藤村 富美男(内野手 右投右打)
’49、よく飛ぶ「ラビットボール」の時代がやってきました。まさに桁ちがいの本塁打量産の時代です。
なんと、’48の川上哲治と青田昇の記録(25本)を以下の7選手が破りました。
藤村 富美男 | 46本 |
別当 薫 | 39本 |
大下 弘 | 38本 |
西沢 道夫 | 37本 |
杉山 悟 | 31本 |
青田 昇 | 28本 |
大岡 虎雄 | 26本 |
この前代未聞の本塁打王レースを制したのが、藤村富美男です。別当薫のタイガース入団は、藤村にとって、強烈な刺激となりました。彼は別当の長打力を上回る為、伝説の長尺バット「ものほし竿」を繰り出します。この長いバットを振り回し、フライをあげやすい打法が、「ラビットボールの時代」にマッチし、この30本台を飛び越し、史上初の本塁打40本台に到達したのです。
この年の藤村・別当コンビは、ライバルのジャイアンツ川上・青田コンビを上回る活躍をみせ、タイガースは「ダイナマイト打線」の名を冠されていました。
藤村富美男ほど、単純に野球が好きなだけの人は珍しいでしょう。この「単純さ」が多くののファンの共感も呼びましたが、晩年の不遇の原因にもなったことはまちがいありません。つらいことです。
藤村富美男2つめの選定理由は「出場試合以上の打点」です。藤村富美男は、’49(137試合で142打点)と’50(140試合で146打点)と、唯一2度達成しています。
藤村冨美男の次の選定理由は、なんと守備です。藤村冨美男は’50に刺殺・補殺・併殺の記録を作り、それは現在に至るまで破られていません。これについては、野球の質的変化であるとか、種々の理由がかんがえられますが、驚嘆すべきことには間違いありません。
首位打者1回 本塁打王3回 打点王5回
ニックネーム等 | 猛人、ものほし竿 | |
選定理由 | リーグ最多本塁打(’49) | 46本塁打 |
出場試合以上の打点(’49) | 137試合142打点 | |
出場試合以上の打点(’50) | 140試合146打点 | |
リーグ三塁手刺殺(’50〜) | 209刺殺 | |
リーグ三塁手補殺(’50〜) | 484補殺 | |
リーグ三塁手併殺(’50〜) | 60併殺 | |