「日本経済新聞の記事の間違いと訂正について」

2007年12月19日昼下がりのこと。カウンター越しに話しかけるお客さんの言葉に驚きました。「吉田さんの家は裕福だったと書いてありましたよ。」日本経済新聞の夕刊に私の実名入りで記事が載っているとのことでした。日本経済新聞社に事実確認と、その記事を送ってもらおうと電話をしました。「事実とは違う記事が掲載されたことにより誤解を受け、困っている。」と伝えたところ、どの部分か具体的に言ってくださいといわれました。私も実際に記事を読んでいない。お客さんの冗談かも知れない。次の日、新聞を読むために少し早めに家を出て近所の図書館に出かけました。
問題の記事は18日に掲載の「人間発見」。客観的に冷静に読んでみました。財津和夫という主役の学生時代の貧さを言いたいため「吉田さんの家は裕福だ。」と書いてあるように思えました。
カウンター越しの会話は日本経済新聞を読んだお客さんが、記事の内容を鵜呑みにしてそのまま伝えたものでした。この記事を書いたライターは堤篤史さん。なぜ吉田の家が裕福なのかその基準や根拠は書いてありません。当然、経済的なことで裕福なのか、精神的なことや内面的なことで裕福なのか等は推測されない文章です。
記事が語る1963年当時私は高校生、家族構成は両親と5人兄弟。ちなみに私は末っ子です。父は福岡県に所属する教育関係の職場に勤めていました。いわゆる公務員です。給料は会社勤めの人よりやや少なめ。教育関係の公務員は恩給があるから少ないのだと、父は言っていました。生まれ育ったのは福岡市内の中心部から北の方向に西鉄市内電車そして西鉄宮地嶽線を乗り継いで約一時間の海辺の町です。住所で言えば糟屋郡古賀町、福岡市内に比べればなんにもない田舎ですね。公務員の給料で5人の子供たちを高校まで通わせたことは今考えても経済的なことは勿論色々な意味で大変だったと思います。高校生の頃、私のお小遣いは月に500円。高校3年生になっても1000円。大学に入ってからは2000円に親のほうから値上げしてくれました。当時の大学生の平均的なお小遣いは5000円くらいでしょうか。なぜ少ないのかと疑問に思われる方もいるかもしれない。その理由は母が毎日、お弁当を作ってくれるので、外食をしないので十分だろうと・・・私も同意していました。でもやはり少ないから色んなアルバイトをしました。
父母に買って貰ったもの(生活必需品以外にもの、今で言うプレゼント)は私の記憶では小学生の頃の「野球のグローブ」と「切手のストックブック」だけです。ちょっと高価なものが欲しいときは、近所に住んでいた祖父の家に通い、「肩もみ」、「腰もみ」のマッサージを数ヶ月することで「子供用の自転車」、「クラシックギター」を買ってもらった記憶があります。いずれにせよ物心付いた頃から日々の暮らしの中で5人の子供たちに均等にプレゼントする余裕は無いことは十分に分かっていたのです。
裕福の基準は人それぞれですが、私の家は記事に書かれているような裕福ではけしてなかったし、そうありようがないのです。
この「人間発見」の主役が言うところの「裕福」が何の目的で使われたのかを考えもせず、疑問も持たずに書いてしまうライターの無神経さ、事実とは違うことを書かれた人の迷惑も考えずに「公」の新聞の記事として書いてしまうことが不思議でならないのです。そして編集責任者にも問題があります。

私が高校1年生当時、EP盤(シングル盤・ドーナツ盤)は330円。(ちなみに、昭和39年の物価をインターネットで調べたところ、鶏肉100gあたり80円、牛肉100gあたり230円)3ヶ月〜4ヶ月毎に1枚のシングルレコードを出す憧れのアーティストの新譜を購入することは裕福でなくてもほとんどの高校生が出来ることです。次に問題になる箇所は、ビートルズの映画「ヤァヤァヤァ」見に行った理由の件(くだり)。その時から40数年経った今、主人公の記憶で、「吉田彰が『きっと女の子でいっぱいだぞ』という誘い文句に乗せられただけです。」それが理由で「ヤァヤァヤァ」を見に行ったのだったら「EP盤を借りて聴いた。」は何のためだったのかということになり、。ここでも演出のために事実とは違ったことが語られているようです。

もう一箇所、私自身にはほとんど関係ないことですが「大変な苦労をしたという演出」のために事実とは違うことが書かれています。この箇所に関してはライターの責任は比較的軽いと思います。「五人で共同生活していた1DKのアパートを出て、マンションに一人で住めるようになったことくらい。・・・」と書かれていますが、その建物の所在地は南青山6丁目、ビルの名前も「南青山ハイツ」という、鉄筋のちゃんとしたマンションでした。このマンションに関しては過去にNHKテレビで放送された映像で確認すれば明らかになるでしょう。共同生活としていたことは事実です。しかし1DKではなく2DK。1DKのアパートでは5人分の布団、衣類、楽器、その他の生活必需品のことを考えれば、どう考えても共同生活するのは無理でしょう。このことに疑問を持たないことが不思議でなりません。
ライターの堤篤史さんに電話で、「事実とは異なり、誤解され迷惑がかかっているので記事の訂正をお願いします。」と求めたところ、「そのことは彼(財津和夫)自身が書いてすでに発行されているものに基づき書いたもので世間の周知の事実であると認識しています。」という返事が返ってきました。

堤篤史さんは「この記事に関して訂正するつもりは無い」との事でしたので、私がこの場所で訂正することを決めました。
そして、すでに「周知の事実」とされ、世の中に出回っている「誤認」、「嘘」を訂正していくことにします。「発言しないことは認めたことに等しい」という理不尽な考え方は間違っていると思います。記事を読んで誤解をされた方の誤解を解くため、ここに説明することにしました。
私は自営の珈琲店に一日の半分以上、睡眠時間を除けばほとんどの時間を店で費やしています。当然、「誰」が「何」を発言しているか知る時間も無く、知りたくも無かったのですが、今回のお客さんの話を伺い、私に関することでその内容に事実とは違う「嘘」があれば今回のように訂正していかなければと思っております。
「本に出版されたものは周知の事実」という理論は明らかに間違いですが、これを機会に私の人生の終盤を出来る限り「公表」されたものの間違いを訂正することに力を注ぎたいと考えています。長丁場になりますが真実、事実を知りたい方はここの掲載する記事を読んでいただきたいと思っております。
最後に、新聞の訂正記事を掲載することは大変なこととは思いますが、日本経済新聞の関係者でそれが出来る方がいらっしゃれば是非とも訂正お願いします。
2008年1月 吉田彰

インターネットで調べたところ彼にはたくさんの著書があることがわかりました。まずは最初に記載されていた「謎の財津和夫」の内容について、事実のみが書かれているか、誤解されるようなことが書かれていないかを確認することにしました。近所の図書館でその著書を探しましたがその図書館には「謎の財津和夫」は所蔵されていず、確認することが出来ませんでした。その本を探すのに時間がかかりそうです。確定申告が終わった後に、次回の「謎の財津和夫」に関する報告をします。この記事は4月2日以降になります。事実を知りたい方は是非、この場にお越しください。

追記
この記事を読んで頂いた横浜の方と札幌の方から本を送って頂きました。「謎の財津和夫」、「心の旅永遠に」は読むことが出来ました。お心遣いどうもありがとうございます。そしてご支援の言葉ありがとうございます。

『謎の財津和夫』(1975年、シンコーミュージック) について  2008年4月2日

『もう笑わなくっちゃ』(1978年、シンコーミュージック) について  2008年5月7日

『もう笑わなくっちゃpart2』  2008年5月25日

『財津和夫の人生ゲーム』(1980年、シンコーミュージック) について 2008年6月19日

『ぼくの法螺』 (1981年、集英社) について 2008年6月19日

『遅刻した少年』 (1983年、集英社) について 2008年6月19日

『ペンとカメラのへたのよこず記』 (1984年、講談社) について 2008年6月19日

『こんなに近くにいるのに』 (1993年、PHP研究所 ) について 2008年6月19日

『心の旅永遠に』(1998年、河出書房新社 ) について  2008年4月17日

 

『謎の財津和夫』は横浜市在住の方に貸していただきました。
『もう笑わなくちゃ』は伊勢市在住の方に貸していただきました。
『財津和夫の人生ゲーム』『ぼくの法螺』は札幌在住の方に貸していただきました。
『遅刻した少年』『ペンとカメラのへたのよこず記』は横浜市在住の方に貸していただきました。
『こんなに近くにいるのに』は茨城の方に貸していただきました。
『心の旅永遠に』は横浜在住の方に貸していただきました。

予定の本は全部揃いました。どうもありがとうございました。