小鶴 誠(外野手 右投右打)

小鶴誠が、プロ野球史上初の本塁打50本台を達成した’50は、2リーグ制の最初の年でもありました。チーム数の増加による投手力の低下とラビットボールの威力があいまって、前年以上のホームランラッシュになりました。

ちなみに、シーズン本塁打50本以上を記録したのは、王貞治(3回)落合博満(2回)ランディ・バース野村克也・ローズ・カブレラ(各2回)松井秀喜(1回)と小鶴誠の8人しかいません。

各チームの打者の中には、ラビットボールの効果を倍加させる為、フライを上げる打法習得にはしりました。各打者の本塁打数は昨年にまして増加しました。打率30傑の本塁打シェアをみると’49藤村富美男(46本塁打)の9.48から’50の小鶴(51本塁打)は9.19と低下しています。

こうした状況のもと、小鶴は、満塁本塁打5本を放った西沢道夫(46本塁打)との争いを制しました。また、岩本義行(39本塁打)大岡虎雄(34本塁打)金山次郎(74盗塁)等とともに「水爆打線」を形成、ロビンスのセリーグ制覇に大きく貢献しました。

小鶴誠の2つめの選定理由は、「出場試合以上の打点」です。’99あれほど打ちまくったローズ(135試合で153打点)も小鶴の130試合で161打点には及びません。もちろん、161打点はリーグ記録で、真田重蔵の最多勝記録(39勝)ととも、リーグ1年目して出来た大記録です。ルールの大幅な変更でもない限り破れそうにありません。(しかし、イチローの例もありますね。)

外野手の守備での選定を開始してギョっとしたのが、小鶴が’50に原田徳光に1個たりない341刺殺でリーグ記録を逃していたことです。強打にして好守走とも素晴らしい選手ですね。

首位打者1回 本塁打王1回 打点王1回

ニックネーム等    
選定理由 リーグ最多本塁打(’50〜64) 51本塁打
  出場試合以上の打点(’50) 130試合161打点