『バール・ジローラモ ―南イタリアのおいしい話を召し上がれ』パンツェッタ・ジローラモ&貴久子著
ジローラモの特徴をふたつ挙げるとしたら・・・。それはお国(ナポリ)自慢と食いしん坊。そしてこの本も彼の二大特徴があますところなく発揮された1冊だろう。31章のエッセイには南イタリアの食材、料理がずらり並ぶ。そしてそれは「こんな旨いものは他にはない!」という自信に満ち溢れているのだ。
フォルマッジョ(チーズ)、アスパラ、ドルチェ(ケーキ)、クルミ、オムレツ、ウナギ・・・。読んでいるだけで垂涎ものの数々のお話。
そしてこの本の新たな魅力はやはり定番のマンマの自慢に加えられた、パパ自慢。ジローラモといえばイタリア男性に特徴的なマザコンなのだが、本書では早死にした父に捧げる本というコンセプトのもと、はじめて本格的にパパが語られた文献なのである。そのため、ジローラモの幼少期もパパの思い出とともにふんだんに語られることになる。その意味でジローラモを深く知るにはうってつけ1冊でもある。
料理教室「ラ ターヴォラ ディ タータ」を主宰する貴久子夫人の各章ごとのレシピも必見。
『ボクが教えるほんとのイタリア』アレッサンドロ・ジェレヴィーニ著
イタリアへ行ってイタリア人と話す機会があると、昔だったら腹きり、三島、芸者、富士・・・といったタームが並んだ。現在であればホンダ、トヨタなどの日本メーカー、そしてナカタ、塩野七生、吉本ばななといった人たちだろう。ナカタ、塩野はイタリアで活躍している人だから、有名なジャポネーゼということで日本人との共通テーマとして語られるのはごく自然なこと。しかし吉本ばななという、イタリアとの関連が特別にあるというわけでもない比較的若手の作家がイタリアで頻繁に話題にされるというのはいかなること??
その理由は非常に単純なことで、イタリアでよく読まれている外国文学、それがBANANAだからだ。
世界にはたくさんの優れた作家がいるのに、またなぜBANANAが?というと、それも単純な話で、翻訳本がイタリアで数多く出回っているからだ。そして、それは吉本ばななのイタリア語訳を手がける存在がいたからこそ成立しうることで、その存在こそがこの本の著者であるアレッサンドロ・ジェレヴィーニなのである。(もちろん吉本ばななのイタリア人訳者は他にもいるけれど。また吉本ばななのみならず人気の日本人作家は他にもいるけれど。)
ヴェネツィア大学日本語・日本文学科卒業。その後来日、東京大学大学院にて表象文化論を学ぶという経歴を持つ著者は、1969年生まれのナイスガイ。日本に暮らし、日本のことをよく知り尽くしている。もちろん生まれ故郷のイタリアも。そんな著者だからこそ、日本で一般的に捉えられているイタリア像を熟知していて、それをベースに日本人が知りたい「ほんとのイタリア」を教えてくれる。
語り口はユーモラス、そして一つひとつのエッセイは適度に短いので読みやすい。
巻末には東京のカフェ40店舗をイタリア人の舌で採点したエスプレッソチェック付きという、なんとも嬉しいオマケがある。
『ビジネスにも役立つ!イタリアへのパスポート』クローディア・ジョーゼフィ/著
「ビジネス取引を目的として、イタリア人と接する人たちの参考になるような事柄に絞った」本というのは、恐らく本書が初めてものだと思う。
南北に長く、地域性がはっきりと今も息づくイタリア人。千差万別であることは確かであるが、物事に対する対処法や反応などにはある一定の傾向、すなわち国民性があることは確か。
本書はたいへんコンパクトではあるが、「概観」「ビジネス環境」「慣習とエチケット」「その他の便利な情報」と4章立てで、イタリア人の典型的な行動様式とその解説、対処の仕方を教えてくれる。イタリア人の好きなスポーツ、好まれる贈物、支払いの仕方、契約方法といったビジネスに役立つ指南はもとより、読んでいくうちにイタリアの慣習や文化(祝祭日、コネ、カトリック・・・)についても知識が深まる。
イタリアに赴任する、あるいはイタリア人の本音を知りたい時などに非常に重宝する一冊である。
『ナポリ ―バロック都市の興亡』田之倉 稔/著
トリナクリアとは、いわばシチリアのシンボル。三本足はシチリア島の三つの岬を表わすとも、シチリアの灼熱の太陽を表わすとも言われている。シチリアの街中、至るところに見掛ける。そしてプルチネッラ、これこそがシチリアのトリナクリア同様、ナポリの象徴なのである。ナポリの道化師であるプルチネッラから、ナポリの本質を抉り出していくあたりは、演劇評論家の著者らしい。
ナポリは古代ギリシャ時代から続く、長いながい歴史を持つ都市である。ここでは、あえて古代、中世、近代を割愛し、バロック時代を射程に入れつつ、統一前後から世紀末のナポリに焦点をあてる。
治安の悪さから、ナポリと言えばポンペイ観光の単なる経由地となりやすい。そんな街の路地から路地を歩き、広場をおとない、大衆食堂やバールを覗く。目に入る風景から、話題は歴史、映画、文学、音楽へと広がる。読みながら、現在のナポリの息づかいもしっかりと伝わる、好著。
『ウーナ・ミラノ』内田 洋子 シルヴェリオ・ピズ/著
流行の発信地としての特集は、何度となくファッション誌で組まれる。しかしミラネ―ゼの生活はついぞ話題にはならなかった。
そしてようやくミラノという一都市を掘り下げた本が、ここに登場したのである。
イタリア人を登場人物にして、その視点からイタリアを炙り出すという内田氏特有の手法。今回はそれにプラスして、それぞれの物語のスタート時間をずらし、場所をずらしと、心憎い設定で、ミラノという街を24時間、さまざまな角度から描き出すのである。
ミラノらしいスノッブな登場人物を数多く配しつつも、話はイタリア全体の文化にも言及する。ことばの注釈も、イタリアの「今」を伝えるもので、読んでいて興味は尽きない。まさにミラノの、あるいはイタリアの“旬”のレポートである。
『やっぱりイタリア』 タカコ・H・メロジー/著
著者のエッセイのいちばんの美点と言えば、そのマクロにしてミクロなイタリア観察眼である。フランス人のご主人とミラノ近郊のベルガモに居宅を構えながらも、いつも話はローカルな所へ堕ちず、「イタリア」そのものをつかんでいるから面白い。
そして日本との比較という視点も忘れないから、在日の私たちにも親しみが持てる。で、今回の本は主としてイタリアの「食」にスポットライトをあてたエッセイ集である。
1リットルで売られるオリーブ・オイル。ウサギ料理は好きだけど、必ず頭がついたまま売られるウサギ肉の話。7〜8キロの巨大スイカ。グニョグニョのビスケット…。
次から次へと出される食材と、それにまつわる興味深いイタリア人の生態。著者の食いしん坊さもあって、しまいには、私たちを厨房へといざなうレシピのオンパレード。
手軽だが、内容は盛りだくさんの1冊である。
『大好きなイタリアで暮らす 』ビバ!イタリアクラブ/編
イタリアに渡り、自分の天職を見つけ出し、そして今もイタリアに暮らす5人の日本人。生活習慣の違い、言葉の壁…。様々な困難にもめげずに、次第にイタリアに溶け込み、もうイタリアからは離れられなくなってしまった、そんな過程が彼らの生い立ちとともに描かれている。
イタリアに渡った動機は、その言葉の響きが良かったからとか、なんとなくイタリアだったとか、確たる理由に縁どられているわけではない点が、印象に残った。逆に「これこれこう」というアタマで考えてのイタリア入りでなかったことが、長続きのポイントなのかもしれない。彼らの感性がイタリアを引き寄せ、イタリアにハマり、そしていつしかイタリアの空気を吸いながら生きている。
5人の綴る手記は、何のてらいもなく、自然で、感動を生むものである。カメラマン、コーディネーター、ジュエリー・デザイナー、日本語講師、ヘアデザイナー…。
彼らは必ずしも「これをする」と決めて、イタリアに行ったのではない。ホスピタリティあふれるイタリア人に助けられながら、自分の可能性に気づき、気づかされて、才能を開花させていく。だから、職業も微妙に変わっていく…。
イタリアという国の寛大さに、やさしさを改めて感じさせてくれる好書。5人の連絡先が記され、また随所にイタリア暮らしのノウハウが織り込まれている。
留学希望の人にはぜひお勧めしたい。
『トスカーナの丘 イタリアの田舎暮らし 』 フェレンク・マテ/著
40代の夫婦が、異国イタリアのトスカーナで家を買うことを決意する。10年も前のこと。そして試行錯誤の後に念願の「夢の家」を見つけ、暮らし始める。その後の1年。回想記?エッセイ?読み進めていくうちに、著者である夫の人生が、トスカーナの美しき風景の中から徐々に浮かび上がっていくという作り。素晴らしい風景の描写。これは一編の叙情的な「小説」である、としか言いようがない。
ハンガリーからカナダに亡命し、バンクーバーに育ち、以後カリフォルニア、パリ、ハバマ…と転々としていく著者には、心の安息を得られる土地がどうしても必要だったのだろう。ふと立ち寄ったトスカーナに、強烈に魅せられる。
その土くれと風と糸杉とポルチーニ茸に、そして「怒りを笑いに、少なくともジョークに、最悪の場合でも創造的な卑語の祈りに、変えてしまう術をどこかで身につけた」イタリア人に。
本書のいいところは、イタリア人がイタリア語を語り、イタリア的ジェスチャーとイタリア的行動様式を存分に発揮している点である。コーヒーの飲み方にも、不動産の説明の仕方にも、ああイタリア人だと感じさせられ、思わずにんまりしてしまう。妻の小気味のよいキャラクターも、物語にスパイスを加えてくれている。
本書を読めば、トスカーナという土地が噂通りの豊穣な場所であることが実感できるだろう。食といい、気候といい、風物といい、あまりに豊かである。
イタリア移住希望者には、まさに恍惚の書である。
『イタリア人のまっかなホント』マーティン・ソリー/著
イタリア人のすべてを見せます、教えますというのが本書の意図するところ。
タイトルが示すとおり、イタリア人論でありながら、ユーモラスに、それでいて端的にするどくイタリアーニの気質を捉えている。(本書は「思わず笑えるお国気質の暴露本」なるシリーズの一冊。タイトルは不真面目だが内容はいたく真面目である。)
ソフトカバーで、章立ては短く、とにかく短時間でイタリア人の生態がウォッチングできる。
マクドナルドのこと、カラオケのこと。異文化とのつきあい方は…?イタリア人のかかりやすい病気は…?と、現代的な事柄も把握できる。
トリノに暮らすイギリス人の手によるもの。
『イタリア幸福の12か月 陽気な国の暮らしのヒント』タカコ・H・メロジー/著
1年が12ヶ月に分かれているのは、言うまでもなくイタリアも日本も同じ。
そして季節感についても、多少の違いこそあれ、イタリアにも日本にも春夏秋冬がある。
本書では、1月から12月にかけてのイタリアの行事、生活習慣が、日本との比較もまじえて楽しく
書かれる。また、その対象もイタリア全域だから、著者の実体験のみならず、丹念な調査の跡を感じさせる。フォークロア的側面が濃厚で、イタリアの歴史、文化もふんだんに盛り込まれている。だから、繰り返し読めば、まさにイタリア博士になること請け合いの一冊。
イタリアでは元旦にはどんな「おせち」が出されるのか?、お年玉の中身は?、バレンタインは男女間のプレゼント交換にとどまらない?、カーニバルのいろいろ、イタリアの「七五三」は?、ナターレ(クリスマス)は?…
また、食いしん坊の著者は、季節をとらえるなら、まず食べ物を語れと言わんばかりに、イタリアの旬の味覚を月ごとに語ってくれる。アスパラガス、アーティチョーク、苺、サクランボ、ズッキーニ、トリュフ、柿…。
日本のとは品種の違うもの、食べ方の違うもの、いろいろ。まさに食はその国の文化なり。イタリアには1年を通して、暮らしてみたい。そんな想いを抱かせる出色のエッセイ集。
『幻のヴェネツィア魚食堂 ―イタリア味見旅』貝谷郁子/著
タイトルは、ヴェネツィア。でも、内容は、ヴェネツィアでの出来事のみにあらず。 第1の皿から、第10の皿まで。つまり、10(それ以上)のイタリア料理を10の都市ともに紹介する、エッセイ集。そして、各章に、エッセイに登場するイタリア料理のレシピつき。 少し大きめの本書の巻頭には、美しいイタリアの食材が、イタリアの人々とともに写真で紹介される。
フード・ジャーナリストの著者は、取材や、あるいは偶然出会った人々からイタリアの食の真髄を学んでいく。
読み手の私たちもそのご相伴にあずかるわけだが、読むだけで食欲をそそられる話、イタリア料理 の調理法の「なるほど」、あるいは料理のイタリア語などを楽しく味わうことになる。
見ず知らずの東洋人に、イタリア人はなんとやさしく、気前よく、イタリアの美味を提供してくれことだろう。きっと、イタリアにはほんとうにおいしいものが溢れているから、それを他人にも知らしめたい思いが、イタリア人の胸にむくむくとわき上がってくるのだろう。イタリア料理のこととなると、 もうその口を止められないほど何時間も語るイタリアーニが、本書には何人も登場する。
オリーブオイル、ワイン、ピッツァ、カツレツ…、私たちのよくよく知るポピュラーな料理も、本場イタリアで語られると、「へええ、そうなんだ」となる。そんなエピソードのてんこもりの一冊。
語り口は、控えめだが、語られるものには、深いイタリアへの造詣が見え隠れする。
元『NAVI』(自動車雑誌)編集者のトリノでの生活を綴ったエッセイ集。
タイトルのティーナは、著者のイタリアでの最初の愛車・チンクエチェントのニックネームである。副書名に自動車生活とあるが、内容的には車を小道具にしてイタリアでの生活、人との交流が描かれている。イタリア人とそこでの生活の特質を知ることのできる一冊。
行間から著者の人間に対する深い洞察力がにじみ、特にそれは6番目の「モロッコから来た男」(これは小説!)
に発揮されている。
『伊太利のコイビト』松本葉/著
伊太利のコイビトとは、つまり「イタリア人の好きなこと」という意味なんだと、読み終わってからわかった。(解説者の永井氏はまた違った推測をしているが…)
そういえば、挿入される5つのショート・コラムのタイトルも、ずばり「イタリア人の好きなこと」である。1.おしゃべり、2.人間、3.速さ、4.愛、5.イタリア。
いろいろあるけど、究極のところ、イタリア人はこの5つがイノチ、それらを原動力として生きているんだと思った。
『愛しのティーナ』と同じく、著者の文章は、イタリア観察記を越えるなにか、小説家的洞察力、感受性に満ち溢れている。だから、読み手は「イタリア」を読みつつ、同時に「人間」についても考えさせられることになる。
たとえば「オンナひとり旅はキビシイ」の章。トリノ近郊へひとり旅をし、その気ままさを著者は謳歌するが、リストランテでの夕食にはホテル側から護衛の男性があてがわれる。つまりひとりで食事するオンナは「誘われたい女」と定義づけられるというお国事情がある、というわけ。
ここで著者は、いろいろ考える。読み手も考える。
(「イタリアでのひとり旅もいいけど、ルームサービスで夕食ってことになるからちょっとね」と言っていた女ともだちの言葉の意味をやっと呑みこめた読み手の私。)
つまり、本書は現象だけでなく、その底流にあるものをも私たちに教えてくれるのである。
『愛しのティーナ』の続編と言われるが、時期的なズレはなく、イタリアに来たばかりの頃のエッセイも収められる。どれも、4、5ページの短いもの。しかし、そこに詰め込まれたエッセンスはあまりにも濃い。イタ車好きにもたまらない一冊。
『イタリアのすっごくおしゃれ! ミラノ発〈最新おしゃれ術〉』タカコ・H・メロジー/著
フランス人を夫に持ち、ミラノ近郊に10年以上住む日本人女性の著者による「すっごく」シリーズの1冊。この人ほどイタリアに同化してしまった人もいないのではと思うほど、イタリアについては隅から隅まで知り尽くし
ている。
本書では、豊かな知識の中から、特にファッションに焦点を当てる。日本には浸透していないイタリア流おしゃれ術が紹介されているが、それもこの本が刊行されて何年か経つ今、日本にもお目見えしているケースがある。(たとえば見せる下着術。もっともイタリアでは下着とはもともと見せるためのものらしい。)
またイタリアには、子供用のファッションがない。小さいときから、大人と服装をして、センスを磨くのだと言う。
読めばなるほど、イタリアはおしゃれの先進国であることを痛感させられる。ファッションの先取りをしたいなら、この本をすすめたい。文章もさすがプロのライターだけあって、いきがよくってユーモラスで読みやすい。
『女が幸せになるイタリア物語 楽しく、キレイでいられるちょっとしたヒント』 タカコ・H・メロジー/著
イタリア女性のパワーにはすごいものがある、というのはイタリア=マンマの国という、例の等式からもうかがい知れる。そしてこの本を読むと、イタリア女性はああ、やっぱり世界中の女性の中でも、別格の存在だと痛感してしまう。
タオルはもとより、ムタンデ(パンツ)にもアイロンがけしてしまうなんて、仰天。一日に最低3回は掃除をし、洗剤、たわしのたぐいまで完璧に収納し、キッチンにはなんにも置かないなんて、すごすぎる。働く超多忙なミセスでさえ、インスタント食品には手は出さない。なんて、あっぱれ!とくると、家事に没頭して人生を楽しむ余裕がないのでは、とつい心配してしまう。しかし決してそうではない。日本のようにカルチャーセンター通い、友人とのダベリといった発想がないこの国では、女性は自分の生活の中に、実質的で充実した喜びを見い出しているのである。
日曜にはフルコースの豪華ブランチを作り、中年を過ぎてもきれいにケアした脚を超ミニスカートからさらけだし、ごく当然のこととして、美しい笑顔を作るために国民の平均年収額に等しい大金をかけて歯の矯正をする。だからいつまでも美しいイタリア女性には、ノンナ(おばあさん)はいない。
イタリアに住みたいと思いつつも、日本にいたほうが、ある意味で安穏な日々を送れるのかもしれないと一瞬考えさせられる本である。
でも、永遠に輝いていたいなら…、ここに書かれていることを実践してみるのもいいのかもしれない。悔いのない、輝きのある人生のためにも。
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『おちゃめなイタリア人! 本気・本音の伊太利亜面白人国記』小暮 満寿雄/絵と文
イラストライターの著者は、安易に写真という媒体でイタリアを紹介しない。後半のイタリア美術のご教授編にしても、巨匠の絵を模写して我々に説明する。それが、つたなくもユーモラスなものなので、タイトルの「おちゃめ」に更に磨きがかかるというあんばい。
この人のイタリア人ウォッチングは、日本人VSイタリア人という視点がまったく欠如しているためか、登場するイタリア人は生々しく、等身大で、面白い。
シニョリーナのナンパに失敗したり、知りあったイタリアーノの悪口をむちゃくちゃ言ったりと、著者の中ではもはや国境という文字はない。それでいて、美術への造詣は深いので、読後は、イタリアについての知識が確実に身についているという、不思議な本である。
どちらかと言うと、南イタリアびいきの著者である。
『ママはローマに残りたい』神谷 ちづ子/著
人生のある時期に、外交官の夫の赴任先がイタリアだった。異動のつきまとう職業だけに、滞伊生活にはやがて終わりが訪れる。しかし、著者はたとえ家族と別れたって、一度ハマったイタリアから去ることはできなかった…。
ローマ大学の学生となって、なんとかローマに留まるのである。世間的には信じられないこの行為も、イタリアを愛する者には、快挙以外のなにものでもない。
現地で暮らす者のみが知ることの出来るイタリアが、ユーモラスに描かれる。
誰も困ることなく機能している二重駐車、ベランダでの空間作りへのこだわり、苗字は使わず名前で呼ぶのが当たり前…などなど。読めば、日本との違いがくっきり。
登場するイタリア人との交流には、あたかもイタリア人同士で交わされているものかのような錯覚を覚えさせられる。それほど、著者はイタリアに溶け込んでいる。
巻末の「ついにイタリアで大学生になる」には、イタリアという無秩序な世界で、「手続き」とい秩序がいかに成立しにくいかが、物語風に綴られていて、面白い。
また、一番タイトルとリンクするのは最後の「あとがきにかえて」だろう。ここには、著者の今に至ったワケが示され、自分の人生の意味を真摯にさぐる姿が認められ、考えさせられるものだ。
イタリアに住みたくとも住めず、かの国への熱情をくすぶらせる在日人には、ぜひぜひおすすめの一冊である。
『イタリア生活あるでんて』 芳賀 八城/著
フリーのカメラマンである著者のフィレンツェでの3年にわたる生活を綴る。一人暮らしをしたいという、単純な動機からイタリア入りしたという著者は、これ以前に1年間のイタリア放浪生活を送っている。イタリアの何かが彼を魅了し、この土地を選ばせたのだろう。
著者はイタリアのめちゃくちゃな公共システムや泥棒のことなどに触れながらも、「でも、実は」といって、愛しく憎みきれないと言ってイタリアを弁護する。
階下にあるトラットリアの人々やパン屋の主人、額縁職人、語学学校の仲間との交流を通じ、読む者は著者と一緒にイタリアでの生活を追体験することになる。
タイトルの「あるでんて」は、イタリア語で「食べものに歯ごたえのある状態」を指す。腹立ちもあるが、退屈のない国?イタリアでの生活を、そのものずばり象徴する言葉だ。
挿入された写真はなにげない風景の中に、イタリア人の生活がきちんと捉えられていて興味深い。
巻末の「最後にちょっとは観光案内」の章は、普通のガイドでは得られない情報もあるので、フィレンツェへ行く人は目を通されることをおすすめする。
『極楽イタリア人になる方法』パンツェッタ・ジローラモ/著
今、日本で最も有名なイタリア人と言えば、パンツェッタ・ジローラモその人である。セリエAやNHKのテレビイタリア語講座でおなじみの彼も、全国的に有名になったのは、そう昔のことではないのこと。
今 やマクドナルドのCMに出演するまでになったジローさんが、単行本で4年も前に出したのが本書である。
当時はイタリア本もまだまだ僅少。そんな中で、イタリア人の書いたイタリア本という意味で、イタリア・フリーク
にとって待望の書だった。
イタリアーノならではの、生きた情報に満ち満ちている。「働き者の町、ナポリ」は、労働とは本来いかにあるべきか、我々日本人が考えさせられる内容になっているし、「こだわりのカフェ」の章など読むと、ああイタリア人は人生の楽しみ方を知っているなあ、としみじみ感じてしまう。
パート2もあわせて読まれたい。イタリアへの理解が格段に深まるはず。
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『イタリアを丸焼き! 意地悪な日本人が見た文化国家のウソ・ホント』岩淵 潤子/著
副書名を見れば、この本が数あるイタリア本の中でいかに異色かが知れる。
たいがいの本がイタリアの魅力を語るのに対し、本書はその内容の八割以上をイタリアへの苦言で埋めつくしているのだ。親伊家にとっては非常に腹立たしい本である。
しかし、しかしである。ここに書いてある、イタリアの交通・郵便事情の悪さ、イタリア人のブシツケ、無駄だらけの社会…はすべて真実である。
そしてそうしたイタリアのまずさを解釈する人間には、ある程度は目をつぶるタイプと、悪く悪く考えてしまうタイプの二つが存在するということを、本書は学ばせてくれる。
たとえばブシツケなイタリア人の一例として、著者は外出の度に「チャオ、ベッラ(よっ、かわいこちゃん)」と言うイタリア人たちを挙げ、彼らに女性蔑視を感じる。そこで著者は、男たちを喜ばせぬように、みずぼらしい身なりと体を太らせることで自衛する。
しかし一方では、この「チャオ、ベッラ」には、イタリア人の人なつっこさを感じるだけの私のような人間もいる。(それにこの言葉には実は「やあ」という声かけ程度の意味しかない・・・)
イタリアに夢中になると、誰にでも、この魅力をすすめてしまいがち。でも苦手な人には苦手なのがイタリアなのだ。
相互理解のためにも、また留学予定者の「不便な国への覚悟」のためにも、読んで損はない。
『イタリアン・カップチーノをどうぞ 幸せが天から降ってくる国』内田 洋子/著
ひとつひとつのエッセイは短い。しかしおおげさな表現はなく、文章は抑制されている。その分、ひとつの章に込められた、イタリアン・エッセンスは濃厚である。
著者はイタリアに対するプロである。旅行した、留学した、移住した、というレベルのものではなく、イタリアを自分のライフ・ワークとしている人である(著者は仕事の関係で、ミラノと東京の2都市で1年の半々をすごす)。それだけに、イタリアの特色や文化、生活習慣までをきちんと紹介してくれる。六歳児のボディスーツ、犬の誘拐、駐車術…。様々な事象が、イタリアの特質によって解き明かされていく面白さがある。
また、この本の特色の一つは、挿画のしゃれた色づかいが、実にイタリア的で素敵なこと。
『イタリアン・カップチーノをどうぞ2 知れば知るほど好きになる長靴の国』内田 洋子/著
前著と同様、インテリア雑誌に連載されたものをまとめたエッセイ集。20年もイタリアとつきあいのある著者が描くイタリアは、私たちが「へーえ」と目から鱗が落ちるような興味深いエピソードばかりをピック・アップしてくれている。
イタリアのテレビ番組、クーラーがないワケ、虫歯治療の異常な高さ、年に数回霜取り作業の必要な冷凍庫、イタリアで家を得るまでの苦労、シチリア産ケッパーに花を咲かせる方法……。30章から成る。
また、「あとがき」がいい。20年前、ナポリ駅に初めて降り立った時から始まった「イタリア的生活」。「毎日のイタリア的楽しみと引き替えに」「暮らすだけでへとへと」な支離滅裂さ、混乱ぶり。なぜこの国がそれでも「存在し続けることができたのだろうか」、「それがわかるまではイタリアとの縁を切るわけにはいかない」と思った。そして今も「わからないまま」と著者は語る。
内田氏は、イタリアと日本の違いをはっきりと認識している。20年、深いつきあいを持ちながらもイタリアが「わからない」と言う。そうした謙虚な気持ちのままに、綴るイタリア観察記は、それこそ私たち日本人には予想もつかないイタリアーニの発想、生活信条に縁取られたもので、魅了されざるを得ない。
イタリア人になろうとしない、なれないことを知っている著者のスタンスゆえに、イタリア人の本質が、かえって生き生きと描き出される結果になっている。
内田氏のイタリアものは、どこからでも開いて読めるところが、自由で気まま、まさにイタリア的でたのしめる。
『イタリアの缶詰 おいしくて たのしくて にぎやか』 内田 洋子/著
『イタリアン・カップチーノをどうぞ』のシリーズとは、体裁がまるで異なる。51のエピソード
をタイトルのアルファベット順に並べるという、洒落た作りになっている。
著者は生のイタリアを伝えるために、登場するイタリア人を描写するのみならず、時に彼らに日記風、あるいはモノローグにより、自らの生活を語らせる。
性別も年齢も職業も異なる人々。86歳のポーカーの女王、スリといった、特異な人物もいる一方、ごく平凡な人物の、平凡な人生模様がほとんど。だから妙に親近感がある。それにローマやミラノ、サルデニヤ、ミラノ…と様々な出身の者が登場するだけに、それぞれのアイデンティティが見えてきて、興味深い。
著者は語る。「何年行き来をしても、何年住んでも、仕事をしても暮らしても、実体があるようで、ない。よく分けのわからない国」
、イタリア。
それだからこそ、51のエピソードで、様々な地域に住むイタリアーニを描くことでなんとかイタリ
それですこしでもイタリアの実体に迫れればと考えたのだろう。
みんなちがう。でもみんな、まぎれもなくイタリアそのものである。
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『破産しない国イタリア』 内田 洋子/著
イタリアの語り部と言えば、まさに内田洋子氏である。生きたイタリアを伝えたい、という著者は実在するイタリア人をエピソードで登場させることで、自らの課題を巧みに達成してしまう。
どこから読んでもOKといういつもの手法で、今回はイタリア人の気質、社会現象を提示する。そして物語の最後には、非常に旬なイタリアのデータを客観的な記述で開示してみせる。
思い込みだけでイメージしていたイタリア人。それを打開し、社会的存在としてイタリア人をそしてイタリア社会を捉えなおさせてくれる。
とにかく、エピソードは引き込まれるくらいに面白い。
本書の13話を読めば、結婚、離婚、学校生活、年金、住宅、犯罪、不法入国、車…と、イタリアの社会を笑いとともに、生きた知識として体得できる。
『ミラノの風とシニョリーナ』坂東 真砂子/著
女子大の住居学科の卒業をひかえ、ふと将来のことを考えたとき、脳裏に浮かんだのがイタリアへの留学。きっかけは、スペインの旅先で日本人青年が話していた言葉。「イタリア人は、みんなパープリンさ」
なんだか面白そうな国。そんな印象だけで、地理勘も語学力もツテもないままに、ミラノ工科大学入りを果たしてしまうというのは、若さゆえの芸当。当然、いばらの道が著者を待ちうける。
ミラノの住宅難と、語学の問題…。結局は、大学にも通いきれなくなるが、そこはイタリア。ひょんなきっかけから画家に弟子入りしたり、デザイン事務所に雇われたりと、どこへいってもイタリア人たちは、すんなりと著者を受け入れてくれる。
イタリア人の心は、風のように気ままで自由。2年間の滞伊生活は、後にホラー作家として大成する著者の基盤を形作ってくれたことは確か。
イタリア本にしては珍しく、淡々と綴られる文章が、また新鮮である。
『 ラ・ヴィタ・イタリアーナ』坂東 真砂子/著
『ミラノの風とシニョリーナ』から16年。今や、小説家としての基盤をすっかり固めた著者は、中世イタリアを舞台とする小説の取材を兼ねて、再びイタリアでの生活へと入る。
場所は北イタリアのパドヴァ。ヴェネツィアから列車で30分ほど内陸部に入ったところに位置する地方都市である。
この手の本にありがちなイタリアでの手続き上のゴタゴタから本書は始まる。しかし、著者はイタリア初心者にあらず。イタリア語に堪能なだけに、行き先も、行為も、かなり「通」なやり方で進めていく。片田舎の博物館めぐり、武道教室での奮闘、教習所通い、イタリア人への刺身作りのレクチャー…。
その中で改めて見えてくる日伊の文化の違い、イタリア人の真性…。
『ミラノの風…』との違い、日本をも含めてのイタリアへの深い考察が、ここにはある。たとえば、「ヴェネツィアの日本人」という章は極めつけ。運河が凍った大寒波のヴェネツィアで、ゴンドラでセレナーデを聴く観光客たち。驚きの観衆は、「日本人だ」と口々につぶやき、納得顔。恐らく、ツアーに組まれていた一大イベントのため、いくら運河が凍ろうとも、変更できない国民性…。
巻末の「小人の谷」を訪ねる「ドロミテ異境探訪」は、不可思議な異界を小説の舞台とする著者の嗜好の産物とも言うべきもの。
「人生は美しい」それを信じて日々、一所懸命に生きているイタリア人。イタリア人を改めて見直した著者の感慨が、この一冊に込められている。
『わんぱくナポリタン 小学生の作文が語る60の“詩と真実”』マルチェッロ・ドルタ/編
アルツァーノ ―ナポリよりさらに南の、長靴型のイタリア半島のカカトの部分。
そこの小学校に通う子供たちの作文集。と聞くと、なんだかとてもローカルな読みものというイメー
ジを抱くかもしれない。しかし、あなどることなかれ。本書はイタリアでベストセラーとなり、映画化もされているほどのもの。
赴任してから十数年、その間に読んだおびただしい生徒たちの作文の中から選りすぐっての60編。
作文だけに2ページ足らずのものがほとんどだが、虚飾のない子供たちの肉声が読む者の心にダイレクトに伝わる。
それらは、編者の語る通り、「屈託のない、悲痛なまでの楽天主義」、「南部の不安定な生活環境からほとばしる、 明るくしかも残酷な日々の出来事」にあふれ、イタリアの抱える問題を日常レベルから浮上させている。
「家族でお昼ごはんを食べます」という作文には、日曜日に父親が買ってくるお菓子の名が列挙され、その数から意外と彼らの生活は豊かじゃないかと思いきや、「一日のうちに全部食べるのではありません。一年間に食べるのです。」とくる。ユーモラスでありながら、貧しい南イタリアの現実を垣間見るかのよう。
読みやすい。面白い。そして、一編、一編の読後に、イタリアをまだまだわかっていないなと反省する、そんな一冊。
『ローマ散策』河島 英昭/著
各章の冒頭にはボッカッチョッの『デカメロン』の手法に倣い、短い導入語句が付されている。著者によれば、これはどこから読み始めてもいいようにしたための工夫とのこと。なるほど、散策の出発点はどこから始めてもいいものである。
3000年のローマの歴史と著者の約30年にわたるローマとの関わりの歴史が交錯している。ローマ案内であるが、観光案内ではない。カンピドッリオの丘、スペイン階段、テーヴェレ河・・・散策しながら、膨大な歴史としての時間が、あるいは著者の留学時の時間が、そして現在の時間が併存し、そこに美術、音楽、文学とい
った文化が横溢する。
書評めあてに曜日ごとにちがう新聞を買いもとめ、それらをもとにローマの古本屋をめぐり、その行程にはパンテオンが、トレーヴィの泉が、そしていつの間にか日が沈み、ナヴォーナ広場の噴水で水音を耳にする・・・。パンテオンの円天井にうがれた円の虚空から滴る雨水で、円形にぬれていく石の床、防御壁のなかった昔、手を伸ばせば触れられたラファエッロの墓・・・・。まさにあらゆる時間が交錯する都市を散策する、不思議で心躍る雰囲気が本書には満ち溢れている。
また、詳細な街路図がイマジネーションを膨らませるだろう。あいかわらずの格調高い文体は、繰り返し読むほどに心に沁みこんでいく。
『地中海の不思議な島』巖谷 國士/著
地中海という括りの中で描かれている紀行記ゆえに、舞台はイタリアにとどまらない。キプロス島、ロードス島、サントリーニ島、クレタ島、シチリア島、サルデーニャ島、コルシカ島、バレアレス諸島。イタリアの都市として取り上げられているのは、シラクーザ、セジェスタ、セリヌンテ(いずれもシチリア)とカリアリ、サッサリ、パルマヴェラ、サンタ・テレーザ(いずれもサルデーニャ)である。歴史に関わる記述については、ページ下の余白に補足説明がある。訪れた土地を描写しつつ、時にはその土地に関わる神話が語られる。
著者の手によるたくさんの写真のみならず、精緻な風景描写によっていまだ訪れたことない土地を体感することができる。
著者が「島々のよびおこす『不思議』の成分は」、「感覚的なもの」だと指摘するが、まさに島に共通する「五感を通じて新しい現実をめざめさせる」不思議な力が本書にはみなぎっている。光と影の織り成すコントラスト、青い海、色彩ゆたかな花・・・。
遺跡めぐりには不便なシチリアにあって、偶然出会った善意の人々によって目的地へいざなわれていくあたりは、私自身も経験したことである。
ダイナーズカード発行の「シグネチャー」誌に連載されていたもの(25回分)を全面的に書き直したもの。
『しゃべるが勝ちの 朝岡式イタリア旅行術』朝岡 なおめ/著
NHKのイタリア語講座に出ていた頃、初めて著者と出会った。
と言っても、その声とだけの邂逅。(ラジオ講座)
その時、「この人は何者?」といぶかった。と言うのも、とにかく発音が「イタリア人」、早口加減が「イタリア人」。ふっと切り替えて、日本語を話してく
れなかったら、きっと永遠にイタリア人だと思い込んでいたに違いない。
2歳から12歳まで、イタリアで暮らしていた。そんな経歴を知って、なるほどと思った。
「高熱を出した時は、味噌汁よりもミネストローネの方がありがたい」と「あとがき」で語る。日本的な顔立ちなのに、生粋のイタリア人。不思議な日本人女性である。
そんな著者が書くイタリア旅行のハウツウ本とくれば、もう、買い!
実際、これほど期待を裏切らなかった本はなかった。
タクシー編、ホテル編、街歩き編、エステ編…と10の章にわかれる。それぞれの終わりに、イタリア語の
「コロシ文句集」と「お役立ち単語」がついてくる。
そんな形式の本は多い。しかし、これは人格形成以前にイタリアをまるごと取り込んでしまった人の手による本であることをお忘れなく。
旅行中のコツはもちろんのこと、イタリア人の生態や食生活、よくつかう言葉なんかが散りばめられていて、イタリア好きには、読みすすめるのが惜しいほどの楽しさ。
5つ星ホテルの値切り方、イタリア男性ウォッチング、エステ体験などなど、他では知り得ない、生きた情
報も満ち溢れている。
イタリア初心者にも、上級者にも、イタリアの楽しさを満喫できる、そんな1冊。
『イタリア=鉄道旅物語』原口 隆行/文 三浦 幹夫/写真 1999 東京書籍 ¥1800 主な舞台 イタリア全域
イタリアで旅行するなら、どんな交通機関よりも鉄道をおすすめしたい。車窓からの変化に富んだ風景を眺め、風や光を感じる。そして車内でのイタリア人とのふれあい…。旅行の醍醐味が、鉄道をつかうことで倍増すること間違いなし。で、本書である。イタリア鉄道fsだけではない。ローカル色ゆたかな様々なローカル線まで紹介する。
カラーの写真、モノクロの写真を大量に織り込みながら、イタリアの今と来し方を教えてくれる。切符の
写真がたびたび登場し、ページをめくりながら旅のイメージも湧く。鉄道旅行でのコツも満載。さすがに食の国。駅構内の売店やバールの充実ぶり、食堂車のテーブルクロスのかかった小粋なテーブル、迷うほどのメニューの品々…。
イタリア旅行のプランづくりにはもってこい。また、日本にいながらにしてイタリアを列車で横断する、そんな芸当も本書をもってすれば可能である。巻末に「イタリアの私鉄リスト」付き。
『イタリア旅行の王様 悦楽の国を遊びつくす裏ワザ集』河野 比呂/著
本書はこれまでの旅行ガイドとはまったく異なる概念のもと作られている。楽しく読めて、かつ「こんな話が聞きたかった!」という本。中途半端な情報、イメージ中心、自慢話、どこにでも書いてある情報…。ガイドというのはとかく、現地で役に立たないことが多い。
その点本書は、おいしい店のマップやある地域の歴史などが載っているわけではないが、聞いててよかった、教わっておいてよかったとしみじみ感じさせることばかり。それを耳打ち話のように聞くことができるにくい文体。
現地のなま情報の取り方、事前予約すべき事柄、ほんとうに得な切符の買い方、これがわかなければもうアウトのイタリア語などなど。ここぞという耳より情報は太字表記になっている。イタリア旅行のプロを自認する人でも、本書を読めば目からウロコ。現地を5週間でまわり、得たノウハウの数々。旅行前に必ず読んでほしい1冊。
『イタリア庭園の旅 100の快楽と不思議』巖谷 國士/著
イタリアの庭園の歴史は長い。古代ローマ時代からの長いながい蓄積。そして、イタリアの庭園はおもしろい。フランスやイギリスのそれと比べると、遊戯性に満ち溢れ、多様さにも目を見張るものがある。ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、パレルモといった個性あふれる6大都市を出発点と
して100の庭園をめぐる旅。
著者は、年に数度はイタリアを訪れ、イタリア文化に造詣の深い巌谷氏。てんこもりの美しい庭園写真も、氏によるものである。紹介文も、抑制のきいた文章で、イタリア文化の真髄をとらえている。庭園にはナンバリングがなされ、写真への参照も容易。庭園というと、まっさきに思い浮かぶのはイギリス。しかし、この本を開くと、イタリアにはいかにたくさんの素晴らしい庭園があるかがわかる。そして、これらの庭園は、一般的なツアーでは訪れることのないものばかりである。本書を紐解けば、あらためてイタリアの底深さを痛感することになるだろう。
装飾、彫像、形態…様々な部分にドキッとさせられる、あるいは思わず笑ってしまう、そんな仕掛けにがほどこされた庭園の数々。庭園ひとつにも、イタリアの独特な感覚が、おおいに生かされている。
『ナポリと南イタリアを歩く』小森谷 慶子、小森谷 憲二/著
ご存じ小森谷夫婦による、イタリア紀行シリーズの第3弾。
イタリアで国際ジャーナルリズム賞を受賞した著者だけに、この地域の取り上げ方は広範囲に及び、また奥が深い。芸術的な写真集という側面は、『シリチアへ行きたい』『ローマ古代散歩』といった同シリーズと変わらず、遺憾なく発揮されている。
南イタリアと言うと、最近ではイタリア政府も修復に本腰を入れ始め、また世界文化遺産に登録されつつあり、にわかに脚光を浴び始めているゾーンである。
それでも日本人観光客は、ツアーの日程のため、せいぜい行ってもナポリとポンペイくらいか。そんな中で広範囲に南イタリアの魅力を、ビジュアルに語ってくれる本書は、南伊の強力な道先案内人。
地方の様々な都市の紹介はもとより、プレセピオやカメオ、大ギリシア、南イタリアの食など、興味深いトピックスも挿入される。
イタリアにふりそそぐ陽光のほとんどを南イタリアが独占しているのではあるまいか―私はここを旅するとき、いつもそんな風に思ってしまう。序での著者の言葉である。
実際に旅をしなくとも、この本からあふれ出る光から、読み手はきっと著者と同じ感慨を抱くはず。
『塩野七生「ローマ人の物語」コンプリート・ガイドブック』 新潮45編集部/編
古代ローマファンには、まさに待望の書がついに刊行!と言ったところか。
ローマほど古代と現代が渾然一体となった街は、他に類を見ない。どちらかというと広い街ではないが、ここには、紀元前からの夥しい遺跡が現存し、何度足を運んでも、どうしても見落としてしまうモニュメントが山とある。
本書は、新潮45の編集部が総力をあげて、そしてまた古代ローマを知るためのバイブルとしても名高い塩野氏の『ローマ人の物語』をベースにしているだけに、まさにコンプリートの名にふさわしい実に網羅的な完璧なガイドに仕上がっている。
4つのおすすめコースは、古代ローマを知る上でうってつけ。パンテオンやカラカラ浴場など「地球の歩き方」レベルのガイドに載っている著名なものはもとより、モンテマルティーニ美術館などイタリア通の好むスポットも、すべて美しい写真をまじえて紹介。「もう、ひとつ先のローマへ」なる第2章では、ローマ近郊のオスティア・アンティカはもちろんのこと、チェニジアのカルタゴまでガイドしてくれている。
塩野七生と語り、歴史を知り、また知られざる魅力的なお店も紹介。古代ローマ人名録、ことわざ、映画、オペラ…もりだくさんの企画。
至れり尽くせりのこの本は、値段以上の価値があることを必ず請け合います。
『イタリアをめぐる旅想』河島 英昭/著
タイトルに「旅想」とある。
まさに、旅にて想ったことが、ここには中心的に綴られていて、そこが普通の旅行ガイドとは、一線を画する点である。
著者は、名高いイタリア文学者であり、あのエーコの『薔薇の名前』の訳者としても知られる。14年というインターバルを経て、’80-81年に再び、イタリアに暮らし、イタリアを巡り、文学者の足跡をたどりつつ、作家(パヴェーゼ、ジョイス、ロレンス…)の人生の謎を探り、また自らの人生とイタリアの暗き現状
に対しての内省を試みる。ローマの落書、国境としてのトリエステ、サルデーニャの物静かな人々…。
著者はひとりイタリアの各地を移動しながら、イタリア人の土地と心に触れる。
イタリア人は自分が凡庸であることを知り尽くしているがゆえに、人に対して誠実であり得ると綴る著者は、人生の奥義を確かに知っている人である。何度も読み返すほどに、味わいぶかい闊達な文章からは、学ぶべきものがあまりに多い。「詩的経験の源泉」を見つめた、伊文学者の<自分への手紙>。
『IN TRENO TUTT'ITALIA』
ヨーロッパの列車時刻表といえば、『トーマス・クック』の赤表紙『ヨーロピアン・タイムテーブル』が有名で、個人旅行花ざかりの今、大きな書店なら、大抵積み上げられて売られている。(ダイヤモンド社から年4回3、6、10、12月に日本語版発行) これは便利で使える。
しかし、あくまでもヨーロッパ全体の時刻表だということを忘れてはならない。広範囲なだけに、当然紙幅の関係上、記載されているのは主要の便のみである。
もっと細かい、ローカル線まで網羅したものがないだろうか。
そんな要望に十分に応えてくれるのが、この『イン・トレーノ・トゥッティ・イタリア』である。イタリアの空港や、大きな駅に着いたら、ぜひ売店で買い求めてほしい一冊。
年に2回発行されている。
ナポリから近郊のパエストゥムという街へギリシア神殿を見に行こうとした際、某旅行ガイドには、サレルノという駅を経由しなければ行けないように書かれていたが、これを見たら、なんだ直通の列車があるではないか、ということになった。時間もだいぶ節約できた。
当地のことは当地できくのが一番。そんな定説をそのまま形にしたのが、本書だと言える。時刻表部分は、2色刷りで見やすい。ホテルのフロントでこの本片手に、道程を尋ねると、なお安心。
『イタリア色のレモンリキュール』 神谷 ちづ子/著
「人と生活」のコーナーで取り挙げている『ママはローマに残りたい』の続編。 家族をよそに一人、イタリアでの残留を決めた著者のその後の生活をつづったものだが、イタリアのあちらこちらを旅した記録が本書のメインである。
まず、著者の住むローマの遺跡めぐりから始まり、ウンブリア州のグッビオへ巨大クリスマス・ツリー見学、アドリア海沿いの町ヴァストで車の故障騒ぎ、ナポリでの盗難、トスカーナで見る本当の赤をまとった夕焼け、マルサーラで食べるシチリアのクスクス、アレッツォ(トスカーナ)の骨董市…。と全部で11章。 随所にみどころや、おすすめのリストランテの名が見え、イタリアに住むが故に得られた、貴重な情報の宝庫でもある。
しかし、単なる旅行記に終わっていないのが、本書のいちばんの魅力だろう。
イタリアの町をめぐりながら出会うイタリア人たちの生活、そこに南と北の経済格差や、就職難など、こ国のかかえる今日的な問題にも、著者の視線が注がれていく。
そして、離れて暮らす家族に対する後ろめたい想い…。
『ママは…』では、あまり触れられなかった著者の人生観が、時折垣間見えて、ほろっとさせられる。
人生の節目節目で、人が感じる心の迷い、焦燥感…、そこから抜け出るためのヒントが、イタリアやイタリア人たちの生活の中には確かに存在しているようだ…。
ジェットコースター。イタリアでの体験を著者はそんなふうに述懐する。
目次と一体になったイタリア地図は、所在をつかむのにとても見やすい。
『イタリア讃歌 手作り熟年の旅』 高田 信也/著
32日間のイタリア周遊の旅。その記録を、毎日欠かすことなくワープロに打ちこんでいく夫。 同伴の妻は、スケッチでイタリアの町々の風物を形に残していく。その労作が、本書である。
当初、この本を手にしたとき、自費出版的な、独り善がりと感傷に満ちた素人っぽいものかなと、正直思った。 しかし、予想に反し、この本ほど旅行記の醍醐味を味あわせてくれるものはなかった。
語学修行、情報収集、地理や歴史に対する予習、体作りと…、ヨワイ古希を目前にした著者は、精力的、意欲的に旅の準備に取り組む。
読み手も、旅を目の前にして、ワクワクしてくるから不思議なもの。そしていざ、出発。北はミラノから始まり、ヴェローナ、ヴェネチツィア、ボルーニャ、フィレンツェ、ロ
ーマ、ナポリそしてカプリへと旅を続ける。
列車や船、レンタカー、飛行機、あらゆる交通機関を駆使し、宿さがしに奔走し、メルカート(市場)で買った食材やリストランテでの郷土料理を食し、イタリア人のみならず、様々な国の観光客と交流を重ねていく。
その間、普通の旅行記ではなかなかお目にかかれない小都市(コモ、マントヴァ、ボルツァーノ等)を訪れたりもする。 文字通りの「手作り熟年の旅」。
また本書は、意図的に個人旅行の手引き書という作りにもなっている。
長旅の間胃腸を休めるには、価格も安い中華料理を時折摂るのがいいとか、イチゴのおいしい春のイタリア、スペイン旅行にはチューブ入りのコンデンス・ミルクが必需品だとか、ホテルにスーツケースを預けて周辺への小旅行を楽しむ旅行術…と、役に立つノウハウも多い。その上、文学、歴史、美術への造詣の深さが時折顔をのぞかせ、訪れる都市への関心を高めさせてくれる。
決して浮き足立ったところのない、格調の高い文体も、好感が持てる。短期間にイタリア半島を移動していくので、地理的に混乱しかけるが、挿入される夫人の巧みな地図が、読み手の強力な道しるべになる。人間年をとっても気の持ちようで、元気に人生を謳歌できる、そんな力強いメッセージにあふれた好書。
☆『フィガロ・ジャポン』1994年12月特大号 TBSブリタニカ
特集「南イタリア夢紀行」。知る人ぞ知る南イタリアの紀行案内の決定版。
ローマ、ナポリはしかり、シチリアの小都市のシラクーサやエリチェまで補完する、
ビジュアルかつ実質的な案内記になっている。
残念ながら雑誌形態なので、バックナンバーは古本屋か、あるいは図書館から拝借しなければならない。
南イタリアへ興味のある人はぜひ紐といてもらいたい一冊。これを見れば、どこへ行きたいか自ずと方向づけられること請けあい。
『ナポリの街の物語 イタリアのすべてがそこにある街』 寺尾 佐樹子/著
ナポリを単独に取りあげた本は、恐らくこれが唯一のもの。留学先のドイツから脱出、熱き憧憬の念からイタリアに居を求めた著者もまた、極めつけのイタリア・フリークのひとり。 イタリアにある素晴らしい街もまだまだ日本には紹介されていないのが現状。怖いトコロといってポンペイに行くだけ、ナポリは国立博物館どまりで素通り、なんて人も実際に多いはず。そこで著者は、多くの写真でぺージを割き、また歴史的な記述もまじえながら、我々にナポリの隠れた魅力の数々を紹介する。この通りは危ない、ここのゾーンはおすすめと、実用的な情報も随所に散りばめられていて、ナポリ行きには必読の書と言える。
『シチリアへ! 南イタリアの楽園をめぐる旅』 寺尾 佐樹子/著
上記の『ナポリの街の物語』と同様に、紀行案内記でありつつ、都市を主人公と見なした「物語」が本書には確かに存在している。それは、著者にシチリアに対する深い愛情があるがゆえのこと。なんとかこの土地のすばらしさを読み手に伝えたいという思いが、紙面からはみ出すほどにレイアウトされた写真によって、まず表れる。それらの写真は、次に紹介する『シチリアへ行きたい』掲載の、プロの撮った洗練されたものとは違い、どことなく素人っぽいが、それだけに、見たままの無骨で豊穣なシチリアがページから肉薄してくる。
パレルモにあふれるゴミ山や悪趣味なプレトーリア広場の彫刻たちのアップ、ノルマン宮殿のモザイクの精緻さ…。私たちが当地に行って出会うシチリアが、そのままの姿で生け捕られている。
また、マフィアの温床としてのシチリアという一般的に流布しているイメージを払拭させるために、歴史、生活、食べ物、と様々な角度から、かの地の魅力を紹介しようとする真摯な姿勢が感じられる。歴史的な用語については、上部の欄外に注釈を設ける配慮。
ゲーテの『イタリア紀行』のシチリア紀行をもとにシチリアをおとないつつ、ゲーテの見なかった街シラークーサを訪ねるあたりも心にくい。
紹介するスポットも、パレルモ、セジェスタ、エンナ、カターニア、シラクーサ、ラグーザ、タオルミーナ、メッシーナ…と、広範囲にわたる。そして、奥が深い。シチリア行きの必携の書。
『シチリアへ行きたい』 小森谷 慶子、小森谷 憲二/著
建築家の夫と歴史家の妻によるシチリア案内。まさに夫婦の努力の賜物というべきこの本は、ビジュアルな作りを得意とする「とんぼの本」シリーズの一冊に加えられるという僥倖を与えられ、最高の仕上がりになっている。
巻頭に取りあげられた街が、州都のパレルモでも、映画「グラン・ブルー」で有名なタオルミーナでもなく、シラクーサであることが夫妻のシチリアへの造詣の深さを物語る。セリヌンテ、セジェスタ、ノート、トラーパニ…と、普通のガイドでは知り得ぬ小さな、しかし重要な街まで、くまなく 収める。
また、各街の市街地図に見所が記されているので、旅行のガイド役ともなろう。収録の写真はどれも息をのむほどの美しさ。文字をたとえ一字すら読まなくとも、この写真を見れば、シチリアを見ずしては死ねない、ときっと思うはず。
『ワールド・ミステリーツアー13 イタリア篇』 水木 しげる/ほか著
私事で恐縮だが、私は10年ほど前にフィレンツェを訪れた。かの有名なウフィツィ美術館やラファエッロの「小椅子の聖母」で知られるピッティ宮殿へも行った。つまり見るべきものは、一応見たという気だった。 しかし帰国後、「芸術新潮」で、ラ・スペコラ博物館の存在を知らされ、なんともくやしく、残念な思いをさせられた。そう、見るべきものはぜんぜん見ていなかったのだ…。 場所も、ピッティ宮殿のすぐそばとある。本書の第6章「美醜の蝋人形たちに出会う」で紹介されている通り、そこはきわめて精緻な蝋人形にあふれる、解剖学博物館。
「消化器の間」「神経と血管の間」など、その名が示す通り、非常にリアルな人体が、脳や内臓を剥き出しにされたまま横たわる。パーツを合わせて、500点あまりの作品が展示されているらしい。
そんなグロテスクなモノ、なんでイタリアで見なきゃならん、とおっしゃる方もいるかもしれない。
だが、こうしたものとは、イタリアという、芸術に賭ける国でこそ、遭遇できるのではないだろうか。他に、ローマの北100キロにあるボマルツォの「怪物庭園」、腐敗していない遺骸のあるシチリアのカタコンベ、サン・ジミニャーニの見るも凄惨な拷問器具をコレクションした「イタリア中世犯罪博物館」など、盛りだくさんの写真で紹介する。(行き方や開館時間などの情報もあり)
竹山博英、巖谷国士、水木しげるなど、この方面で造詣の深い執筆陣が歴史的な視点とともに、私たちをイタリアの異界へとガイドしてくれる。
巻頭の水木しげるのイラスト付コラムや、巻末の、奇怪スポットとホラー映画案内も興味ぶかい。イタリアの真髄に迫るためにも、この本をお供に、ちょっと別のルートでイタリアを巡るのも、面白いかもしれない。
『イタリア映画を読む リアリズムとロマネスクの饗宴』 柳澤 一博/著
2001年のカンヌ映画祭、パルムドール賞に選ばれたのは、イタリア映画『息子の部屋』。
監督・主演は、ナンニ・モレッティ。この受賞に裏付けられるようにイタリア映画は今ふたたび黄金時代を迎えた。
「ライフ・イズ・ビューティフル」、「海の上のピアニスト」など、イタリア映画ファンならずも、そのヒットを記憶している作品も増えてきている。
豊穣なるイタリアの映画を一冊の本で括るのは難しい。しかし本書は、巻頭で40年代から90年代に至るイタリア映画史を的確に簡潔にまとめ、以下45年から99年までの代表的名画を45編解説する。そして最後に作家論へと進み、9人の映画監督を語るのである。
ここに取りあげられる全ての作品はまさにイタリア映画史を形づくる名画であり、年代順にならぶそれらはそれぞれの時代の空気を醸し出しながら、ネオレアリズモとロマネスクを底流に息づかせている。本書の素晴らしさは、映画を単なる作品論で終わらせず、監督の生き様をも含んで解説している点であろう。ヴィスコンティ、ベルトルッチ、フェリーニ・・・が、その時何を考え、何をもとめて映画に取り組んだか。本書を通じ、背景を知り、再び映像に戻るとき、観る者の喜びは倍加するはず。
『現代イタリア情報館』 日伊文化交流協会/監修
イタリアの文化、社会、歴史、芸術、生活を知りたい時に1番手っ取り早いのは、イタリアの知りたいことが50音順で引けることだ、という点を本書を手にして初めて悟ることになる。
現代イタリアを知るための書籍は多い。しかしそれは、たとえば現代の政党のことや今人気を博しているある特定のオペラ歌手のことだったりする。
しかし私たちが現代のイタリアを理解したいというのは、ある現象についての今と、今何故そうなったのかの歴史的な積み上げ、背景なのである。
その意味で本書は現代のイタリアを知ると同時に、文化的、歴史的背景を知ることができるという意味で(50音で引けるという体裁とともに)類書を凌駕する。そして挿入される図版、地図、コラム、漫画、メモなどが私たちの理解度を更に高めてくれる。
この本を読む(引く)ことで、イタリアという国は現代的な現象であっても、それは長い長い歴史の産物であることが痛感されるだろう。
とにかく、便利でありながら、イタリアへの知識が何よりも深まる本であることは間違いない。
『イタリアの覗きめがね スカラ座の涙、シチリアの声』 武谷 なおみ/著
著者自身のイタリアへの関心が、どのような変遷をたどっていったかを、旅に見たてたエッセイ集である。
イタリア・オペラのプリマドンナ、ジュリエッタ・シミオナートの声に魅了され、それが彼女との文通、そしてイタリア文学への専攻へとつながっていく。
シミオナートとの親交が語られる部分から、すでに読み手は本書に惹きつけられるだろう。そして、シチリア出身の作家の足跡から、シチリアに肉薄する。そこには、シチリアーノの生きた歴史がつづられ、冷徹な著者のまなざしが、いっそうシチリアの深い哀しみや喜びを浮き上がらせていく。
神戸で遭遇した大震災。著者の「人生」への洞察はいよいよ深められていく。イタリア文学、映画、オペラ…と、イタリア芸術への視野を広げてくれる、非常に濃度の高い本でもある。
『個人生活 イタリアが教えてくれた美意識』 光野 桃/著 2000 幻冬社文庫 \533 主な舞台 イタリア全域
ジャンニ・ベルサーチやフェラガモ・グループ会長といったファッション界をリードする人々のみならず、ごく普通のイタリア人の部屋をも拝見しながら、同時にその人の「人生」を、イタリアの美意識を探る。
インテリアとは、つきつめれば「自分がどう生きるか」ということを形にしたものだと著者は言う。だから、素敵なインテリアを覗き見て、「いいなあ、自分の部屋もあんな風にしたい」というのは間違いだ、と…。
なるほど、ここでカラー写真で紹介される部屋は、決して似ていない。それぞれが住まう人の個性を表わしている。
日本で失われがちのもの。まず自分とは何かを見つめ直すことから始める。そして、世界でたったひとつしかない、自分だけのインテリアを模索し続ける。今まで一度も考えてことのなかったこと、しかし同時にインテリアの真理ともいうべきものを本書は教えてくれる。
人生を本当の意味で謳歌するイタリアの一面を、またもや垣間見た思いである。
『「時」に生きるイタリア・デザイン』 佐藤 和子/著
まず、巻末の人名索引。建築、デザイン界の逸材の名が連なる。それだけで本書の内容の濃さがうかがえる。
30年代から90年代にかけてのイタリア・デザイン界の動き―元来イタリア人が持つ感性と美的センスを基盤として、優れたアーティストの輩出と時代のうねりの中で醸成されていく過程―がここにはある。
文章はページの上半分のみ。あとは美しい図版が埋め尽くす。専門がちになりやすい主題を、なんとか親しみやすい形にしようとする有り難い配慮が感じられる。
エットレ・ソットサス、トマス・マクドナドといった巨匠へのインタビューは、30年にわたってミラノを拠点に活躍する著者だからこそ実現し得たもの。
イタリアのデザインはどこか違う、と感じたならこの本を紐解くべし。
アレッシィもオリベッティも、まさに「一日では成らず」。イタリアデザインのすべてがわかる、充実の一冊である。
『ミラノ インテリア修行』 杉本あり/著
「留学もの」であると同時に、イタリア・インテリアの紹介本でもある。
3章から成り、1章は留学にまつわるエピソードが綴られる。これは、イタリアに魅了される→語学留学→家探し、大家さんや仲間との交流、とよくありがちな話。しかし2章の半ば、インテリアの学校に入学したあたりからのエピソードは、なかなか興味深い。(時間的に連続したものではなく、その時々の雑感といった感じではあるが…。)
建築に関しては、何の予備知識も持たなかった著者だけに、イタリアのインテリア、イタリア人の感性に対する純粋な驚きや感激が語られる。
天井は2.70メートルないといけない、部屋から便器のある空間までに、便器のない空間を一つは置かなくてはいけないなどの建築法規。おしゃべりする空間という概念がしっかりと定着していること、インテリアでのタイルの多用、壁紙と木の床がないこと…。
面白いのは、著者がつねに日本との比較でイタリア建築をながめ、イタリア建築のあり方の背景を探っている点である。
写真はモノクロだが、現在進行形のミラノの姿を垣間見ることができ、タウン・ウォッチングのコツも学べる。
『永沢まこと 海辺のイタリア』 永沢 まこと/著
精緻なタッチ。イタリアらしい鮮やかさ、そしてやわらかいイメージ。 すべて海辺のイタリアを描いた画集である。
海に囲まれ、かつ幅のないイタリア半島。むしろ海辺を持たない街の方が少ないと言える。ポルトヴェーネレ、リオマジョーレ、アマルフィ、カプリ、ナポリ、タオルミーナ…。
湾から臨んだ美景はもとより、海辺での人々の暮らしを活写しているのも楽しい。
眺めているだけで、イタリアの風と光を感じられる、そんな一冊。
著者は94年から、数回、「イタリア展」を日本で開催しているが、それらの集大成というべき画集である。
『南イタリアヘ! 地中海都市と文化の旅』 陣内 秀信/著
ナポリ、アルベロベッロ、マテーラ、パレルモはもとより、小さくとも魅力溢れる街―レッチェ、
ノート、シャッカ、チステルニーノ、ポッツオーリなどをも紹介する。
著者はイタリア建築の研究家。『ヴェネチア』(同じく講談社現代新書)で、北イタリアの水上都市を案内した著者が、今度は南に肉薄する。
専門家ならではの切り口とはこのことで、アルベロベッロではトゥルッリ(円錐型ドームの家)の起源や内部の構造に触れ、チステルニーノでは袋小路の都市学的考察を行い、マテー
ラでは洞窟都市の歴史的な変遷をつづる。
建築から見た南イタリアがここにはある。
興味深いのは、過去から現在にさかのぼる視点があることで、南イタリアの「今」を知ることができる。
大都市の歴史的街区は開発から取り残され、廃墟と化していた。それが、近年、修復、
整備され、活気を取り戻してきた。歴史的にも、文化的にも宝庫である南イタリア。
南イタリアの知られざる魅力を語り、南イタリアへと読み手を誘う。
写真と図版もわりと多く、一部カラーにもなっている。
『パスタ万歳!』 マルコ・モリナーリ/編
シェフとして数多くの世界的なタイトルを持つ編者のマルコ・モンナーリは、東京・西麻布の「リストランテ・ムゼオ」のオーナーであり、フジテレビ「料理の鉄人」でも優勝している御仁でもある。ご存じの方も多いと思う。その彼が、パスタへの愛をこめて世に問うたのが、本書である。
本書を出そうと思い立った第一の理由として、日本には驚くほどの数のレシピ集はあっても、パスタの文化まで言及したものはないという点を挙げる。それだけのことはある。本書には、パスタの歴史、文化、その味わいがぎっしりと詰まっている。
一章の「パスタ讃歌」には、よくもここまで集められたと思うほどの有名人、文化人、歴史上の人物のパスタ語録のオンパレード。
マリリン・モンローは、アルデンテのパスタを上手に茹で上げ、それを口にした作家を驚かせたという。その時、彼女はこう答えたとある。私の一番最初の旦那がイタリア人だったの知ってたかしら。ジョー・ディマジオよ。イタリア人の夫が世界一だとは、とても言いがたいけど、少なくともおいしいパスタの作り方ぐらいは教えて
くれるわね
そして、パスタの文化史、パスタのいろいろ、世界のパスタ事情…、そして最後に「おすすめパスタ」のレシピまである。
笑えるのは、カバー裏の「日の目を見なかったパスタのいろいろ」の図。モディリアーニの彫刻発見に合わせて作った「モディリーアーニ顔」のパスタや、未来派運動期のシュールな形のパスタ、オリンピックの五輪を模したパスタ…。
パスタ好きにはたまらないパスタ百科である。
『サン・ピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』 石鍋 真澄/著
著者は、イタリア美術史の研究家。ローマの「主要なモニュメントを見ながら、ローマの歴史やトポグラフィー、美術を考えてみよう」というのが、本書の目的であるが、1年に及ぶ滞在の中から生まれた本書は、著者のイタリアへの深い知識とあいまって、実に読みごたえのある、本格的なローマ案内となっている。
ポポロ広場、スペイン広場、フォロ・ロマーノ、コロッセオ、パンティオン、トレヴィの泉…と、観光客の誰もが訪れるポピュラーなスポットを取り上げながらも、そこにはガイドにはまず書かれていないような歴史的な裏話があって興味をそそる。
たとえばコロッセオである。 現在のコロッセオと言えば、現代的なフォリ・インペリアーリ通りのアスファルトに突如現れる、考古学的な標本といった感があるが、統一以前は、生い茂る植物と渾然一体となった廃墟であったと言う。
著者の引用するスタンダールのスケッチからは、自然と溶け合うロマンチックなコロッセオがくっきりと浮かび上がってくるのである。
また、トレヴィの泉の「コインを投げ入れると再びローマに戻れる」という、例の伝説も、もとはと言えば出発前にここの水を飲むものであったのが、いつのまにかコイン投げの儀式へと変化したと指摘
している。
いずれにしても、膨大なる古い諸文献を読みこなしているがゆえに、私たちに披瀝しうるエピソードだと言えよう。
「あとがき」で著者は、「外国の文化について学ぶには、ある種の『愛』が不可欠」と記すが、まさにローマの街中に溢れる文化に対する「愛」があるからこそ、生まれた労作であると言って過言ではない。
ローマを手探りで歩き、そして本書を読み、またローマに戻る時、古代のモニュメントが生き生きと親近感をもって蘇るに違いない。
また、本書は、バロック美術を知る上での強力な案内役にもなっている。
『イタリア・都市の歩き方』 田中 千世子/著
都市のガイドであると同時に、その都市を舞台にした映画案内になっている。
本書については、「紀行・案内記」のコーナーで登場させるべきかどうか、少々迷った。でも、映画評論家の著者による本書は、やっぱりイタリア映画の入門書というのがふさわしい。で、「文化・芸術」のコーナーでの紹介となる。
たとえば、第一章の「フィレンツェとトスカーナ」では、町の案内役として機能するのが、「眺めのいい部屋」、「サン・ロレンツォの夜」、「王女メディア」、「黒い瞳」、「ノスタルジア」などの秀作映画。主人公の散策を通じて、みごとにトスカーナ地方の都市を視覚的に浮かび上がらせてくれる。
そして、随所に見えるイタリアの歴史と現状への言及。
ヴェネチアからミラノ、フィレンツェ、ローマ、シチリアへと都市を巡りながら、私たちはいつしかイタリアの今と昔、そして映画への興味を膨らませていくという、非常に立体的な作りとなっているのである。
巻末の、都市とリンクさせた映画案内は、網羅的で、とっても役に立つ。
また、同著者による、映画を用いたイタリア案内が、雑誌「楽園計画」(第2号’99.4.29 双葉社880円)にも掲載されている。(107-114p)こちらも必見!
『マエストロになりたい イタリアで修行する日本の若者たち』 水沢 透/著
イタリアに職人をめざして留学している日本人って意外に多いもの。本書には、主として北イタリアの小都市に、アルティジャーノ(職人)をめざし、留学している若者へのインタビューをもとに、彼らの履歴や動機、現在の生活 が描かれている。
バイオリン制作、モザイク画家など、日本には存在しない知られざる職業の紹介もさることながら、それに従事する若者のすべてが、芸術系の大学出身といった、生来の専門家でないのが興味深かった。
日本人は、もともとが手先の器用な民族であることを再確認した。
また、日本のような徒弟制度はなく、掃除当番はマエストロ(親方)も含めて、みんなですると言う。
そんな教育は、すでに家庭教育の段階で終わっているとのマエストロのひと言には、うーんとうならされるものがある。さすが、成熟した大人の国!
『フェデリコ・カルパッチョの極上の憂鬱』 木暮 修/訳・註
これは読んでて笑える。それも極上の笑いを約束してくれる。
トウキョウに住む、フィレンツェ出身のイタリアーノが、日本が輸入し独自に変形させたイタリア文化を驚愕の念をまじえつつ、紹介していくクダリがなんともいえない。
彼自身、日本を誤解して観察している節があり、それが下段の註にて逐一注釈されているのも面白おかしい。
彼の語る真正イタリアについての発言(ワイン、イタリア料理、ファッション…)も見逃せない。『エル・ジャポン』 に1989年から94年まで連載されたものをまとめたもの。
当時日本はバブルに沸き、イタ飯ブームの頃で、この本から当時の日本がいかに華やかで、かつイタリアに 対し初心者であったかがうかがい知れる。
フェデリコ=木暮修というウワサもあるが、それが本当なら、日伊の比較文化論にこれほど長けた人もいないと思われる。
『イタリア料理入門』 永作 達宗/編
イタリア料理の本はブームだけに、ものすごくたくさん刊行されるようになった。
その中でも本書は、値段も手頃、内容的にもプロセスが写真で詳述されている、また好き嫌いがある人でも 42ものレシピがあるから食べたいものが必ず見つかる、といいことずくめ。
前菜から始まり、パスタ、魚料理、肉料理、デザートとイタリア料理のフルコースが章だてされているのも心にくい。
巻末には各々の材料の説明がされているので、作れない人でもクッチーナ・イタリアーナ(イタリア料理)の知識がぐっと増えるに違いない。その成果はリストランテのチョイスで発揮されよう。
料理の内容としては、多分にソース系で洗練されていると思いきや、ピサ近郊のホテル・レストランのシェフの手によるものとあとがきにある。どちらかというと、北イタリアよりの味付けか。
『イタリアの味わい方』 田之倉 稔/編
イタリアを広く網羅的に知るには格好の書。
歴史、モード、料理、建築、音楽、美術、演劇、映画、政治と、イタリアをあらゆる角度から検証する。
編者の田之倉氏は、日伊協会の理事。その人脈だろうか、執筆人は、西村暢夫、高田和文、岩本憲児…いずれもそうそうたる顔ぶれ。
ひとつひとつの事象を全体としてふかんできる。
特に映画の項は、イタリア映画を極めるために何を観るべきかがわかる格好のガイドになっている。
『イタリア美術鑑賞紀行』全7巻 宮下 孝晴/著
本書は、イタリアの様々な街ごとに章だてされ、その街からの便りで章が始められるという、構成上の独自性がある。旅先の「私」から「あなた」へ向けて発信される手紙には、今日、訪ねる場所の予定や、暑さ寒さの報告、そして旅先で出会った人々との交流が、温かみのある、優しい言葉で綴られている。
まだ見ぬ、小さな街からの便りは、私たちの想像力をかきたて、続いて写真や図版、地図とともにその土地の芸術作品や建造物、風物への説明がなされる。そこには、単なる旅行ガイ ドでは知り得ない事柄が、エピソード風にまとめられている。
たとえば、ローマのスペイン広場にあるバルカッチャの噴水のモデルは、テヴェレ川の氾濫で広場に流れ着いたボロ船であるとの記述が見えたりして興味深い。
本シリーズは、いまだに光を当てられていないイタリアの街まちへと私たちを誘う。また、くまなくイタリアを周遊する著者に羨望の念をも禁じ得ない。
巻頭の写真も、美しく貴重なものばかり。[1]ヴェネツィア・ミラノ編 [2]フィレンツェ・ピサ編 [3]シエナ・アッシージ編 [4]ローマ・ヴァティ
カン編 [5]ナポリ・ポンペイ編 [6]シチリア編 [7]珠玉の町編・データ編
『秩序系と無秩序系 理屈をこえた国イタリアの愉快なエッセイ』 ルチアーノ・D・クレシェンツォ/著
映画監督、脚本家、俳優をもこなすイタリア人作家のヒット作。(’96のイタリアのベストセラー・エッセイ)
これは文句なしに面白い。イタリア人と日本人とをユニークさの点で比べたら、もちろんイタリア人に軍配があがるはず。
そんなイタリアーニが大喜びして読みあさったことを踏まえるなら、本書はとんでもなく面白い、ということの証左になるだろう。
著者はマルチになんでもこなす人だけあって、読んでいても抜群の聡明さがビシビシと伝わってくる。
行きあたりばったり書きつけていくのが好きだと序で述べているが、タイトルの秩序系・無秩序系というテーマは、話題が多岐にわたりながらも、決してはずさないあたりが只者ではない。
また、登場するイタリア人たちも、一筋縄ではいかない人たちばかりだ。
宝くじに当たったというフォフォ、数学者カッチョッポリ、携帯電話貸し屋のコラスティなど。でも、いちばん手強いのは、著者のデ・クレツェンツォその人である。
哲学、物理学、数学などの問題を、たとえ話で巧みに説明してくれる。
作家になる以前はIBMのローマ支社長だった著者の、当時のよもやま話も面白い。
イタリアになんの興味がない人が手にしても面白いものだから、日本でもベストセラーになってもちっとも不思議ではない。
イタリアの文化を、イタリア的発想でダイレクトに知るための格好の書ともいえる。
『イタリア的考え方 ―日本人のためのイタリア入門』 ファッビア・ランベッリ/著
この本は、イタリアーノによるイタリア入門である。それも、勝手気ままに書き散らすのではなく、山口昌男氏の愛弟子というだけのことあって、深かーいふかい心理的、社会学的かつ歴史的分析に縁取
られている。
日本と比べると閉まっている店が多い。ストライキも多い。営業時間が不便。といった不平不満から、
私たち は イタリア人に怠惰な国民性をイメージしがちである。
要するに、陽気だけど愚かだと思うのである。
しかし、同時に彼らの作り出す文化や芸術や製品はとても気に入り、これらは楽しい生活の現れとだと思っている。
日本人が描きがちなイタリア人の心性の誤りを看破するとともに、逆に日本人の思考回路をあぶり出すという、芸当をやってのけるのが本書である。まさに日伊比較文化論。
『ウソも芸術、イタリアン』 高岸 弘/著
今から30年ほど前のこと。建築家の卵である著者は、ニューヨークを目指す。その途中下車のつもりで立ち寄ったローマ。そこでのすぐさまに味わったトラブルと、イタリア人との交流。そして歴史の息づく町並み、すべてにハマってしまった著者は、一週間も経つと、この国で住みつづけるために職探しに奔走する。そして2ヶ月目に運よくありついた建築事務所での仕事。そして10年もの歳月をイタリアで過ごすことになる。
この本の面白いところは、イタリアの個性や芸術が、人を喜ばしたいという、強烈な欲求によって生じ、そして発展したという視点である。イタリア料理がうまいのも、ファッションが優れているのも、
手品のように人々を驚かせ、喜ばせたいため。
その代表格は、イタリアに横溢する嘘である。ドロボーにしてもしかり。やられたときは無性に腹が立つけど、他人に語れば手を叩いて喜ばれるようなエッセンスが、そこにはある。
女を口説く作法も、イタリア人ならではの機知とユーモアで溢れている。
繰り広げられるイタリアでの生活は、読み進めていくことが、しだいに惜しくなるほど、面白い。朝起きるとベッドの位置まで移動してしまうような傾いたホテルの部屋にも順応してしまう著者も多分にイタリア人的な人である。
日本ではほとんど紹介されていないサルデニアでの旅行記も、興味深い。日本に欠けているものが見えてくる一冊。
挿画はすべて著者。画家でもある著者。文章だけではわからないものが、巧みにスケッチされている。
『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』 郡 史郎・池田廉/編
以前ある方から、「辞書についてのオススメが掲載されていないが、なにがいいでしょう」というご質問をいただいたことがある。
その時に一応お勧めしたのが、緑表紙の『伊和中辞典』(小学館)と、その姉妹版である赤表紙の『和伊中辞典』(小学館)。
恐らくイタリア語を勉強している人ならばためらいうことなく、この2冊を必須書籍として推薦するはず。(少し前に新版が出て、さらに見やすい作りになっている。ただ『和伊』の方は時々とんでもない間違いがあって、これをもとに作文をすると、イタリア人からぎょっとされることもあり?!)
しかし、この2冊を持ち歩くとなると、相当かさばるし、何よりも重い。
そんなイタリア学習者、旅行者の悩みに応えてくる辞書が刊行!それが本書。この辞書の何がいいかと言うと、コンパクトにして収録されている語が多い(伊4.5万語、和2万語)、そして何よりもひとつで伊和、和伊を兼ねそろえていること。新しいものだけに時事用語も押さえている。
真中には「話す・書くためのイタリア語表現」という章があり、基本会話や手紙の書き方など実用性が高い。イタリア旅行には欠かせない常備薬。
『みんなイタリア語で話していた』 岡本 太郎/著
ある国の国民性を探るとき、言葉の言い回し、表現にその答えはこめられている。
日本語には日本人の、イタリア語にはイタリア人の価値観や思想、方向性がこめられている。日本人のこととなると客観的に把握できない。でも、イタリア人なら、つかわれる表現から「ああ」と納得しながら彼らの特性がつかめる。
その大いなる手引書が本書である。
イタリアで旅をしているならば、この国の人たちが驚くほど頻繁に「グラッツィエ」(ありがとう)と言い、お礼を言われた相手が必ず「プレーゴ」(どういたしまして)と返すことに気づかされるだろう。わかちがたくセットなるこれらの言葉の背景は?そんな調子にたくさんのイタリア語がイタリア人の心性とともに解き明かされ、同時に日本との比較がなされていく。するどい洞察力には舌をまく。
イタリア語で「私の・・・」「あなたの・・・」と略して言った時、それは何を意味するのだろう。
答えは本書の巻末に載っているが、・・・が○○と知るとき、私はイタリア人の価値観に優しさを感じてしまう。イタリア語から、イタリア人の真髄を知る素晴らしい本である。
『「チャーオ」がいえたらイタリア人 英・仏・伊をカタコトで モノにした私』 タカコ・H・メロジー/著
フランス人の夫、イタリアに’86年から暮らしている。いかにもインターナショナルな環境に暮らす著者に憧れの気持ちを抱くことが多かった。イタリアの生活にすっかり溶け込み、料理、ファッション、生活習慣などイタリア文化を軽妙洒脱なタッチでアチコチに書き綴るタカコさんだから・・・。憧憬とは自分に無いものに対するある種絶望的な想いでもある。
しかし、これを読むと、英語ひとつ碌にマスターできなかった自分でも、立派にイタリアで暮らせるのでは?という気持ちにさせられるから不思議である。
語学拒否症、外国人嫌いだった著者がどのようにして外国語をマスターしていくか。
自叙伝風に綴られていく物語の中に、私たちは楽しくそのヒントを教えられていく。
フランス語は「グジュグジュー」と発音すればイイというのには、大いに笑える。チャオではなく、チャーオと伸ばせばいっぱしのイタリア人。料理をしながら覚えるイタリア語。老女に習うイタリアの格言。すべてが生活に根ざしていて面白い。
カタコトでもいい、相手と話したいという気持ちがあれば何とかなる。そんな大雑把な感覚が、語学本来の面白さを教えてくれる。
『イタリア語の手紙の書き方』 牧野 素子/著
待望の書がついに刊行した。イタリア語の手紙の書き方の本。あるようで、全然なかったのが、これ。これは今世紀最後の贈り物である。
個人旅行が一般化され、イタリアへの留学者が増えていく中で、この種の本は必須である。特にホスピタリティの厚いイタリアーノ。旅先で、滞在先で、親切にされる機会は欧米でもだんとつに多い。現地でうまくお礼の言葉を表わせなかった時は、帰国してからじっくり手紙を通じて感謝の意を表したい。
e−mailで文通する、ショップへの問い合わせ、素敵なラガッツァ(女の子)へのラヴ・レター…。イタリア人とのコミュニケーションを持つチャンスが増えた今、本書の様々なシチュエーションでの表現を学べば、各段にイタリアは近くなること請け合い。イタリア語の手紙を書く際の独特のルールも掲載されている。カード、名刺のメッセージなどの情報もあり。
「そのまま使える表現例」がふんだんにある。非常に「使える」1冊である。
『今すぐ話せるイタリア語 〔応用編〕』 野里 紳一郎/著
イタリアブームでイタリア語に関する参考書も各社から出始めている。しかし、そのほとんどが旅行会
話を想定した初歩的なものばかり。内容的には似たり寄ったり。
そんな中で、珍しく本書には「応用編」という名が付いている。
これはイタリア語歴3年以上の学習者が対象といった感じである。文法よりも聞き取りが中心の作りで
そのためCD2枚が別売でなく、ちゃんとついている。(それで1300円とは安すぎる!)
会話の内容も、イタリア人の独特の言いまわし(それも頻出表現)がたっぷり含まれていて、これである
程度覚えてしまえば、生きたイタリア語を体得できるはず。
各章の基本会話も、手を替え品を替えで繰り返されるので、力がつく。
入門編、自由自在編もあり。
『おしゃべりは旅のドルチェ! イタリア 食べたり しゃべったり』 貝谷 郁子/著
「通訳でも、イタリア語の先生でもなくて、イタリア語に関してはひとりの『イタリア語使用者』そして、(
イタリア語が好きな)ひとりの『イタリア語愛語者』です。」と、序文で自己紹介。
実に謙虚な言葉。イタリア人ではない。イタリア語を話せるジャポネーゼにすぎない。そんな思いから、そう自称しているのだろうか。
しかしジャポーネーゼだからこそ、イタリア人のイタリア語の「使い勝手」を外側からきちんと捉えられる。
それに、イタリア語に接する私たちが普段なんとなく感じているナゾやらユーモアやらを書き綴ってくれるので、「そうそう」とうなずいたり、「へえ、そうだったのか」と目からウロコ状態になったりと、ほんとうに読んでいて心楽しくなる、イタリアが近くなる、そんな本である。
アリタリア航空の「シニョーレ、シニョーリ…」で始まる機内放送だって、友達を意味する「アミーコ」にしたって、その他もろもろのイタリア語にしたって、この本を読めば、それまで以上にそうしたイタリア語の真髄が頭にすうっと入ってくる。
ブォンジョルノ、ヴァベーネ、サルーテ、メノ・マーレ…。たくさんのイタリア語。日常よく使われる語。
そのすべての使われ方と、使い分けが楽しく学べる。
1冊まるごとイタリア語をモチーフに取り上げて、イタリア人の生活とからめて綴った、珍しくも魅力に富んだ本である。
かわいらしい動物たち(挿画のイラスト)のレクチャーも、ブラビィッシミ!!
(最高!!)
『Qui Italia』 Alberto Mazzetti/ほか著
Le Monnier
イタリア語の学校でいちばんポピュラーに使用されているテキストと言えば、この『クイ・イタリア』である。
イタリア本国で発行されているものだけに、中身の写真やイラスト、トピックスはたっぷりとイタリアしている。また名詞から接続法、遠過去と、イタリア語の基本は、ここにすべて収録されている初心者用テキスト。
大事な文法事項は、表にされており、練習問題、読み物、聞き取り(別売りカセットあり)と、あらゆる角度から、イタリア語を磨くことができる構成になっている。
当然、説明もふくめて全てイタリア語だが、辞書を引き引き勉強すれば、力がつくし、なによりもイタリア語に親しめる。
特に読み物では、イタリアの生活や文化を垣間見ることができ、語学学習にとどまらない。
入手するには、下記のイタリア書房や文流などの専門書店に問い合わせるといい。遠方の場合、送料を添えて送付してもらうことも可能。
●イタリア書房 〒101-0051東京都千代田区神田神保町2-23
Tel & Fax tel.03-3262-1656
E-mail HQM01271@niftyserve.or.jp
営業時間 10:00-18:00 定休日 日曜・祝日
●株式会社 文 流 〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-33-6平和相互ビル
TEL03-3208-5445 FAX03-3208-5863
E-Mail : book@bunryu.co.jp
営業時間 9:30-17:30 定休日 日曜・祝日
『NHK CDブック ドクトル・ダリウスの事件簿』 ダリオ・ポニッシィ/著・音楽
NHKのイタリア語講座に’94年から出演の著者は、今やジローラモに並ぶイタリア語界のアイドル的存在。
ジローラモと違って私生活は明らかにされていないが、それも虚構の中で生き、虚構を作り出す彼独特のスタンスゆえのこと。
その神秘性がますます彼の人気を上昇させている所以だろう。
この本は、演劇人にして、音楽家、振付け師にして、脚本家という、ダリオのマルチぶりの結集というべき本である。
もともとはNHKのラジオ講座で放送されていた4幕構成の物語5話のドラマを、原文と日本語訳、
そして臨場感あふれるCD2枚で再現したものである。このシリーズは放送当時から、大反響があり、すぐに再放送となり、そして今回のCDブック化という運びとなった。
ローマ、ヴェネツィア、ラヴェンナ、フィレンツェ、トリーノと、実在の都市と建造物を舞台に、ダリオ扮するドクトル・ダリウスが摩訶不思議な事件を解決していくという筋立て。
ダリオが一人何役もこなし、時にはフランス語や英語なまりのイタリア語を披露したりと、その天才ぶりには舌を巻く。
他に出演のイタリア人たちも、いずれもベテランのイタリア語講師ばかり。挿入される音楽や、効果音もすばらしい。
初心者には、言葉が早過ぎて、チンプンカンプンかもしれない。
でも、訳を見ながら、あるいは原文を見ながらCDを聴き、ストーリーがある程度つかめたら、部屋で流しておくのがいいかも。
居ながらにしてイタリアにいるかのようだし、知らず知らずの内にイタリア語の言いまわしが、身につくに違いない。とにかく、物語が面白い。
『絵で見る辞典[図解]イタリア語入門』 ヘレン・デイヴィーズほか/共著
まさに絵で見るイタリア語集。それぞれの絵に、イタリア語とその読みがカタカナでつけられている。
意味はまとめて、別に囲ってある。単語と意味の併記でないから、まる暗記にならない。それに見
開きで、 食事、買い物、政治…とグループ分けされているから、関連で単語を覚えられる。勉強と
いう感じでなく、絵本をながめるようにイタリア語に親しめるのがいい。
カラーのイラストは、美しく巧みである。
『よく使う順 イタリア語フレーズ470』 町田 亘ほか/共著
文法書に単語集…。いくら勉強しても、イタリア人を目の前にしてはシドロモドロ。一体どれぐらい勉強すれば流暢に話せるのだろう。
そして意外に現地で威力を発揮するのは、旅行会話集に載っている丸暗記したフレーズだったりするから、いったいどうなってんだろうと思ってしまう。
イタリアでイタリア人たちが日常によく言う言葉。そう、そんな生きた会話をまるごと覚えるのが、イタリア語習得の早道なのかもしれない。
この本はまさにそういった早道を体現した一冊である。著者が周囲のイタリア人たちとあれこれ話し合い、頻度の高いものだけを選んでいるから、かなり効率的。もちろん、ある程度の力がないと、暗記しても忘れやすいから、入門者からとうたいつつも、中級者向けというキライはある。
とにかく下手な問題集をこなすよりも、はるかに早くイタリアーニに近づける一冊であることは確か。別売のCDが2枚1組で2,000円。
『イタリア語動詞活用表』 西本 晃二ほか/共著
個人的にはイタリア語の勉強の過程で、最もよく開くのが辞書に次いでこの本である。イタリア語の動詞の活用は、信じられないくらいに多い。というのも、主語がなくても動作主がわかるしくみになっているのがイタリア語であるからだ。
イタリア語に挫折するか否かは、この動詞活用の多彩さに対する気力の度合だと言えそうだ。でも、うんざりすることはない。本書が、動詞攻略の強い見方となってくれる。
動詞がある。で、辞書を引く。しかし、原形の形を知らないと、分からない。そこで、本書の登場
とくる。
「活用形逆引き索引」が、この問題を解決してくれるのだ。また、原形がわかっていても、その活用がわからない。そんな時は、豊富な「不定法索引」が役立つ。同じタイプの動詞も、欄外に示されているので、ついでに覚えることもできるスグレモノ。
辞書の巻末にある動詞変化表で済ますのも手だけど、本書なら内容が豊富な上に、ハンディ
サイズだから、疑問を疑問のままにせず、外でもさっと調べられる。
『改定版 イタリア語の入門』 坂本 鉄男/著
見開き2ページで、100章。左のページには、例文と、その訳と単語。右のページは、文法の解説となっている。
全体的にさらっと流した程度だが、文法というのは概して?というときに確認するものなので、本書の手軽さが逆に使いやすい。
例文は短く、単語も頻度の多いものを使っているので、会話の基礎づくりにもなる。ぶあつい文法書はうんざりだけど、基本事項は全部おさえていてほしい。そんな願いをかなえてくれる、初学者の独習にはもってこいのロングセラー。別売テープは、60分2本で3,800円。
『痛快!ローマ学』 塩野 七生/著
古代ローマ帝国の興亡を描く『ローマ人の物語』を1982年から一年に一作のペースで刊行している塩野氏。労作にして、人気シリーズの『ローマ人−』は読むほどに歴史的堆積としてのローマが私たちの知識となり、人生の財産となっていくものですが、大作であることは間違いなく、読みこなすにも大変な時間を要し
ます。そこで本書。これならば、『ローマ人−』ファンにとっては知識の整理となり、また『ローマ人−』未体験組あるいは挫折組にとっては『ローマ人−』への道標となります。
歴代皇帝の採点票というのも興味深いし、また何よりも低迷し、迷走する現代日本へのローマ学から見た処方箋的記述に溢れていて、ビジネスマンのためのリーダー学としても有用です。
『ローマの街角から』 塩野 七生/著
ローマに住み、大作『ローマ人の物語』を書きつづける歴史家が、94年から99年にかけて綴った、日本に向けて発信した65のエッセイ。
塩野氏は前書きに、これらの小文を「コラム」、「手紙」、「歴史物語作家のインクのしたたり」、「日本に向けての切ない提言」と様々に形容する。つまり、そうした様々な要素をすべて含んだものだと言えるだろう。
ローマに腰をすえ、壮大なるローマ帝国の歴史に没頭する著者は、日本の細細とした現象をただ表層的に捉えるのではなく、ローマ人の持つ原点追求をひとつ核としたうえで、日本を論じ、「あるべき姿」を模索している。もちろん現在のイタリア、イタリア人をも比較の材料としながら。
ひとつ1つは短いが、無駄のない文章には、読み手に背筋を正させる「何か」がある。その時々の時事的なトピックス(ナポリサミット、阪神大震災、ダイアナ妃、オリーブ政権、ユーロ誕生…)も取り上げていて興味深い。塩野氏の思想と人となりが全面に押し出された、非常に考えさせられる1冊
である。
『イタリアの夢魔』 澁澤 龍彦/著
主として1970年代から80年代に書かれたイタリア関連のエッセイ集。
もちろんこれらの文章は澁澤の全集にて読むことは可能である。が、それもちょっと骨が折れる。
ゆえに本書はイタリアファンにとってみれば、まさに「いいとこどり」。
それでいて、澁澤の博識と巧みな文章に舌を巻くこと必至で、澁澤ワールドをこれまで知らなかった読者を、その世界といざなう、大いなる「きっかり」となるはず。
文庫サイズなのに、なんともずっしりと奥の深い本なのである。
内容的には、イタリア紀行記、滞欧日記など、紀行文の形式をとったものが多い。しかし、本書は紀行案内記として単純に分類することはできない。
書物偏重、外国へ実際に行くなんてことはしない、と宣言していた澁澤が、1970年、とうとうヨーロッパへと旅立つのである。
密室で書物から得た膨大な知識、それをいわば再確認していく過程が本書で語られる。ゆえに一目歴史的建造物や遺跡や絵画を見ては、そこに文化、芸術、歴史、哲学…とあらゆる角度からの視座を提示してくれる。教わることが、あまりに多い、そして知的好奇心をくすぐる、そんな魅力的な本である。解説は、巌谷国士。
塩野 七生/著 文藝春秋(文春新書)
「古代のローマ人を理解する」こと、それは塩野氏のライフワークでの第一の目的である。
『ローマ人の物語』(〜8巻 新潮社)で、現在、その目的は遂行されつつある。しかし、目的のための手段は様々にある。
と、いうわけで、『ローマ人の物語』とは異なった―ローマ人に質問を投げかけ、それに答えてもらう―という切り口で、ローマ人の本質に迫ってみようというのが本書である。
こうしたアプローチの仕方は、先に刊行された『塩野七生「ローマ人の物語」コンプリート・ガイドブック』 にも見える。
塩野氏は、そこで行った新たな「さぐり」の方法に、一応の成果を得たにちがいない。ポンペイの娼婦宿の様相から「ポンペイ人=快楽の民」と、一言で括りきれるか。ローマ帝国の衰退に、「ローマ人の堕落」をすぐに結びつけるのはいかがなものか。
ローマ人はその後の世界形成に及ぼした影響があまりに絶大なためか、またプラス残っているものが断片的であるためか、彼らの「思想」「行い」「嗜好」などなどに対するこれまでの定説が、ものの見事に
私たちの抱く「ローマ人像」となってしまっている。塩野氏は、そうした見解を部分的には正しいとしながらも、短絡的に決めつけてはいけない、と言いたいのである。
私たちの投げかける20の質問は、逆にローマ人から私たちに差し出された、「人間の本質」に対する反問なのかもしれない。
『イタリア・パルチザン』 早乙女 勝元/編
イタリアのパルチザン。
それは、ナチス・ドイツ軍とムッソリーニのファシズム政権に対しての国民的な規模の民衆蜂起のこと。イタリアといえば、ファッション、芸術の国とイメージしがちだが、実は第二次大戦中、そんなハー
ドな面があったのである。
あまり馴染みのなさそうな歴史的事象のようだが、今いちど伊映画の名画「無防備都市」、「ロベレ将軍」(ロベルト・ロッセリーニ監督)を思い出されたい。日本人のメンタリティからはかけ
離れた熾烈さが、イタリア人には備わっている、そんな感想を抱かせるものがパルチザンであろう。
本書は「母と子でみる」シリーズの一冊。子どもにも歴史を捉えてもらうことが第一前提なので、語り口は柔らかく、漢字にはルビつき、写真の多用、パルチザンゆかりの土地(ボローニャ、マルザボット、コモ、サルディ
ーニャ、 ローマなど)からの現地レポートもある。だから、分かりやすいこと、この上ない。
ムッソリーニのこと、グラムシのこと等、よくわからなかった歴史上の人物のこともよーく理解できるはず。
ファシズム台頭から’98に起こった米軍機のケーブル切断事故まで、イタリアの歴史と事件を振り返る。
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