イタリア人というと、イタリアを語る際の常套句「食べて、歌って、恋して」のイメージが強く、とびきり陽気で、明るい、人生を謳歌する人々と一般に思われている。
現在、日本にいるイタリア人でもっとも有名な人といえば、パンツェッタ・ジローラモその人だが、ちょうど彼のイメージが、日本人に流布しているイタリア人のイメージとぴったり重なってくる。
(ジローラモは、おしゃべりで、女性好きで、陽気なナポリターノ)
彼自身、そのことを重々承知していて、著作のタイトルも、そのものずばり『極楽イタリア人になるための方法』とくる。(別のイタリア人の本で、『イタリア人はなぜクヨクヨしないのか』〔’98 KKベストセラーズ ルカ・ローリア著〕なんてのもある。)
またこの陽気さばかりがクローズアップされると、いつぞや取り沙汰された、小学館の雑誌『DIME』のもっとも愚かな人種はイタリア人という、例のアンケート結果を生み出し、日伊の友好関係にヒビを入れたりもする。
(このいきさつは、ファッビア・ランベッリの『イタリア的考え方』を参照のこと)
つまり、イタリア人はバカ陽気だというイメージ。
ま、これはさておき、旅行中、関わりのあったイタリア人の多くは、声が大きく、人なつっこくて、笑顔に味があったことを記憶する。
しかし、そんな人ばかりではない。
南北に長〜いイタリア半島。
同様の地理的条件を持った日本列島のことを考えれば、イタリアだって様々な県民性があってしかるべき。
内田洋子氏の『イタリアン・カップチーノをどうぞ2』に、リグリア地方の港町・インペリアのイタリアーニは「ことばも笑顔も少なく頑なで」、「同じ港町でも、生き生きと明るいナポリとは大変な違いである」という指摘が見える。
同じ日本人でも、大阪人と東北人とでは、かなり違う。
それと同様に、イタリア人だっていろんなタイプがいるのかもしれない。
そういえば、ローマのとあるホテルのポーターの男性は、えらくネクラで、感じが悪かった…。
しかし、日本人は総じて、はにかみ屋で、曖昧好きで、勤勉に見えるように、イタリア人は総じて「明るい」と思われる。
それもやはり、事実。
でも、イタリア人の明るさは『DIME』の失言のような「愚かさ」に基づく種のものでは決してない。
ここで思い出されるのが、フランチェスコ・アルベローニ教授。
このイタリア人、『他人をほめる人、けなす人』(’97 草思社)の著者と言えば、お分かりの方も多いと思う。
なにしろ世界的に大ヒットしたこの本は、日本でも100万部を突破する大ベストセラー。
そのすぐ後に出た『借りのある人、貸しのある人』(’98 草思社)は、これまた前著同様に、人間関係のゆがみを社会学者らしい優れた分析力で解き明かし、私たちを正しい精神の有り様へと導いてくれる好書だ。
これを読むと、あの天真爛漫で明るいイタリア人だって、いかに醜悪な人間関係に苦悩しているかがわかるだろう。
内容的に、「ねたむ人」「仮面をかぶる人」「和解がしにくい人」「敵意をもつ人」「悪態をつく人」…と、これがイタリア人か?と一瞬疑いたくなるようなタイプのオンパレード。
そう、イタリア人だって明るい人ばかりじゃないし、たとえ陽気な性格でも、時としてネガティブな心情にとらわれることもある。
たった一度の人生なんだから、くよくよしたって始まらない。いやなことは極力外に出さず、にっこり笑おうじゃないか。
そんな意図的な処世術のあらわれが、あの「明るさ」なのかもしれない。
だから、イタリア人を明るいなと感じたら、それはいかに私たちをなごませようか、イタリア人たちが必死になっているんだな、と思うことも時には必要。
そんなイタリア人を手本に、私たちも、自分ばかり見つめて、はにかむのでなく、相手を楽しませるために「明るく」振るまうのがいい。
人生は一回限りだから。
同じ生きるなら、楽しく、笑っているほうがぜったい得である。
●目次
イタリアは泥棒天国か
イタリアはおしゃれか
イタリア人はHが発音できない?!
イタリア人は「新しいもの好き」か
イタリア人は「新しいもの好き」か
イタリア人はきれい好きか
イタリア料理はふとるか