05・12月までの記録 / 07・1月から記録  last update 2007/01/12     

ドサ月記 六

月記・・・月毎の記録
紀貫之氏 『土佐日記』 とはまったく関係ございません もちろん会ったこともない
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ドサ月記 evolution

 2007年より進化してweblogになるらしい・・・
 
ドサ月記 evolution
 
すんませんなぁ(1/12記)

2006/11月記

 あれ?レイアウトが微妙に変わってる?
この前のゼロ戦の写真と文章は、やむなくテーブルを使った為変なレイアウトになってしまっていた
スタイルシートだけでは解決不能なところがあり、普段はサブウインドウ形式を使っていたのだが、世間はサブウインドウを嫌う方向に向かっている(リモコンもやて、変えるのイヤヤし〜)
とりあえず今年の分だけでもと着手・・・CSSをさわった為、去年以前のレイアウトがおかしくなった・・・まあ、近々しますよってかんにんな〜
写真の横にくる文章が気に入らないけど(17inchモニターフルじゃ破綻しとる)しゃーないわ(9日記)

 何と2ヶ月サボってしまった とうとう恐れていた3日(月)坊主である すまんソ!!
別に何もなかった訳でなく、例えばNTT西日本フレッツ不通騒ぎに巻き込まれてしまったとか・・これはとても困った・・親戚に不幸があり、通夜、告別式場をFAXでしなければならなかって、ずーっと話中?ネットで確認して不通と知る
ただ、不通になるのは技術的にしゃーない(おっ!いつになく寛容 葬式とかで留守がちやったから電話がかかってこないのが幸い)が、おわび文で、呼サーバーの容量云々となっていたのが気になった
私等でもいまいちピンとこない文言である 謝っているのだから、万人に判りやすい言葉で謝るべきではないだろうか?一般電話(フレッツでない)からの飛び出しをフレッツへ中継したりする交換機とでも言えないのだろうか
うさんくさい『呼サーバー』などと『通信関係でしか判らない言葉』で逃げているように思える・・・よく私が言う『技術者症候群』やね





 ゼロ(零)戦21型です 正式名称:零式艦上戦闘機21型
真珠湾攻撃をしたのはこの型で、モデルは真珠湾ではなく日本の撃墜王坂井三郎中尉幾で(V-103という説があるが、適当に手近にあったやつで飛んでいたらしい)台南航空隊所属、開戦時はフィリピンで米陸軍航空隊と戦っていたらしい
これは、モニターの上でホコリまみれになっていた1/144のプラモデル(トイザラスで10年ほど前に買ったおもちゃモデル)で、ハセガワ製と記憶しているが当時のカタログには記載されてないので不明
デカール(シールみたいなもの)も日の丸だけで、貼らずに紛失してしまった
 一応21型として買ったものの、カウリング(機首の黒い部分)は変な所で分割され、本来黒で塗装される部分が機体色になっていたり、52型以降の特徴そのままだったりととても21型には見えない
さら機体幅(翼の幅)は12mだから、1/144では83mmで実際は、幅110mmの長さ90mmと縮尺もおかしい(全幅を11mとしたら1/100で何とか辻褄が合う)そこで、老眼鏡片手に奮闘が始まった
全幅が本来の21型では12mだから全長を縮めなければならない。まずカウリングを1mm切断、21型の特徴のエアインテーク(空気取り入れ口)をポリパテで(開口部は開けれなかった)成型し、弾丸誘導用ミゾ2本を追加(写真では見えない!)胴体中央部(ブルーのラインあたり)を0.5mm切断し、それらしくなった(もう縮尺無視!)
ピトー官(高度を計る器具)をムシピンで製作(主翼手前のピン)、脚のカバー(本体部分)を0.5mmのプラバンで製作、海軍三菱色で塗装しなおした(内部は、ハンマートーン:昔の機械でよくある緑のメタリック)
日の丸は、適当なデカールを円形に切って、V-107はインレタ、整備表(ブルーのラインのうしろの四角い表)はインクジェット用転写用紙(タトゥーを作るやつ)を使ってわざわざイラストレーターで文字も書くも判読不明(自己満足のみ)
ブルーのラインは、超薄手のカッティングシート、半光沢クリアーをぶっかけてある

 上は出番を待つその他のゼロ戦(上左から、63型として買ったのを32型に改造中のもの、震電・・いずれ改造、下左、21型、52型・・52丙型にするか夜間型にするかは決まっていない)
左端のビンは、クレオスの明灰白色(三菱系)の塗料、プロペラの横の黒いのがカウリング、その横の白いのが自作増槽タンク(バクダンとちゃいます 燃料を入れるタンクです32型用)と次回は32型、報国-878(元山三山号)製作予定(国と号は旧字です)
と、まあヒマな事してたんですわ(1日記)

2006/8月記

 久しぶりにボクシングを見るもあまりにオモンナイんでムカついた
私らしくない書き出しで申し訳ないが、世界戦ちゅうのぐらいしか見ないんで 例えば辰吉の時代は仕事の都合で放送時間に家に居なかったりと とてもファンではないのだが、ルールぐらいはわかるし、地元開催の有利さというのも理解してるんで ある程度の許容ちゅうのはしゃーないなぁとは思っていた
しかし、初めから見てたわけではなく6回あたりから最後までだが、どうも防戦的にしか見えない 後で1回にダウンしてるんだとわかり それでも判定で勝つンだから白けて当然である
その亀田とは奇しくも初詣で住吉大社に行ったところで見ているんだが、恥ずかしい話 その時、私は亀田がどれほどのモンか知らなかった(ボクサーちゅうのは知っていたが・・・)
今日、新聞とかで毎日放送の商業的な戦略らしい事が判った あしたのジョーを至上としてきた?私はクソを見るような思いだった
もっとも以前からの言動等から見るに値しない事は容易に見て取れたんだが 試合を見てしまったのが不覚 時間のムダじゃった(3日記)

 うまい具合にスーパーモーニングを一部だけ見た うっとおしいんで途中で見るのをやめた
この親にしてこの子ありやね(8日記)

 今年はリフレッシュを兼ねて信州へ、3年前までは毎年のように行っていたのだが、一昨年は東京へ、昨年は特になしとなっていたので久しぶりである
ずいぶん変わってしまった・・・松本市の松本城の前の道 フォルクスラーメンこくぶ(ソバのラーメン)もなくなっていたし、初めどこか判らなかったが、城の形をした書店(古書店)だけが残っていたので判断できた
松本市をはずれて、コテージへ、食材はとりあえず地元の人のスーパー アップルランドへ ところが、それなりの魚はあるわ牛肉(豚肉圏なので牛肉はほとんどなかった)もちゃんとあるわでびっくり!普通のスーパーになっていたし、それの上級スーパーも出来ていた(いなごの佃煮や蜂の子は売っていたけど)
美ヶ原の裏を拠点に安曇野、戸隠へと足を伸ばして息子は昆虫三昧?意外といなかった(カラスアゲハをつがいでつかまえてご満悦ではあったが・・)
尾篭な話で申し訳ないが、大阪の夏 特に今年は梅雨が明けたら即真夏となってしまっていたので、オシッコが出にくくなってしまった(医者に行こうか迷う寸前状態 これで痛みでも出たら即医者へ行くつもりやった)
ちゃんと尿意はあるのだが、シートイトイとは出なく 構えてしばらくして出る それも少量
信州へ行くとそれがすっかり治ってしまって シートイートイーと出るようになった
やんごとなき方々がご静養に行かれるのがなんだか判ったような気がした(大阪へ帰ってももう大丈夫)・・・もう年やし、毎年ごご静養に行かねば体が持たんわ(19日記)

2006/7月記

 えー今年こそは整骨院のお世話にならずに済んだワイと安堵していたら(ここ2年毎年この時期リハビリ月記でした)・・・朝起きたら頭の頂点付近がツーンと痛み・・・軽い寝違えか、肩こりかいなぁと楽観
次の日もツーン!やばいなぁ右の首筋張ってるがな〜体の上半身が正面を向いていないのも自分で判ったので、早よ先生に診てもらわな『遅いがな!』とお叱りを受けるのでいつもの整骨院へ
『えらい左側張ってるでぇ』と先週は毎日整骨院へ、土、日は休んで今週は一日とばしで通う事に・・・あ〜今年もやっぱりな〜まあ今年は軽いんで良しとしよう(昨年のつき指 とりあえず治ったが、雨の前になんとなくうずくんでええ天気予報器を持っている)
ハードには動きたくないので、土曜日は『カーズ』を観に行った(悲しくも吹き替え版、シューマッハの声はだから聞いてない) PIXARの映画は大概観ているんだけども(ファインディング・ニモは気持ちが悪いんでパス ビデオも見ていない)いつも本編とは別のショートがあってめちゃ面白い
それとエンドロール(映画館で皆立ち上がるところ)も目が離せない!とにかく一生懸命観なけりゃ伏線やギャグや拘りを見落としてしまう(後でビデオで観てあー!ちゅうのもよくある)このこだわりがドリームワークス作品との決定的な差
毎度ながら盛り上がり部分の迫力度が低いながらも魅せられてしまう・・大人向きなのかもね 子供も楽しんではいるんだけども本当のところは判ってはいない
ちなみに、キングは実在した1970年のチャンピオンカー、蛍光灯のハエがフォルクスワーゲン・・あのフォルクスワーゲンはBUG(虫)と呼ばれていただからハエ?なんだ!、マックイーンが塗装を変えたら1960年代のコルベットに(もちろんホワイトリボンタイヤ)、と事前情報以上にイロイロ発見出来た(わが国の車もありましたよ!) まあオタクな映画です(ついでに公式サイトもええよ〜)(10日記)

2006/6月記

 遅ればせながらブロードバンドへ、ADSLに移行しようと考えてはいたのだが、人様のHPをいじくる関係からナローバンドでの動作確認を心情としていた(遅い人に合わせるという考え)
ところが世のWEBページはそういう配慮を考えていないページがやたらと多く、もーやめじゃ〜 と光導入を決意
ISDNも当初と比べてスカスカでトラフィック値は常に最高値を記録していたが、所詮ナローである
ただで光に移行するのはしゃくなんで(辛抱していたんやから)電話回線を複数乗せれるタイプが4月に出るとアナウンスがあったので予約して待つ
5月中旬工事の予定なんでその下準備にすべてのLAN、電話ケーブルの見直しと天井に配管チューブを通しての万全のかまえ(工事業者にあまりケーブルをさわられたくないのが本音)
5月には結局工事とならず6月2日に工事となった
NTTの複数電話回線端末の出荷の遅れと中継回線の張りなおしの時期とが重なってしまったのが遅れた原因
当日も1時の約束が前所の工事の遅れから結局3時に開始、下準備の甲斐あって工事はいとも簡単に終わってしまった(全部自分でしなはったん?ええ、そうです。楽でええわ、これぐらい皆してくれたはったらええんやけど無理やなぁ)
詳しくは mad computer で(6日記)

2006/5月記

 5月もあとわずかというのに半袖を着られないでいる
例年ならちょっと早目の半袖の季節なのに 確かに気温が20℃は超えているのだが晴れが3日と続かないのである
十余年前の冷夏を思い出してしまう 夏やというのに石に苔が青々としていたら案の定米がなくなってしまった
私ら夫婦は米食人種ではないので(一日パンでもどってことない)米を求めて走り回る事はなかったが、あの騒ぎが一年も続かなかった事が不思議である
米は基本的に一年に一度しか収穫されないはずやのに・・・やっぱりどっかにおましてんやろと勘繰ってしまう

 と テンションの低い事を書いてますが、初旬に姫路セントラルパークへ
絶叫マシンとドライブ型動物園がウリやったが一時経営難にみまわれた 前回行ったのは6〜7年前で、真夏の真っ盛り
だだっ広く日よけもほとんどなく、難儀したのを覚えてる しかも結構距離があって、中国自動車道を使っても2時間以上かかっていた
ところが今回、連休にもかかわらず阪神高速→姫路バイパスというルート(中国自動車道はすでに35kmの渋滞)で2時間弱
そして園内もナムコが入って華やいだ雰囲気に変わっていた 最新流行の絶叫マシンは増えていなかったが十分である
以前 娘に敵前逃亡されて一人で垂直落ちをしたが、今回は息子と垂直落ち 前回との違いはケージの中に入って落ちるので余裕のヨッチャン
もうひとつディアブロ コイツはリフトのように上釣りの席に座って タテ回転、スクリュー回転をこれでもかとくらわす
スタートからいきなりスクリュー回転であるから、そのえげつなさは解ってもらえると思う もちろん乗りました おっさん一人で(身長制限があった為息子は×)
ウグワヤーツワ〜ぁとなるかと思いきや意外とたいした事もない まあ足元がないちゅうだけのこと
もう絶叫マシンに鈍感になってるんやわきっと だれかビビらしておくれでないかい(初体験の落ちモノがやっぱり強烈)
帰りは山陽道を使って帰る 事故渋滞2kmがあったが1時間強で到着 姫路も近くなったもんです(ちょっとサボって26日記)

 ケロロ軍曹プラモデルの改造を娘がしている

 ガンダムのボディにケロロの頭を着けたケロロガンダムで、微力なかがも私も参加(ちゅうかアドバイザーですわ ほんなエエもんか)
そこでケロロのボディが余ったんで『ぐぽーん』を作る(娘のHPに掲載は拒否されてしまった)
『ぐぽーん』ちゅうのはマニアの方にはご存知だろうけど ガンダムのザグのヘッドを着けたケロロの事(ザクのヘルメットは外して坊主頭)
フルスクラッチは球形なんでやめて、ガシャポンのカプセルの段差を消し、空気取り入れ口のベゼル部分のみエポキシパテで作る
そこから背面に回っているホース状のモノは、5mm角のアクリル棒を熱で曲げ、糸鋸で溝を掘り込んだ(もちろん角は面取りをしてある)
構想段階では楽勝やったが、まずボーズヘッドの段差消しで、上下で樹脂の違うカプセルがなかなか言う事を聞いてくれず、パテとサフェーサーを塗っては水研ぎ(高い番手のペーパーで水を付けながらヤスリがけする)の繰り返し
そこにエポキシ粘土を貼り付けヤスリがけ、その球面に合わせアクリルを曲げる(数度失敗 やけど有り)、その後の溝入れとそれぞれの工程が思うにまかせられない

 とりあえず出来たのがこのぐぽーんですわ(ちゃんとザグの色を使ってますんで、ケロロの緑とは色が違う)
 ケロロ軍曹セカンドシーズンで登場したはず(アニメを一生懸命見ていないのだ)
加えてガンダムも良く判っていない・・・ただ、商売柄 立体化ちゅうのは苦にならないんで娘がOKをくれたんでとりあえず終了
まだ墨入れや、胴体が未完成なのだが当分このままで気力の回復を待つ(29日記)

2006/4月記

 Web2.0なる言葉をご存知だろうか?固定したHTMLのページを概念でWeb1.0と位置づけ、動的に変化するHTMLのページをWeb1.5とするのだそうだ
その先にあるのがWeb2.0で明確な規定がある訳でなく概念だそうだ
ブログがWeb1.5で、こういう拙のようなのがWeb1.0になると思って頂いたらええんやそうですわ(Web1.15ぐらいにしといてぇなぁ)
拙のような三日ボウズラーにとってブログちゅうのは性に合わんのでこのままですわ とりあえず〜ぅ
 で話変わって、件の娘の入学式が7日あってプロテスタント系なんで入学式に賛美歌を・・・その夕方、従兄弟が亡くなって通夜があり阿弥陀経を唱えるちゅう宗教のブイヤベース日となってしまった 日本人だわ(10日記)

2006/3月記

 エイリアンvsプレデター(2004/12作品)をビデオで見る
鼻からビショップ(ランス・ヘンリクセン エイリアンシリーズではお馴染みの合成人間)が出てくるのだが、合成人間にあらず社長やと そして 『 遊星からの物体X 』 風(古い映画でスマンのぉ)に南極へ探検に
そこから一行がプレデターとエイリアンとの戦いに巻き込まれて行くのだが、ビショップも普通に死んでゆく
どうせエイリアンシリーズ、プレデターシリーズのまがい物だとタカくくってオマケ(旧作5本借りると800円やったので数合わせ)で借りたのだが、エイリアン好きにとってはエイリアン4よりも良かったんではと思われる・・けどB級映画やけど
プレデター2ではエイリアンの絵(彫刻)が最後の方に出てくるので、それの続編と考えれば納得が行くし、プレデターが結構ええヤツやったりとプレデター寄り(エイリアンがええヤツちゅうのはありえないけど)には描かれているのだが
しっかりエイリアンの生態が描かれているんでエイリアンシリーズをよく知らなくても楽しめるんじゃないかと しっかりエイリアンのオカンまで出てますし(エイリアン2でしか明らかにされていない)、動物に寄生したような動きをするヤツ(エイリアン3)も そして大量に出てきよる
途中から乱入してきた息子 エイリアンも見たいって結局エイリアン2も見るハメに・・・結構ビビりながら喜んで見てました・・・でも、エイリアン4は見せたくない もちっと大人になってからやね 次は1かな?3はちょっと思想的なんで・・けど頭のバーコード見たら受けよるやろなぁ
何故かこの映画にターミネータの影を感じるのは私だけやろか?ターミネータvsプレデターvsエイリアンな〜んて なんか往年の東映ゴジラシリーズみたいやなぁ・・・あ!シュワちゃんはすでにプレデターと戦ってるか(1日記)

 一昨日、寺内貫太郎一家をTVで見た
久世さんの追悼番組で第一話と最終話が放送されていて、改めて大人の目で見てもシュールなドラマでストリーもちゃんとしていたが、30年ほど前なのに第一話の話の流れは覚えていたけれど、最終話が覚えていない・・・?
最終話の数回前に沢田研二のほんまもんときん婆ちゃんが出会うのを覚えているので最終話まで見てるはずなんだが、なぜ覚えてないんだろ?
私もその頃になるとええ年になってるんで、その後のムーは全く見てないんだが(だから岸本加代子は知らない)なぁ・・・そうそうその頃 『 悪魔のようなあいつ 』 は一生懸命見てたんやけど これも久世作品やった・・・井上堯之バンドが国内ではええなぁと思っていた時期があったし
そこでふと思い出した!サウンドトラックのLPあったんちゃうか?でゴソゴソ倉庫を探すと・・・悪魔のようなあいつ・寺内貫太郎一家で出てきた!
そのLPを調べてみると寺内貫太郎一家は寺内貫太郎一家2としてもう一種類ある事が判明し、その忘れていた最終話は通過点でしかなかった事 だから印象になかったのかも?2は嫁に行った静江(梶芽衣子)はいなくなり、大助(谷隼人)、節子(風吹ジュン)が加わって貫太郎一家としてドラマが進行してゆくと
どうやらそのへんでゴッチャになってるんだろうなぁ・・・第一話の西城秀樹の目と最終話の目の大きさが違ってるのはナゼナンダロウなぁ
で、本日娘の卒業式(小学校です)Windows3.1の時代に生まれたやつが、今やインターネットぶいぶいである
いっちょまえに中学受験して志望する中学に行くんで親としてもやれやれ一息 さすがに風呂の乱入はなくなったが、キタナオヤジとはまだ言われてないので・・・念の為(15日記)

 巷ではWinnyでのデータ流出騒ぎが一向に収まらない
P2Pソフトの存在はWinMX当時から知ってはいたが 『 わらしべ長者※1 』 に参加する気はないので傍観していた
わらしべ長者が最初は藁が要るのに対し、Winnyはこれが欲しいとリクエストするといつの間にかPCに入ってる(こんな表現でええんかな?)と素人?さん向けに2年程前に改良(開発・確か開発者さんは逮捕されたはず)されたモノでけっして新しいものでもない
そのWinny自体はデータ流出をするのではなくWinnyがひろってきたデータに寄生しているウイルス(俗称:キンタ○ウイルス※2)がデータを流出する・・・そこで素人さんは考えた!ウイルスなら対策ソフトを入れとけばと
ところが、高価なウイルス対策ソフトでもすべてを看破するのは不可能だそうだ 考えりゃ、違法ソフトを使ってウイルスを呼び込んだ人をメーカーは助ける義理も何もないですから(せいぜいがお客さんやからちょっとは助けたろてな気があるようやけど本気で助ける気はないのは明白)
こういった闇の部分を見るのは嫌いなんでなぁ・・・よく友達がウイルスにやられたって連絡くるけど大半が不注意でやられてる(○○ゲームのサイトが一番多く、ゲームをダウンロードしてやられてる) タダは要注意やね(使いこなすのは知識と経験にお金をつぎ込んでる人だけやで)(30日記)

  ※1 とりあえずオヘオヘ画像データでも持ってそれを 『 数枚のエヘエヘ画像データと交換してよ!』 と交換する、そのエヘエヘ画像とウヘウヘソフトと交換、ウヘウヘソフトとイヘイヘ映画と交換、イヘイヘ映画と未公開映画と交換・・・・ちゅう具合に長者になれるハズというシステム(残念やったなアまで行かへんで)
 ※2 品格上一部○字にしましたが、想像どおりの言葉ですハイ!コイツは望まないのに自分のデスクトップ(データももちろん)を第三者に公開してしまう・・・ちゅうのは、パンツまで剥ぎ取られてフル○ン(女の人は・・・知りませんわ)の状態になることからこの名前が付いたと聞いてます(この話品格もなんもないで ♪〜金太又負けた〜金太又負けた〜金太負けが多い〜♪やったかな?googleで 『 金太の冒険 』 で検索してねぇ〜)

2006/2月記

 2001年12月記でちょっと触れた花輪和一:著 『 刑務所の前 』 が昨年8月で終了となった


 ちょうどこのドサ月記開始年の4月から連載開始(ビッグコミックオリジナル増刊:隔月発売)27回にて終了となった
全冊を置く事は不可能なので、その部分だけを切り取りファイルしていたが、連載も終わった事だし何とかすべぇ〜と思っていた
製本をしようとまず文具店で調べるもそれだけの枚数を製本するのに何万という機械を買わねばならない・・・実際単行本も買っているので不要といや不要 まして何万もかける値打ちもあらへんし〜
ネットで製本の仕方を検索 が和とじが主流でイマイチ乗る気になれなかった

 無線とじの仕方をこれもネットで判った ボンドを使うやり方とホットメルトを使うやり方・・・これや!道具は何も買わなくて大工道具とデザイン用品でまかなえるやり方を考えた
ここでそのやり方を披露しても結局道具が必要となるので割愛するが、使った道具、用品は、クランプ8本(C型の小型万力)・サンダー(電動紙やすり機)・のこぎり(糸鋸)・木綿糸(ボタン付け用)・ホットローラー(デザイン用品でローラーが電熱で熱くなるもの)・ホットナイフ(スキーの裏補習用 半田こてみたいなもの)・カッター・注射器(ヤバイもんじゃなく木工ボンド流し用)・ラワン板4枚・ホットメルト3本(熱を加えると液体になる接着剤 冷えれば固体に戻り収縮もほとんどない)・木工用ボンド(コニシボンドです)・スプレーボンド(スプレーボンド77:強着)・コピー用紙4枚・表紙用紙2枚・定規・歯ブラシ(歯間用の小さなヤツと普通のモノ)と全部事務所や家にころがっているモノ(そんなんアルカイ!一般家庭やないのでスマンのぉ〜)
考察1日、作業2日(2冊製作)で完成したのがコレですわ まだ表題等は書いていないが満足出来る仕上がりとなった
 表紙に何か描き入れなければ・・・タックシールじゃ興醒めやし
おどろおどろしい表紙の模様がこの本によくマッチしてると自負・・・誰に見せる訳でもないんやが
その作業中、このマンガの主人公(作者本人)がボロボロのコルトを実銃もどきにレストアしてゆく過程と心情的に重なり、何かヤバイ事でもしているような錯覚に陥ってしまった(マンガを製本したからと刑務所のお世話に断じてないのだけれど)
雑誌をこうしてまとめてみると以外と印刷が歪んでたり、裁断が斜めになっていたりするのが判る
まあ、前世紀のオタクですわ 葉亜駄芽大(はぁ〜だめだい:2日記)


 

2006/1月記

 私の年越しはTVを見る しかもここ数年同じ番組である
とこういう書き方をするとえらく畏まった番組のようであるが、バライティである そう岡村さんの番組(ナインティナインとは書かない 矢部さんは 『 岡村さん大丈夫! 』 と言ってるだけであるんで)ある
最初にみたのが4年前それも途中から その次の年は私の密かな楽しみとして そして次の年には嫁さんまで巻き込んで
今回は5回目という事だったので2回目から見てる事になるのだが、その嫁さんを巻き込んだ回に若干えも言われぬ不満を感じていた
そして今年である 眠いのを理由に嫁さんはビデオを撮ってくれと 私は放送で見たが非常に裏切られた気になってしまった
岡村さんの真剣にやる馬鹿な神事?と往年の初代引田天功ばりのイリュージョンにこの番組の価値があったのだが、今回は竹渡りぐらいしか見るべきものがなかった
思えば昨年のラストのオチに不満と次の年で止める宣言が不満の原因だったのだが、今回はそのラストの年という事で大きく期待していたからだとも思う
今回の最初にキラウエア火山に神の火を取りに行くとヘリを使って行く〜ここから何か期待出来ない予感〜何かちゃうやろ?岡村さんらしくないなぁ
しかもメインのイベントである火の玉が転がって来た時に 『 プイ! 』 と投げるどころか逃げてしまっている(勿論ギャグなんやが)これでは今までの前4回の番組が台無しである
企画段階で 『 プイ! 』 と行くのではなく 『 岡村!火球の中へ! 』 とし、火の玉に激突し、岡村さんが消える とした方がこの番組として正解であったように思う そして矢部さんが 『 岡村さん!大丈夫ですか!岡村さん! 』 と探してオチに持って行く と番組をご覧になってない方には何の事かさっぱりだろうけど・・・
と 初春よりしょ〜むない事でぼやいてみました〜この〜ドロガメ!ごめんちゃい(3日記)

 ちょいと読書三昧 『 ソニーが危ない! 』 (文庫本版)他を読む
大昔に 『松下電器がソニーを潰さない理由 』 というのを読んでいたから、内容的には判りやすかったが、今のソニーの製品群を考えるとホンマやね〜と思った
iPODみたいなのをソニーが開発し、覇者とならなければならないのに、アップルに持って行かれてしまった。以前メモリスティックを使ったものはあったんだが、それが展開の仕方を間違えたのかモルモットで終わってしまった・・・ソフトとの融合という事を考えなかった為だろうと思う
二番手商法はソニーには似合わない。VAIOてな民生PCを作っても(猫も杓子もVAIOが欲しいてな時代もあった:PCという一般には持て余していた機器を明快なコンセプトでもってねじ伏せ、結局は以前と同じ事しか出来なくてもソニー流ファッションに身を包み成功したのだが:私の意見)二番煎じの悲しさ コストパフォーマンスの追求を忘れてしまったが為に衰退していった
今度はコニカミノルタのカメラ部門を譲渡されて、夏頃には一眼レフタイプを製品化するというが、ソニーのデジカメではぞっとしない。もちろん二番煎じ
かく言う私は、30年以上ミノルタのカメラを使い続けて(ただし、マニュアルタイプです αシリーズではないです)先日もカメラの故障でコニカミノルタに行って、雑談でデジカメは何を・・・ニコンです 残念ながらミノルタさんは出遅れてしまってたから・・・確かにその通りです・・・一眼レフカメラはニコンとミノルタを検討して結局画質でミノルタを選んだんですが〜
レンズのコーティングが違うんです・・・今のはダメですね・・・うーん・・・・ツアイスもぱっとしないしね・・・
ミノルタがカールツアイスてな資産を持っていながら、なぜソニーから出たんだろうと不思議に思っていたが、今回の譲渡でソニーと協力関係にあったんだろうと納得(カールツアイスのレンズを有効に使ってサイバーショットを作ったかどうかは疑問?:私の考え)
本には経営者の移り変わりからのアプローチで危ないと書いているが、製品の移り変わりを見ても明らかである
ホンダも然り(マツダの方が面白い:買う買わない別にして、私はホンダ、マツダの車を買った事がない)どちらも共通するのが、創業者が面白がってモノを作っていて、その精神が会社が大きくなったが為に薄まってしまった結果だろうと感じる:守りに入ってしまったんだろう?(24日記)

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