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ネットワーク社会の自我と表現 〜新しいメディアと文学〜

この論文は2000年12月に書かれたものです

※個別の論の集合なので、興味のある章から読み進めて下さい。

ひとこと感想をお願いします。


  1. ゲームはストーリーを語れるか
    1. 分岐する物語の甘え
    2. ドラクエにおける世界認識
    3. 分岐の手法に関する考察
    4. ネットゲームの試み
  2. インタラクティブメディアとしての掲示板
    1. 総合掲示板の威力
    2. ネットゲームと掲示板
  3. ネット上の自我と文学
    1. 風葬日記と鳥葬掲示板
    2. 「ミニオレ」救済計画
    3. ネット上での創作と流通


●序章

序章-1:情報革命

 インターネットとその多くの副産物は、15世紀の活版印刷の発明と18〜19世紀の産業革命が同時に実現した程のインパクトを人類の文明に与えている。社会構造と文化に対して同時に、しかもダイレクトに世界規模で作用する技術革新などは、人類の歴史上を見渡してもそう何度も起こるものではない。その渦の中にいながらにして、それを認識できる(これもまた情報革命の成果 である)我々は、非常に恵まれた時代に生まれてきたと思う。

 インターネットはメディアとそれを取り巻く構造の変化であり、エンターテインメント・メディアに対しても非常に影響力が大きい。また、同時にインタラクティブメディアというものが本格的にストーリーを語り始めている。ネットはそれらをワールドワイドにつなぐ掛け橋と考えることも出来る。

 この論文は、ネットワーク化された社会がエンターテインメントや文学といった表現活動、さらにその作り手と受け手との自我に与える影響を自由に語ろうという試みである。そして、その過程には次世代のメディアの主役として、様々なインタラクティブメディアが登場してくる。メディア論という観点からすると、むしろこちらの方が主役と言えるだろう。インターネットはメディアのメディアであり、その実態はメディアにとっての「環境」に過ぎないからだ。

 今までにもインターネットやインタラクティブメディアの実現による、エンターテインメントへの影響というのは、結構取り上げられているが(マルチメディアという表現が使われだした当初から、それはエンターテインメントを意識していた)、文学およびその受け手や読み手への影響をまともに論じた文章というのはあまり見たことが無い。これから、メディア上での創作がどのような方向に進んでいくかをいくつもの推論の結果 、示そうと思う。

 議論の糸口としての方向性を示すとすれば、例えば、メール・掲示板・チャットなどによる、個人間コミュニケーションの変質。ネット上で創作作品を公開することの意義。個人サイト上の公開日記や掲示板での書き込みと私小説との類似性。新しいメディアとインタラクティブ性。対人コミュニケーションとライブ性。虚実の狭間と仮想現実。などである。そして全編を通 じて繰り返されるのは、コミュニケーションメディアとしてのインタラクティブメディアの可能性である。デジタルであること、インタラクティブであること、ライブであることといったキーワードを通 じて、新しいメディアとその上で交感される自我がどのように変化していくかを予測していこうと思う。

 さて、ネット上のインタラクティブな文章表現として有名なもの(というよりは有名人が書いたもの)には井上夢人の「99人の最終列車」や岩井俊二の「リリイ・シュシュのすべて」などがあるが、どちらもハイパーテキストや掲示板といったシステムに、とりあえず小説という旧メディアのコンテンツを詰め込んだものである。システムとコンテンツとの擦り合わせがゲームほどにも徹底されてないところを見ても、未だ発展途上の作品という感じであり(この場合にもネットのインタラクティブ性というのが言い訳として持ち出されるわけだが)、しかもフォロワーが育っていないところをみるとまだまだ検討の余地は大いにありそうである。

 思うにこういった表現の試みはポップアートに通じるところがあり、ギミック的で「見よこれが新しい表現だ」というような権威主義的なところがあって、やや胡散臭い気がしないでもない。どうせならゲームを作ればいいのではないか、というような気もしないでもない。しかし、漫画も映画もゲームも最初はギミック的な試みから始まったわけであり、もしかすると今回もこのような場所から、何か全く新しいメディアの試みが生まれるかもしれない。ただ、前記したメディア初期との違いは、多くのネット小説が最初から「見世物」的ではなく、新しいメディア表現の名のもとに「アート」っぽく、「何となく偉そう」であるところかもしれない。ちょっぴり作家の自己満足気味な気がしないでもない。既に腐り始めている予感がしないでもないのである。よって、我々は急がねばならない。が、同時にまだ余裕があるとも言えるのである。まずはやや退屈だが、前提となるインタラクティブメディアと、文学の定義から始めることにする。


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