ワニワニ学級 本校

子ども達や自然や日常から生きるヒントを考える



このホームページでは

人類にとって生命の指標(ライフインデキス)である子供達の活動のようすや、

「太陽(Hアルファ画像)」や「お星さま(冷却CCD他)」の写真、

「みんなのペット」「顕微鏡でとった写真」・・・などの自然、

そして日常生活のすべてが生きる上で示唆してくれているものを共に探っていきたいと思っています。

☆★☆ おとなも子供もみなさんどうぞ ☆★☆

はじめての方はこちらからどうぞ

開設日 平成10年6月25日

現代の「新感覚稚児」である(?)
がきんちょ三人組(有安杏果さん・美山加恋さん・鈴木理子さん)や
週末ヒロイン「ももいろクローバー」を、ホームページ内で応援しています。



たぬき先生が開いている別のホームページ

環境ホームページ


ふるさと・地球環境などの実践記録です
上のマークをクリックすると行けます。

NEW  平成22年 4月9日~  8日撮影の桜画像(分校跡地 赤塚駅近く)

http://www.geocities.jp/neverland1660/index.html

 



  あなたは 人目の参観者です。

祝70000人突破!(H29,5,14
(最新更新日 令和元年5月24日 午前)

金環日食特集 太陽のお部屋に新設


学習会だより

「すぐ役に立たない」=「いろんな役に立つ」  ・・・6月3週目号

あるビジネス雑誌に「数学」を勧める特集がありました。単に実務上で計算力が必要だから、というのではなく、数学的に考えることなどが様々な場面でいかされるという趣旨です。本音をいえばこうした取り上げ方はまるで数学を学ぶことが投薬のようで嫌なのですが、私がいつも強調している「類化性能」とも直結している話題だったので特集しました。

「思考のジャンプ」と「遊び心」-①  ・・・6月4週目号

理数的に「思考のジャンプ(類化性能)」を鍛えるためのネタは案外どこにでも転がっています。今回はある小学校の5年生、6年生とのやりとりの内容を紹介しています。

「思考のジャンプ」と「遊び心」-2  ・・・6月4週目号

同じ思考のジャンプ力を鍛えるのでも日本人が古くから行ってきたものには「掛け言葉」などもあります。和歌でも大切なポイントですよね。技巧として古典ではならいますが、本当はもっと深いところに意義があります。今回は和歌での書け言葉ではなく、笑点などでも時折やっている「・・・とかけて・・・と解く。その心は・・・」という方を例にしています。

*一見地震とは関係ない話題のようなタイトルでもしばらくは「今のこの時期」を意識してテーマを決めています。なので地震関連の特集として先週設けた欄に、前の週の特集も順次移しています。読み落としのある方は、ぜひ地震前の「ナマズ絵」のものも含めて最初のものから読み返してみてください。


予告

  たぬき流勉強法コーナー  現在「数学編」についてを作成中です・・・体調不良で進んでいません
(今出来ているのは「歴史編 年表つくり」)
 

 

最新更新への直行通路

入れ替えアルバムなどの定期更新以外で更新された場所への直行通路です。(各お部屋の入り口を飛び越して直接その場所へ行くので、ご注意を!それぞれのお部屋に入っていろいろ巡りたい場合は下の方の「お部屋ご案内」からどうぞ)

料理コーナーにレンコン料理コーナーとブリ大根の朝日新聞風レシピ平成22年1月25日
             キンピラごぼうについてのコメント&画像(1月27日)



個人的関心からのミニ情報



NHKミニ番組 日めくり万葉集 HP
今まで放送された和歌と口語訳も載っています

http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/bangumi/index.html



がきんちょメンバー3人組関連情報
たぬき先生は がきんちょ3人組&ももいろクローバー の皆さんの生き様そのものを応援しています!

美山加恋さん
公式ブログ
 



有安杏果さん & ももいろクローバーZ
有安杏果さん、いつの間にかネット上で活動を再開していました。
ツイッター
3月に音楽活動を再開するようです。
ももいろクローバーZの活動 スケジュールはオフィシャルサイトから  

左から 高城れに 佐々木彩夏 有安杏果(現在は卒業) 百田夏菜子 玉井詩織 早見あかり(現在は卒業)さんです


鈴木理子さん

公式ブログ・・・H23,8月初旬に再びブログが閉じられました

鈴木理子さん主演
ふみ子の海 公開情報

平成20年 7月6日 主演女優 鈴木理子さん 茨城上映会舞台挨拶ルポはこちらです


この画像をクリックするともっと大きなサイズで出てきます

日本各地の上映情報は  ふみ子の海 公式サイト http://www.fumikonoumi.com/


更新時のひとこと&PR

大地震以降の分 その1(H23年 3月11日~)

 その2(3月18日~) 

その3(4月1日~)

母親他界連絡(前日)以降の分(4月22日)

5月1日以降の分

5月21日以降の分 

ももいろクローバー「未来へススメ!」より

「どんなどんな困難でも きっときっと立ち向かえる 一人じゃ挫けそうでも 助け合えば大丈夫! いつかいつか辿り着ける 夢に夢に描く場所へ 忘れないよいつだって 孤独じゃない強い智(きずな)まっすぐ未来へススメ!」



児童の言語生態研究会関連リンク 
公式ツイッター  上原先生の語録が中心です。教育以外のことについてもたくさん載せています。書ききれないもの(補足)は公式ブログに掲載しています。

ネット上の記事にこのようなのがありました。

「子ども返せ」数時間罵倒 親の圧力に悲鳴上げる児相

この記事の中にもありますが、法整備が国会で決まるといっても、施設だけに頼るのはとっくに限界を超えているでしょう。

だいた大変なのは国会で決まって以降だと思います。身の覚えのある親はそれこそわが身を守る為に発覚を恐れてなりふりかまわぬ手にでるでしょうから。学校の聞き取りにも絶対言うんじゃない・・・言ったらどうなるか分かっているな!!!という激しい脅しはもちろんのこと、ますます施設などが調査しにくい状況を作るでしょう。(これは いじめ対策 でも同様です。より深く見えないところに潜り込んでしまう可能性の方が大です)

「おうち」って子どもにとって(大人にとっても)最もくつろげて、魂の浄化ができる場所でなければならないのに・・・本当に心が痛みます。

(23日 午後)水戸でも気温が上昇中・・・今週末は30度を超えるかもしれないとの予報。体が暑さに慣れていないのでダメージが大きそうです。だいたい昼間暑くても夜になると急に冷え込むパターンばかりだし。

未明にみた夢は・・・
廃校になった元の勤務校が突然復活することになり、教職員が足りないので臨時にと呼ばれました。正式な教職員ではないにも関わらず、校務分掌でもかなり重たい立場を兼任させられ戸惑う・・・というあたりで目が覚めました。

体調の関係で私の現場復帰などはあり得ない話ですが、あの地区の学校復活はあってほしいことです・・・もっとも地域の児童がいるかどうかということはあるのですが・・・

(21日 朝)このところ、「ごく日常的な感覚・感情」が、大自然や大宇宙・・・されには目に見えない世界・異界・・・のあらゆる波動と共振・共鳴を起こしうる、ということに関して知り合い達とやりとりしています。バタフライエフェクトのような感じで。

つい最近改めて急浮上してきたのが、身近な生活空間(地盤・拠点・居場所)の「真床覆衾」感覚。これがどこまで意識世界の中で拡張されるか・・・小学校中学年くらいまでは「感覚的に」、そして知性や論理性に目覚めた段階以降は「類化性能」も駆使して・・・そこに、あらゆる波動と共鳴していく上での下地があるような気がしています。

明け方に妙なリアル感を伴う夢をみました。
舞台は元母方の祖父母た住んでいたこの家。そこに私の両親をはじめとして何人かも親戚たちが集まっています。大きなテーブルを囲んでの食事時・・・魚料理を食べかけるのですが、ちょっと気をぬくたびに誰かが横取りして食べてしまっています。不満な気持ちが残っているまま、後片付けを手伝っているのですが、その最中に割と大きめの地震。(震度5くらい)じいちゃんたちにも注意を呼び掛けている、やがて地震はおさまり一応みんな無事・・・・というあたりで夢から覚めました。

「魚を横取りされる・・・地震が起きる」というあたりの象徴していることがここ数年の境遇を思い起こさせます。この夢では地震の被害はなかったというオチですが、私の今の現実問題もそういった形で最終決着になればいいのですがね。


今日は関東でも大荒れの天気になるようで・・・ここ水戸でもつい先ほどから雨が本降りになってきはじめています。風も昨日より強まってきているし・・・。

(19日 朝)
たしか宮崎駿監督だったと思うのですが「心のDNA]というような事を言われて・・・上原輝男先生の心意伝承との関連もあって興味深かったのですが、人間は無意識の世界に個人の経験を超えたもの(先験的イメージという言い方もあります)をたくさん持っている・・・そんな立場です。ユングなどに言わせれば、奥底へ行けばいくほど人類共通の意識世界(元型とか集合的無意識とか)や宇宙意識などとつながっている・・・それはDNAの中にはいろいろな可能性が内包されているのに、スイッチがオフになっている状態なのかもしれません。

本人の自覚がなくてもスイッチがオンになっていれば、無意識に人生に影響を与えるんでしょうが、逆に「そんなことあり得ない」と思ってしまえば思ってしまうほど、自らの可能性を片っ端からオフにしているとも言えるでしょう。

「興味・関心」はいうまでもなく、それ以外にもスイッチをオンにするための外堀を整えるというか・・・それが日本人が古来から大切にしてきた「型」の文化だったのかもしれません。自分を器化できるほど、新たな魂が流れこんできて、自分を変えていける・・・それは遺伝子的にいえば、もともと持っていたのに発動していなかったものがオンになって動き出すため・・・という説明もできるでしょう。

「自分探し」とか「自分はこうだ」という意識が強かったり、「うちの家系はこうだから」等々の情報で自分を決めつけてしまうこと・・・それはすべて縛りになってしまい、スイッチをオンにできないどころか、オンだったものも片っ端からオフにしていってしまうんだと思います。

小学校勤務時代でも家庭教師時代でも、私の教え方なんていうのではなくて、余計なことを考えずに内側から湧き上がってくるものに素直になった子ほど、本人も周囲も驚くような変化・・・うんと苦手だったものが別人のように上達ということも含めて・・・・を起こした多くの事実が、そういったことを物語っていると思います。

(18日 昼)

人体II 遺伝子(1)あなたの中の宝物“トレジャーDNA” 要点3
タモリ 70個のDNA・・・多様性を生むためにこういうことをしているんだと思うんですけど・・・(ヨーロッパでペストが大流行した際の例)
だからこれは「突然変異」ではなくて「必然変異」と僕は思うんですよね。
エラーがあった方が多様性が生まれる。

山中 その通りです。で、それがランダムだからいろんな多種多様な人間がいるので、どんな環境の変化が起こっても誰かが生き残る。

ナレ 一人一人が持って生まれたあなたのDNA。この中からいわばヒーローDNAというべきものを探すプロジェクトがはじまっています。

(医学界での実例)
研究者 私達は今まで病気の原因となる遺伝子の変異ばかり探していました。でも本当は病気にならない人が病気にならない理由をもっと研究すべきだったのです。


これを受けてのたぬき雑感
この発想を教育に生かす一例が 上原先生が英才児に注目したことなのかもしれません。

「思考・感情(イメージ)・構え・用具言語」がどれかに偏るのではなく、それぞれ相互に作用しあい、深められるという生き様を示す子ども達。

世の大人たちが驚くような優れた能力や得点力を発揮するので、そうした部分にばかり目がいってしまいがちだけど、本当に注目すべきは「人間に備わっている能力を関連させながら存分に発揮している姿」。
表に出てて来る英才児の能力は「その結果」としてでしかない。

分校も含めて2番目に勤務した農村部の
小学校の「におい作文」をはじめとした作文を読んだ時に、上原先生が非常に高く評価していたのも、子どものナマが、大人の目先の利害の浅はかな知恵によって汚染されていないものが多数あったため。
そしてまた、分校に訪れて地域性も感じ取っていたために、余計に大いなる可能性が壊されずに温存されていると直観したからだと思います。いわゆる「やる気スイッチ」がオンになれば非常に大きな進歩をとげる子ども達でした。(後略)


(17日 朝)
人体II 遺伝子(1)あなたの中の宝物“トレジャーDNA” 要点2

『優れた才能や能力をDNAの98%の中に持っている』

研究者」私たちは生まれる時、両親から半分ずつのDNAをもらうだけではありません。
そこへ必ず、およそ70個の新たな突然変異が生じていることが分かったのです。

ナレ 父親にも母親にもない、突然変異のDNAがあることはこれまでも分かっていました。
それが人は全て誰もがおよそ70個の突然変異をもって生まれ、そのほとんどが98%の部分で起きていることが突き止められたのです。
わずか一世代で起こるこの変異が、両親にない新たな能力をもたらす可能性があります。
98%の部分の突然変異こそ、人類が様々な環境に進出できた鍵だったと考えられています。


ゲスト 両親はどちらにも音楽の才能がないということで「お前にも音楽の才能はない」って・・・でも自分にもピアノの才能があるかもしれないんですね・・・
でも目覚めるためにはいろいろなことに挑戦してみないといけないんですね。



これを受けてのたぬき雑感
 
この発言と、シリーズ第二回目のDNAスイッチとの関連が重要だと思われます。
仮にそういった両親とは違う突然変異があっても、どうせそんな才能なんてあるわけないから無理と本人も周囲も思っていたら発動の機会そのものがない・・・スイッチオフのまま。
例えて言うならパソコンに様々なソフトがインストールされていて、それぞれのソフトに様々な機能があっても、知らなければ無いも同然、というのに似ています。

また知っても使いこなせないまま諦めたら、それもダメ。

DNAレベルでの可能性というのを、現実世界に如何に起こせるか・・・そのカギがやはり「興味・関心」「憧れ」。
ただ、注意すべきは、「機が熟す」という感覚。ある程度の年月や経験の蓄積があって、準備が整わないとスイッチが入らないどころか「興味すら湧かない」というのも、私自身の人生を振り返ってみても多々あることがわかります。

論理性が中学年に大切ということで、4年担任の時は論理を重視しプリントで一年間論理の訓練をしていました。
ただ、ある年のクラスではほとんどのって来なかった。その時には無理強いはしないで、興味を示す他の分野に力を入れた。
拒絶反応を募らせたら、どんなに大事なこと、有効とされることでも逆効果と考えたためです。
それならば何も今の自分が何としてでも、と考えず、今がその子たちにとって旬のものを重視することが大切・・・もちろん時折、論理性などについても話題にし、のってきた子には個別に課題を与えました。

あるクラスに有効だったプリントでも、次の同じ学年にも有効とは限らない経験も多々あったので、学習プリントの使いまわしはあまりしなかった、というのはこの前も書いた通り。

もちろん興味関心は別として今これは必要として課題を与えたこともありますが、そういった判断力が「専門性」なのだと思います。


(16日 朝)
NHK 人体Ⅱ 「遺伝子」に関して、13日に紹介したものの後でグループラインに載せた文の一部を転載です。数回に分けて紹介したいと思います。

番組要点 1、あなたの中の宝物“トレジャーDNA” より その1
ナレ 遺伝子はDNAのほんの一部分。全部合わせても全体の2%ほどにしかすぎません。・・・・・遺伝子ではない部分。残りの98%は何かというと、体を作る設計図がないために、これまでは何の役割もない「ごみ」だとさえ言われてきたのです。

山中 僕達もそう信じていました。でも今、このゴミの中に宝がひそんでいるんじゃないかという研究が世界中でものすごい勢いで進んでいます。


ナレ ・・・・・・病気から体を守るDNAが次々とみつかっている。 がん アルツハイマー アレルギー 肝臓病 他・・・・・・ゴミと言われた98%の中に潜んでいた。

字幕 山中メモ 花粉症やぜんそくなど アレルギーのなりやすさもDNAの98%が深く関わっている

この番組ではそうした98%の中に潜む新たな可能性をひめたものを「トレジャーDNA」と呼ぶことにする。
→ 健康に直結する重要な情報 「〇〇が健康によい」という情報も、個々人が持つトレジャーDNAによって効果に大きな差がありうる。コーヒーが健康に「良い」「悪い」様々な研究結果があり影響についてバラバラだったのも、このためと考えられる。


これを受けてのたぬき雑感
ある人に対して有効であることが、別の人に対しては「効果がでない」「逆効果ですらある」というのは、教育の方法でも多々みられること。
農作物でも、肥料や水やり等々、作物によって「いいやり方」はバラバラ。

「薬」や「アルコール」や「栄養素」なども「時」や「場合」や「程度(分量)」や「体質」等々によって大きく変わることはこれまでも言われてきたこと。

自分の基準で他人をおしはかることが如何に危険であるか。

確かに自分に対しては劇的に効果があったことでも、他人にとって有効であるとは限らないし、自分にとっては大変なマイナスになったことが、他人には有効になることもある。

「万能などということはなかなかあり得ない」のがこの 現象世界。

だから学習法でどんなに多くの子ども達に効果をあげた方法であっても、それを絶対基準にして、他の子どもにもあてがうと、とたんに効果が出ない実例が出てくる。

有効だと思われている方法でも結果が出ない子は否定的に思われる場合が世の中では少なくない。しかし人間的に豊かな子ども達にほど、効果がでなくなるということも十分に考えられる。大人に合わせて演じてくれないから。


(15日 朝)腰痛が昼すぎまでひどくて更新できなかった話題なのですが・・・・昨日の朝の情報番組で「御朱印」をめぐるトラブルについて報道されていました。令和になっての特別な御朱印めあてに大行列、という以前に、最近のブームによって各種のトラブルが起きていると。

御朱印本来の意味を知らずに、単にブームにのってのスタンプラリーとかコレクション感覚からという人が増えていることに大きな原因があるようです。もちろんそういったことがきっかけであっても、足を運んできたというのは尊いことですし、それをきっかけにして聖域に踏み込み、心が浄化されれば良いのですが・・・。

でも実際には暴言や激しいクレーム、さらにはネットオークションへの出品で大きな利益を得るなど、あまりにその精神を逸脱した行為が増えているようで・・・。まさかそういった利益を得ることが神様の御利益だと考えているとしたら、ちょっとそれはあまりに寂しい発想だと私は思います。

余計なお世話と叱られそうですが。
(13日 夕方)ゆうべ放送されたNHK 人体Ⅱ 「遺伝子」2回目のテーマはDNAスイッチでした。先週の内容も興味深かったのですが、今週の内容も、これまでずっと探求してきたことと深いつながりがありそうな・・・あるグループラインの方に私が書いた文をそのままこちらにも転載しておきます。

*その1
ゆうべ放送のNHKスペシャル 人体 遺伝子②・・・まだ冒頭の数分間しか観ていませんが、純粋に生理学的な人体の仕組みとして「運命を変える可能性を持っている」という趣旨の内容。番組が実際どう展開するのかは分かりませんが・・・もしかしたら「意識の転換」とか「構えの変革」によって遺伝子のスイッチが切り替わる・・・なんていう内容なのかな????

昨日ブログアップした、千里眼を持つ少女が主人公の占い町の物語とか、ちょっとと前に話題にした「ひぐらしのなく頃に」の運命をかえる話とか・・・エヴァンゲリオンテレビシリーズの最終回とか・・・・運命の選択権は個々人がもっていて、かえることができるという趣旨のことが、物語の世界だけではなく、最新のDNA研究で立証できてくるのかも????

(その直感が「笑う門には福きたる」だったりして・・・。笑いが免疫力を高めるのは科学的にもかなり立証されてきていると別の番組ではみたことがあります)

再放送予定はこちらでチェック 水曜の午前0時35分からとあるので、多分火曜日の夜だと思います
https://www4.nhk.or.jp/P4619/x/2019-05-14/21/00432/2586115/


*その2 
遺伝子の番組、最後までみてみましたが、具体的なことはあまり出てきませんでした。
それだけ従来の遺伝子の概念が根底からひっくりかえる新常識のようで・・・本格的にその性質を利用する云々の研究はまだ手をつけはじめたばかりのようです。

ただ、あの時のクラスでも実際に事例がたくさんありますが、それまで 苦手・嫌い・出来ない・才能がない・向いていない と本人も周囲も固く信じていたような事柄でも、興味を持ったり、好きになったりしただけで劇的に変化する・・・それは経験的には分かっています。(世間的に認められるレベルになるかどうかは問題ではありません。ただ、本人や周囲が 驚く程度の変化は普通に起きる。)

「信じる者は救われる」、というのが本気になればなるほど、「奇跡の泉」で不治の病が治ったというのは嘘ではないというのが、科学的に立証できる可能性がでてきたということです。

「隠れた才能」・・・まさにそれは誰にでも、かなり多様にある・・・DNAという肉体(物質)レベルで。

そこに「無意識世界の蓄積」「心意伝承・集合的無意識的な多くの下地」「輪廻転生を通してその魂が経験してきたことの蓄積」「守護霊・指導霊の方々の支援」・・・・そんなことが、加わったら・・・・

「意識の転換(トランスフォーメーション)」⇒「構えの変換」による「相転移」はこれからも大真面目に探求し続ける価値が大だと思っています。
(感情・イメージ等々には、様々な世界とのコンタクトという側面と、そうしたことのエネルギー源と、両面の意義がありそう)


(12日 昼)昼間「夏日」になっても、日がおちると急激に気温が低下。体調管理が大変ですね。こまめに衣服を調節しています。

最近のKOU君とのやりとりでは「数学」でのベクトル外積や「理論物理学」でのインフレーション宇宙論等々と、精神科学や日本古来の思想や心意伝承との関連を考察しています。無理やり結びついてくるというのではなくて、二人でやりとりしながら勝手につながりがみえてくる、という感覚です。

昨年の児言態50周年公開授業のテーマであった「宇宙との共振・共鳴」も最も身近な事柄の中にこそ、そこへと連なる扉がある・・・そんなことのやりとりもあります。それはまさに上原輝男先生が特に初等教育の段階では日常から離れてはいけない、と主張されていたことの大きな理由にもなると感じています。


(11日 朝)
昨日、午後になってフト漢和辞典で「混沌」の意味を漢字の成り立ちから調べてみました。カオスという言い方もしますが、あれが単にグチャグチャドロドロの混ぜこぜの状態を指すのかどうか・・・。結論からいうと「沌」の文字に大事なポイントがあることが分かりました。

良き方向への芽吹きに向けてということが内在されている・・・目に見える形にはなっていないけれど、確かにそこには良き可能性を孕んでいる・・・だから「宇宙開闢の状態」という意味もあるようです。ただのグチャグチャな状態というだけでは、それがこの宇宙とかそこに存在するあらゆる事柄が成っていくことはほとんど不可能ですから。

そして日本人はこの目に見える世界は実相の影、投影の世界としてきました。そこが上原先生の説く「犠牲論」や「恨み論」の背景にある大事な発想。真に高い世界に昇華されていくためにどうしても不可欠なのが「混沌状態」=「黄泉の国の通過」というようになるようです。

さて、この数十年、例の人物たちによって私の日々は滅茶苦茶にされ続けていて、今のところ絶望的なことばかりしか思いうかべられない状態なのですが・・・それが「混沌」と言えるのかどうか???

仮に良き方向への可能性を孕んでいたとしても、そうした昇華が起きるのは、あちらの世界に旅立ってから???
(10日 昼)さきほど、またも不快な電話がかかってきて(一番の首謀者をAとすれば、その尻馬に乗っているのがBとC・・・その人物Bからでした)、まるで筋違いのことをヤイヤイ言われて・・・・どこまでも私から搾り取れるものは搾り取ろうとなりふり構わぬ姿勢。本当にああなると人間は浅ましい生き物である部分丸出しで・・・。

昨日の総合病院受診は午前中は9時半頃に到着してカウンセリングのような感じのものだったのですが、新たな主治医の言動に関することを随分と愚痴ってしまいました。話を受容的に聞いて頂けただけで、随分違います。

昼の予定の受診は大幅に遅れて、終わってようやく帰途につけたのが3時近く。待ち時間が長かったので、循環器系全体がおかしくなっている私にとっては急激に体調が悪化。家についたころには完全にグロッキー状態で、しばらく寝ていました。

(9日午前)明け方にみた夢・・・・この家が舞台。祖父や母が生きていて、そこに父方の親戚もふくめて何故か大勢あつまっています。やがて夕方になってみんな帰宅。さっきまであんなに賑やかだった家の中がひっそり。最後に残っていた私も県南の方に帰る時間。「次は夏休みか?」と聞かれて、「今日持ち帰れない分の荷物があるから、近いうちにまた来るよ」といって後ろ髪ひかれる思いで帰宅する・・・そんな夢でした。
この連休で帰る側、見送る側・・・こんなお別れがあちこちであったでしょうね。10連休ということで例年以上に現実生活に戻ることが困難になっている方々も多いようです。決して無理はなさらずに・・・っていっても、現実は無理しないと生きていけない状況ばかりですね・・・

今日は総合病院で別の科の受診。こちらもどうやら定期異動で担当医がかわるようです。総合診療科の方の医師ははっきりいってこの人に命を預けられるとはとても思えない方でしたが・・・こちらはどうなのか。正直かなり不安です。

これは7日に受け取った手作りクッキーです。



(8日 朝)経済動物と人間をそのまま比較するわけではないですが・・・ゆうべ放送のプロフェッショナルでの精肉店の方の番組をみていて、大いに示唆されるところがありました。14日火曜日の午前0時20分から再放送があるようです。ただ、月曜日の深夜ということかもしれないので、そこは番組表などでご確認ください。

プロフェッショナル 仕事の流儀「我流、肉道~精肉店店主・新保吉伸~」
名もなきノーブランドの牛肉を、最高ランクに匹敵する味へと生まれ変わらせる男がいる。精肉店店主の新保吉伸(57)。店は滋賀県草津市という地方都市にありながら全国から客が殺到、その肉を卸して欲しいと、年間300人以上の料理人が取引を申し出る。新保は肉に“熟成”という魔法をかけ、個性を最大限に引き出す。18年の研究の果てに生まれた独自の下処理や、9年かけて育てた微生物による熟成。肉と歩む孤高の匠に密着!
(7日 朝)世間的には連休も終わって、帰省していた方々も現在の住処でまた現実的な日常が始まるわけですね。たっぷりと休めた人ほど、もしかすると例年以上に所謂「五月病」っぽくなるのかもしれませんが・・・・まあ、徐々に現実を受け入れていくしかないのでしょうね。(仕事がなさすぎるという現実もかなり辛いものがありますよ)

5日の日に植え付けた苗に囲いをする作業、すぐに出来ないでいたのですが、何とか今朝やりました。昨年も思ったんですが・・・なんだか我が家の庭が灯篭を使ったお盆の世界になったように感じます。




(6日 午前)ゆうべ、かつて家庭教師で教えた親族3人組・・・Sさんと、その妹、そしていとこが、ひょっこり訪ねてきてくれました。昨年末に生まれたというSさんの生後四か月の息子さんを連れて。端午の節句ということで袴姿。「抱っこしてみますか?」と言われたのですが、乳児を抱っこするなんていうのは不慣れだし、体調の関係でいきなりフッと腕の力がどうにかなって落っことしたら大変なので遠慮しました。



*もちろん撮った画像はちゃんと顔まで写っているんですが・・・まあ昨今の社会事情もあるので手だけの画像です。

今朝の情報番組でいい写真を撮るためといって私有地である畑に平気で踏み込んできくるアマチュア写真愛好家が大勢来て困っている、ということが報道されていました。「いい写真を撮るためなんだから」という言い分なわけですが、そういう写真を撮るためなら何をしてもいいわけではなし、迷惑行為だって許されません。

写真に限らず動画投稿での受け狙いで迷惑行為があとをたたない今の社会・・・「一人一人のモラルに」というのが理想なのは分かりますが、それを期待できるのかな、って思ってしまいます。

ちなみについ最近も近くの踏切でそんなに広くない道路が遮断機がなかなかあかないためにかなり長く並んでいました。私は中ほどにいたのですが、突然後ろの方から車のやってこない反対車線をスピードをあげて逆走する車。何をしているんだろうと思ったら、列の先頭にまでいって、どうやら強引に先頭車と遮断機の間に頭を突っ込んでいるのが遠くからみてとれました。

「やったもんがち」・・・「真面目にルールを守っている方が悪い。そんなのはバカ」という発想なんでしょうね。

話はまた変わりますが・・・先日苗は買っておいたものの、体調の関係でなかなか植え付け作業ができないでいたのですが、いつもお世話になっている近所の方のご好意でやって頂きました。本当にいつもいつも周囲の方々にやって頂くばかりで・・・。

でも・・・ありがたいことです。

(5日 朝)まず3日・・・ひさしぶりにかつての家庭教師での教え子の社会人の方が帰省してきということで揚げたての天ぷらとレアチーズケーキを持ってきてくれました。



ご自身が調理されたということなのですが、お世辞抜きで主背で出せる味!本当に美味しかったです。しばらくおしゃべりもできました。

そしてまた昨日は全く思いがけずにかつて小3の時に担任した方とも久しぶりに再会。(一緒にいた妹さんの方とは社会人としての集まりで時折顔をあわせていますが・・・)

お子様二人とも初めて会いました。非常に大切なことをいろいろと感じさせてくれただけではなく、まさにこちらの命の洗濯もして頂けたようなひとときでした。

*上の4歳の子が庭に咲いていた小さい花やクローバーをつんでくれました。



この後家庭教師が2軒あったので、帰宅時にはかなりしおれてしまっていたのですが、そのうちの一つが何とか元の形に開くことができたので、とっさに手近にあった使用済みのカードにテープで貼りつけました。どのくらい持つかは分かりませんが・・・・(カード記載の数字は消してあります)




(3日 朝)実は数か月前からネット経由で時折批判的なメッセージを繰り返してくる若者がいまして・・・。(ちなみにこのホームページを通してではありません)

簡単にいうと「弱者でも頑張ることをプラスにとらえている私の姿勢」への批判です。あの手この手の話題を展開しながら毎回かなりの長文で弱者が社会にとって如何に邪魔者なのかという主張をされてきます。

最初の頃は、こちらの主張をぶつけるというよりは、「弱い立場でも生きようとしている、あるいは苦手な事にでも挑戦しようという気持ちになるのは大事な姿勢ではないでしょうか?」という感じで返信をしていたのですが、そうするとさらにエスカレート。表現もますます過激になりました。

なので最近はちょっと怖くもなって返信もしないでいたのですが、この2~3日は大量に・・・。改めて「弱者は社会のお荷物でしかない」「苦手な事に頑張ろうというのは、真剣に取り組んでいるプロやプロを目指す人間にとって失礼極まりない。そんな中途半端な人間に居場所など必要ない」等々の持論を展開。

それでも反応しないでいたら、「これだけ言われても、体調が優れないと言いながらも何故そうした姿勢を貫こうとするのか!」というような内容のメッセージ。とっととくたばれと言わんばかりの調子でした。

このままではこちらの精神が持たないので何か措置をとることも検討中ですが・・・

ただ、それよりも重要なのはこうした論調って、平成の時に加速し日本にも広く蔓延している発想だということです。かつて某知事が「学力テストで結果を出せない学校になど予算はやらない。つぶれればいい」「エリートこそを公教育では育てるべき」等々の、とても元法律家とは思えないような発言を連発されていました。

それに代表されるように学力テストでもスポーツでも、あるいは会社や地域社会内の競争、高齢者問題・・・すべて 誰か あるいは不特定多数の大衆 が「無用・邪魔」と判定した者たちは葬り去られて当然という発想。

今の私が使い捨てカイロのように捨てられようとしているのだって元は同じ発想。結果が伴わない者を排除するのが、むしろ「正義」であるような発想。

教育の世界に携わっていて、初めてでなかなかうまくいかなくても、あるいは苦手なもの嫌いなものでも興味を抱いて一生懸命に取り組むようになった子たちの姿、たとえ世間的に認められるようなすごい成果がでなくても、昨日の自分よりちょっとでも出来るようになったという時の笑顔・・・・それはやっぱり人間として尊いものだと私は信じています。

そんな子ども達の笑顔さえ許されない社会って、本当に人間らしい社会なんですかね?

決してそういう人間を積極的に賞賛してほしいとか、そういうための豪華な施設を作って欲しいとか、そこまで言っているわけではありません。プロとかの結果を求められる立場の人たちの邪魔をしようとも思いません。

社会の中にほんの少しでも受容する空気が欲しいだけです。

私としてはそうしたことを生命ある限りささやかながらも訴え続けたいというだけなんです。

(なんていうことをここに書いていることを知られたら・・・・まあ、多分大丈夫だろうとは思うから書いているんですが・・・でも一抹の不安はあります)

(1日 午前)先ほど地元の神社に行ってきました。それまでどんよりと曇っていたのですが、玄関を出て歩き始めると、ちょっと薄日がさしてきました。(すぐにまた雲が厚くかかってしまいましたが)



令和の初詣ということで。いつもは無人で社の扉も閉められているのですが、今朝は開けられていました。



今朝の情報番組などではカウントダウンのお祭り騒ぎが紹介されていましたね。これは天皇陛下が在位中に交替ということならではの祝福ムードなんでしょうね。

平成の時にはまず昭和天皇崩御のニュースが午前中にかけめぐり、午後には新元号が発表という流れ。何だかよく分からないままに午前0時を迎えてわけです。

しかも昭和天皇の容態が悪化した前年の秋以降、列島には「自粛ムード」というのがありましたから・・・。昭和天皇が崩御されてまだ丸一日もたっていない時間での元号切り替わりでは、とても今回のようなお祭りムードというわけにはいかない状態で平成を迎えたわけです。

大勢の若者達も令和コールで盛り上がっているのはいいのですが・・・インタビューに答える中には「俺が令和で一番の幸せになってやる!」と叫んでいた青年がいて・・・ちょっとため息をついてしまいました。それでも少し後に答えていた若い女性は「みんなが幸せになる時代になってほしい」というようなコメント。神様がどちらの方につくのかは明らかでしすよね。

さて、月初め恒例の万葉集占い・・・令和始めでもあるわけですが・・・巡り合った和歌は・・・

我が背子に 恋ふれば苦し 暇あらば 拾ひて行かむ 恋忘れ貝 (964番)

口語訳)あの人に恋すると苦しい 暇があったら拾っていこう 恋忘れ貝を
 

ちょうどゆうべのKOU君とのやりとりでも音的には「令和」が「零和」とか「霊和」とかの意味合いもあるのではないか、ということを話していました。目に見える世界での成果とか比べっこなどで人間が大切なものを見失った側面もあった平成。「零からのスタート」だからこそ無限の可能性を生みだすというような事をインフレ―ション宇宙論から考えたり、見えない世界にこそ本体があるという日本古来の発想と「ダークエネルギー」「ダークマター」という宇宙論との関連についても考えました。

日本人が古来から大事にしていた「最も大切な物」「自分をささえてくれたもの」「自分を包み込んでくれていた地位や名誉のような外価値」そういうものを一切投げ捨てて、目などを洗い清めたときに新たなる三神が生まれた・・・というのが禊の場面の大事なポイント。ゆうべの話でいえば「令和」とは、みんながしがみついている情報とかネットとか成果とか、そういった物事から一度本気で解放されて「零」の状態からのスタートしなおすことが問われる時代なのかな、と。。

そういう観点からすると、この和歌も過去や現代の自分のこだわりを忘れてしまおう、という意味合いが感じられます。

まさかそれが今年こそ例の人物たちの策略によって住む場所を失い等々のことを意味しているんじゃないでしょうね????と一抹の不安も抱いてしまいました。昨日の朝はあのような夢もみているし・・・


(令和元年5月1日 午前0時半頃)
令和元年の幕開けです。私はKOU君宅から帰宅する途中の車の中で新時代を迎えました。実はこの授業は予定されていなくて、30日の午前中に受信したメールで先週キャンセルになったのを突然だけど出来ないか、ということで急遽決まったものでした。夕方6時半頃、到着したのですが、間もなく彼のもとに宅配便が・・・。ちょうど注文していたある漫画の画集が届いたと。(私もよく知っている作品です)

その漫画のタイトルが「棺担ぎのクロ」・・・・未明に火葬場の夢をみていただけにかなりドキッとしましたね。もうこれは偶然ではなく必然、という感覚。そこからかなり密度のあるやりとりが11時35分頃まで続きました。まさに「平成」から「令和」へのバトンタッチにふさわしい、平成最後の授業でした。

ちなみに新時代最初の家庭教師の授業は今度の金曜日・・・やっぱりKOU君宅の予定です。

(平成31年4月30日 昼)いよいよ平成の最終日となりました。私は昭和36年の生まれなので、大雑把に言えば「昭和」「平成」
というのをほぼ半分、およそ30年ずつ生きたことになります。

平成元年は昭和天皇崩御に際しての半旗を学校の屋上であげたというようなことから始まりました。それから約8年後に体を本格的に壊し・・・このままではあと1~2の命と診断されたので、祖父の他界を機に退職。そして小学校勤務10年のおよそ2倍の期間、家庭教師という生活。

そんな家庭教師生活もかなり厳しきなっているし、ちょうど1年前に「命の危険があるから即入院」とまで言われても一部親戚たちの横暴でそうしたこともできず・・・・マア何とか命は続いていますが、体の各部のダメージは結構深刻でジワジワと全身を侵食中。

はたして令和ではどの程度生きていることになるんでしょう。

そんな未明にみた夢は、今はもうなくなっているのですが、父方の祖父母を焼いた火葬場。

幼い頃から火葬場とか葬儀関連の夢は本当に何度もみているのですが、今回も随分と生々しい現実感がありました。ひなびたところにひっそりと建っていた小さな火葬場・・・実際に炉は3つありました。祖父を焼いた時には、年上の従兄たちが裏の作業場にいって炉の中をのぞかせてもらって大騒ぎをしていたのですが・・・・映画「お葬式」でもそんなシーンがありましたね・・・当時小3だった私は怖くて誘われても行きませんでした。それどころか骨になってという時にも離れたところに隠れていて祖父の骨をみていません。あとで「あんなに可愛がってもらっていたおじいちゃんの骨をなんで拾ってあげなかったの!」と叱られてしまいましたが・・・・。

で、今回の夢は
私は今の年齢。焼いているのはどうもその祖父のようです。裏の作業場にいます。ちょっと異様な風体をした係員のかたが炉の中をのぞいてみるかい、と声をかけてくださったのですが、見ませんでした。3つの炉はフル稼働。順番待ちの棺が狭い部屋の中に並んでいます。「あと8分くらいで焼けるからみんなを呼んできてくれ」と頼まれます。「そのあと冷ますのにちょっと時間がかかるんじゃないですか?」「いや、大丈夫だからもう呼んできて」・・・そういわれてみんなの控室にいくと、いつのまにかそこは学校です。体育館で全校朝会の真っ最中。私は先生方にお願いして、元自分のクラスだったらしき子ども達を誘導する・・・なんていうあたりで目が覚めました。

もしかして・・・炉の中で燃やされていたのは私だったりして・・・。(実際に今まで自分自身の葬儀を手伝っている夢とか、棺の中で息をふきかえして等々の夢も何度もみています)

こうした葬儀とか火葬場の夢をみるのは「大きな転換期の暗示」というのを聞いたことがあるのですが・・・されされ、この平成の最終日にこのような夢をみた私・・・どんな日々が令和では待ち受けていることやら。(いよいよ家を追い出されるような扱いを受けるのかも?????)

(27日 午前)昨日の夕方、いつも家庭菜園のことでお世話になっている近所の方が、下茹でしたてのタケノコを分けてくださいました。さっそく新じゃがや人参と一緒に煮ものにしました。



やっぱり旬の食材は「その時の生命力」にあふれている感じで、単に「食べる」というよりも、まさに「お命を分けて頂きます」という感覚になります。

旬などの季節感をなかなか大切に出来なくなっている現代人ですが、精神的にゆとりがないからこそ、古来の感覚を取り戻すことが最も根本的な打開策になるような気がします。


(26日 朝)
体調が今一つの状態・・・とはいってもそれが普通なわけですが・・・が続いています。なかなか更新もできないでいて・・・・。更新できたとしても暗い話題ばかりで、本来のこのホームページを立ち上げた趣旨から大きく逸脱。自己嫌悪です。

昨夜は妙な実感を伴うような夢をみました。もしかすると近いうちに私か親族に何か大きな転換が起きるかのような予感がしています。


11日の上原先生の命日の頃、ちょうどブラックホールの画像がというニュースがかけめぐっていたわけですが、その縁あって、最近はずっと宇宙論との関係で心意伝承とか教育とかについての考察が続いています。過去に録画した宇宙関連番組や科学雑誌の記事を観返したりしているのですが、特に「真空とインフレーション」「ダークエネルギー」「ダークマター」あたりのことがガンガン響いてきています。

(18日 朝)
火曜日の夜、近所の方からお好み焼きを頂いて・・・・焼きたての温かさもそうですが、人間としての心の温かさというのも頂いた気持ちです。

昨日は総合病院での受診。春の人事異動で主治医の先生が変ってしまいました。体調を崩すまでの数十年に渡っての経緯や、受診後のこの1年間でも諸事情で無理をせざるを得なかった事情まで丁寧に把握してくださっていた方だったので全面的な信頼を寄せていたのですが・・・・そこが公立病院の仕方のない部分。

今度の先生とそのような信頼関係が築けるのか、と不安な中での受診だったのですが・・・・ちょっと無理そうです。仕方のないところではあるのは分かっています。初対面ですし、今の検査結果などをみただけでのことではああいった言い方になってしまうのも無理からぬことですから。

ちなみに一通り辛口コメントをしたあとに「すみませんね、初めてなのにこんな言い方ばかりしてしまって」と言っていましたが・・・・。ただ、昨年初めて受診した際のとりあえずの救命救急担当だった医師も、主治医の医師も経緯や状況などについて先ずじっくりと話を聞いてくれながら、それこそこんなに丁寧に時間を割いてくださることに恐縮するくらいのスタンスでしたから。また検査という前にそれこそ昔の医者のように丁寧に時間をかけて文字通りの「診察」をどちらの方もしてくださった・・・そんなことがあったから余計に壁を感じてしまいました。

まあそれはそれで仕方のない事で・・・新たな関係を構築していかなければならないのですがね。

診察の最後の頃になってパソコン画面をみていた医師が「あれっ、最初はこんなにひどかったんですか」との声。どうもここ半年のデータだけしかみないでいたようです。「即入院を勧められたのですが、いろんな事情があってそうもいかなかったんです」とだけ言いました。すると「僕ならどんな理由があっても即入院させましたね。本当にこれは命が危なかった状態ですよ・・・死んでいてもおかしくなかった・・・」と言われました。

今も決していい状態ではないから辛口コメントが飛び出したわけですが・・・当初の状態からすればそれでもそれなりに治ろうとする努力はしてきたと多少は感じ取って頂けたようで、少し口調が変化していました。

今回の件は「経緯をふまえる大切さ」というのを再確認ということで生かしていければと思います。

(16日 朝)このところ単に体調を崩しているというだけではなく微熱が下がらない状態も続いていて、かなり難儀していました。金曜日の夜などはいつもと違って2階での授業だったのですが、階段をのぼる際に手をついて四つん這いのような感じでやっとこさという始末。

現在は平熱にもどり、咳も時折激しくむせるように出ますが、だいぶマシになっています。

今でもやっかいなのが腰痛や肩などの痛み。立ち眩みもあいかわらずで今朝も危なく2度ほど転倒しそうになりました。

庭の家庭菜園の下準備・・・本当は家庭菜園に詳しい近所の方にだい前から「もう土作りを始めないと」と言われて牛糞なども先月中旬には買っておいたのですが、着手できずにいます。また庭の木々の枝を切る作業も、今年は脚立にのっての作業が落下の危険を感じてしまっていることから出来ないでいました。

例年、ゴールデンウィークの頃に苗を植えていたので、いくらなんでもそろそろとは思っています。ちょうど今日あたりは、次の授業が金曜なので、仮に腰痛などが圧悪化しても多少回復するかな・・・なんて思うので、無理しない程度に少しは作業をしようと考えています。

実年齢以上に老化現象が加速しているというのも数年前から複数の医師に言われていますが、ちょうど本格的に総合病院を受診して1年あまり・・・現在も治療というよりは悪化のスピードを少しでも遅らせる処置で定期的に通院していますが、あの頃の血管の検査で体の左半身が60代後半相当、右半身が70代後半相当と言われたのが、現在はどうなっていることでしょうね????

体の動かしかたなどはかつて同居していた祖父の90前後の頃の動きに匹敵してきているように感じてしまっています。

家庭教師の際も脇から教科書やノートをのぞきこもうとしてもかなり見えなくなってきていて・・・いよいよ拡大鏡持参で行かなければならない????・・・でもそんなことをしたら「こんな先生、大丈夫か?」ということで新たな依頼獲得など夢のまた夢になりそうです。

(11日 0時ちょっと過ぎ)今日は上原輝男先生の命日です。(平成8年に他界)

全身のいろいろな痛みに加わって、昼頃から片頭痛もひどくなっていて、咳き込むたびにえらい苦痛。今夜も眠れないでいるので更新作業をしています。

上原先生のことをどのように後世に伝えていくのか、というのは大きな課題なのですが、もちろん私にできることは微々たるもの。どんなに頑張ってもあれだけの幅広い視野にたっての人間探求はできません。ただ、自分が出来ないからこそ、様々な人たちの力をお借りして・・・という気持ちにはなっています。そうしたつながりに寄与できるようなことに残りの力は使っていきたいと。

いろいろな雑音はあるし、例の人物たちからの理不尽なことで葬り去られる危機感はいつもありますが・・・少なくても動けることは動いていきたいものです。

(8日 午後)連日あまりに激しい咳が続いたためにみぞおち付近を中心にひどい筋肉痛。今も時折咳き込むのですが、かなりの痛みに耐えながらの咳で苦痛だらけ。よく眠れないので意識もボーッとしています。

夕方からは家庭教師に出かけますが・・・まだちょっと微熱気味でもあるし・・・正直しんどいです。

(6日 朝)
昨日は朝から激しいクシャミと鼻水・・・・鼻水は一日中(というか現在も)続き、ティッシュの箱一つ分は消費したと思います。スギ花粉の季節でもそれほどでもなかったんですが・・・もしかしたらヒノキ花粉?なんて思ったりして。

夜にはそれに激しい咳と発熱も加わってふんだりけったり。一晩中まともに眠れませんでした。

本当は昨日昼間に授業だったのでその前に立ち寄って撮った桜画像をアップしたかったのですが、ちょっとそういった作業をするような状態でないので、明日あたりに公開できればと思っています。

(4月1日 昼)先ほど新元号が「令和」と発表されましたが・・・私が観ていた範囲では番組内で紹介されている感想のほとんどは「和」という文字に関してばかりで「令」についてはあまりないようです。「共存共栄」「和合」の象徴としての「和」は直観的に分かりやすいというのは当然あるのでしょうね。

「令」の方ですが、発表の音声を聞いた時にパッと浮かんだ漢字は「霊」でした。現代人にとっては「不吉な漢字」と思ってしまう方もいらっしゃると思いますが、日本人の精神世界にとってはこれも大切なキーワードです。もうひとつ「レイ」という音で馴染みの深いものには「0(零)」もありますね。

ヨーロッパなどでも数学の世界に「0」が導入されたのは近世になってからだそうです。「何もないものに数の名称はいらない」ということだったようです。「ないものはない」という発想。

でも日本人は古来から「物質世界・現象世界」こそ影の世界であり、本質的な実態はないのだと・・・目に見えない世界こそが本体であると考えてきました。その上になりたっての宗教感覚であり文化であり精神世界でした。

そういった根本的な発想がゆらぎ、目に見える部分が「成果主義」「競争原理」で絶対視されてきたのが昭和後期から平成の大きな流れの一面です。

そういった目にみえない存在(世界)とも「和合していく生活」の復活という時代という意味合いを私は感じています。

発表された新元号の発案理由の中には、そんなことは含まれていませんが、もしかするとそういう隠れた意図もあったりして・・・なんて想像してしまいました。

今回出典が万葉集だったというのは、毎月はじめに「万葉集占い」をしている自分にとっては嬉しかったですね。あとは「梅の花」にちなんでいたということも。水戸の象徴の一つは「梅」ですから。

さて、その月初め恒例の万葉集占いですが・・・・実はこの文を打つまですっかり忘れていました。新元号発表ということばかりが頭にあって。これから引いてみます。

でました。今回出合った和歌は

見まく欲り 恋ひつつ待ちし 秋萩は 花のみ咲きて 成らずかもあらむ(1364番)

口語訳)見たいので 恋しく思いながら待った 秋萩は 花だけ咲いて 実を結ばないのではなかろうか
 

「実を結ばない」という言葉から「すべてが徒労に終わってしまう暗示なのかな」というのが真っ先に思った事です。実際に今の私の日々はそんな感じで突き進んでいますから。

ただ、観点を変えてさっき自分で書いた文を振り返ると、さっきあのように書いていながらも、今「実を結ばないのか」と思ってしまった自分もやはり現代人の発想にどっぷりと浸かってしまっているんだなと感じました。

たまたま今朝、ゆうべ録画されていたNHK、サイエンスゼロの本田宗一郎が推奨していた無駄な発明をする社内コンクールの特集の出だしを観ていたのですが、この世的には何の役にも立たない、無駄である、ということに当時毎年5億円の社内予算をつぎこんでいたそうです。そしてそのコンクールを毎年開催し続けるためにも車をどんどん売るようにとゲキをとばしていたとか。(だいたいこの番組名にも ゼロ という言葉が・・・)

目に見える成果になどこだわらずに突き進めというメッセージの和歌だったのかもしれません。


(31日 夜
)あと数時間で平成30年度が終わりますね。

そして明日は新元号の発表。

今日は推定命日の3日目・・・それにちなんだ食事はハンバーグでした。焼けばいいだけの製品を買ってきて焼いただけですが・・・



(30日 朝)寒いです。昨年の3月29日はこのあたりでも桜が早咲き状態でした。大洗の磯前神社周辺でも写真を撮っていました。

毎年桜が咲き誇ると地元の桜並木を散歩するのを楽しみにしていた母だったのですが、一緒に発見された小さなメモ帳にはこんな絵が・・・。



通常だとまだ3月中には咲いていませんでしたから。


今年はまだ我が家の周辺の桜もつぼみの状態です。そこで昨日は大洗の磯前神社に行ってみました。実は境内にまで行ったのは昨日が初めてです。やはり桜は咲いていませんでした。
お参りをすませて駐車場を出ようと車を走らせかけたら、出口脇に一本だけ花を咲かせている小さな桜の木があるのに気が付きました。ビックリでしたね・・・すぐに車を停めて写真におさめました。他の木がまったく咲いていなかっただけに不思議な感覚でした。




今朝は推定命日2日目にちなんでナポリタンにしました。



(29日 朝)
27日の遠出は実に馬鹿々々しく腹立たしい結末に終わりました。私も含めいろんな人をさんざん振り回し多くの迷惑をかけたのもかかわらず、本人は自分だけが悲劇のヒロイン気取りで周囲に対して何の謝罪もねぎらいもなし。ただ、さすがに今回は権威ある人のはっきりとした言葉があったために、いつのもように私に難癖をつけて周囲の同情をひこうとすることもできずに悔しそうにしていました。(逆にいうと、そうした権威ある人がはっきりと言ってくださらなかったら、今頃また私は悪者扱いされてどうなっていたことか・・・)

ただただ、疲れきっての一日でした。(向こうでも何度か急にバランスを崩して倒れかけてしまいました)

今日から3日間が母の推定命日。孤独〇で一か月ほどすぎてからの発見だったのではっきりとしないんです。書類上は3月28日ということになっているのですが、その後、28日にある業者の方が電話で話していたことがあきらかになったので、(かなり体調が悪いようだったということです)最も濃厚なのは30日ではないかということで前後1日も含めて推定命日と私がしているんです。

この3日間は食事の一日一回は母がよく作ってくれたものを食べることにしているのですが、ここ数年は自分で作らないで半調理品を買ってきて、というスタイルになっています。材料から買ってきてつくるとどうしても量が多くなってしまい、体調の関係で小食気味の今の私には数回に分けたとしても食べ来るのが大変なので。

今朝は餃子。これでも量は多いと感じるのでご飯はなしです。付け合わせの中華ダシでのスープの具は、うちの庭でとれた青菜と、一昨日近所の方から頂いた白菜、そして昨日知り合いから送って頂いた乾燥ワカメをおどしたもの。




みなさんの支えでこうして生きていられることを改めて感謝しながら朝食をとりました。


(26日 朝)
ゆうべは8年間家庭教師をしていた子の最終回でした。ちょうどあの東日本大震災の前の週に初めての授業をした子です。あと数日で他県に引っ越してしまうので本当にお別れなんだなという気持ち・・・相談とかあったらメールするかもとは言われていますが・・・。こうした気持ちの切り替え、昔からずっと苦手なままです。

(23日 朝)
ここ数週間、ふらつきや目眩が再び悪化傾向にあるのですが、昨日は特にそれがひどくて意味もなく何度もよろけ・・・2回ほど本格的にバランスを崩してしまいました。

一度目は完全に転倒。ただ、転んだのが我が家の中で、しかも片付けられずに積みあがっていた荷物の上に倒れ込んだので大事にはいたりませんでした。(言い訳がましいですが、家の中をきちんと片付けないのにはそういった面もあります。下手に綺麗に片付いていたらこのような転倒の際に、まともに床にぶつかってしまいますから。たとえそれが畳であっても転び方によっては大変危険です。)

2度目は倒れた方向に壁があったので、ドンと体当たりをしたような感じでまともに転ぶのは回避されました。ぶつけたところや手をついた時にちょっとひねってしまった腕や腰に痛みは残っていますが、これが外だったら非常に危ないところでした。

27日はそのような状態であっても、いわきへの遠出をして例の人物と顔をあわせなければなりません。本当に気が重いというか・・・ドロドロした感情が沸き上がってきてしまいます。

昨日の昼間の温かさとはうってかわっての寒さですが、さきほどほんの少し霧雨というかごくごく細かいみぞれのようなものが降りました。
(21日 朝)春分の日・・・本当は母方祖父母のお墓参りに行く予定だったのですが、体調が相変わらずなので仏壇で失礼することにしました。

御先祖様たちだけではなく、縁あった方々で先に他界されてしまった人たちへの想いを新たにというのがお彼岸やお盆の大切な意義の一つです。先日のこともあって、例年以上に母への想いが募ります。

またここ数年来のことが一気に吹き出ている感もあって、上原先生への想いも・・・・。常人の枠をこえた先生の業績をどうすれば後世に伝えることができるのか・・・。

それこそお経の冒頭に「私はこのように聞いた」というのがよくあるように、先生を知る個々人が解釈した上原先生というのを伝えるのも啓蒙活動としては大切だし、それと同時に我々の主観がなるべく介入しない形で、我々にとって理解の枠を超えている言葉も、後世の方々にゆだねる形でなるべくそのまま伝えるというのも同時に大切だと考えています。

ただ、今の私はそのどちらも妨害されているような感覚にずっと襲われ続けています。

(18日 朝)再び例の人物からの電話・・・先日来、私のガタガタの体調や周囲の人たちの都合は出来る限り譲歩して正面衝突を避けようとはしてきましたが、こちらがそうすればするほど図に乗ってさらに我が侭放題、こちらを悪者扱いにしての暴言の数々に昨日はどうにも我慢がならず大爆発してしまい途中で電話を叩きつけて切ってしまいました。そのあとありったけの声で怒鳴りまわし・・・近所にも聞こえていたと思いますが・・・・。精神状態は先日以上に不安定です。

今月末は母の推定命日があるのですが、その母の無念の生涯や最期とその人物にも深いつながりがあるため、余計にやり場のないどうしようもない怒りがこみあげてきて制御不能になっています。

どうして母も私もあんな人物が我が侭放題勝手放題に生きる為に人生をここまで滅茶苦茶にされ続けなければならないのか・・・。精神世界的には「そうした状況も自ら招いていることなんだ」ということがよく言われますが、どうしても承服できない自分がいます。

ゆうべは先日キャンセルになった分の家庭教師の授業もあったのですが、体の状態が尋常ではなくなり、途中で横になりながらの授業でした。文字もまともにみえないし・・・・。本当に先行き真っ暗です。(パソコンもかなり勘にたよって打っています)

(16日 朝)昨日も例の人物からの身勝手で不愉快な電話があって精神状態が不安定・・・車の運転中はあいかわらず思い切り怒鳴りまわしています。そうしたことの繰り返しが余計に体調不良を悪化させる状況を招いてしまうという精神世界の常識は知ってはいますが・・・・今の自分はそれを感謝の言葉等々で好転させるというのを頑なに拒絶しています。

何年も前に精神世界に詳しい方から「あなたはそうした運命を自ら招いているんですから自業自得」という言い方をされたことがあるのですが、どんなに素晴らしい教えであってもそういう言い方をされたら逆に心を切りつけられる刃物のような受け止め方しかできなくなります。

宗教などでもこうした聞きようによっては「脅し」ともとれるような言い方はいろいろな何教であっても宗派によっては存在します。それで素直に改心できる人は受けれればいいのでしょうがね。



(11日 朝)
東日本大震災から8年・・・複雑な心境はいまなおふりかかっています。大きくはないにしても地震があよ以前よりも頻発するようにはなってしますしね。

ちょうどあの地震の前の週から家庭教師で行くようになった子がいます。その子もこの春には高校を卒業して他県に引っ越します。ちょうど今夜もまた授業があるのですが、(最終回が18日になるのか25日になるのかは千週の時点でまだ未定でした。今夜はっきりすると思います)そんなこともあって今年のこの震災の日は大きな区切りのような気もしています。

あの日、いつもの生活サイクルだったら午前11時頃に近所のスーパーに買い出しにいって、午後は居間で休んでいるというスタイルでした。それが新たに教えるようになったその子の授業で使うための問題集を買う為に午後になって外出。購入後、まだ多少はもちそうだったのですが、ガソリンスタンドで満タンにして、いつものスーパーで買い物。レジで精算という時にあの大地震でした。

帰宅して部屋の中が大変な惨状になっていたのですが、いつも過ごしている部屋などでも東側の棚のものが西の端、西側の棚のものが東の端に散乱していました。それなりに重いものまで。棚から崩れたというよりは空中を大きく飛び交ったということを思わせる状況でした。

もしも地震の時に自宅にいたら、大怪我では済まなかったでしょう。

そういう意味でも、もしその子を教えることになっていなかったら自宅にいたわけで・・・大変なことになっていという想いがあるので、8年目の今日が月曜日でその子のあと残りわずかの授業があるというのはまた違った感覚があります。(ガソリンも入れていなかったでしょうから、あのガソリン不足の影響も受けてしまう所でした)

多くの人たちが亡くなったり、生活が大きく変わってしまった大震災・・・それは他の大地震の被災地でもそうだと思いますが・・・何年たっても決して「過去のもの」ではありません。被災しての物質的・精神的な事柄は現在進行形です。
(10日 朝)金曜日の夜の冷え込みは半端じゃなかったですね。帰宅が深夜というか9日の未明になったのですが真冬の寒さ。昨日の朝は水たまりが凍結していました。でも太陽が昇ってくるにつれて気温は急上昇。かなりのポカポカ陽気・・・体はついていくのが大変です。

昨日、今日・・・かなりリアルな感じで夢の中に母方の祖父をはじめとして、他界した方々が夢の中に出てきました。明日の東日本大震災にちなんでなのか、今の私の状況に関しての何らかのメッセージなのか・・・

(7日 夕方)
体調の関係があって、なかなか更新ができないでいます。

昨日、今日は総合病院での検査等々。受診する科が違うので二日間連続になりました。昨日の方は悪いなりに最悪の状態は回避しての横ばい状態でした。また今日の方も検査の結果によっては高額医療に相当するちょっと特殊な処置をする必要があると宣告されていたのですが、普通は内服薬ではほとんど効き目がないといわれていたものが、医師の予想をはるかにこえていて、このままの内服薬の投与でもうしばらく様子をみよということになりました。

若い頃からの医者嫌いであまり薬のお世話にならないできた私の体・・・ときおりこのように医師が驚くように薬が効くことがこれまでもたまにありました。

とはいっても、この通院をはじめて4月で1年になります。普通の生活が続けられるかどうかのギリギリの攻防戦はたぶんずっと続くのでしょうね・・・・

(3月1日 朝)早々と3月になってしまった気分。

昨日は昼から片頭痛の発作。イギリス留学を終えて帰国した教え子と2時から8時くらいまで語り合っていたのですが、頭痛の方はどんどん悪化して帰宅後も吐き気を伴うほどひどくなっていて難儀していました。今はだいぶマシになっています。ちなみに確定申告の準備は全くできていません。

月初め恒例の万葉集占いですが、今朝巡り合った和歌です。
大和へに 君が立つ日の 近づけば 野に立つ鹿も とよめてそ鳴く (570番) 
口語訳 大和へと君が出発される日が近づいたので 野に立つ鹿までも あたりに声を響かせて鳴いている


3月は別れの季節といいますが、そのまま読めばそのようなことにピッタリの和歌です。実際に当時小4の3月から家庭教師で高校3年までずっと教えていた子もこの3月で終了。進学に伴い他県に引っ越すので多分今後は顔を合わせることもないでしょう。

またちょっとこのところ別のゴタゴタもあって・・・私自身が長年関わってきたことから離れるという可能性もなくはありません。それに例の件もずっとくすぶっているので、この家から追い出されてしまう可能性もなくはないし、体の状態も一つ間違えれば独り暮らしできないくらいに悪化するのを何とかくい止める処置がうまくいくかどうかのせめぎ合いが続いています。一応昨年4月の時点での生命の危険があるから即入院と診断された状態はくい止められているようですが・・・。

心身的にも経済的にも人との縁でも大きな転換期という暗示の和歌かもしれません。

新たな道への転換期という受け止め方が素直にできればいいんですが・・・どうしても「破綻」の方向に意識は動いてしまいます。



子供達の写真・お星さま・子猫の写真

(最新入れ替え日  7月9日)

上のボタンをクリックすると大きな画像のコーナーにとびます
今回の入れ替え分


前回の入れ替え分

子供達の写真・ちょっと大き目の天体写真を2日に一度入れ替えています。



「お星さま・ミクロ世界」などの写真集
実は「顕微鏡写真」もあるんです!!

「子ども・教育」「クラス・クラブなどの思い出」関係


特設コーナー

「食の思い出」

「ペットのページ」

高電位治療器 リブマックス9000
つぶやきのお部屋内「よりぬきコーナー」にあります

聖良さんに関する記述はこちら


常連様用「特急ボタン」

お星様のお部屋

  ミクロ  イメージ  思いで  言葉  授業  つぶやき 

 学問(恩師の上原輝男先生・父の語録です・・・児言態コーナー追加)  




朝日や夕日、雲などの画像もあります。

最新画像・・・h24,5,21 「金環日食特集」



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更新履歴・カウンター経過

*入れ替えアルバムの定期更新や太陽・天体は履歴には載せていません。
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平成13年1月までの更新履歴(ダイジェスト)はこちら

6月25日  開設