Ercolano                  
     ポンペイの縮刷版


  エルコラーノ
 ヴェスーヴィオ山が紀元79年に噴火した際、ナポリ近郊のエルコラーノは、ポンペイよりもナポリよりに位置しているために被害はやや軽かったと言われています。
 とは言え、こちらも一瞬の内に火砕流に呑み込まれたことには変わりはありません。ただポンペイとは異なるのは、木材の家具などが炭素化しつつも原形を留めている点です。ゆえにナポリ国立考古学博物館には意外にエルコラーノ出土の遺物が多いのです。
 そんなわけで、よりナポリに近いこの町はアクセスがいいという利点があります。ただポンペイのように大型バスを何台も収容できるスペースはなく規模もぐっと小ぶりのため、訪れる観光客は少なく、知名度もかなり低め。
 しかしその分ゆっくりと遺跡観光ができるメリットがあります。
 ナポリ中央駅からヴェスビィーオ周遊鉄道で20分、エルコラーノの駅前の道を下ること500m。こんな街中に遺跡なんてあるのだろうかといぶかしくなるほど。その500mは、まさに商店街通りで、洋装店やバール、銀行やみやげ物屋、売店など、現代の商いが繰り広げられているのです。
 ↓
なかなか秘儀荘にたどり着かない。それに比べると、エルコラーノはポンペイの1/3しか面積がない分、すべてが凝縮したいるのです。左の写真のとおり、ポンペイのような「点在」ではなく、建物が町の形状でぎゅっと残っているのです。これも、やはりヴェスヴィーオ山から離れていたため、それぞれの建物の保存状態が良いからなのでしょう。


 たどり着くのは、本当に容易でした。しかし切符を買う段になって、途端に目の前に壁。と言うのは、私の出した高額紙幣に対しておつりが無いと係員は言うのです。イタリア旅行で一番困るのは、この「おつり」問題。開園したばかりでおつりが無いとのたまうのは、乏しいつり銭のストックを惜しんでということもありそう。だから、私は「これしかない」と言い張ったのです。するとそのお兄さんは、なんと釣を入れている引出しを抜き取って、私の目の前に突きつけて「ニエンテ(本当にないんだ)」と叫んだのでした。
 係員が言うには、近くに銀行があるから、そこで両替をして出直してくれとのこと。日本では考えられないこと。でも、そうしなければ永遠に遺跡めぐりをできそうにないので、仕方なく銀行へ行くしかありませんでした。やれやれです。
 そんな紆余曲折を経て、やっとエルコラーノの遺跡へと進んだのでした。
 印象は「ポンペイの縮刷版、早分かり」。ポンペイは確かに凄いですが、東京ドームがいくつもいくつも入ってしまうほどのだだっ広さ。あっちを見て、こっちを見て、
 (右上へススム)
 
 またポンペイと言うと、天井部分が失われているものが大半ですが、ここエルコラーノはきちんと屋根がのこっているので、眺めていると2000年前のものにはとても見えません。
 建物の内部には三つのかまどが残っていて、まるでシステムキッチンさながらもの、また上の写真のように見事なフレスコ画もありました。(この絵に使われている赤は、まさに「ポンペイの赤」でした)
 見学時間は一時間ほどでだいたいの全貌はつかめました。
 ポンペイと違って遺跡内部には観光客向けのバールはありませんが、遺跡を出た目の前におみやげ屋さんがあり、ヴェスビィーオ山の美しい溶岩の詰め合わせ、リモンチェッロのかわいらしい小瓶など、この土地ならではの物が棚に所狭しと並べられていました。
 見学を終えた私に、小柄な老人が近づき、「ビューティフルだろ?」と笑いかけました。私はイタリア語でとっても「ベッラ(美しい)」そして「インテレサンテ(興味深い)だった」と答えると、彼は「チェルト(もちろん)」と胸をはったものです。