イタリア人が真に洒落者であることは、おしゃれが生活の一部、習慣化されているということから証明される。
一般的に若さが頂点に達した時期に集中しておしゃれをする私たち日本人とは、この点が決定的に異なる。
既成服など絶対着ない、服は必ず仕立てていたというオシャレな音大生だった私の母は、今では平気で子供のお下がりのジャージ姿で買い物に出る始末。
体型にも気を配らないから、太った体にはジャージの伸縮性がいいのだろう。それにすくなくともタダである。
そうした怠惰で、生活優先の服装術から、捨て去ったものも多いはず。
しかし、イタリア人はこの点、非常にまめである。
おしゃれ道がまさに幼少時から始まるのだ。
『イタリアン・カップチーノをどうぞ』の「お嬢様、カップチーノをどうぞ」の章には、わずか六歳の女の子がボディスーツを身につけ、着ていくアウターの組み合わせにあれこれ迷う場面が展開される。
そんな年端もゆかぬ子供のために、補正下着があること自体が驚きである。
また、『イタリアのすっごくおしゃれ』では、日本のようにアンパンマンがプリントされた子供靴は存在しないことが報告される。
本革靴を赤ちゃんの時分から履いて、感性をみがいていくと言う。
またソックスは、日本と違い、子供たちにさえも市民権をまったく得ていないとか。
足を途中で区切るような結果を招くソックスは美しくない。だから、子供でさえもタイツ、ストッキングを履くと言うのである。
そして中高年である。若くなくたって、膝上20センチの超ミニを履きこなす女性が大勢いるらしい。
当然、それに付随して足はきれいに脱毛して、こんがり陽に焼き、ケアを怠らないイタリア女性は多い。
そう、イタリアの女性は赤ん坊の時から死ぬまでおしゃれを続け、どんどんおしゃれのテクを向上させていくのである。
結婚したり子供ができたりしたら、自分のことは二の次としてしまい、しぼんでいく日本女性が多いのは悲しすぎる。
でも、これはなにも女性だけのせいではない。
男性のあり方に問題があるからかもしれない。
イタリアの場合、子供であろうと女性への称賛を怠らない。
同じく『イタリアのすっごくおしゃれ』で、著者がわずか2才半のバンビーノに口紅の色を褒められ、仰天するシーンが綴られる。
「愛は美につながる」。日本にもっと愛が増えれば、イタリア並みのおしゃれな国になれるのかもしれない。
●目次
イタリアは泥棒天国か