イタリアが泥棒の多い国というのは、世界的に流布しているイメージのひとつ。
これについて書かれた本は実に多い。
『遠い太鼓』の中で村上春樹は、激しいまでの憎悪をこめて、この点を書き綴り、岩淵氏も『イタリアを丸焼き!』で罵詈雑言を並べたてる。
『ママはローマに残りたい』の「正しい泥棒の入り方」の章には、イタリアでの泥棒事情が語られる。
1年に2度車を盗まれた人、在留30年で7回車を盗られ、3回家に泥棒に入られた人など。
だから、車を停めたら、カーステレオは持ち歩くのがイタリア流だとか。
ナポリの駐車車両には、盗難防止のため、どの車にもハンドルに施錠付きカバーが施されていたのは、私自身現地で確認済み。。
日本では考えられない治安の悪さ。
でも・・・、と『ママは−』の作者・神谷氏は続ける。マフィアがこれだけいる国なのに、「空き巣にしても置き引きにしてもスリにしても、殺傷沙汰はほとんどない」と。だから、イタリアでのこの種の犯罪は笑い話にすることができるのだと。
『イタリア生活あるでんて』の著者も、イタリアの泥棒を完全には憎まない。 むしろ本当に悪どいのは、イタリアに来て詐欺を働く外国人だと言う。
個人的な経験からいくと、私自身、後味の悪い詐欺に遭いそうになったのだが、その加害者はイタリア人にあらず、日本人やジプシーだった。
『ウソも芸術、イタリアン』の著者は、極めつきの泥棒「レストラン案内人」を紹介する。
道で地図をおっぴろげている観光客グループに近づいては、あれこれ親切なアドバイスをし、「いいレストラン、紹介しようか」と声をかける。
「自然な流れとして、彼も一緒に食事をすることになる。店もそこは心得ているから、勘定となると、だいたい三割増しを請求する。そしてその三割を、彼は懐に入れるのである」。
そして、「肝心の観光客の側が、だまされたという意識」をもたない。むしろ、「感激して、終日行動をともにし、気前よくチップをはずんでしまう場合もある」とくる。
著者の高岸弘氏は、「イタリアの粋なドロボーたちは、芸術家的発想で仕事をする」と評価し、事の顛末を友人たちに話して笑ってもらえると、「ドロボーの被害にあったことが貴重な財産のように思えてくる」と言うから、まさにここの泥棒は、「ウソも芸術、イタリアン」!
『イタリアの缶詰』でも、スリのプロのモノローグ(ひとり言)がつづられるが、たとえスリにしても、実に高貴な職業哲学に満ちたものか!
ところで、泥棒の多いイタリア。『イタリアン・カップチーノをどうぞ』によれば、盗難保険の料金は、やはりとてつもなく高いとのこと。
イタリアの泥棒はまさに芸術的。高等戦略のため、後ではっと気づくケースも多々あるので、皆さんも旅行の際はくれぐれもご注意下さい。
イタリア人はきれい好きか
イタリア料理はふとるか
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