イタリア―そこには、日本とは、まるで異なる人々と生活がある。
興味深い世界を知る格好の書、いっぱい!
(このページの最終更新は’02.12.1です)
『三面記事で読むイタリア』
内田洋子ほか/著 2002 光文社新書 ¥780 主な舞台 イタリア全域
イタリアに関する本と言えば、旬を扱っているとすると圧倒的に旅行記、滞在記が多い。そし
て本書はモロにイタリアの旬を扱うのだが、まさに三面記事の事件からイタリアに肉薄するか
ら、イタリアにおける「客人」としての視点を超える、なんとも言えない社会学的なレポートとなっ
ている。文句なしに面白く、あらゆる角度からの調査、インタビュー、統計に満ち溢れている。
イタリアで大流行の「独身さよならパーティ」ビジネスやイタリア女性の暴力性、副業に明け暮れ
る公務員・・・。そんなことは本書以外のどこにも書いていない!また、W杯で日本でも一躍有
名になったコッリーナ審判のこれまでと今、バッジョはなぜW杯に出られなかったのか、その真
相などカルチョ・ファンにはたまらない情報も満載。
しかし、ここまでタイムリーな話題に横溢した本も珍しい。その秘密は、本書のあとがきにある
とおり、著者が週1回イタリア各地の地方紙を読んで報道メニューを作る作業をしているからに
他ならない。
この本は2002年出版されたイタリアものでは、まず一級品であることを確約する。
『バール・ジローラモ ―南イタリアのおいしい話を召し上がれ』
パンツェッタ・ジローラモ&貴久子著 2001
角川書店 ¥1200 主な舞台 南イタリア
ジローラモの特徴をふたつ挙げるとしたら・・・。それはお国(ナポリ)自慢と食いしん坊。
そしてこの本も彼の二大特徴があますところなく発揮された1冊だろう。31章のエッセイには
南イタリアの食材、料理がずらり並ぶ。そしてそれは「こんな旨いものは他にはない!」という
自信に満ち溢れているのだ。
フォルマッジョ(チーズ)、アスパラ、ドルチェ(ケーキ)、クルミ、オムレツ、ウナギ・・・。
読んでいるだけで垂涎ものの数々のお話。
そしてこの本の新たな魅力はやはり定番のマンマの自慢に加えられた、パパ自慢。
ジローラモといえばイタリア男性に特徴的なマザコンなのだが、本書では早死にした父に捧げ
る本というコンセプトのもと、はじめて本格的にパパが語られた文献なのである。そのため、ジ
ローラモの幼少期もパパの思い出とともにふんだんに語られることになる。その意味でジローラ
モを深く知るにはうってつけ1冊でもある。
料理教室「ラ ターヴォラ ディ タータ」を主宰する貴久子夫人の各章ごとのレシピも必見。
『ボクが教えるほんとのイタリア』
アレッサンドロ・ジェレヴィーニ著 2001 新潮社 ¥1100 主な舞台 日本・イタリア全域
イタリアへ行ってイタリア人と話す機会があると、昔だったら腹きり、三島、芸者、富士・・・とい
ったタームが並んだ。
現在であればホンダ、トヨタなどの日本メーカー、そしてナカタ、塩野七生、吉本ばななといった
人たちだろう。ナカタ、塩野はイタリアで活躍している人だから、有名なジャポネーゼということで
日本人との共通テーマとして語られるのはごく自然なこと。しかし吉本ばななという、国際的な文
学賞を受賞したわけでもイタリアとの関連が特別にあるというわけでもない比較的若手の作家
がイタリアで頻繁に話題にされるというのはいかなること??
その理由は非常に単純なことで、イタリアでよく読まれている外国文学、それがBANANAだから
だ。
世界にはたくさんの優れた作家がいるのに、またなぜBANANAが?というと、それも単純な話で、
翻訳本がイタリアで数多く出回っているからだ。そして、それは吉本ばななのイタリア語訳を手が
ける存在がいたからこそ成立しうることで、その存在こそがこの本の著者であるアレッサンドロ・
ジェレヴィーニなのである。(もちろん吉本ばななのイタリア人訳者は他にもいるけれど。また吉本
ばななのみならず人気の日本人作家は他にもいるけれど。)
ヴェネツィア大学日本語・日本文学科卒業。その後来日、東京大学大学院にて表象文化論を
学ぶという経歴を持つ著者は、1969年生まれのナイスガイ。
日本に暮らし、日本のことをよく知り尽くしている。もちろん生まれ故郷のイタリアも。そんな著者
だからこそ、日本で一般的に捉えられているイタリア像を熟知していて、それをベースに日本人
が知りたい「ほんとのイタリア」を教えてくれる。
語り口はユーモラス、そして一つひとつのエッセイは適度に短いので読みやすい。
巻末には東京のカフェ40店舗をイタリア人の舌で採点したエスプレッソチェック付きという、なんと
も嬉しいオマケがある。
『ビジネスにも役立つ!イタリアへのパスポート』
クローディア・ジョーゼフィ/著
2001新潮OH!文庫 ¥486 主な舞台 イタリア全域
「ビジネス取引を目的として、イタリア人と接する人たちの参考になるような事柄に絞った」本とい
うのは、恐らく本書が初めてものだと思う。
南北に長く、地域性がはっきりと今も息づくイタリア人。千差万別であることは確かであるが、物事
に対する対処法や反応などにはある一定の傾向、すなわち国民性があることは確か。
本書はたいへんコンパクトではあるが、「概観」「ビジネス環境」「慣習とエチケット」「その他の便利
な情報」と4章立てで、イタリア人の典型的な行動様式とその解説、対処の仕方を教えてくれる。
イタリア人の好きなスポーツ、好まれる贈物、支払いの仕方、契約方法といったビジネスに役立つ
指南はもとより、読んでいくうちにイタリアの慣習や文化(祝祭日、コネ、カトリック・・・)についても知
識が深まる。
イタリアに赴任する、あるいはイタリア人の本音を知りたい時などに非常に重宝する一冊である。
『ナポリ ―バロック都市の興亡』
田之倉 稔/著 2001 ちくま新書 ¥680
主な舞台 ナポリ
トリナクリアとは、いわばシチリアのシンボル。三本足はシチリア島の三つの岬を表わすとも、
シチリアの灼熱の太陽を表わすとも言われている。シチリアの街中、至るところに見掛ける。
そしてプルチネッラ、これこそがシチリアのトリナクリア同様、ナポリの象徴なのである。
ナポリの道化師であるプルチネッラから、ナポリの本質を抉り出していくあたりは、演劇評論
家の著者らしい。
ナポリは古代ギリシャ時代から続く、長いながい歴史を持つ都市である。ここでは、あえて古代、
中世、近代を割愛し、バロック時代を射程に入れつつ、統一前後から世紀末のナポリに焦点を
あてる。
治安の悪さから、ナポリと言えばポンペイ観光の単なる経由地となりやすい。
そんな街の路地から路地を歩き、広場をおとない、大衆食堂やバールを覗く。
目に入る風景から、話題は歴史、映画、文学、音楽へと広がる。
読みながら、現在のナポリの息づかいもしっかりと伝わる、好著。
『ウーナ・ミラノ』
内田 洋子 シルヴェリオ・ピズ/著
2000 講談社文庫¥533 主な舞台 ミラノ
流行の発信地としての特集は、何度となくファッション誌で組まれる。しかしミラネ―ゼの生
活はついぞ話題にはならなかった。 そしてようやくミラノという一都市を掘り下げた本が、こ
こに登場したのである。
イタリア人を登場人物にして、その視点からイタリアを炙り出すという内田氏特有の手法。
今回はそれにプラスして、それぞれの物語のスタート時間をずらし、場所をずらしと、心憎い
設定で、ミラノという街を24時間、さまざまな角度から描き出すのである。
ミラノらしいスノッブな登場人物を数多く配しつつも、話はイタリア全体の文化にも言及する。
ことばの注釈も、イタリアの「今」を伝えるもので、読んでいて興味は尽きない。まさにミラノの、
あるいはイタリアの“旬”のレポートである。
『やっぱりイタリア』
タカコ・H・メロジー/著 1998年 集英社文庫
¥514 主な舞台 イタリア全域
著者のエッセイのいちばんの美点と言えば、そのマクロにしてミクロなイタリア観察眼である。
フランス人のご主人とミラノ近郊のベルガモに居宅を構えながらも、いつも話はローカルな所
へ堕ちず、「イタリア」そのものをつかんでいるから面白い。
そして日本との比較という視点も忘れないから、在日の私たちにも親しみが持てる。
で、今回の本は主としてイタリアの「食」にスポットライトをあてたエッセイ集である。
1リットルで売られるオリーブ・オイル。ウサギ料理は好きだけど、必ず頭がついたまま売られ
るウサギ肉の話。7〜8キロの巨大スイカ。グニョグニョのビスケット…。
次から次へと出される食材と、それにまつわる興味深いイタリア人の生態。
著者の食いしん坊さもあって、しまいには、私たちを厨房へといざなうレシピのオンパレード。
’93刊行の単行本が、文庫化されたもの。
手軽だが、内容は盛りだくさんの1冊である。
『大好きなイタリアで暮らす 』
ビバ!イタリアクラブ/編 2000年 双葉社
\1500 主な舞台 ミラノ、フィレンツェほか
イタリアに渡り、自分の天職を見つけ出し、そして今もイタリアに暮らす5人の日本人。
生活習慣の違い、言葉の壁…。様々な困難にもめげずに、次第にイタリアに溶け込み、もうイ
タリアからは離れられなくなってしまった、そんな過程が彼らの生い立ちとともに描かれている。
イタリアに渡った動機は、その言葉の響きが良かったからとか、なんとなくイタリアだったとか、
確たる理由に縁どられているわけではない点が、印象に残った。
逆に「これこれこう」というアタマで考えてのイタリア入りでなかったことが、長続きのポイントなのか
もしれない。彼らの感性がイタリアを引き寄せ、イタリアにハマり、そしていつしかイタリアの空気を
吸いながら生きている。
5人の綴る手記は、何のてらいもなく、自然で、感動を生むものである。
カメラマン、コーディネーター、ジュエリー・デザイナー、日本語講師、ヘアデザイナー…。
彼らは必ずしも「これをする」と決めて、イタリアに行ったのではない。ホスピタリティあふれるイタ
リア人に助けられながら、自分の可能性に気づき、気づかされて、才能を開花させていく。だから、
職業も微妙に変わっていく…。
イタリアという国の寛大さに、やさしさを改めて感じさせてくれる好書。
5人の連絡先が記され、また随所にイタリア暮らしのノウハウが織り込まれている。
留学希望の人にはぜひお勧めしたい。
『トスカーナの丘 イタリアの田舎暮らし 』
フェレンク・マテ/著 2000年 徳間書店 \1700 主な舞台 フィレンツェ
40代の夫婦が、異国イタリアのトスカーナで家を買うことを決意する。10年も前のこと。
そして試行錯誤の後に念願の「夢の家」を見つけ、暮らし始める。その後の1年。
回想記?エッセイ?
読み進めていくうちに、著者である夫の人生が、トスカーナの美しき風景の中から徐々に浮かび
上がっていくという作り。素晴らしい風景の描写。これは一編の叙情的な「小説」である、としか言
いようがない。
ハンガリーからカナダに亡命し、バンクーバーに育ち、以後カリフォルニア、パリ、ハバマ…と転々
としていく著者には、心の安息を得られる土地がどうしても必要だったのだろう。ふと立ち寄ったト
スカーナに、強烈に魅せられる。
その土くれと風と糸杉とポルチーニ茸に、そして「怒りを笑いに、少なくともジョークに、最悪の場合
でも創造的な卑語の祈りに、変えてしまう術をどこかで身につけた」イタリア人に。
本書のいいところは、イタリア人がイタリア語を語り、イタリア的ジェスチャーとイタリア的行動様式
を存分に発揮している点である。コーヒーの飲み方にも、不動産の説明の仕方にも、ああイタリア
人だと感じさせられ、思わずにんまりしてしまう。
妻の小気味のよいキャラクターも、物語にスパイスを加えてくれている。
本書を読めば、トスカーナという土地が噂通りの豊穣な場所であることが実感できるだろう。食とい
い、気候といい、風物といい、あまりに豊かである。
イタリア移住希望者には、まさに恍惚の書である。
『イタリア人のまっかなホント』
マーティン・ソリー/著 1999 マクラミンランゲージハウス \980 主な舞台 イタリア全域
イタリア人のすべてを見せます、教えますというのが本書の意図するところ。
タイトルが示すとおり、イタリア人論でありながら、ユーモラスに、それでいて端的にするどくイタリ
アーニの気質を捉えている。(本書は「思わず笑えるお国気質の暴露本」なるシリーズの一冊。タ
イトルは不真面目だが内容はいたく真面目である。)
ソフトカバーで、章立ては短く、とにかく短時間でイタリア人の生態がウォッチングできる。
マクドナルドのこと、カラオケのこと。異文化とのつきあい方は…?イタリア人のかかりやすい病
気は…?と、現代的な事柄も把握できる。
トリノに暮らすイギリス人の手によるもの。
タカコ・H・メロジー/著 1995 PHP \1265 主な舞台 イタリア全域
1年が12ヶ月に分かれているのは、言うまでもなくイタリアも日本も同じ。
そして季節感についても、多少の違いこそあれ、イタリアにも日本にも春夏秋冬がある。
本書では、1月から12月にかけてのイタリアの行事、生活習慣が、日本との比較もまじえて楽し
く 書かれる。また、その対象もイタリア全域だから、著者の実体験のみならず、丹念な調査の跡
を感じさせる。フォークロア的側面が濃厚で、イタリアの歴史、文化もふんだんに盛り込まれてい
る。
だから、繰り返し読めば、まさにイタリア博士になること請け合いの一冊。
イタリアでは元旦にはどんな「おせち」が出されるのか?、お年玉の中身は?、バレンタインは男
女間のプレゼント交換にとどまらない?、カーニバルのいろいろ、イタリアの「七五三」は?、ナタ
ーレ(クリスマス)は?…
また、食いしん坊の著者は、季節をとらえるなら、まず食べ物を語れと言わんばかりに、イタリア
の旬の味覚を月ごとに語ってくれる。アスパラガス、アーティチョーク、苺、サクランボ、ズッキー
ニ、トリュフ、柿…。
日本のとは品種の違うもの、食べ方の違うもの、いろいろ。まさに食はその国の文化なり。イタリ
アには1年を通して、暮らしてみたい。そんな想いを抱かせる出色のエッセイ集。
『幻のヴェネツィア魚食堂 ―イタリア味見旅』
貝谷郁子/著 1996 晶文社 ¥1845 主な舞台 イタリア全域
タイトルは、ヴェネツィア。でも、内容は、ヴェネツィアでの出来事のみにあらず。
第1の皿から、第10の皿まで。つまり、10(それ以上)のイタリア料理を10の都市ともに紹介する、
エッセイ集。そして、各章に、エッセイに登場するイタリア料理のレシピつき。
少し大きめの本書の巻頭には、美しいイタリアの食材が、イタリアの人々とともに写真で紹介さ
れる。
フード・ジャーナリストの著者は、取材や、あるいは偶然出会った人々からイタリアの食の真髄を
学んでいく。
読み手の私たちもそのご相伴にあずかるわけだが、読むだけで食欲をそそられる話、イタリア
料理 の調理法の「なるほど」、あるいは料理のイタリア語などを楽しく味わうことになる。
見ず知らずの東洋人に、イタリア人はなんとやさしく、気前よく、イタリアの美味を提供してくれこ
とだろう。きっと、イタリアにはほんとうにおいしいものが溢れているから、それを他人にも知らし
めたい思いが、イタリア人の胸にむくむくとわき上がってくるのだろう。イタリア料理のこととなる
と、 もうその口を止められないほど何時間も語るイタリアーニが、本書には何人も登場する。
オリーブオイル、ワイン、ピッツァ、カツレツ…、私たちのよくよく知るポピュラーな料理も、本場
イタリアで語られると、「へええ、そうなんだ」となる。そんなエピソードのてんこもりの一冊。
語り口は、控えめだが、語られるものには、深いイタリアへの造詣が見え隠れする。
『愛しのティーナ
―イタリア式自動車生活―』
松本葉/著 1997 新潮文庫 ¥400 主な舞台 トリノ
元『NAVI』(自動車雑誌)編集者のトリノでの生活を綴ったエッセイ集。
タイトルのティーナは、著者のイタリアでの最初の愛車・チンクエチェントのニックネームである。副
書名に自動車生活とあるが、内容的には車を小道具にしてイタリアでの生活、人との交流が描か
れている。イタリア人とそこでの生活の特質を知ることのできる一冊。
行間から著者の人間に対する深い洞察力がにじみ、特にそれは6番目の「モロッコから来た男」(こ
れは小説!) に発揮されている。
松本葉/著 1998 新潮文庫 ¥400 主な舞台 トリノ
伊太利のコイビトとは、つまり「イタリア人の好きなこと」という意味なんだと、読み終わってからわ
かった。(解説者の永井氏はまた違った推測をしているが…)
そういえば、挿入される5つのショート・コラムのタイトルも、ずばり「イタリア人の好きなこと」であ
る。1.おしゃべり、2.人間、3.速さ、4.愛、5.イタリア。
いろいろあるけど、究極のところ、イタリア人はこの5つがイノチ、それらを原動力として生きてい
るんだと思った。
『愛しのティーナ』と同じく、著者の文章は、イタリア観察記を越えるなにか、小説家的洞察力、感
受性に満ち溢れている。だから、読み手は「イタリア」を読みつつ、同時に「人間」についても考え
させられることになる。
たとえば「オンナひとり旅はキビシイ」の章。
トリノ近郊へひとり旅をし、その気ままさを著者は謳歌するが、リストランテでの夕食にはホテル側
から護衛の男性があてがわれる。つまりひとりで食事するオンナは「誘われたい女」と定義づけら
れるというお国事情がある、というわけ。
ここで著者は、いろいろ考える。読み手も考える。
(「イタリアでのひとり旅もいいけど、ルームサービスで夕食ってことになるからちょっとね」と言ってい
た女ともだちの言葉の意味をやっと呑みこめた読み手の私。)
つまり、本書は現象だけでなく、その底流にあるものをも私たちに教えてくれるのである。
『愛しのティーナ』の続編と言われるが、時期的なズレはなく、イタリアに来たばかりの頃のエッセイ
も収められる。どれも、4、5ページの短いもの。しかし、そこに詰め込まれたエッセンスはあまりに
も濃い。イタ車好きにもたまらない一冊。
『イタリアのすっごくおしゃれ! ミラノ発〈最新おしゃれ術〉』
タカコ・H・メロジー/著 1999 光文社 [知恵の森文庫] ¥476 主な舞台 ミラノ
フランス人を夫に持ち、ミラノ近郊に10年以上住む日本人女性の著者による「すっごく」シリーズの
一冊。
この人ほどイタリアに同化してしまった人もいないのではと思うほど、イタリアについては隅から隅ま
で知り尽くし ている。
本書では、豊かな知識の中から、特にファッションに焦点を当てる。日本には浸透していないイタリ
ア流おしゃれ術が紹介されているが、それもこの本が刊行されて何年か経つ今、日本にもお目見
えしているケースがある。(たとえば見せる下着術。もっともイタリアでは下着とはもともと見せるた
めのものらしい。また2年ほど前から日本でも流行り始めたサンダルもイタリアでは定番のものだ
とか)
またイタリアには、子供用のファッションがない。小さいときから、大人と服装をして、センスを磨く
のだと言う。
読めばなるほど、イタリアはおしゃれの先進国であることを痛感させられる。ファッションの先取りを
したいなら、この本をすすめたい。文章もさすがプロのライターだけあって、いきがよくってユーモラ
スで読みやすい。
『女が幸せになるイタリア物語 楽しく、キレイでいられるちょっとしたヒント』
タカコ・H・メロジー/著 1997 PHP研究所 ¥1450 主な舞台 イタリア全土
イタリア女性のパワーにはすごいものがある、というのはイタリア=マンマの国という、例の等式
からもうかがい知れる。そしてこの本を読むと、イタリア女性はああ、やっぱり世界中の女性の
中でも、別格の存在だと痛感してしまう。
タオルはもとより、ムタンデ(パンツ)にもアイロンがけしてしまうなんて、仰天。一日に最低3回は
掃除をし、洗剤、たわしのたぐいまで完璧に収納し、キッチンにはなんにも置かないなんて、すご
すぎる。働く超多忙なミセスでさえ、インスタント食品には手は出さない。なんて、あっぱれ!
とくると、家事に没頭して人生を楽しむ余裕がないのでは、とつい心配してしまう。しかし決してそ
うではない。日本のようにカルチャーセンター通い、友人とのダベリといった発想がないこの国で
は、女性は自分の生活の中に、実質的で充実した喜びを見い出しているのである。
日曜にはフルコースの豪華ブランチを作り、中年を過ぎてもきれいにケアした脚を超ミニスカート
からさらけだし、ごく当然のこととして、美しい笑顔を作るために国民の平均年収額に等しい大金
をかけて歯の矯正をする。だからいつまでも美しいイタリア女性には、ノンナ(おばあさん)はいな
い。
イタリアに住みたいと思いつつも、日本にいたほうが、ある意味で安穏な日々を送れるのかもし
れないと一瞬考えさせられる本である。
でも、永遠に輝いていたいなら…、ここに書かれていることを実践してみるのもいいのかもしれ
な い。悔いのない、輝きのある人生のためにも。
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『おちゃめなイタリア人! 本気・本音の伊太利亜面白人国記』
小暮 満寿雄/絵と文 1998 トラベルジャーナル ¥1500 主な舞台 ナポリ
イラストライターの著者は、安易に写真という媒体でイタリアを紹介しない。後半のイタリア美術の
ご教授編にしても、巨匠の絵を模写して我々に説明する。それが、つたなくもユーモラスなものな
ので、タイトルの「おちゃめ」に更に磨きがかかるというあんばい。
この人のイタリア人ウォッチングは、日本人VSイタリア人という視点がまったく欠如しているため
か、登場するイタリア人は生々しく、等身大で、面白い。
シニョリーナのナンパに失敗したり、知りあったイタリアーノの悪口をむちゃくちゃ言ったりと、著者
の中ではもはや国境という文字はない。それでいて、美術への造詣は深いので、読後は、イタリ
アについての知識が確実に身についているという、不思議な本である。
どちらかと言うと、南イタリアびいきの著者である。
神谷 ちづ子/著 1996 三田出版会 ¥971 主な舞台 ローマ
人生のある時期に、外交官の夫の赴任先がイタリアだった。異動のつきまとう職業だけに、滞伊
生活にはやがて終わりが訪れる。
しかし、著者はたとえ家族と別れたって、一度ハマったイタリアから去ることはできなかった…。
ローマ大学の学生となって、なんとかローマに留まるのである。世間的には信じられないこの行
為も、イタリアを愛する者には、快挙以外のなにものでもない。
現地で暮らす者のみが知ることの出来るイタリアが、ユーモラスに描かれる。
誰も困ることなく
機能している二重駐車、ベランダでの空間作りへのこだわり、苗字は使わず名前で呼ぶのが
当たり前…などなど。読めば、日本との違いがくっきり。
登場するイタリア人との交流には、あたかもイタリア人同士で交わされているものかのような錯
覚を覚えさせられる。それほど、著者はイタリアに溶け込んでいる。
巻末の「ついにイタリアで大学生になる」には、イタリアという無秩序な世界で、「手続き」とい
秩序がいかに成立しにくいかが、物語風に綴られていて、面白い。
また、一番タイトルとリンクするのは最後の「あとがきにかえて」だろう。ここには、著者の今に
至ったワケが示され、自分の人生の意味を真摯にさぐる姿が認められ、考えさせられるもの
だ。
イタリアに住みたくとも住めず、かの国への熱情をくすぶらせる在日人には、ぜひぜひおすす
めの一冊である。
『イタリア生活あるでんて』
芳賀 八城/著 1997 KKベストセラーズ社
¥1400 主な舞台 フィレンツェ
フリーのカメラマンである著者のフィレンツェでの3年にわたる生活を綴る。
一人暮らしをしたいという、単純な動機からイタリア入りしたという著者は、これ以前に1年間の
イタリア放浪生活を送っている。イタリアの何かが彼を魅了し、この土地を選ばせたのだろう。
著者はイタリアのめちゃくちゃな公共システムや泥棒のことなどに触れながらも、「でも、実は」
といって、愛しく憎みきれないと言ってイタリアを弁護する。
階下にあるトラットリアの人々やパン屋の主人、額縁職人、語学学校の仲間との交流を通じ、
読む者は著者と一緒にイタリアでの生活を追体験することになる。
タイトルの「あるでんて」は、イタリア語で「食べものに歯ごたえのある状態」を指す。腹立ちもあ
るが、退屈のない国?イタリアでの生活を、そのものずばり象徴する言葉だ。
挿入された写真はなにげない風景の中に、イタリア人の生活がきちんと捉えられていて興味深
い。
巻末の「最後にちょっとは観光案内」の章は、普通のガイドでは得られない情報もあるので、フ
ィレンツェへ行く人は目を通されることをおすすめする。
『極楽イタリア人になる方法』
パンツェッタ・ジローラモ/著 1998 KKベストセラーズ(文庫)¥524 主な舞台 ナポリ
今、日本で最も有名なイタリア人と言えば、パンツェッタ・ジローラモその人である。
セリエAやNHKのテレビイタリア語講座でおなじみの彼も、全国的に有名になったのは、わりと
最近のこと。
今 やマクドナルドのCMに出演するまでになったジローさんが、単行本で4年も前に出したのが
本書である。
当時はイタリア本もまだまだ僅少。そんな中で、イタリア人の書いたイタリア本という意味で、イ
タリア・フリーク にとって待望の書だった。
イタリアーノならではの、生きた情報に満ち満ちている。「働き者の町、ナポリ」は、労働とは本
来いかにあるべきか、我々日本人が考えさせられる内容になっているし、「こだわりのカフェ」
の章など読むと、ああイタリア人は人生の楽しみ方を知っているなあ、としみじみ感じてしまう。
パート2も、文庫で出ているで、あわせて読まれたい。イタリアへの理解が格段に深まるはず。
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『イタリアを丸焼き! 意地悪な日本人が見た文化国家のウソ・ホント』
岩淵 潤子/著 1993 PHP研究所 ¥1456 主な舞台 フィレンツェ
副書名を見れば、この本が数あるイタリア本の中でいかに異色かが知れる。
たいがいの本がイタリアの魅力を語るのに対し、本書はその内容の八割以上をイタリアへの苦言
で埋めつくしているのだ。親伊家にとっては非常に腹立たしい本である。
しかし、しかしである。ここに書いてある、イタリアの交通・郵便事情の悪さ、イタリア人のブシツケ、
無駄だらけの社会…はすべて真実である。
そしてそうしたイタリアのまずさを解釈する人間には、ある程度は目をつぶるタイプと、悪く悪く考え
てしまうタイプの二つが存在するということを、本書は学ばせてくれる。
たとえばブシツケなイタリア人の一例として、著者は外出の度に「チャオ、ベッラ(よっ、かわいこち
ゃん)」と言うイタリア人たちを挙げ、彼らに女性蔑視を感じる。そこで著者は、男たちを喜ばせぬ
ように、みずぼらしい身なりと体を太らせることで自衛する。
しかし一方では、この「チャオ、ベッラ」には、イタリア人の人なつっこさを感じるだけの私のような
人間もいる。イタリアに夢中になると、誰にでも、この魅力をすすめてしまいがち。でも苦手な人に
は苦手なのがイタリアなのだ。
相互理解のためにも、また留学予定者の「不便な国への覚悟」のためにも、読んで損はない。
『イタリアン・カップチーノをどうぞ 幸せが天から降ってくる国』
内田 洋子/著 1998 PHP研究所(PHP文庫) ¥552 主な舞台 ナポリ、ミラノ
ひとつひとつのエッセイは短い。しかしおおげさな表現はなく、文章は抑制されている。その分、
ひとつの章に込められた、イタリアン・エッセンスは濃厚である。
著者はイタリアに対するプロである。旅行した、留学した、移住した、というレベルのものではなく、
イタリアを自分のライフ・ワークとしている人である(著者は仕事の関係で、ミラノと東京の2都市
で1年の半々をすごす)。それだけに、イタリアの特色や文化、生活習慣までをきちんと紹介して
くれる。六歳児のボディスーツ、犬の誘拐、駐車術…。様々な事象が、イタリアの特質によって解
き明かされていく面白さがある。
また、この本の特色の一つは、挿画のしゃれた色づかいが、実にイタリア的で素敵なこと。
『イタリアン・カップチーノをどうぞ2 知れば知るほど好きになる長靴の国』
内田 洋子/著 1999 PHP研究所 ¥1350 主な舞台 ナポリ、ミラノ 、リグリア
前著と同様、インテリア雑誌に連載されたものをまとめたエッセイ集。
20年もイタリアとつきあいのある著者が描くイタリアは、私たちが「へーえ」と目から鱗が落ちるよ
うな興味深いエピソードばかりをピック・アップしてくれている。
イタリアのテレビ番組、クーラーがないワケ、虫歯治療の異常な高さ、年に数回霜取り作業の必
要な冷凍庫、イタリアで家を得るまでの苦労、シチリア産ケッパーに花を咲かせる方法……。
30章から成る。
また、「あとがき」がいい。
20年前、ナポリ駅に初めて降り立った時から始まった「イタリア的生活」。
「毎日のイタリア的楽しみと引き替えに」「暮らすだけでへとへと」な支離滅裂さ、混乱ぶり。
なぜこの国がそれでも「存在し続けることができたのだろうか」、「それがわかるまではイタリアと
の縁を切るわけにはいかない」と思った。そして今も「わからないまま」と著者は語る。
内田氏は、イタリアと日本の違いをはっきりと認識している。
20年、深いつきあいを持ちながらもイタリアが「わからない」と言う。
そうした謙虚な気持ちのままに、綴るイタリア観察記は、それこそ私たち日本人には予想もつか
ないイタリアーニの発想、生活信条に縁取られたもので、魅了されざるを得ない。
イタリア人になろうとしない、なれないことを知っている著者のスタンスゆえに、イタリア人の本質
が、かえって生き生きと描き出される結果になっている。
内田氏のイタリアものは、どこからでも開いて読めるところが、自由で気まま、まさにイタリア的で
たのしめる。
内田 洋子/著 1997 大和書房 ¥1700 主な舞台 イタリア全域
『イタリアン・カップチーノをどうぞ』のシリーズとは、体裁がまるで異なる。
51のエピソード をタイトルのアルファベット順に並べるという、洒落た作りになっている。
著者は生のイタリアを伝えるために、登場するイタリア人を描写するのみならず、時に彼らに日
記風、あるいはモノローグにより、自らの生活を語らせる。
性別も年齢も職業も異なる人々。86歳のポーカーの女王、スリといった、特異な人物もいる一
方、ごく平凡な人物の、平凡な人生模様がほとんど。
だから妙に親近感がある。
それにローマやミラノ、サルデニヤ、ミラノ…と様々な出身の者が登場するだけに、それぞれの
アイデンティティが見えてきて、興味深い。
著者は語る。
「何年行き来をしても、何年住んでも、仕事をしても暮らしても、実体があるようで、ない。よく分
のわからない国」 、イタリア。
それだからこそ、51のエピソードで、様々な地域に住むイタリアーニを描くことでなんとかイタリ
アの実体に迫れればと考えたのだろう。
みんなちがう。でもみんな、まぎれもなくイタリアそのものである。
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『破産しない国イタリア』
内田 洋子/著 1999 平凡社新書
¥660 主な舞台 イタリア全域
イタリアの語り部と言えば、まさに内田洋子氏である。
生きたイタリアを伝えたい、という著者は実在するイタリア人をエピソードで登場させることで、自ら
の課題を巧みに達成してしまう。
どこから読んでもOKといういつもの手法で、今回はイタリア人の気質、社会現象を提示する。
そして物語の最後には、非常に旬なイタリアのデータを客観的な記述で開示してみせる。
思い込みだけでイメージしていたイタリア人。それを打開し、社会的存在としてイタリア人をそして
イタリア社会を捉えなおさせてくれる。
とにかく、エピソードは引き込まれるくらいに面白い。
本書の13話を読めば、結婚、離婚、学校生活、年金、住宅、犯罪、不法入国、車…と、イタリア
の社会を笑いとともに、生きた知識として体得できる。
『ミラノの風とシニョリーナ』
坂東 真砂子/著 1997 中央公論社(文庫) ¥648 主な舞台 ミラノ
女子大の住居学科の卒業をひかえ、ふと将来のことを考えたとき、脳裏に浮かんだのがイタリア
への留学。きっかけは、スペインの旅先で日本人青年が話していた言葉。「イタリア人は、みんな
パープリンさ」
なんだか面白そうな国。そんな印象だけで、地理勘も語学力もツテもないままに、ミラノ工科大学
入りを果たしてしまうというのは、若さゆえの芸当。当然、いばらの道が著者を待ちうける。
ミラノの住宅難と、語学の問題…。結局は、大学にも通いきれなくなるが、そこはイタリア。ひょん
なきっかけから画家に弟子入りしたり、デザイン事務所に雇われたりと、どこへいってもイタリア
人たちは、すんなりと著者を受け入れてくれる。
イタリア人の心は、風のように気ままで自由。2年間の滞伊生活は、後に作家として大成する(著
作の『死国』は映画の方もヒット)著者の基盤を形作ってくれたことは確か。
イタリア本にしては珍しく、淡々と綴られる文章が、また新鮮である。
坂東 真砂子/著 1999 集英社 ¥1200 主な舞台 パドヴァ
『ミラノの風とシニョリーナ』から16年。今や、小説家としての基盤をすっかり固めた著者は、中世
イタリアを舞台とする小説の取材を兼ねて、再びイタリアでの生活へと入る。
場所は北イタリアのパドヴァ。ヴェネツィアから列車で30分ほど内陸部に入ったところに位置する
地方都市である。
この手の本にありがちなイタリアでの手続き上のゴタゴタから本書は始まる。しかし、著者はイタリ
ア初心者にあらず。イタリア語に堪能なだけに、行き先も、行為も、かなり「通」なやり方で進めて
いく。片田舎の博物館めぐり、武道教室での奮闘、教習所通い、イタリア人への刺身作りのレクチ
ャー…。
その中で改めて見えてくる日伊の文化の違い、イタリア人の真性…。
『ミラノの風…』との違い、日本をも含めてのイタリアへの深い考察が、ここにはある。
たとえば、「ヴェネツィアの日本人」という章は極めつけ。運河が凍った大寒波のヴェネツィアで、
ゴンドラでセレナーデを聴く観光客たち。驚きの観衆は、「日本人だ」と口々につぶやき、納得顔。
恐らく、ツアーに組まれていた一大イベントのため、いくら運河が凍ろうとも、変更できない国民
性…。
巻末の「小人の谷」を訪ねる「ドロミテ異境探訪」は、不可思議な異界を小説の舞台とする著者
の嗜好の産物とも言うべきもの。
「人生は美しい」それを信じて日々、一所懸命に生きているイタリア人。イタリア人を改めて見直
した著者の感慨が、この一冊に込められている。
☆『わんぱくナポリタン 小学生の作文が語る60の“詩と真実”』
マルチェッロ・ドルタ/編 1993 文芸春秋 ¥1456 主な舞台 アルツァーノ
アルツァーノ ―ナポリよりさらに南の、長靴型のイタリア半島のカカトの部分。
そこの小学校に通う子供たちの作文集。と聞くと、なんだかとてもローカルな読みものというイメー
ジを抱くかもしれない。しかし、あなどることなかれ。本書はイタリアでベストセラーとなり、映画化も
されているほどのもの。
赴任してから十数年、その間に読んだおびただしい生徒たちの作文の中から選りすぐっての60編。
作文だけに2ページ足らずのものがほとんどだが、虚飾のない子供たちの肉声が読む者の心にダ
イレクトに伝わる。
それらは、編者の語る通り、「屈託のない、悲痛なまでの楽天主義」、「南部の不安定な生活環境か
らほとばしる、 明るくしかも残酷な日々の出来事」にあふれ、イタリアの抱える問題を日常レベルか
ら浮上させている。
「家族でお昼ごはんを食べます」という作文には、日曜日に父親が買ってくるお菓子の名が列挙さ
れ、その数から意外と彼らの生活は豊かじゃないかと思いきや、「一日のうちに全部食べるのでは
ありません。一年間に食べるのです。」とくる。
ユーモラスでありながら、貧しい南イタリアの現実を垣間見るかのよう。
読みやすい。面白い。そして、一編、一編の読後に、イタリアをまだまだわかっていないなと反省す
る、そんな一冊。
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