バックナンバー3 2000.11/20〜'01.2/5
の思いつきコラム
 イタリアに関する記事や本などから浮かんだ雑感集。
 たぶんに筆者の主観が全面に出たコラムですが、更新はわりと頻 
繁に行っていくつもりです。  ※新しいものほど先頭にきます。 
 
 
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’01.2.5 つり銭不足

イタリアに旅立つ前に何万円かのお金をリラに両替しておきます。
むこうに行ってから両替した方が効率がいいし、またカードやTCの方が安全だということも承知しています。
けれどもアリタリアでミラノやローマ経由にて南イタリアへ行く私にとって、目的地に到着するのが夜中近い。当然、銀行はとっくに閉まっています。が、ホテルのポーターやタクシーの運転手には現金で料金、チップを渡す必要があるのです。
そんなわけで事前に換金しておかねばならないのです。しかし日本で換金する場合、1万リラより小さいお金には換金できません。「チップで必要なので、もっとくずせませんか」と頼んでも、「現地でお願いします」といった答しか返ってこないのです。
チップに1万リラは600円程度なので少々お高い。
そんなわけで、経由の空港で私はいつもちょっとしたお菓子や地図、時刻表を買うことで1000リラなどの小さな紙幣をゲットするように心がけるようになりました。
小額紙幣はだから貴重で、できるだけ釣をもらうように旅行中留意しています。
けれどもイタリアの店や美術館、博物館には何故かつり銭のストックが極端に少ないのです。「南イタリア周遊記」のナポリ編(エルコラーノ)の項でも書きましたが、お釣がないから銀行で両替して出直してほしいと切符売り場で言われたほどです。
ローマのテルミニ駅のショッピングモールでフェラーリの直営店へ入った時も、若い女性の店員が私の出した1万リラに4000リラの釣がないと言って、店内にいるすべての客に「こまかいのを持ってないかしら?」と聞いて回り、私は顔を紅くしてうつむくばかりでした。
日本の店、スーパーやコンビニなどどこのお店でも、お釣がないという事態にはまず陥らない。給料日付近では、1万円札を出す客を見込んで大量のお釣を用意していてくれるほど。
日本ではイタリアに比べると、一人あたりに対し流通しているお金が圧倒的に多いのだと思われます。
その証拠に、リラ札はモノによっては皺だらけ、解体寸前、セロテープで辛うじてつながっているものも頻繁に見かけます。貫禄のあるお札、とも言うべきもの。
リラはじきにユーロへと完全に切り替わります。
そう考えると、旅行後に僅かに残ったリラ札が妙に別れがたいものに感じられてきます。換金せずに記念にとっておこうかな、などと思ってしまいます。
特に、店で出し惜しみされる1000リラ紙幣は、酷使された歴史とともに「ごくろう様」と言って、額に入れたいほどですね。

’01.1.26 セクハラ無罪判決とムッソリーニ

今日の毎日新聞の夕刊に、「おしりなで1回、瞬間的なら黙認!? 伊・最高裁判決 女性議員カンカン」というものがありました。べネト州のお役所で、上司におしりをなでられた上に「黙っていないと昇給させない」と脅されたと被害女性が訴え、しかし最高裁判決は証拠なしとし、被告の無罪を確定したというものです。
半分はこの逆転無罪に関する記事。そして半分は、この判決にカンカンになっている女性議員のこと。
この女性議員とは、アレッサンドラ・ムッソリーニ。
記事は、この女性議員が「第二次世界大戦中の独裁者ムッソリーニの孫」であることを告げています。
中心的な話題は「セクハラ→無罪」ということでしょうが、同時に記者は「独裁者ムッソリーニの孫」が現在議員をしているという事実にも着目しているようです。
このアレッサンドラ・ムッソリーニが議員の職に就いたのはわりと前のことです。その際一般的に、「えっ、あのムッソリーニの孫が議員?」という衝撃が走ったように記憶していますが、
ここにもってきて、やはり激怒する議員は「ムッソリーニの孫」といった注釈が入ってくるのです。
「おしりなで1回」が最高裁までいってしまうこと、その判決に異議をとなえる議員がムッソリーニの孫。
イタリアでのことは「理解できない」という思いこそが、この記事を書かせたのかもしれません。
確かにイタリアは不思議な国なのかもしれません。
しかし、日本は日本で、世界にとって、ある意味、不思議な国なのかもしれません。
「あんなに低い支持率の首相が、いつまでも政権をとり続けていられるなんて不思議ね」とイタリア人の友人が先日首をかしげていました。

’01.1.22 所得格差

22日の毎日新聞朝刊に「広がる所得格差」という記事があります。
格差を表すデータとして世界的に用いられている「ジニ係数」。それは、「分布の集中度からどのくらいの格差があるかを測る。平均的な位置に数値が集まっていると平等とみなされ係数はゼロに近づく。データにばらつきがあれば不平等と判断されて1に近づく」というものです。
日本は’79に0.271だったものが、’94に0.297となり、’99には0.301。不平等度は20年間でかなり増しているとの報告です。ただイタリアは’93のデータで、0.35ほど。アメリカをやや上回る不平等さ、それも日本のようなゆるやかなカーブではなく、’85の約0.30から急カーブで所得格差が生じています。データが旬のものではないので現状はどうだかわかりませんが、所得格差はもっと広がっている可能性もあります。
とにかく先進国では貧富の格差が大きい国、それがイタリアというわけなのです。
北と南の経済格差が頻繁に取り上げられるますが、そうした格差が「ジニ係数」なる客観的なデータとなって現われているのかもしれません。
なんだか変な気持ちなってしまいます。と言いますのは、イタリア人、とくに南イタリアの人は素晴らしい気候の中、おいしくて安い食材に恵まれ、いかにも人生を謳歌して生きているような印象があるからです。
しかし一方で、今は落ち込みぎみではありますが、数値の上ではまだまだ金持ち、そして「ジニ係数」も大きくなりつつあるも微増にすぎない日本)が、果たして豊かさを実感でき、平等な国(ジニ係数は伊、米、仏より低い)かと言うと、異論も多いはず。
イタリアは貧富の差が大きいようですが、でも、あの国でなら、もっと人間らしく生きられるような気がしてならないのです。
数値は必ずしも生活者の快適さを表していない、そんな気がしてなりません。
 
’01.1.9  オベリスクの里帰り

イタリアのものではないのにイタリアのローマにたくさんあるもの。それは、オベリスクです。
古代エジプトで太陽神を象徴した四角柱。太陽信仰に基づく記念碑。現存するものの21本のうち13がローマにあります。ようするにオベリスクが見たければ、ローマに行くのが手っ取り早いというわけなんです。
16世紀後半に教皇の任にあったシクストゥス5世は、このオベリスクを巡礼者のための道標と考え、6つの巡礼路と4つのオベリスクを整備したと伝えられます。
現在では、ローマっ子たちの待ち合わせスポットとなってる模様。
さて、そんなオベリスクも今年2001年には13から12本に減ることになりました。ローマのコロッセオ近くの1本です。
1936年ムッソリーニがエチオピア侵攻時に略奪したもので、高さ24メートル、エチオピア文明の揺籃期(2-3世紀)のものと言われています。(毎日新聞 '00.12.27)
戦後、長きにわたってエチオピアから返還要請があり、そしてこの度、やっと返還が実現することになったのです。
戦利品として他国のものを奪ってしまうというのは、何もオベリスクに限ったことではありません。絵画にしろ彫刻にしろ、あらゆる芸術作品や歴史的なモニュメントが異国の空のもとへと運び去られたのです。そして、その対象はモノだけでなく、土地や人々までもが含まれていたのです。
今回里帰りするオベリスクは64年ぶり。それは、長いようでいて、むしろ短かったとも言えます。モノによっては、何百年も異国の地に縛られているからです。
ムッソリーニという、「独裁者の略奪」と言う点が、今回の返還に正当性を与えたのかもしれません。
オベリスクがひとつローマから消えてしまうというのも何だか寂しいですが、しかし、このオベリスクがそびえ立つ地は、やはり自国であるエチオピアのほうが似合っているのかもしれません。

’00.12.25  日曜の朝、NHK衛生第1…

と、書いて「ああ」と頷く人もだいぶ増えてきているのではないでしょうか。
そう、BS7の8:10から、10分間ですが、イタリアのTVニュースが見れるようになったのです。この試みは先月1周年を迎えたわけですが、初めて見た時は、感慨もひとしおでした。イタリア語に完全に切り替えて聞くに、非常に早口で何を言っているか断片的にしか分かりませんが、イタリアの街中が映ったり、独特のサイレンの音が聞こえてくると、思わず笑みがこぼれてしまいます。また、テロをめぐる報道を聞くと、イタリアのシリアスな面を垣間見る思いで、自分自身の認識の甘さを痛感したりもします。
イタリアの情報は、今や様々な形で日本に入ってきていますが、特にここ数年は飛躍的に情報量が増えたという印象があります。
セリエAやアレッシィのグッズ、イタリア製ブランド品、ワインにオリーブオイル…、非常に日常的な部分からもイタリアは日本に入ってきています。いまや日本での料理店の数において、フランス料理店をゆうに抜き去ったイタリア料理店。本場でしか食べれなかった本格イタリアンも日本にいながらにして味わえる時代になりました。
新世紀となり、2001年にはいよいよ日本でのイタリア年。イタリアに関するイベントが各地で開催されることでしょう。
イタリアファン獲得の年でもあります。
 
’00.12.17  日本の象徴            スナップ14:アリタリアのサムライ楊枝

イタリアで散策をしていると、いろんな日本語を浴びせかけられます。
話しかけられるのではなく、浴びせかけられるというは、なんらかの形でそのイタリア人とコミュニケーションをとっている時でなく、いきなり走りゆくヴェスパから「○×△□…!」と叫んできたり、なにげにすれ違いざまにつぶやかれたりするからです。
少し前ペルージャで中田が活躍していた頃には、「ナカタ〜」というのが頻繁で、その他恒常的には「サヨナ〜ラ」「コンニチワ〜」というのが多いです。他にも、日本の有名メーカーの名が飛び出ることもあり…。
そういった挨拶言葉は今回抜きにして、イタリア人にとって、日本を象徴するコトバとは一体なんでしょう?今まで考えていなかったことですが、ここでそのことに言及したくなったのは、実はワケがあるんです。今年乗ったアリタリア航空の機内食で、妙なものに視線が釘付けになったからなのです。
アリタリアの機内食はお世辞にも、レベルが高いとは言えません。(あくまでもエコノミークラスでの話ですが…)
ただ日本人客の多い便には、ほんの少しお寿司が付くといった心配りは一応あります。塩、ナプキン、フォークがビニール袋にパッキングしたものが一緒に出される場合には、楊子までご丁寧に同梱されていたりもします。
そして、問題はこの楊子なのです。
楊子は小さな紙の袋に入れられていて、そこには小さなアルファベットでなにやらつづられているのです。
日本発のアリタリア航空機。当然、乗ってくるお客様は日本人。彼らは楊枝が楊枝と呼ばれているのを知らない。しかし何かしらの名前をつけなければならないと思ったのかもしれません。そこでちょいと考えてみた・・・。
針みたいな形状が、なんとなく日本古来の武器を彷彿とさせたのかもしれません。
袋には、そう、「SAMURAI」と印字されていたのです。イタリア人の誰もが知る、日本特有のコトバ。日本の象徴。これをつかえばまず間違いはない、そんなコトバ…。安易と言えば安易ですが。でも、なんとなくニュアンスはこれで通じるような気もします。
シチリアでガイドをしてくれたアントニーノは、イタリア統一の英雄ガルバルディの彫像を指さして、ひととおり説明した後で、にんまりと笑って「SAMURAI」と言いました。それは、あたかも、国の違いはあっても一言口にすれば感覚を共有できるコトバとして、彼がここぞとばかりにつかった日本語だった…のかもしれない。楊子の袋を手にしながら、そんなことをふと思ったのでした。

’00.12.15  遺跡と猫とやさしさと

すこし古い記事ですが、TBSブリタニカの雑誌『pen ’00.11/1号』(23p)に「遺跡でのんびり暮らす、野良猫たちの優雅な日々。」というコラムが掲載されています。
シーザーが殺されたローマのアルジェンティーナ広場の遺跡に、ボランティア組織によって世話をされている野良猫たちがたくさん住んでる、とここには書かれています。遺跡に捨てられていた猫の世話を2人の女性がしていたのがことの始まりで、今では国内外からの寄付金で、7人のスタッフが食事や予防接種、けがの治療に努めているとのこと。(トーレ・アルジェンティーナ協会  www.romancats.com)
少し前にスカパーのごく短い番組でも同じくローマのピラミデ付近に、ボランティアの人々が日夜、遺跡に住む猫たちの予防接種をしたり、食事の世話をしていることを報じていました。夏のヴァカンスへ行く前に飼っている猫を遺跡に捨てていく人が絶えないそうです。
雑誌やTVでこうしたイタリアの事情が度々語られるのは、日本ではこんなことは稀だし不思議なことだし奇特なこと、だからこそニュース・ソースとなり得るのでしょう。
日本の野良猫は少なくともふたつの点で、イタリアの野良猫よりもアンラッキーです。
ひとつは、ローマのように街中に、湿気を適量にはらんだ古代から綿々と受け継がれたパラダイス(遺跡)が存在しないこと。(ここには、観光客という餌付け人も大勢やってくる)
そして、もうひとつは、野良猫に餌をやることを犯罪とは決して見ない、いやそれどころかむしろ保護することをホスピタリティの厚さと見なす風潮が、日本にはほとんど存在しないこと。(ま、野良猫イコール公害となってしまう、日本のごちゃごちゃした街の作りが、1番の原因だと思われますが…)
フェリーニの名画「甘い生活」で主人公扮するマルチェロ・マストロヤンニが、「ローマは猫だらけなんだ」と女優に言い放つシーンがあります。映画の上映から40年近く経った今日も、ローマはいまだに猫だらけ。永遠の都では、遺跡も野良猫たちも、世紀をまたいでも、やはり変わらずに存在し続けるのでしょう。

’00.12.8  待ってました「スマート」         スナップ:スマート

2000年のイタリアの街中で、特に目をひいたのはダイムラークライスラーの「スマート」。
小さくて、、丸っこくって、それでおしゃれ。かわいいというより、小利口な感じ。イタリアのみならず欧州でも人気のこのコンパクト・カーは、イタリアの石畳によく似合っていました。
ローマやパレルモなどの都会には、「スマート」を宣伝する大きな看板。そして、かなりの頻度でスマートに走り去る「スマート」を目撃。その人気の大きさを物語っていました。
こんなのが日本にもあったらなあ、という思いで私などは、駐車された「スマート」に羨望のまなざしをおくったものでした。
それが、ついに、今月4日から日本でも売り出されることになったのでした!
新聞報道によれば、この「スマート」のスペックは以下のとおり。
排気量600cc、2人乗り、全長約2.5m、全幅約1.5m、燃費はリッター19キロ、6速オートマチック、価格は130万。
都会生活には、なかなかグッドな車です。イタリアの、たとえばローマのような、遺跡で道が塞がれたり、2重駐車で動きがとれにくかったりする街にはぴったりのサイズ。日本でだって、東京なんかではうってつけでしょう。
ただ難を言えば、左ハンドル、そして車幅が軽の規格より大きいため取得税が割高なこと…。ま、こういった問題も将来的にはクリアしていく方向にあるとのこと。
年間販売目標は7000台。
人気が出ていっぱい走るようになってくれたら、日本の景観もすこしはスマートになるかも。
と、そう思わせるほど、なんとも言えず素敵な車です。            

’00.11.23 携帯ストラップって…        スナップ:ケータイケースは山ほど売られる

イタリアでは、無いのでしょうか?
そんなことはない。イタリアの人気2大ブランドであるグッチ、プラダにはちゃんとその手の商品はある、と反論されるかもしれません。でも、あれは結構日本人向けにプロデュースしているもので、イタリア人は使わない商品も多いなんて噂も聞くし…。
とにかく、ケータイ市場はイタリアでも急成長。街を歩いていても、ケータイそのもののラインアップは非常に多いし、周辺アイテムも日本並みにぶら下がっています。中でもおびただしいしい数があるのは、ケータイケース。イタリアらしいビビットな色彩のものから、革のもの、柄つき…と、いろいろです。それに加えて、ケータイの模様替えのためにピタッと貼りつけるタイプのプラスチックのカバーも様々に売られていました。
しかし、どういうわけか日本であれだけ売られているストラップはトンと見ない。かなり不可解でした。
日本の友達へのプレゼントにイタリアの携帯ストラップなんていうのもいいなあ、ともくろんでいた私は少しがっかりしたものです。
…そして、しばらくしてこの「欠落」の謎も解けることになりました。
日本に戻ってきて、イタリアのショップでもらってきたモトローラーやノキア、ソニーなどのケータイ・カタログを何気に眺めていた時のこと。あることに気づいたのです。素敵なモデルたちがページのところどころで、楽しげにケータイでコミュニケーションをとっている場面。
ここでも誰一人としてストラップをぶら下げてない。そして、製品の実物大の写真。前、横、裏。そう、そこにはストラップを通す「穴」がないのでした。なるほどと思いました。
もちろん「穴」つき製品も一部あるのかもしれません。
しかし、あれだけストラップが見当たらないということは、恐らく「穴」のないのが一般的なのかもしれません。
思い起こせば、ケータイ片手に大声で話すイタリア人たちを見かけましたが、ストラップはなかったように記憶します。
根底には日伊の文化の差違みたいなものがあるのかもしれませんが、単純に「紐なし」は不安だと思ってしまうのは私だけでしょうか?

’00.11.20 イタリア旅行の必需品 〜ホテル編

いざ温泉旅行に行こうと思った場合、いわゆるグルーミング用品は基本的に持っていく必要はありません。シャンプー、リンス、化粧水、ドライヤー、歯ブラシ、手ぬぐい、石鹸などは、ふつうの旅館やホテルには、たいがい常備されています。
イタリアのホテルだって然り。ちょっといいところだと、使い捨てのものではありますが、スリッパだってちゃんと部屋に用意されています。
シチリアの景勝地、タオルミーナのサン・ドメニコ・パレスという最高級ホテルでは、そういった常備品がすべてエトロのパッケージだからスゴイ!使うのが惜しくなるくらいです。
だから、スーツケースの準備をしていく過程で、日本の温泉宿と同じに、「ま、あれは間に合ってるな」と思って、つい手を抜きたくなります。そうなる心理も当然のこと。海外旅行ゆえに、行く前の荷物はできるだけタイトにしておきたいものですから。
しかし、グルーミングで、これだけは是非持っていってもらいたいものがただひとつだけあります。
それは歯ブラシセット。
なぜか、どんなにラグジュアリーなホテルでも歯ブラシセットがない。これは個人的な経験から言っているにすぎませんが、少なくとも私の知ったところでは、歯ブラシも歯磨きチューブも見当たりませんでした。
いちど、ローマのマジェスティックという、これもなかなか評判の良いホテルで、この「ないない」を経験して、私は思わず内線電話をしてしまいました。しばらく待たされたましたが、結局答は「ノン チェ(ありません)」。非常に怪訝な思いにかられましたが、以来、イタリア旅行には必ず歯ブラシセットを持参することになったのです。
ちなみに、すべてエトロでビシッと決めたサン・ドメニコ・パレスにも、歯ブラシセットはありませんでした。

   
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