青田 昇(外野手 右投右打)

’46大下 弘の記録が先鞭をつけ、戦後のホームランブームがはじまりました。’48には、なんとジャイアンツの3・4番である青田昇と川上哲治の二人が本塁打25本で新記録を打ち立てます。

二人で同時に本塁打新記録とはおそろしい限り!

ジャイアンツを除く7チーム中、青田・川上の合計50本塁打を超えるチーム本塁打を放ったチームは無く、タイガースが同数の50本塁打を放ったにすぎません。

この年、青田昇は首位打者(.306)も獲得し、二冠に輝きますが、打点王が惜しくも9点差でタイガースの藤村富美男に敗れています。

豪放磊落な性格で多くの人に愛された反面、直言癖もあって反感を買うことも多かったようです。そのせいなばかりではありませんが、選手引退後もコーチ・評論家として野球につくしましたが、公式の野球殿堂入りは絶望視されています。

青田昇の2番目の選考理由は、3年連続3部門ベストテンです。

3年連続3部門ベストテンの対象は

1949 打率1位(.306) 本塁打1位(25) 打点3位(99) 外野刺殺4位(320)
1950 打率3位(.355) 本塁打6位(33) 打点3位(134) 外野刺殺3位(338)
1951 打率8位(.312) 本塁打1位(32)  打点1位(105) 外野刺殺4位(250)

です。

首位打者1回 本塁打王5回 打点王2回

ニックネーム等 じゃじゃ馬  
選定理由 リーグ最多本塁打(’48) 25本
  3年連続3部門ベストテン ’49〜’51