気がして、これまで実行には移してきませんでした。

でも、それはそれで今回の夢のように、そうなってから後悔してしまいそうだし・・・・。

マア、そんなことでいろいろ迷っていると「そんなヒマがあるなら本気で児言態の仕事をして、教育に貢献しろ!」と上原先生や父などから叱られそうです。

(11日 夜)土曜日の後遺症が残っていて今日になっても全身ガタガタ・・・そのせいかどうかは分かりませんが、夜中と明け方に妙にリアルな体感を伴った夢をみました。

夜中にみた夢は海外から侵入した軍隊アリが日本各地で大繁殖。巣を作られて住めなくなってしまう家が続出。我が家も大量のアリに襲われ、中に入られないように攻防戦をくりひろげる・・・という内容。

未明にみた夢は、かつて家庭教師で教えた子が突然やってきて、「親の借金のかたとして自分はこれからある闇の組織に売られていく・・・その前にどうしても誰かにかなえて欲しいことがあって逃げてきた」・・・微力ながら何とかかなえてあげようとするところで追手に発見されてしまって・・・・というあたりで目が覚めてしまいました。

どちらも自分として精一杯何とかしようともがいているのですが、無力さを痛感させられていました。

退職後・・・さらに仕事がほとんどなくなってしまっている今、まさにそんな感じです。子ども達や若者たちに微力ながらでも何か貢献したいと思っても、ほとんど何もできない虚しさと、今後さらに先細りする予感ばかりでの絶望感・・・・

(9日 朝)数日前、運転中にラジオを聴いていたら「連休をどのように過ごしているか」という話題でのある主婦からのお便りで「ケンカしないように主人と会話しないでいます」というような内容のがありました。そういう現実ってあるでしょうね。私も祖父と同居していた時には祖父が高齢になるにつれてどんどんイライラをこちらのぶつけるようになっていった際、そういった傾向になっていってしまいました。

この20年あまりは家庭教師以外ではほとんど他人と関わることもないのでそういったことは起こりえませんが・・・それはそれで「虚しい部分が全くなく気楽な毎日だ」といえばウソになります。

(8日 朝)朝7時頃に家を出て、帰ってきたのがおよそ夜の11時・・・疲れたどころではない状態で、今も全身だるいし頭の中もボーッとしています。よく事故を起こさずに帰ってこれたと自分で自分に感心しています。今度の週末と週初め(14日と16日)も行かなければならないのですが、とてもそんな中1日で運転できないので、14日は電車を使う予定。それでも足腰の痛い身にとっては決して楽ではありません。

昨日はある意味で「死を迎える準備」ということを痛感させられる一日でした。「生前葬」なんていう発想にも通じるような。自分の場合はほぼ間違いなくひっそりといつのまにか去っていたということになると思います。かつての教え子たちともほとんど関わりがなくなっているし、現在直接関わっている家の子たちとも1~2年内にはオシマイになるので、それはもうかなりの現実味を帯びてきています。

そんなときに児言態の原稿として自分の最終段階として教育などについてあれこれと考えていたことが残せて発見された、というようにはしたいと常々思ってはいるわけですが、体調の関係でいつになっても執筆に取り掛かれないでいます。このままでは大きな悔いを残した人生になりそうです。

(6日 朝)夕方、かつて家庭教師で教えてたKさんが、いとこと共にひょっこりと寄ってくれました。つい最近結婚したという報告もかねて。こいのぼりがうけていました。

ゆうべから腰痛に加えて偏頭痛などが起こり難儀しています。いつもは右側に起きるのが今回は左側というのも・・・。夕飯をとらずに寝たので鎮痛剤も飲んでいません。数日前からムチ打ちの再発で痛みがひどい右肩に右腕全体の痺れも伴って着ているのですが、これもパソコンなどの作業に支障をきたすようになってきています。視力もさらにガタガタ。

明日の遠出は相当の覚悟が必要そうです。

(5日 朝)強風もおさまったので、先ほど庭にこいのぼりをぶら下げました。大きいのはかつて分校の物置に置いてあったのを閉校の際に頂いてきたもの。小さい2匹は数年前に岡本太郎記念館で購入してきたものです。

このような付け方では「屋根より高いところを元気よく泳ぐ」というわけにはいきませんが、マアこれからの世界を担う世代の良き成長を祈る気持ちは変わらないので。

夜中に冷えたせいか腰痛がかなり悪化しています。起き上がっているのがかなりシンドイ状態です。土曜日にまたいわきへ行かなければならないのですが・・・このままではきつそう。基本的に他の曜日に変えられない用件があるので、どうしてもの時には電車を使ってでもいかなければならないのですが・・・・

ちなみに明け方に児言態の月例会に参加しようとする夢をみました。(以下、夢の内容)ちょっと早めに着いたので会場はまだあいていません。付近をウロウロしているうちに他の会員の先生方と出会って昼食を一緒にとるのですが、急激に体調が悪化・・・結局会議には参加しないで帰ってしまう・・・という内容でした。子どもの日なのに何という夢をみたんでしょうね・・・

(4日 午前4時頃)録画しておいた新日本風土記の「SL」再放送、母方の祖父が駅長まで勤めた国鉄職員だったり、父方の祖父に連れられて常磐線を走る汽車が通る踏み切り付近に連れて行ってもらったことだったり・・・そんなこともあってか、番組を観ている最中に何度か懐かしい感覚の涙があふれてきました。・・・・BSプレミアムで5月6日(金)朝8時からも再放送

SLに最後に乗ったのは大学のゼミ旅行の時・・・番組にも出てきましたが大井川鉄道のです。

よく言われることですが、SLは単なる鉄の塊ではなくて、生き物。だから人生といろいろな形でより重ね合わさるんでしょうね。

小学生の頃に近所のオモチャ売り場に飾ってあったデゴイチのプラモデルに憧れていたのですが「あんたには無理」ということで買ってもらえず・・・社会人になった時に、たまたま同じシリーズのをみつけて購入。(たぶんシゴロク)夏休み中に職員室の空き机でちゃんと塗装をしながら何日かかけて組み立てたことがあります。確かに小学生の私には無理なシロモノでしたね・・・・(しばらくは教室に飾っていたのですが、学校を異動しているうちに壊れてしまいました)

もう一箱「デゴイチ」のも買っておいて組み立てていないのがあったのですが・・・家のどこかに眠っていて・・・せっかくなのでそのうちみつけて組み立ててみたいものです。

番組の中では童謡「汽車ポッポ」の元の歌である「兵隊さんの汽車」という歌も紹介されていました。「汽車汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポ シュッポッポウ 兵隊さんを乗せて シュッポシュッポ シュッポッポウ  僕等も手に手に日の丸の  旗を振り振り送りませう  萬歳 萬歳 萬歳  兵隊さん兵隊さん 萬々歳 」というような調子です。戦地に赴く帰らぬ旅の出発ということを考えると、あのメロディなので明るい雰囲気の歌であるだけに余計に複雑な心境になります。

歌詞全体を知りたい方はこちらのサイトをどうぞ。 

(2日 午前4時頃)何とか帰宅できましたが、ムチ打ちの後遺症の悪化と疲労で帰宅の運転時には2回ほど自爆事故を起こしそうになってしまいました。今週末にもまた行かなければならないのですが、かなりきついものがあります。

線路に自転車を投げ入れた19歳の若者がいたそうですが、動機が「電車が止まるところが見たかった」と供述しているそうで・・・。

こういった事件は後をたちませんが、幼少の子が「やってみたかった」といってイタズラをするレベルの軽い気持ちで大きなことを後先も考えずに平気で実行に移せてしまうというのは、もしかすると幼い時に適度な失敗をした経験が少なすぎるのかな、なんても思ってしまいます。「こうしたらこうなった」という因果関係というか自分のどのような行為がどのような結果を招くのかというイメージをもてないまま大人になってしまっているような・・・・

「失敗を回避させる」ということばかりに専念しすぎている風潮は、ますます純粋培養による歪みを生じさせる結果になる・・・という因果関係を世の中も学ばなければ取り返しのつかない段階にきているような気もします。

(5月1日 午前4時頃)朝になったらいわき市へ出かけなければならないので、こんな時間に月始め恒例の万葉集占いです。今回出合った和歌は・・・

家にありて 母が取り見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも (889番)

 (口語訳)家にいて お母さんが看病してくれたら、(たとえ苦しいにしても)気が晴れるだろうに・・・たとえ死ぬにしても・・・どちらにしろ後々死ねばならないにしても・・・

背景としては年老いた父母を残して遠い都に赴任しなければならず旅に出た若者が、旅の途中で病気になって臨終間際に詠んだいくつかの歌のうちの一つのようです。他の和歌も任期をおえた後に自分がまた戻ってくるのを心待ちにしてくれている年老いた父母を残して、会うこともなく逝かなければならない自分を嘆き悲しんでいます。

正直いって朝になったら長時間運転をして出かける前にこの和歌をひきあてたというのは、あまりいい気持ちはしませんね・・・。こうした生活をしなければならなくなってから、何度も危険運転をする車によって事故に巻き込まれそうになっていますから・・・これまでは時には奇跡的に無事だったという感じでしたが、いよいよ今日は・・・・・そして無念な想いを抱きながら・・・・なんてついつい思ってしまいます。

この更新が今日を最後にあとはなかった・・・なんてならなければいいのですが・・・・

ただ、今回の和歌・・・・この数十年を振り返ってという観点に立てば、仮に今日の遠出でアウトにならなくても・・・あと何年か生きることが出来たとしても・・・今のままだったら無念な想いを抱きながら去ることにはなるでしょうね・・・・

もうこの世には父も母もいませんから、親を残してということはないし、母に看病してもらえるという事もあり得ませんが、拡大解釈すれば私にとっては関わることができている若者がほとんどいなくなっているということがこの若者の心境に通じています。教師だった頃も、退職後も厳しい状況の中、何とかやってこれる気持ちが湧いてこれたのは教え子たちのおかげでしたから。(もちろん教え子たち以外にもいろいろな方々にお世話にはなっていますが)

昨日あのような夢をみたということも関わっているのかもしれませんが・・・・せめてあちらの世界から父や母が見守ってくれているという実感を得られるように、冷静な部分も研ぎ澄ませていきたいものです。

☆☆これまでの「ちょっと一言」4月分はこちら☆☆



子供達の写真・お星さま・子猫の写真

(最新入れ替え日  7月9日)

上のボタンをクリックすると大きな画像のコーナーにとびます
今回の入れ替え分


前回の入れ替え分

子供達の写真・ちょっと大き目の天体写真を2日に一度入れ替えています。



「お星さま・ミクロ世界」などの写真集
実は「顕微鏡写真」もあるんです!!

「子ども・教育」「クラス・クラブなどの思い出」関係


特設コーナー

「食の思い出」

「ペットのページ」

高電位治療器 リブマックス9000
つぶやきのお部屋内「よりぬきコーナー」にあります

聖良さんに関する記述はこちら


常連様用「特急ボタン」

お星様のお部屋

  ミクロ  イメージ  思いで  言葉  授業  つぶやき 

 学問(恩師の上原輝男先生・父の語録です・・・児言態コーナー追加)  




朝日や夕日、雲などの画像もあります。

最新画像・・・h24,5,21 「金環日食特集」



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6月25日  開設