ワニワニ学級 本校

子ども達や自然や日常から生きるヒントを考える



このホームページでは

人類にとって生命の指標(ライフインデキス)である子供達,そして人類の未来のためのヒントを

「太陽(Hアルファ画像)」や「お星さま(冷却CCD他)」の天体写真、

「顕微鏡でとった写真」

「コンクリートなどのわずかな隙間から生えている植物」等々

そんな日常生活の様々な事柄を通して探っていきたいと思っています。

☆★☆ おとなも子供もみなさんどうぞ ☆★☆

各コーナーなどの詳しい案内は下の方にあります

はじめての方はこちらからどうぞ

開設日 平成10年6月25日



  あなたは 人目の参観者です。

祝70000人突破!(H29,5,14)
(最新更新日 令和4年8月6日朝)

新たな更新の案内は、少し下の「更新時の一言&PR」欄にあります



つぶやきのお部屋
教育・人生・世の中・・・・等々に関する私の雑感です

*東日本大震災の時に書いていたことが、今のコロナの世の中にも当てはまると考えました。



駿煌会関連リンク
一昨年から数人のメンバーで「駿煌会」なる会を結成して活動しています。そちらでは私は「虚空」と名乗っています。ブログ更新の情報などはツイッターでその都度紹介しています。

会の趣旨は次の通りです。(ツイッター プロフィール より)
アニメや理数を通して人間(心意伝承)についてあれこれと考えようとしている年齢も性別も職業も違う4人でスタートした集まりです。(現在ライン参加は8人)ブログだけではなくホームページもあります

☆駿煌会ツイッター https://twitter.com/syunkoukai?lang=ja

☆駿煌会ホームページ http://syunkoukai.komusou.jp

*ブログ記事などを読んで頂けると分かると思いますが、アニメを通して大真面目な考察をしています。
ただ、これまでずっとこのホームページで紹介しなかったのは、以前ここでアニメの話題を書いた際に、家庭教師の一部の親御さんから「アニメを話題にするような人にはまかせられません」というようなことで解雇されたことが数件あって・・・。

以来そのためにここではそういったアニメのことはほとんど取り上げず、駿煌会のことも紹介しませんでした。

今回紹介に踏み切ったのは、実質家庭教師もほとんどないことに加えて、新たな顕微鏡写真のコーナーを駿煌会の方でも紹介しながらという展開を予定してるためです。


お星さまや星雲星団や太陽表面の写真

(最新入れ替え日  令和2年9月6日)
*週2回の更新を目指します(日曜日・水曜日)

上の画像をクリックすると入れます

特設コーナー(お星様のお部屋    太陽コーナー

の中から、大きめの画像で定期的に入れ替えて紹介しています



ミクロのお部屋 2

(最新更新日 3月8日 ある男の子が庭で拾った小石)

最近放送されたアニメ「恋する小惑星」(漫画は現在も連載中)に刺激され新たに特設しました。

主に岩石や砂粒などの顕微鏡写真を公開しています。

また、私の持っている動植物の既成品のプレパラートも紹介しています。





オモ写コーナー

その1  


上の画像をクリックすると入れます


最新更新日 2020年7月6日

5月24日撮影分 
この日撮った画像はほとんどあとからの合成です


コンクリートやアスファルトのほんのわずかな隙間から生えている道端の草たち・・・
そんな精一杯に生きている姿を ダンボー や はにわ達 と一緒に撮った画像集です


その2

みんなとお出かけ コーナー
ダンボーや埴輪たちとのお出かけ画像


上の画像をクリックすると入れます

2020年5月25日 大洗水族館 

この日は人形を連れて行きませんでした。
なのですべて人形たちはあとからの合成です

(7月15日更新)



その3


この画像をクリック!

うちにあるいろいろな人形やぬいぐるみと自由気ままに撮った写真です

2022年4月15日更新・・・このあたりの桜の花の季節もおしまい 






児童の言語生態研究会関連リンク 
公式ツイッター  上原先生の語録が中心です。教育以外のことについてもたくさん載せています。書ききれないもの(補足)は公式ブログに掲載しています。

 関連の深いコーナー  学問(恩師の上原輝男先生・父の語録です・・・児言態コーナー追加)  


更新時のひとこと&PR

西城秀樹さんの思い出コーナー新設

今日は広島原爆の日・・・それは恩師である上原輝男先生が広島駅で被爆されたという日でもあります。

上原先生の原爆についてのことは、恩師のページの下の方にあります。

原爆に限らず、戦争体験をされた方々が高齢化して、世の中の雰囲気がかなり違ってきたと感じてしまうこの数十年。あちこちで話していることですが、私は昭和36年生まれなので、例えば小学生の頃の段階でも、周囲の大人たちの大半は戦時中の生活のことを体験し、記憶している方々。

なので、戦時中の話は、自然に様々なかたちで耳にはいってきました。子ども向き番組であっても、そうした問題をストレートに描いている作品は珍しくなかったし、制作者の方々も戦争体験者ですから、次世代の子ども達に これだけは伝えたい という熱い想いが込められていました。

それが大きく変化してきている。

例えば人類の戦争に限らず、宇宙とか異世界の存在との様々な争いを描いたものでも、その多くはいってみれば、攻撃側の視点とか、客観的な視点からの描写ですよね。

ゲームプレーヤー目線といってもいいかもしれません。

湾岸戦争の際、はじめてホンモノの戦争でのミサイル攻撃や、戦闘機からみた映像がリアルタイムで世界中に配信されたのですが、あの時の多くの若者たちが「ゲームみたい」だと。実際に爆撃を行った戦闘機のパイロットがインタビューに対して「テレビゲームみたいで面白かった」というようなコメントもしていましたし。

ところが同じ軍人でも、市街地の地上戦の方々の中には、一般市民を犠牲にしてしまったという実感をまともに受けてしまって、心に深い傷をおって帰国、軍をやめたあとの日常生活にも支障がでた方々がかなりいらしたと。

ミサイルなどで派手に爆破される映像をみて何かのイベントや劇映画をみて「スゲー!!!」って思っているのと同じ感覚でいる人には、その爆発の下でどんな悲惨な地獄絵図が広がっているのかには、想いが及んでいないと思います。

戦争映画にもいろいろありますよね。でも若者たちが目にするのは、どちらかというと生々しさとか痛々しさが感じられないタイプのが多いのではないでしょうか???

最近、ゲゲゲの鬼太郎の作者で有名な水木しげる氏の 戦記物 をいくつか読む機会がありました。声高に反戦を主張しているわけではないのですが、戦争が決してカッコイイものではないというのがガンガン伝わってきました。

兵器などの機械が戦争をしているのではない・・・・苦しんでいるのは 普通の人間 ということは、現代の戦争では全くかわりがないわけで・・・・ロシアとウクライナの争いも、そうした人々に共振共鳴がどれだけできているかが全人類に問われているように思います。



(8月1日 昼)今日は平成8年に他界した母方の祖父の命日です。骨折で入院していて、あと1~2日で退院という時に、容体が急変して・・・・私と母が臨終には立ち合いました。最後、心電図がピーと平らになるというのが、まさにテレビドラマのようで・・・・ついさっきまで退院を前にして看護婦さんたちを交えながらご機嫌に談笑していたのに・・・・

まあ観方をかえればそれこそ本人は意識を失ったことすら気が付いていないのではないかというくらいに瞬間的に意識を失ったので、みんなと楽しく談笑しているという印象で人生を終わりにできたのですから、幸せな締めくくりだったのかもしれません。

逆に母は、誰にも迷惑をかけたくないからと体調を崩しても他には連絡をせず、ひっそりと孤独死していたわけで・・・・非常に寂しい想いに包まれながら逝ったと思われますから。

私はどんな想いに包まれながら終わりになるんでしょうかね?????


月初め恒例の万葉集占い、今日出会った和歌はこれでした

年渡る までにも人は ありといふを 何時の間にそも 我が恋ひにける (3264番)

口語訳) 1年でも人はそのまま待つというのに いつの間にこう わたしは恋しはじめたのか

ふりかえってみれば恋心を抱くなんていうのが自分の感情世界にあったのは高校生まで。それ以降は不思議なくらい恋愛感情が湧いてくることがありませんでした。ましてや結婚願望も抱いた覚えがないんですよね。

未婚であることで、一部の親戚からは何十年物間、いまだに人間としての欠陥商品扱いされていますが・・・・

そんなこともあって、万葉集占いで恋歌をひいても恋愛感情とは切り離して考察するようにしています。仕事(願い)への想いということで。

そう考えるとずっと待ちの段階だったことに対して積極的な想いが湧いてくるという示唆ともえいますが・・・・

ただ、今日の素直な状態は真逆です。今回の更新で「今年の抱負」を削除したのですが、年頭の想いとは裏腹に、せっかくの仕事の出会いなどがあっても、次々とキャンセルになったりして・・・・、他の仕事の分野でも、個人的な屈折した想いの暴走により周囲に迷惑をかけっぱなし。

そんな自分が、今年の抱負 ということを掲げているのが、耐えがたくなってきてしまったので、削除しました。

本当は祖父の命日なのですから、もっと違った方向があふれた更新をしたかったんですが。



(26日 午後)あの秋葉原事件の犯人の死刑が執行されたそうですね。以前にも何度も書いていますが、あの事件の日、たまたまある用件で東京にいっていた私は、待ち合わせ時間までの間、秋葉原で電気製品の買い物をしていました。帰宅が遅かったので事件について知ったのは翌日の昼頃のニュース。どこかでみたことのある風景だなと思ってよくみれば、昨日通った交差点。そして今日のニュースではなく昨日のニュースだと。

で、前日の買い物のレシートをみたら、印字されていた時刻が犯行時刻とほとんどかわりなかったんです。
あの交差点から2分ほどのお店だったので、犯行前後数分間の差で2回通過しているんですよね。そして犯行のときはちょうど秋葉原駅でホームに向かうエスカレーターに乗っていた頃だと思われます。

犯人は決行するかどうか迷いながら何度も車であの交差点付近をグルグルと走行していたというのをきいて、もしかすると私が通った時にもいたんだろうなと。

事件に合わなくて良かった、というよりも、犠牲になられた方々に申し訳ないという気持ちにいっぱいになって・・・・それから数年の間は、犯行当日にあの交差点にいって手を合わせていました。

犯人についてその後さまざまなことが明らかになりましたが・・・・同様の犯行、あるいは逆恨みの犯行はあとをたちませんよね。

気に入らない、ストレスがたまっている、死刑になりたかった・・・誰でもよかった・・・・そういう想いから実行に移してしまう心のハードルがどうしてこんなに簡単に越えられてしまうのか?

一部の人間だけの心の問題として片付けられない段階にとっくにきていると思います。



(10日 夕方)今日、7月10日は「納豆の日」であると同時に「ウルトラマンの日」でもあります。
円谷プロ公式 

まずは納豆のことから
「水戸納豆」というのは有名ですが、これって「小粒納豆」なんですよね。スーパーの納豆売り場にある商品のほとんどは、この小粒タイプです。それにまじってあるのが「ひきわり納豆」(細かく刻まれたものや「そぼろ納豆(細かく刻んだ漬物が混じっています)

県外では多分ここいらで「大粒納豆」と銘打っているのが普通なんだと思います。でも大粒納豆タイプはまず見かけないし、あっても1種類くらいしか置いてないですね。

だからこのあたりの人は、県外で普通に納豆と思われている「大粒納豆」をみるとかなりビックリすることが多いです。(逆に県外の方は粒のちっちゃな納豆にビックリされるのですが)

小粒納豆の特色は ご飯にかけた時のフィット感 でしょうか・・・・粒が細かいのでご飯によくなじみます。

だからそれが当たり前になっている感覚だと、大粒納豆をご飯に乗せると、納豆というよりは ゴロゴロした豆 を乗せているようにみえるし、食べても豆の歯ごたえがしっかりとあるんで、違和感を感じてしまう方が多いと思います。(体積でいうと一粒3倍ちょっと?)





ちなみに私は以前、(乾燥)大豆から自家製納豆を作っていたことがあるので大粒でも受け入れています。

大粒納豆の特徴は 大豆本来の香り でしょうかね。大豆の風味がしっかりと残っているように感じます。

ということで、最近は大粒納豆と小粒の水戸納豆を両方混ぜてパックに保存して小分けして食べています。



大粒2パック売りに対して小粒は3パック・・・・小粒が多めです。それによってご飯とのフィット感もあるし、大豆の風味もしっかりとする納豆になって、結構気に入っています。(合計で約200円。それを5回に分けて食べています)


「ウルトラマン」に関しては5月前半にも何度かこの欄に書きましたが、改めて不思議なのは、同じころに放送されていて、やはり面白がって観ていた他の特撮モノの怪獣やエピソードはほとんど記憶に残っていないのに、ウルトラマンやウルトラセブンは幼稚園の頃に観た本放送の段階で鮮烈に記憶にインプットされたものがかなり多かったということです。


帰ってきたウルトラマン もそれなりに面白がって観ていましたが、具体的な怪獣とか内容は残っていなかったんですよね。

記憶ということからすれば、小学生とか、それ以降の方が分量としては圧倒的に多い。幼児期の日常の記憶はほとんど失せているのに、ウルトラマンなどの怪獣とかお話は、後に再放送やレンタルビデオで観直す前にもかなり残っていました。

それは私だけではなく、同世代にきくと「言われてみると確かにそうかも」といいます。(もちろんそうでない方だって多数いらっしゃると思いますが)

多分「知識」とは違う部分で受け止めていたんでしょうね。幼児なのに、ではなくて「幼児だから」無意識に心意伝承と響き合っていたのかもしれません。

たとえば幼い頃から強烈に残っていたのが最終回でのゾフィーの言葉 命を二つ とか その一つはハヤタにやろう とか 分離するぞ 等々のセリフ。幼い心にも、ものすごいインパクトがありました。これって後で考えると、折口信夫先生の説かれていた日本人の魂観なんですよね。

あとは バラージの青い石。ウルトラマンが ノアの神 としてよその国のの都市信で古代から仰されていた。これも折口先生の「まれびと論」

そういったことをウルトラマンの生みの親である金城哲夫氏は玉川学園で出会った上原輝男先生から説かれ、それがウルトラマンという形になったわけです。


wiki 金城哲夫



我が家にあるウルトラマン関連の人形・・・本当はもうちょっとあったはずなのですが行方不明です




(7月1日 夜)連日の厳しい暑さ・・・・収入がさらに減っている私としては電気代も極力押さえたいところなのですが、生命の危険もあるのでそうもいってられず・・・・実際に数日前にちょっと油断したら熱中症の症状が出てしまいましたし。古い日本家屋なのでほとんどの部屋は40度をはるかに越えているので危険。台所での調理も保冷剤を首などにまいて短時間ですませるようにしています。(なるべく早朝に調理して小分けにして冷蔵庫に入れるのですが、古い台所で普通サイズの冷蔵庫を場所もなく小さ目。あっというまに中がうまってしまいます。

さて、月初め恒例の万葉集占い。今回出会った和歌です。

言霊の 八十のちまたに 夕占い問ふ 占正に告る 妹は相寄らむ(2506番)

口語訳) 言霊の 八十のちまたで 夕占をした  するとはっきりと占いに出た あの娘はなびき寄るだろうと

以前
からの成就云々の内容は「自分の望み・・・・教育関連のこと」におきかえています。そしてまた私が行っている占いは、古くから日本によくある「偶然(必然)」を元にして、そこから自問自答して探っていくタイプ。

私が自己流で勝手に「万葉集占い」と称しているものもそういう分野です。

ちなみに、よく神社などでみなさんがひくおみくじですが、各項目の解説よりも、それらの根拠になっている 和歌にこそ大切なメッセージが込められていると以前どなたかに伺ったことがあります。

高位の神々からのメッセージほど、具体的に明確なものではなく、暗示的だと。多分具体的になればなるほど、日々の生き様を点検するとかいうもっとも大切なことには目を向けずに、その結果だけでどうこう処理してしまうからでしょう。期待通りでないおみくじはよく読まないですぐに木の枝などに結んでしまいがちですが、本当はそういうのをひいた時こそ、神の示唆である和歌にきちんと向かい合う = 自分の内面との対話をほりさげる が必用なのでしょうけどね。



(24日 夕方)今日は昭和62年、私が教師2年目の時に他界した父方の祖母の命日です。

何度も書いていることですが、私の仏教的な土台は、この祖母によっ幼い頃から培われたといっても過言ではありません。とってもおだやかで物静かな祖母。さりげない日常のやりとりの中で昔の人の名言などをきかせtくれたりしていました。

多分幼児の頃ですが、ボットン便所で落ちたら危ないということで、大の時にはいつも祖母が抱きかかえてくれて用をたしていました。そのトイレの壁に毛筆で何やらニョロニョロとしたのが書いてあって(当時は草書なんてわかりませんでした)「おばあちゃん、これって何?」と聞くと、「これはね、輪廻転生について書いてあるんだよ」と。そして幼い私相手にも、けっこうきちんとした解説をしてくれました。(幼いからこそ きちんと話してくれたのかもしれないです)

それが私が輪廻転生というか・・・・仏教を教えとして受け止めた最初の記憶です。

まあ、考えてみればこの前紹介した祖父の「ナスはうんこが大好きなんだ」とワンセットで考えると、転生というわけではないですが、「食べたもの」が「うんこ」になり、再び「野菜」などになって「食べる」とい繰り返しの循環も、うんと広い意味では輪廻といえるかもしれないですね。


もう一つ祖母のエピソードとしては、これは私ではなく父からきいた、小学生の頃のエピソード。


父がある日「天ぷらを食べたい」といったら、納屋から菜種を出してきて・・・・アブラナの種です・・・・渡された父は、畑を耕しそれを育て、たくさんの種を収穫。そこから獲れた油で天ぷらをあげてくれたんだと。

祖母には直接確かめたことがないので、実話なのかどうかはわかりませんが、父が小学生の頃だと昭和10年代ですから、あり得ない話ではないと思います。

なんでもすぐに手に入る時代って、長い歴史から考えればつい最近ということですよね。そしてもしかすると、そんな「今」は長い歴史から見れば、儚いひと時の夢・・・・なんていうことだって、ありえなくはないと思います。



(15日 朝)今日は昭和45年、私が小3の時に他界した父方の祖父の命日です。ちょっとした斜面で梅の実の収穫にそなえて下草を刈っていた最中に転落して首の骨を折り、治る見込みはないという中、なかば実験的な壮絶な治療を受けた末に数日後亡くなりました。(途中、一度お見舞いにいったのですが、その治療の様子は今でも頭にやきついています。これ以上はふれませんが)祖父には大変に可愛がられた思い出ばかりです。

葬儀のために数日間滞在していたある日、祖父が亡くなった時刻をきいて、「あれっ?」と思いました、私の誕生日の数字とピッタリと一致していたのです。これには大変な驚きとともに、言葉にできないような祖父との深いつながりを子供ながらに感じました。

何度紹介していることですが、祖父との思い出の中で最も強烈なのが
「ナスはうんこが大好きなんだ」です。小1の頃だったと思いますが、「えーーーーーー!!!!」と驚く私をみてニヤッと笑ったときにチラッとみえた金歯の輝きは今でも忘れません。


拾い裏庭でナスやキュウリなどいろんな野菜を育てていて、よく祖母と収穫していました。それこそトトロの世界のように。ある日、「今日は畑にはいっちゃダメだよ」と言われ不思議に思っていたら、祖父がボットン便所から長い柄杓でウンコをくみあげ、桶(肥桶です)に入れているんです。そして何をするのかと思ったら、それをナスの根元に撒き始めて・・・・・いやー、本当にビックリでした。

で、その時に祖父の口から出たのが先ほどの言葉だったんです。

小学校1年生の私は「ナスはうんこが大好き、ってどういうことなんだろう?」って真剣に考えてしまいました。夜中にナスが口をあけて、撒かれたウンコをパクパク食べるのかな・・・・とか、大真面目に想像したものです。

ここ数年、近所の方の協力を得て、うちでも家庭菜園を本格的に庭で行っているわけですが、ナスをみるたびに・・・・庭の苗やスーパーでナスをみかけた時ですから事実上毎日・・・祖父のこのことを今でも思い出します。朝晩や仏間で食事をとるたびに神棚・仏壇に手をあわせるので、祖父母やかかわりのあった方々のことはそのたびに思い出すのですが、庭や買い物の時の回数までふまえると、この祖父のことを思い出す回数がダントツだといえます。

我が家もいまだにボットン便所なので、その気になれば祖父のように肥料としてつかえるのですが・・・・ネットで調べると、その肥料で育てたナスやトマトの味は格別だとかあるのですが・・・・さすがに実行はしていません。いくら自分のおなかの中から出てきたものとはいってもね・・・・住宅地なのでそんなものを撒いたら臭いの害も・・・・・「田舎の香水」というわけにもいかないし(笑)


ちなみに今日は、ある家庭教師での教え子の飼っていた子猫「おこげ」の命日でもあります。(平成14年)きょうだいである「おこめ」というネコとともに、家庭教師の授業中になぜかいつも私の足の指にじゃれついてきて・・・結構痛かったので、その家で授業の時は分厚い靴下を2枚重ねでした。

いろんなネコの中で非常に思いで深いうちの1匹です。

*白っぽい方が「おこめ」、黒っぽい方が「おこげ」と名付けられていました。


(14日 朝)昨日は、教師として就職してから数年間、大変にお世話になったS先生の命日でした。兄貴のように慕わせて頂いたのですが、社会人の自覚に関してはビシッと教えてくださいました。

先生といっても教師ではなく事務職員という立場・・・それでもミニバスケットの指導や、大きな学校行事の前には、自分の事務の仕事が忙しい時でも率先して手伝われていました。担当でなくても「学校全体の行事なんだから、みんなで協力しあって早く準備ができれば、みんながそれだけ自分のクラスの仕事もできるし、早く帰れるだろ」というのが口癖。(もっともS先生はたまった事務の仕事を遅くまで残ってされていました)

「そういう姿勢の職員がいるから、教育現場のブラック企業体質がいつまでも改善されないんだ」・・・という批判が今の世の中だったら多く出そうですが、純粋に「子ども達のため」ということで動いていた・・・・それが当たり前のような空気が当時はありましたから。かく言う私も、毎日のようにS先生と遅くまで学校に残って過ごしていました。もちろん一緒に残っていた先生方は少なからずいました。それもいい思い出です。(昭和後期の話です)

はからずも昨日、エナベルのブログに、木曜日のグループワークの常連であるMさんが「社会人の責任」をテーマに記事を書かれていたので、先ほどリツイートしたところです。

リツイートにはそこまでは書かなかったのですが、本当に社会人の自覚を促すためにビシッと叱っても「パワハラ」と言われてしまう世の中。何も注意をしないで、自由にやらせてくれるのが理想の職場と本気で考える風潮の今の世の中では、S先生にしても、私も、疎まれる存在でしょうね。疎まれてもS先生だったら、相手の今後を思って、心を鬼にして言うべきことはビシッと言うでしょうね。

私は・・・・現役教師だったころは言っていましたが・・・・ちゃんと年下の一部の先生には嫌われました(苦笑)・・・・今はそのような元気はないですね。

逆切れなどすれば、どんどん叱られなくなると思いますが、叱られないことは本当にいいことなのかどうか?

若いうちなら許され、改善のチャンスが与えられているのに、その機を逃すことになるという自覚がどのくらいあるんでしょうね。年齢があがるほど、誰も指摘してくれないようになります。そして社会的責任を失うのはまぎれもない自分自身なんですが・・・・。その時は周囲を批判するんでしょうね・・・・「自由」とか「権利」とかもっともらしい主張ををふりかざしながら。



(6月1日 朝)6月になりました、真夏日になったり、急に涼しくなったり、毎日の気温の変動が大きいので体調は崩れ気味です。

西城秀樹さんのコーナーを更新しました。今日は「絶唱姿に強烈に惹かれる」と題して「ちぎれた愛」「愛の十字架」の頃の想いを、当時自分がおかれていた状況をふまえて書いています。


月初め恒例の「万葉集占い」出会った和歌は長歌でした。聖武天皇が詠まれた歌のようです。(973番)ごく簡単にいうと、部下たちをあつくねぎらっているような内容の歌。

立場の違いを越えての「周囲への感謝」をいつも忘れないように、という示唆と感じました。



(23日 朝)今日は小2の時に担任した通称バットマン君の命日です。小6の時に交通事故で他界してしまいました。特に交通事故などは「どうして」という想いが強いですよね。様々な要因の重なり合わせ・・・・確率からいえばあり得ないくらいの事象の重なり合わせで事故は起きてしまう。

また仮に事故にあってしまったときの結果も、理屈では説明できないくらい大きく違ってしまいます。

私達の日々は決して当たり前に流れているのではない・・・・本来の「ありがたい」(有り難し)という古語の意味を思い知らされます。

人生、生きていくのが嫌になってしまうような絶望的な出来事、理不尽なひどい扱いを受ける・・・・そんなことばかりというのも私自身も何十年も味わってきていますが・・・・もっとひどい状況の方々が数からいえば圧倒的に多いわけですが・・・・それでも、「今」心臓が動いていて生きているという事実があることのありがたさは忘れてはいけないと感じています。

今日は、通称「スイカおじさん」という方の命日でもあります。私は面識はないのですが、その方がスイカを育てる名人で、家庭教師で伺った家で何度か頂いたことがありますが、絶品でした。そうした作物を育てるのも「土つくりから」というのはよく耳にしますよね。人間だって同じはずなのに・・・・そしてその土づくりにあたりのが乳幼児期とか初等教育の段階なのに、そこを軽視して、一番やらなければならないことをやらずに、妙な促成栽培にばかり駆り立てている。

その結果、一時期は周囲との競争に勝てているようにみえて、大人も本人も喜んでいるわけですが・・・・不自然な幼少期を過ごしたほど、あとのツケは大きなものです。

まあ、壁にぶちあたってもそこで方向転換をきちんと本人の意志でできれば、それは人生の糧になっていくわけですが・・・・一時期の栄光が忘れられないほど、人生の先々にまで影をおとしてしまいます。


夜中にひどい(雷)雨であまりよく眠れていません。そんな中、雨がやんでやっとウトウトした中、二つの夢をみました。一つ目は他界した父が生きていた頃・・・私は青年でした。父が知り合いから頂いたというドリアンを台所で切っていて、それを私達にふるまうという夢でした。(ちなみに私はドリアンの実物を新宿の果物屋の店先でみたことはありますが、匂いはかいだことがありません) 二つ目はある方と量子論と上原先生の著書執筆の姿勢との関連について語り合っているという夢。

詳しくは書けませんが、この量子論がらみのことはエナベルでのグループワークでも最近たびたび話題になっていることです。(シュレーディンガー方程式の「多世界解釈」と「コペンハーゲン解釈」との違いを、今の学校教育や社会の姿と結び付けてのやりとりです。古来から日本人の発想は「多世界解釈」型だったと思われます。そして上原先生の論文執筆の姿勢も。)

(16日 朝)今日は西城秀樹さんの命日です。
上記の思い出コーナーに、ヒデキという歌手がいることを知った時のことを更新しました。ちょうど小学校6年生の時、情熱の嵐がきっかけでした。

未明に見た夢に父が出てきました。父は教育者でしたが、もともとは「自分の生活を通して自分で自問自答しながら生き方を探っていくのがホンモノ」というのが信条。なので「こうしなければならない」式のことは子どもの頃にもほとんど言われた覚えがありません。

ただ、今回の夢の中では、こまかいやりとりは覚えていないのですが、いつもよりは「こうした方がいい」という助言を私にしていました。

近々何か大きな変化が起きる予兆?????


(14日 朝)昨日の午後の家庭教師がキャンセルになったということもあり、公開初日である「シン・ウルトラマン」の初回上映をみてきました。

ネタバレでない範囲での感想ですが、一言でいうと「庵野秀明さんが、これからの世代の人達に贈る熱いメッセージが込められた作品」という印象でした。

幼稚園時代に初代ウルトラマンの本放送を夢中になってみていた世代としては、どんなに理性として「現代風にというか庵野さん風にあれこれとアレンジされていた設定の作品なんだ、「これは」と言い聞かせていても、やっぱり観ていての戸惑いがあちこちにあったのは避けられない事実。そういう意味では、昨日の鑑賞は自分の脳をリセットするための儀式だったかもしれません。

幸いにも映画館のメンバーズカードの6回みたら1回無料というのが次回使える状態になったので、近いうちに純粋に今回の作品に浸るために再び観に行こうと考えています。


ゆうべはBSーTBSで「西城秀樹 歌声は永遠に 甦る情熱と汗の全軌跡」の放送がありました。ヒデキの歌に励まされていた10代の頃の感覚が甦ってきました。西城秀樹さんの思い出コーナーを作っても、まだ一度も更新していないわけですが、5月16日の命日までには、ヒデキを知った頃のことを書きたいと思っています。

昨日の番組の影響なのでしょうけど、未明にみた夢にヒデキが出てきてくれました。自分の記憶の中では還暦過ぎたこの人生の中で、ヒデキが夢の中に出てきてくれたのは初めてです。(こういうことを考えると 夢 って自分でみていても、脳が作っているイメージだけとは言い切れないものを感じます。自分の意志や願望等々によってコントロールできるものであるなら、この人生の中で、特に若い頃には何度もヒデキが登場する夢を脳が作り上げて、見ていただろうし・・・。両親や祖父母をはじめとしての他界した方々だって出てきていると思います。また、最近絶対出てきて欲しくない人達が連日登場ということがあったのですが、そういったことだってないと思うんですよね)

以下、夢の中身です。
細かい部分はよく覚えていないのですが、ある街にヒデキのイベントがあるというので観に行った私。私の姿は今の年齢。でもヒデキの姿は1970年代のあの頃のままです。ヒデキのナマの姿をみることができて観劇の余韻に浸りながら会場をあとにして、街中の小さな路地を散策していました。するとお忍びで散策していたヒデキとバッタリ。思い切って声をかけます。気さくに応じてくれました。自分がいじめ等々にあっていた小~中学生時代に、どれだけヒデキの姿に励まされたかということでお礼を言いました。別れ際「一緒に写真、いいですか?」とたずねたらOK。ところがポケットに手をいれると、いつも持ち歩いているハズのコンパクトカメラがありません。(ちなみに夢の中の私もスマホは持っていませんでした)「残念でしたね」と笑ってヒデキは去っいった・・・・・というあたりで夢から覚めました。

一緒に写真は撮れなかったわけですが・・・・もちろん夢の中でカメラがあっても写真は残っていないわけですが・・・・50年近くためていた想い・・・ヒデキへの感謝・・・をヒデキに伝える事がやっと出来た・・・というような感覚に起きて2時間以上たっている今も浸っています。


(5日 夜)3日・4日と小さなお稚児さんをつれたまれびとの方々が訪ねてきたり、4日・5日と思わぬお誘いで近場ですが出かけたり・・・・いい意味で通常とは違う時間を過ごすことができました。

今日の夕方にはずっと着手できないでいた家庭菜園の苗を植えるための下準備で草取りをしたり、庭で熟成させていた腐葉土を混ぜたりの作業。あっというまに腰が悲鳴をあげだしましたが、ここは一気にやってしまわないと、明日以降は腰も腕も厳しくなると思ったのでやってしまいました。

作業後にすぐに横になって数時間。その間に地震があったようなのですが、全くきがつかず・・・・パソコンを起動させたらライン等々でみなさんにご心配をかけていたことを知り、ひたすら恐縮というか・・・・こんな風に気遣って下さる方々がいらっしゃるというありがたさをしみじみと感じる事ができました。


こちらは風になびいている 我が家の屋根より低い鯉のぼり です。昼間のと夜のとです。






これは、小3になったスプリンターZIによるオモ写画像。何枚も送られてきた中の、一枚はトリミングしたもの。もう一枚はフリー写真素材のサイトにあった古びた街並み画像との合成です。

『こどもの日、みんなでお出かけ』






『春から初夏にむけて』・・・彼がペイントした模型に、タンポポの花などが積んであります。






こちらはかしわ餅をモチーフにしたオモ写画像。
まずは昨年撮っていながら未公開のものです。













こちらが今年。

『みんなでどう分けようか????』




『みんな食べないの? じゃあ僕がもらうね』・・・食いしん坊の快獣ブースカです





ちなみにこのブースカもウルトラマンと同じ円谷プロです。(1996年~放送)


(5日 夜)いよいよ今夜が「ふたりのウルトラマン」の放送ですね。

昨日書いた上原先生や金城哲夫さんのかかえていた沖縄問題に付け加えです。

平成4年度、私が分校に赴任したのですが、ちょうど本校と統合するかどうかで住民と役場がゴタゴタしていた時でした。子ども達はみんな分校が大好きなので残って欲しいという気持ちだったのですが、地域では賛成派反対派とがあってもめていました。ただ、2学期末になってとうとう今年度で閉校が決定。本校と統合されることになってしまいました。

そんな矢先、この分校でうちのクラス(3年生 男女各6名 計12名 平成版 二十四の瞳です)で上原先生達を招いての研究授業が行われることになりました。上原先生が私のお師匠様であると同時に、ウルトラマンの産みの親である金城哲夫さんのお師匠様であることも伝えました。

すると子ども達からは
「じゃあ、上原先生はウルトラのおじいちゃんなんだね!」という声があがり、すっかりそれが定着しました。

ちょうど分校問題で子ども達が心に深い傷をおっていたこともあって、金城哲夫さんの苦悩についてもノンマルトの使者のことを交えながら数日前から話していました。

歴史的には、この分校がもともと明治6年にはじまった学校。その後、分校として二つの学校が作られました。通称、ここが 上石 そして 中石 下石。やがて中石が 本校 となり、下石は、別の小学校として格上げになりました。

そうした流れがあるので分校存続を強く希望する人達(子ども達)には「この上石こそがもともとの本校だったのに・・・どうしてここがつぶされて、中石に統合されなければならないんだ・・・」という想いが非常に強かったんです。

その点がまさしく子ども達にとって 金城哲夫さんの苦悩の背景にある 琉球王国時代から戦後今でも続く沖縄問題と重なったわけで・・・・金城哲夫さんのことは非常に身近に感じていました。

*そんな中石の本校も、その後廃校となり、別の学校と統合されました。この更新時の一言欄 4月10日 のところに廃校となった本校の桜画像があります   分校跡地での桜画像は こちらです




授業当日、子ども達は上原先生大歓迎ムードでノリノリでした。

授業者は私ですが、何度か上原先生御自身も子ども達に問いかけなどをしました。
(画像は、分校の閉校式用に私が編集した画像から取り込んだものです。上原先生以外の顔にはぼかしを入れています)

役場との協議で盛んに「分校は時代遅れ」等々の(じっさいはもっとひどかったらしいですが)分校のマイナス面ばかり言われ続けた挙句の統合決定・・・・子ども達は深く傷ついていました。


「そんなのこの学校はダメな学校なのかな・・・・」と。

そこにやってきたウルトラのおじいちゃん こと上原先生が、周囲の環境から学校の校舎の雰囲気・・・・そしてみんなの様子をお世辞抜きで褒めまくってくれたというのは、本当に大きな救いでした。子ども達にとっては、まさに「東京」という異界からやってきた まれびと(神様)が、傷をいやし、来年度からの本校での生活への気持ちをアップさせてくださった・・・・そんな感覚です。


ちなみに授業のテーマは「ぼけとツッコミ」
とはいっても漫才の練習をしたのではないです。「言語操作性」という中学年に芽生える意識に関しての重要なテーマです。






上原先生と金城哲夫さんのことに関しては、大学での講義記録も含めて、こちらの恩師のページにも載っています。


(5月1日 午前)明日の夜、NHKのBSで夜9時から ドキュメンタリードラマ「ふたりのウルトラマン」が放送されます。

ウルトラマンの産みの親と呼ばれている金城哲夫さんは、恩師である上原輝男先生の愛弟子です。

その金城哲夫さんと、同じ沖縄出身でウルトラシリーズの脚本を担当されていた上原正三さんが主人公。
当時を知る関係者のインタビューも交えながらということなのですが・・・もし上原先生が生きていらしたら、間違いなく出演されていたでしょうね。


上原先生と金城っさんは、玉川学園の高等部の受験で面接の時が初めての出会い。上原先生の師匠である折口信夫先生がまれびと研究などで何度も沖縄を訪れていたということもあって、海のかなたに神の国があり、そこから救いの神がやってくる・・・という民俗学的な話が高校時代からされていたようです。

やがてシナリオライターを志すようになった金城さんを、当時上原先生が親交のあった特撮の神様とよばれている円谷英二監督に紹介・・・・ウルトラQの脚本などを担当。そこからウルトラマンへとつながっていきます。

そういうことからすれば、上原先生との出会いがなかったら、あのウルトラマンはこの世に生まれていなかったと言えましょう。

ちなみにウルトラマンのあとの、ウルトラセブンには社会問題を取り入れた作品がいくつかあります。そうした番組制作に影響をあたえたことの一つがベトナム戦争ともいわれています。絶対的な正義と思われていたものに対して、本当にそうなのだろうかという問いかけが世界規模でおきた・・・。

セブンシリーズのクライマックス 第42話「ノンマルトの使者」は、琉球王国からの沖縄の歴史・立場を置き換えた金城さん渾身の一作です。

その後「本土と沖縄の架け橋になりたい」という気持ちから沖縄に戻った金城さんでしたが、苦悩の日々が続きます。それが決定的になったのが、沖縄海洋博の開会式・閉会式の演出を依頼されたこと。

金城さんの「架け橋になりたい」という想いとは裏腹に、地元の人達からは本土の回し者のような目でみられ・・・・やがて自宅の階段での転落死へと・・・・

こうしたことの背景には琉球王国や戦時中・戦後のいわゆる沖縄問題などがあります。本土復帰というおめでたいムードとはまた違った複雑な事情・・・・「本土復帰」というのが何を意味するのか・・・そしてそれは今なおアメリカ軍基地の問題や、アメリカ兵による犯罪が起きた際などでしばしば表面化します。



上原先生とのかかわり、ウルトラマン誕生の裏側、沖縄問題・・・そうした経緯に関して、とっても詳しくまとめられた書物があるのですが・・・・現在は 単行本版・文庫本版ともに入手が非常に困難です。

単行本表紙



文庫表紙






この上原正三さんが書かれたこの本にも金城哲夫さんと上原輝男先生とのやりとりが何ヵ所かでてきます。こちらも現在では入手困難なのですが、この沖縄復帰50年というのを機会に再販してくれるといいんですがね。





上原先生と金城哲夫さんのことについて駿煌会のラインにたとあげたところ、さっそくメンバーであり私が小学生の時に担任したコバルトブルー君がコメントしてくれました。

『 円谷の空想特撮シリーズと表記されている「空想」という言葉に物凄くエッセンスを感じます。
きっと上原輝男先生は金城哲夫さんに空想する事を学ばせたんだと思いました。
空虚モード(何もない空っぽ)ではなく虚空モード(海であるような土であるような宇宙であるような豊かな空っぽ)みたいな世界を教えてくれた。

自分自身は上原輝男先生に会ったことはありませんが、何て言うんだろう、少なくとも私がたぬき先生の背景に刺激を受けている部分の上流の先に上原輝男先生がいたと感じているんですよね。

これには資料とか読んだ訳じゃありませんが、感覚同士が繋いでくれたとしか言いようがありません。
だから民俗学的なのかな。

たぬき先生の向こう側に上原輝男先生がいて、もっと向こう側には空想そのものである虚空があるみたいな。
仏教用語で言えば 色即是空 空即是色ですね。』



「知識」としてではない伝承 と彼がつかまえてくれているのは、とても嬉しいことです。


(ウルトラマンを創った男 より・・・文字は私がつけくわえたものです)





月始め恒例の万葉集占いをしました。
今回巡り合った和歌はこれです。

原文 琴とれば 嘆き先立つ けだしくも 琴の下樋(したび)に 妻や隠(こも)れる(1129番)

口語訳 琴をとるとまず嘆かれる ひょっとすると琴の下樋に妻がこもっているのだろうか

どういう状況なのか今一つ分かりませんが・・・思いがけない何かが見えないところに隠れているということでしょうか? 見える部分にばかり目がいってしまいがちな現代社会に対しての警告????




それと5月になったということで、鯉のぼりも出しました。大きなものは茨城町立上石崎分校の物置にあったもの。廃校になった際に頂いてきたものです。小さい2匹は、岡本太郎記念館で以前購入した、岡本太郎デザインの鯉のぼり。

例年と違って、今年は道路からすぐにみえる場所に設置。

とはいっても高いポールなどないので、やっぱり「屋根より低い鯉のぼり」です。
棒にぶら下がっているだけなので、大空を背景に元気に泳ぐ姿というよりは魚の干物を干しているようだと以前から言われています・・・子ども達にはあやかってほしくないお姿ですね。ただぶら下がているというのは(笑)













(26日 昼)去る4月13日、近所の方が今は空家になっ
ている私の家のお隣の屋根の上に怪しげな生きものがいるのを発見。最初はタヌキかと思ったそうなのですが、よくみると尻尾に縞模様。アライグマのようだと。



昨日業者に頼んで罠を設置したらさっそくかかったというので私もみにいきました。思ったより大きかったです。

かつてアニメの「あらいぐまラスカル」のイメージでペットとして飼った方々が、実際には気が荒いというので戸惑ってしまったというのをきいたことがありますが、私が近づくと盛んに威嚇してきました。

ちなみに罠にしかけたエサはキャラメルコーンとのことでした。



こちらの画像は先日、知り合いに誘われて千波湖近くの公園で行われていた乗馬体験のイベント。
むかえてくれたのはこの2頭。ふだんは干し草なので、ナマの草がいっぱいの場所にきて大喜びなんだとか。



若いポニー




こちらは人間で言うと中年くらい???




普段から小さい脚立に立つのも転倒の危険があるからなるべく控えている私・・・・どうしようかと迷ったのですが、上原先生の馬の研究を少しでも体感をともなって考えたいというのもあって、そろそろみんな帰ろうかというあたりで、決意。

脚立も大変でしたが、もっと大変だったのが股関節。ここ数十年、ほとんど運動らしい運動もしていないので、完全に硬直していて、なかなかまたげません。






やっとも思いで何とかまたがって・・・・さあ出発・・・と歩き出したとたんに馬がピタッと停まってしまいました。「他の人間より重いぞ」と思ったのでしょうか????

ちなみに体重制限は80キロ以下となっていました。2週間前に計測した時、ジャスト80キロほどだったので・・・来ていた方々の中ではもっとも重かったんでしょうね。






ようやく歩き出してくれたのですが、背筋を伸ばして、馬の揺れにシンクロさせて・・・・というのがなかなか難しかったです。小高い場所なので眺めはいいハズなのですが、それを楽しむゆとりはナシ(苦笑)






降りるときは、乗る時以上に足があがらなくて苦戦。靴が脱げてしまいました。お馬さんにお礼をいって初乗馬体験は無事終了・・・・股関節や腰はどんどん痛みだしましたが、まあ落馬などしなかったからOKです。






そんなに大型という感じのお馬さんではなかったですが、それでも思ったより高い感覚でした。競馬なのでこの上にのって時速60~70キロって・・・・落馬の危険もあるわけで・・・・後ろから走ってきた体重450~500キログラムの巨体に蹴られたり踏みつけられたりする危険があるというのを、知識としては知っていましたが、ゆっくり歩くだけでもこの感覚なのが・・・・ちょっと想像できない世界ですね。

馬と言えば黒澤明監督が思い浮びますが、あの激しい合戦シーン。馬も人間も命懸けですよね。たった数分間の体験でしたが、今後馬の映像をみるときの観方がガラッと変わるのは間違いないです。



(15日 昼)この前は初夏の陽気でバカ暑かったのに、昨日から急激に気温低下。衣服の調節が大変です。これはまだ暖かだった13日に庭で撮ったものです。エナベルの利用者さんに作って頂いた干支セットのうちのウサギさんを使ってのオモ写です。






このあたりの桜もすっかりと葉桜に変貌。

散っていく桜をみつめる大トトロなどのオモ写を
こちらにアップしました。



(11日 朝)今日は恩師である上原輝男先生の命日。そんなこともあってか、未明にみた夢は間もなく廃校になるという古い小さな学校を舞台にしたものでした。その学校を訪れた私が、その学校で子供たちが受け継いできた想いを受け止めて・・・・という内容。

ちなみに今日は、退職時などにも大変お世話になった、教え子のお母さんの命日でもあります。


オモ写コーナーは「桜」を中心にしたものです。昨年未公開だったものを含めて、近所の公園で撮ったものや、茨城町立上石崎分校跡地で撮ったものなど19枚です。

そろそろ本格的に散り始めているわけですが、日本人は毎年この年度の切り替えに「代送り」を実感しているんだということを再確認です。

☆昨日アップした石崎小学校の画像について、卒業生からさっそく言葉が寄せられました・
*崎小ってキレイだよねー。
たんぽぽ咲いてるグラウンド、シシガミ様のあとみたいだと思った。

*色んな景色が重なりますね。
よい学校でした。
せめて自由に出入りが出来るようにして欲しいものです。
もしもの時の緊急避難場所なんだから尚更。

*石崎小桜がきれいですね(デレー)廃校の雰囲気も漂って哀愁を感じます。切ないなぁ、、、何か活用してくれれば良いのにー。敷地も入って探検してみたいですね

*よくみると遊具も変わってたんですね🧐
ジャングルジム や吊り輪があったのに、、、
危険な遊びをしていた小学生時代🎒今自分の娘にはさせられないなー上原先生の命日ということで、上原先生の語録から「教育」「教育者」に関するもののごく一部を抜粋してみました。競争とかテスト対策に打ち勝つ子どもの育成にばかり政治家から庶民までの多くが目を向けている現代社会の中で、上原先生の主張は時代錯誤と言われそうですが・・・・でも私はやはり、これからの世の中で生きていく子供たちにとって、非常に大切な思想だと思っています。


☆教育は投薬ではない。
それは生まれ出た人の子が人の心を
獲得していく過程を保証することである。
(感情教育論 昭和58年)


☆ 『子どもを見る目』が育たなければ出来ない仕事ですよ。「この子は宇宙の生命とどう接触しようとしているのか」それをみるんですよ。・・・中から出てくるリズムとか・・。子どもの体感を知る事です。
              (平成二年六月例会)


☆ ついこの間まで、日本人はイメージ世界を片方に持った生活をしていた。今も持っているのだと思う。・・・それではイメージを扱って何をしようとしているのか、という事を考えなくてはいけない。

 現実世界に我々は生活をしているのと同時に、もう一つの世界にも生きている。現実世界は放っておいたって生きていく世界。だけど、もう一つの世界(イメージの世界)を大人たちは、どう処理し、何に価値を見出だして、そして自分自身がそれをどう取り扱おうとしているのか、という事を、その答えを持っている者が初めて子どもに接触できる、ということ。そして子ども達に責任ある指導をしていく事が必要である。

 そのためには、我々自身が、イメージの世界にどの様に対応し、自分がどう処理しているか、っていうことに答えを出しておかなくてはならない。
       (平成六年合宿)


☆日本人の考える教育とは『霊』をもった人に子を使えさせることから影響を受ける事だったんです。指導してもらうんじゃないんです。・・・・ 折口先生は『教育は感染作用である』と・・・当代の威力を次の代に移していく事だったんです。

 教育は「人格」から『霊格』への営みです。
                   (国文学講義)


☆『教育者』になりたいのだったら「ミーハー根性」を捨てなさい。日本の教師っていうのは『世捨て人』だったんですよ。・・・・みんなを救うんですよ。ボートにたとえれば、同じ溺れたら自分の子どもよりも他人の子どもを救わなければならぬ道なんですよ。諸君らが進もうとしているのは。

 だから、誰にでもできる筈がないんです。まず『人間に関心が強い者』でなければなりません。(国語教材講義)


☆(教育者は)道の歩き方だって大切ですよ。一木一草に関心がなかったら子どもとも遊べませんよ。先生がだめだから、子どもは本当の遊びが出来ないんですよ。

 自分の生きている世よりも先まで生きて行く子どもに教える、ってことを忘れてはいけませんよ。

 そして教育者としての『品性』、自分の顔と態度に責任を持ちなさい。(国語教材講義)


☆ 『予測』と『先取り』の能力をつけさせてやるんですよ。やった事、覚えた事のみわかる、っていうのではだめです。            (国語教材講義)



☆「知育偏重」に走れば墓穴を掘るんですよ。各教科の専門家になろうとしなくていいんです。より上の専門家はいくらでもいるんですから。

 我々の仕事は「○○」を上手にさせるのではなく、子どもが「○○」にどう反応するかを見届ける事なんですよ。そして専門的なことが必要になったら、その時は専門家を連れて来ればいいんです。

 かつて、小学校の先生は何と呼ばれていたか、知っていますか?「訓導」と呼ばれていたんですよ。小学校と中学校では仕事の内容が違う事を、こうしたことでもきちんと分けていたんです。小学校は「日常性」を扱い、中学校は「知識」を扱うんだって。

子どもの態度・構えをみて「今、この子は○○の段階を進んでいる。」という事がパッと掴まえられる先生にならないとね。
(国語教材講義)


☆人間としての基本から外れている子どもは、プロである教育者は許してはいけませんよ。子ども中心っていうのは子どもに迎合することではないんです。「基本外れ」は理屈抜きで引き上げなければなりません。

『生きるスタイル』『生きがい』そういった『生きる姿勢』そのものを扱うことですよ。また、それを見届ける事が小学校の先生の楽しみなんですよ。・・・
 『人づくり』の意識をもっと持つべきです。
(国語教材講義)


☆『教えない素晴らしさ』の確認も必要ですね。二十一世紀に向けて慌てすぎている。(平成六年忘年会)



(10日 昼)
二日間続けて夢の中に母が出てきました。生前、桜の季節になるとあちこちにでかけて花見の散歩をするのが大好きな母でした。私もよく東京から声をかけられて、上野公園や皇居周辺を一緒に散歩したものです。連日桜を写真をとりながら、姿はみえなくても気持ちとしては一緒に桜をみている気分でいます。


オモ写の方はななかなか公開準備ができないでいるので、とりあえずはオモ写でない桜やタンポポの画像をアップしました。




太陽の日差しを入れての一枚(赤塚駅近く)







夜桜(宮西公園)













何年も前に廃校になった茨城町立石崎小学校




施錠されていて敷地内に入れません。
なので金網ごしでの撮影です。






ビックリしたのは校庭です。子供たちが通っていた頃は普通のグランドだったわけですが、誰も遊ばなくなった今、タンポポが群生していました。











近所の宮西公園の桜も昨日から花吹雪になってきています。









(9日 午後)暖かくなって我が家の庭でもフキが一斉に出てきました。まだちっちゃくて可愛いものです。以前収穫したあとにもフキノトウが2つ出ていたので獲って汁物にいれました。苦みがアクセントになっていて春の味です。



フキノトウといえば・・・・忘れられないのが平成6年度に担任した2年生。初めての低学年担任で手探り状態だった中の4月12日の国語。

「ふきのとう」という教材の中で、擬人化された描写に対して、それを面白がっているみんなにわざと聞こえる大きな声で

「何でふきのとうがしゃべるんだ?お日様がしゃべんだ?」と、盛んに「現実にはあり得ない」ことから自分はもう卒業しているPRをしている子がいました。その子の言葉をきいて

「そうだね。何でしゃべるんだろう?」
と同意したり、
「雪がしゃべっているのが面白い!」
と言う子もいたり・・・・反応がいろいろと分かれました。

『どうしてお日様とかがしゃべっているんだろうね?』 と問うてみました。
するとすかさずT・Tさんが

「子どもだましだから。」

『このお話を書いた人がみんなをだまそうとしているの?』 と聞き返すと
「そう。」

こんな意見もありました。
「口があるから!」

この発言に対しても面白がる子もいれば、「太陽に口なんてあるわけないよ」という声もあがり、教室内は大騒ぎ。

前年度は4年生担任で、「感情思考・イメージ思考・論理思考」などについて重点的に国語や算数を通してやっていたわけですが、このようなやりとりが飛び出したことで『2年生には少し早いかな』とも思ったけれど、思い切って『夢と現実』についての授業内容に切り替えてみました。

西洋流の早期教育論などでは、少しでも早く空想の世界から現実の世界に目覚めさせる方がいい、という主張のものも読んだことがあります。

でも自分は上原先生のイメージ論のスタンスに立っていたし、私自身ももイメージ世界を成長の段階に応じて持ち続けることは確かに大切だと考えるようになっていました。

*少し下の1日の記事の中で上原先生のイメージの意義に関しての言葉を紹介しています。未見の方はぜひご一読ください。


なので、狙いとしては「現実にはなくても夢の世界はちゃんと持ち続けた方が楽しいよ」ということにしました。その時の板書を再現したのがこれです。子供たちから出た言葉から無理なくまとめられました。






そして、この時の授業で忘れてはならないのが「ゆきのとう」事件(笑)

授業中、雪の中からフキノトウというような内容だったために、うっかり私が「フキノトウ」と言うべきところを「ユキノトウ」と言ってしまったことが子ども達に大うけ。国語の授業はそのパニックからクールダウンしないで終わってしまいました。

その後何かにつけて「先生、ユキノトウ!」とからかわれ・・・・・極め付きが、2年生の記念文集をつくることになって、みんなで文集の題名を話合ってもらったら、表紙がこんな風になってしまいました。





中央のフキノトウが私ということです。




あれから随分たちますが、毎年フキノトウの季節になると、当時のことが昨日のことのように甦ってきます。


夢との共存の生き方を2年生相手にやったわけですが、かく言う私自身が、還暦を過ぎた今でも「夢の世界」との共存にどっぷりつかっているわけで・・・・・だから庭で出てきたフキや、まるまり始めた春キャベツを使ってこんなオモ写と撮っているわけで・・・・


フキに寄ってきたモスラの幼虫です。





ニャッキたちも加わって、春キャベツの偵察。
「もう少し丸まったら食べようか」



ちなみに、昨日は毎年恒例の 上石崎分校跡地・石崎小学校跡地での桜を撮りに出かけたのですが、ぬいぐるみなども持参。オモ写画像をたくさん撮ってきました。ちょっと画像処理が間に合わないので、できれば明日あたりにアップしたいと思います。(この前撮った近くの公園の桜とのオモ写画像もまだ手つかずです)




(6日 昼)
二日間にわたって妙にリアルな夢をみました。昨日のは父方の祖父母や叔父叔母・・・いとこたちやその子供たち、そしてその子たちの子・・・・が一同に集まっている夢。父方の祖父母が揃って登場というのはこれまでにほんの数回しか記憶にありません。その祖父母からみたら、ひひ孫世代までということで、かなりの人数・・・もともと父は兄弟が多かったし・・・・たしか男女あわせて5人だったかな???一組の祖父母からの血の流れがこんなにも枝分かれしていくんだな・・・なんて夢の中で思っていました。もっとも私は自分の受け継いだ流れをここでストップさせてしまったわけですが(苦笑)

そして今日の未明にみた夢は高校時代の同級生が高貴な方々の集まるピアノの演奏会を開くことになり、なぜか私も招待されます。非常に場違いな雰囲気ですごしていました。演奏会のあと、これまたなぜか母方のいとこの一人や弟が登場。脈絡のない方向に展開しました。


さて、今日は始業式で小3となったスプリンターZI (君はつけないでほしいという要望なので呼び捨てです)のオモ写画像を更新です。こちらから入れます。合成写真もありますが、今回は彼が並べて撮ったものが中心です。

昨日はエナベル近くの桜並木を撮りました。夕方の光がいい具合でした。





















先ほどは近所の公園でオモ写画像を撮ってきました。明日更新予定ですが、はたしてどうなるか????

*実は去年もオモ写画像を撮っていながら体調の関係で等々紹介しないでいて・・・せっかくだから後日それも紹介できたらと思っています。

あとこれも毎年恒例の上石崎分校跡地の桜・・・・見ごろがどうなっているかわかりませが、一応金曜日に常澄での家庭教師の前に撮りに行く予定です。


(1日 午前)新年度のスタートですが、コロナがまたジワジワと増加傾向に転じているようで・・・・各種宴会やお花見なども心にきっかかりを抱いての方々が多いでしょうね。私は相変わらずそういったこととは無縁の生活・・・・コロナの前から何十年も不要不急の外出はしないような生活を送っていますから(苦笑)

今年度から小3となる スプリンターZI 所有のオモチャを使った画像や、今年に入ってのオモ写画像を「オモ写いろいろコーナー」にまとめました。本年度から高校3年生になる50円玉君の撮ったモノクロ画像と合成した、ちょっと異世界風の新作も載せています。

さて月初め恒例の万葉集占いですが、新年度初に出会った和歌はこちらです。

風をだに 恋ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ(1607番

(口語訳)風をでも 待ち恋うているとは羨ましい まして風をでも 来るだろうと待っているのだったら 何を嘆くことがありましょう

恋歌ですが、例のごとく拡大解釈すると、
「なかなか実現しない理想のあれこれがあったとしても、実現する可能性のあることを求めているのだから、実現していないことを嘆くことはないんだよ」
というあちらからのメッセージということでしょうかね。


そのことと関連するのですが、昨日のエナベルでのグループワークでは参加者の方々からよく出てくる「自分は異常だ」という嘆きに関してのやりとりになりました。

とかくマイナスイメージが伴う「異常」という言葉。でも漢文の書き下し文風にすると「常と異なる」となります。普通とか当たり前とかと異なれば、それは「異常」ということになるんでしょうね。

そうすると従来の常識をひっくりかえす新発見や、できっこないと思われていた新発明などをはじめとして、世の中を大きく変えた人達は、全員「異常」だということになります。「異常」な人達だからこそ、変革をもたらすことができた。

生きる姿勢に関しても良くも悪くも「いままで通りでいいや」ということには満足できない人こそが「異常を求める人」・・・・大きな理想に迫っていける人・・・・ということになりますよね。

目先のテスト対策、他人との優劣競争にばかり駆り立てることが当たり前となっている教育界からしたら、真の教育を本気で模索している方々は「異常」という風に見られてしまう。

現代社会において心身を病んでしまったという人達だって、純粋な感覚をもっているからこそ、歪んだ社会の中で心や体が悲鳴をあげてしまったんだ、と考えると、はたして異常なのはどちらかということになります。

だからといって現実対応やテスト対策勉強を完全に否定しようとは思っていません。この世で生きる以上、乗り越えることが必用な事柄だってありますから。ただ、それが「当然」として受け止めることに幼い頃から染まり切ってしまうのと、一種の必要悪として割り切って、大きな人間力(イメージ力)によって包み込んで乗り越えていくというのでは、雲泥の差になります。

それを駿煌会では「超現実の生き方」と呼んだりしています。


上原輝男語録より  大人にもそのまま当てはまると思います

・現実いっぱいの子ども逹は「壁にぶつかった」そうしたらこの壁を抜けないですよ。だけどイメージ力のあるやつは突き抜けていく。現実の時間・空間とは違う世界に入っていけるんですよ。『ああ、この子は新しいイメージの世界に入ったんだ』と、これでいいんですよ。・・・だから人間ってやつはいつでも時間・空間の継続と裁断を行いながらイメージを展開させているわけ。           (平成七年合宿)


・今日の学校教育は表面づらばかり撫でる事を子どもに教えている、そういうふうにしか役立ってないとまとめられないだろうか。

今の子ども達に気力がない。 

やっぱり「教えなくちゃならない事、リードしてあげなくてはならない事」というのは「生命の燃焼だ。いや、爆発だ。」あれでなくちゃね。

 イメージっていうのはエネルギーの爆発だと思う。生命はチビリチビリ使おう、なんてやっていたらじり貧が来るだけよ。イメージは「なりふり」の方へ流れないって。イメージは生命力なんだから。(平成六年合宿)



(29日 朝)今日から3日間が震災の年である平成23年に他界した私の母の推定命日・・・。詳しい経緯は敢えて書きませんが、4月23日夕方に母が一人暮らしをしていた地元である東京の警察から 孤独〇 していたという知らせがあり、「これからすぐに身元確認に来てください」と言われ急遽水戸から出かけて・・・。そのときのことによるフラッシュバックに襲われ続けて大変な日々が続きました。

毎年この3日間には母にちなんだ料理食べることにしています。(全部手作りできればいいのですが、体調のこともあって既製品にもたよってしまいがちですが)



目の状態がますます悪化していて先日の雪の日に撮ったものをふくめてなかなか更新もできないでいます。


更新がたまっているものの中には オモ写 画像も大量にあります。昨年の桜シーズンに撮ったものもアップしていない(苦笑)

今年からオンラインで家庭教師をしている小学2年生の スプリンターZI (君づけをしないでほしいと言われています)から送られてきた画像を一部紹介します。

石岡にある 常陸風土記の丘 というところで撮ってきたようです。
1枚目はオリジナルをトリミングしたものです。






2枚目は私が合成写真にしたものです。階段の左下においてあるのですがちっちゃくて分かりにくいので、別の画像から切り取って拡大したのをつかいました。







彼は自動車や岩石も大好きで・・・・それらを使った合成写真も作ろうといことで何枚か作成済みではあるのですが、とりあえず今日はミニカーを使っての合成写真。目が描き込んであるものがミニカーです。




(17日 朝)まさか前回の更新の次が再び地震がらみになるとは・・・・昼間はグッと暖かい日が増えて、我が家のちっちゃな梅の木も満開・・・・



地震などはいつ起こるか分からない・・・・東日本で7~8年以内に同程度の最大規模余震がありうると指摘していた専門家もいましたし・・・・

ただ、昨日は最初に起きた地震で目が覚めて、テレビをつけて地震速報をみていた時に、再び緊急地震速報が表示っされた・・・・と思ったらあの揺れ。寝室の布団のところにいたわけですが、周囲の物が次々と落ちてくる中、ただただオロオロしながらひたすら揺れがおさまるのを待つばかり。

水戸は震度5弱だったようです。

その激しい揺れがまたやたらと長く続いたんですよね。激しい揺れがおさまっても揺れはしばらく続いていたし。

東日本のトラウマによるフラッシュバックで呼吸も脈も乱れまくり・・・・とりあえず水を飲んど落ち着こうと思ったら、台所に通じる居間の通り道のところに棚の荷物が崩れ落ちていて・・・通過するのが大変でした。(不幸中の幸いは今回このあたりは停電しなかったこと)

*あれからおよそ半日たつわけですが、まだフラッシュバックの後遺症で不整脈は続いています。


この画像で物が散乱しているところが通り道です。右側においてあるファンヒーターも全く姿がみえないくらいに埋もれてしまっています。




東日本の時は、台所も食器等々がいくつも割れてガラスの破片が散乱していて大変だったので、今回も覚悟したのですが・・・・電気をつけてみてビックリ。食器一つ倒れてもいません。ほぼ普段通りの台所。隣の居間があんな風になっていたのに・・・・ちなみにやはり隣の部屋である仏間も薄型テレビや電子レンジが床の上にひっくりかえっていて、大変な状況だったのですが・・・・何故台所は無傷だったのか????

波が重なり合って共振共鳴する時ってうんと大きくなる部分と節になる部分ができるというのを高校の時に物理でもならいましたが、そんな感じだったのでしょうかね?同じ家の中でこれだけの違いが出たのは。

とりあえずパソコンを起動させて知人のみなさんのことを確認。一通り無事を確認したあとに、まずは寝床に崩れ落ちたものだけはどかして眠りました。今朝になって居間と仏間は仮の片付け・・・・もっとも本格的な片付けは多分できないかな・・・・まだ余震だってありうるし・・・というのは建前です。

昨夜と今朝、駿煌会ラインにコバルトブルー君からの、このようなコメントがありました。

*緊迫感の中でより一層「今」を感じとっていました。
頭で作り出していた日常って思っていたより日常じゃないんだって。
明日何しようとか、そんなのが吹っ飛んで「今」を感じる事で精一杯でした。

*人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
読み方:じんかんごじゅうねんげてんのうちをくらぶればゆめまぼろしのごとくなり

人間(じんかん)を人感(じんかん)と置き換えれば昨日垣間見た瞬間と重なるかもと感じました。
単純に言うと、もっと特別なじんかんがあるんだなって。
死や生に対して純朴であるような瞬間。





(11日 朝)
今年もこの3月11日がめぐってきました。鎮魂の気持ちが一層高まっています。

あれから11年といいますが、決して過去のことではなく、いまなお故郷にもどれない、フラッシュバックに悩まされる日々、放射能の問題・・・・リアルに続いているということについての声には、きちんと向き合う気運を社会全体で持ち続けてほしいと切に願います。東北に比べて被災地というイメージを持たれていない茨城県内でさえ、今なお爪痕はあちこち残っていますし。

ここ数週間、被災当時についての状況を何人かの方々と語り合う機会がありました。その中での中心の話題が「ライフラインの問題」でした。電気ガス水道・・・・通信系統・・・・。当時盛んに奨励されていた「オール電化」を取り入れていた方々はそれこそ大変だったと。

それが端的にあらわれたひとつが「暖房」問題でした。ちょうど震災があってしばらくの間は冬に逆戻りしたような寒さが続いたんですよね。停電でファンヒーターもエアコンもこたつも、すべてアウト。ちなみに我が家は旧式の石油ストーブがあったのですが、地震による激しい揺れでひっくりかえって灯油がほとんど漏れ出してしまい、使い物になりませんでした。

充電ができないために携帯電話が使えなくなった・・・・なんとか充電できても、中継アンテナなどが壊れて使えなかったというのもずいぶんあったようですよね

電気・・・・コンピュータ―制御の社会システムがあらゆる分野にというのも痛感しました。ちょうど私が被災したのは近くのスーパーで買い物をしていてセルフレジで会計をしはじめたまさにその時。停電してしまって、レジが機能しなくなったので、買い物ができませんでした。昭和の頃だったら考えられない事態ですよね。

あれから11年・・・・世の中はさらにスマホで何でも、というシステムになっています。ガラケーしかもっていない私など、様々な手続きやサービスが受けられない状況。

電子マネーやオンラインでの決済、預金の管理などもどんどん進めたい考えのようですが、そんな状況であのような災害が起きたら、それこそ東日本の時とはくらべものにならないくらいのダメージがずっと続くでしょうね。心配されている首都圏直下型などが起きたらそれこそ復旧などどれほどかかるかわからない・・・・おそらく首都圏だけではなく、日本中・・・世界各国にも大きな影響がでいるんじゃないかと思います。

起きてしまったことは仕方のないことですが、「便利」「効率的」「経費削減」・・・・そのようなことばかりに目がくらんでいると、あの震災から何を学んだのだろう、ということになってしまいます。

原発事故のさいに盛んに使われた「想定外」という言い訳は今度こそ通用しません。



(4日 夜)知人や教え子宅から雛飾りの画像が届きました。

こちらはちっちゃな娘さんが自分でもオモチャの食べ物を振舞って御馳走していたということでした。





こちらは小2 スプリンターZI君宅からの画像。妹さんのための雛飾りに モルカ―(モルモットが車になったキャラ) を加えたようです。牛車のかわりなのでしょうね(笑) さりげなくちっちゃな動物さんもいます。







(3日 昼)今日は桃の節句・・・ひなまつりですね。ここ数日の暖かさで庭の梅も咲き始めました。





お昼は毎年近所の方が届けてくださるちらし寿司。これを頂くと「本当に春が来た」という実感が湧いてきます。




様々な食材が季節に関係なく1年中食べられる時代ではありますが、そういった点でも「旬の味」などの季節感を食べ物でも大切にしてきた日本人の文化は大切にしたいものです。


(3月1日 夜)昨日から強烈なフレッシュバックにみまわれて、夜もほどんど眠れず・・・不整脈と呼吸の乱れが今も続いています。我ながら情けないもので・・・・自己嫌悪の渦にも巻き込まれそう・・・・そんな中、先ほど月初め恒例の万葉集占いをしたのですが、出会ったのは長歌でした。(534番)

状況としては妻と遠く離れているところにいる男性の詠んだ歌のようです。心が不安定になっていて、鳥になってすぐにでも会いにいきたいという切実さを詠んだ歌。別に自分にはそういった伴侶のような存在はいませんが、独りで家にいるときはほぼずっと感情の暴走状態になって数十年・・・・なんだかしみじみとした気分になりました。今もいつも以上に不安定なだけに

せっかく3月スタートの更新なのに・・・


(23日 朝)昨日は「ニャン ニャン ニャン」の語呂で「猫の日」・・・それも「2022年」ということで「スーパー猫の日」と呼ばれていました。

本当に日本人って数字の語呂合わせも好きですね(笑)

・・・ということでガラケーの日付画面をパチリ






昼にエナベルに出かけようとして、車に乗り込もうとしたら、近所をいつも徘徊している野良猫が我が家の玄関前にやってきました。玄関先においてある信楽焼のたぬきの前にきたところでパチリ。

猫とタヌキのツーショットです。  




たぬきに幸が舞い込むといいな・・・・招き猫のノリで



せっかくだから最高のゾロ目画像を撮ろうと思い、ウインドウズの時間設定画面に表示されている秒の数字までのデジタル表示をさせて、画面を動画として録画できるソフトを起動。

ゾロ目になった瞬間の画像を切り取ったのがこれです。





「だからなんだ?」といえば、そうなのですが・・・・これが本当にゾロ目になるのは「200年後」
もちろん今の自分は生きていませんね。っていうか人類が存在しているのか、なんていうことまで頭をよぎります。ちょうど昨日のグループワークでも、断捨離の話から、緊急時の避難の話、そして自然災害・・・人類滅亡・・・・なんていう方向に話がいったんで(苦笑)

そう考えると、日常の意識にも何かしらの変化がありますよね?

あとは、こうしたゾロ目だから、この瞬間というのを特別に意識しますが、普通にこうした瞬間って「今」があっというまに「過去になる」・・・・そして二度と戻ってこない瞬間瞬間・・・・

相田みつを さんの詩に「そのうち」というのがあって、ちょうどこれも駿煌会のグループラインで昨日やりとりされたのですが・・・・「そのうちそのうち」って先延ばししているうちに、「顔の上に墓標が立つ」って・・・。

身にしみます。




(14日 夕方)夜中から再び雪・・・それほどの積雪にはなりませんでした。真夜中から朝にかけて、久しぶりの オモ写 です。

まずは夜中の1時頃に庭で撮ったもの。








夜が明けてから撮ったもののうちの2枚











今日は総合病院での定期健診の日でもありました。その際に撮った駅の画像に合成したものです。







(11日 朝)天気予報では水戸近辺は雨かみぞれ・・・積雪はない予報だったのですが、夜中から雪にかわり、未明にはそれなりにつもっていました。







右下にはえているのは小ネギ



今回の雪は水分が多かったので、電線にも着雪。

パッと見、星空に流星 っていうようにもみえます。







暗い中、ストロボ撮影をしているので、見た目よりも降ってくる雪がたくさんみえます。
実際にはほとんどやみかけていたのですがね。



(3日 朝)一昨日の昼頃からジワジワと腰痛が再発・・・・寝返りをうったり靴下を着脱するのも困難なくらいひどくなりました。今はそれよりはマシですが、それでもかなり痛いです。

今日は節分ですね。一応腰痛になる前にスーパーで豆は買ってあるのですが、昨年の時点でもあの煎り豆を歳の数だけ食べるというのはお湯と一緒に飲み下しながら少しずつであっても、何度もむせて大変でした。

何年か前に時折激しく咳込むので医師に診断して頂いたのですが、実年齢以上に喉の老化現象が進んでいて、気管周辺の分泌物がスムーズに排出されないために、一定時間ごとにむせるような激しい咳がでるんだと。そしてその数年後、今度は夜練る際にも激しく咳込むようになり、再び受診したら、今度は胃液の逆流による咳だと。それが寝る時だけではなく、食事中・食後にも呼吸困難になるくらいひどく咳込むことがあって・・・多分胃液が逆流しているんでしょうね・・・。(ちなみにここ数年は気管支炎喘息のような症状も夜中に出て眠くてたまらないのにほとんど眠れないというのも頻繁に起きています。コロナの前からです)

昨年還暦も過ぎた事なので、もう今年からは無理をしないで、歳の数の大豆をミキサーで完全粉末にして「黄な粉」にして、ヨーグルトに混ぜて食べようと思っています。例年残った豆はそうして数日かけて食べていたんで。

近年このあたりでもかなり定着した関西の方の「恵方巻」の習慣ですが、基本的に私は食べていません。たとえハーフサイズの細めであっても、無言で途中噛み切らずに食べきるというのは、私にとってはかなりの危険を伴うんで・・・・恵方巻を無理して食べて何かあったら洒落に藻なりませんよね(苦笑)


さて、このHP内の「思い出のお部屋」には節分特集もあります。ここをクリックすると直行できます。

そこには教師をしていた頃の教室での節分の様子の画像や、子ども達が書いた作文、節分について調べたことなどがけっこう盛りだくさんに紹介されています。是非ご覧ください。

*そういえば日本各地には「鬼信仰」の土地も結構あるんですよね。そうした所では「鬼は外」とはやらない、あるいは「鬼も内」とするそうです。そうしたこととも関連して、平成2年度などには「自分の中から追い出したくない鬼」なんていう作文も書いてもらいました。

この感覚って大人にもありますよね!

(2月1日)なかなか更新できずにいます。ひどいギックリ腰になったり、不整脈がいつも以上に頻発したり・・・かなり体調面でも苦しい1月でした。

ただ、今年の抱負に書いたことが早くも少し実現。小学2年生とのオンライン家庭教師、さらに対面でも小学4年生と新たに関わることができるようになりました。昨年からのオンラインでの小学1年生と共に、小学生は全部で3人。ここに時折幼稚園の年長さんである、弟君や妹さんも時折混じり・・・・気持ちだけは若返ってきた感覚があります。

さて、月初め恒例の万葉集占いですが、今朝出会った和歌はこちらでした。

(原文) 早川の 瀬に居る鳥の よしをなみ 思ひてありし 我は子はもあはれ (761番)

(口語訳)早川の瀬にいる鳥のように たよりなく思いつめていた わが子がいとしい
 

拡大解釈すると 「わが子」は「教え子」さらには「世の子ども達・若者達」・・・・人生という川の流れのほとりにたたずんで思いつめている・・・その姿をみての私自身の気持ち・・・というところでしょうか。
 

(6日 夜)このあたりでも午後からけっこう真面目な雪になりました。ちょうどエナベルでグループワークの第二部をやっていたのですが、4時までという指示がでたので1時間はやくのおひらきでした。


エナベルの近くの桜並木  暗くなってから強力なストロボで撮れば夜桜のようになったかも・・・







自宅についたころは暗くなっていたので、空を向けてストロボ撮影。









同じ画像なのですが、レベル調整などをすると、満点の星空のようになります。






(令和4年 1月1日)
無事に地元の神社で新年を迎える事ができました。



若い頃から体を壊し、何度か「このままではあと数年の命」とか、よく寝たきりとかそのままあちらの世界に行かなかったなと思えるような転倒を何度もして・・・・さらに諸事情でいつ破綻させられるか分からない圧力をかけられ・・・・自分が還暦を迎えるなど夢にも思わなかった年を迎え、そして通過し、新たな年をこうして迎えているというのは不思議な感覚です。

初日の出、だいたいいつも撮りにいっている場所なのですが、同じところには先に他の車がとまっていて・・・100メートルほど離れた場所に、ちょうどススキのあるところがあったので、今年はススキと一緒にという趣向で撮りました。



















さて、恒例の万葉集占いですが、今年最初に出会った和歌はこれでした。

原文 
島の宮 勾(まがり)の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜(かづ)かず (170番)
 
口語訳 
島の宮の 勾の池の放ち鳥は、人を慕って池に潜ろうともしない

これをひいたのは今年の抱負を書いたあとなのですが、人間同士のつながりをもとめるイメージがピッタリというような歌です。

さらに言えばこの何十年も、家庭教師などの時間以外は独りですごしていたわけですが、この「潜ろうともしない」という言葉は、意識をもっと外へ向けるようにという示唆のように感じました。




「お星さま・ミクロ世界」などの写真集
実は「顕微鏡写真」もあるんです!!


朝日や夕日、雲などの画像もあります。


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6月25日  開設