「心の旅永遠に」について

本を書くということは「自分の意見、考えを示す」ことだとは思うのですが、その内容に辛いものがありました。

P.19「チューリップ解散1」(前略)9行目「それに、才能あるバンドは解散が早い、というのはぼくがいつも口にしている公式だった。あのビートルズがいい例ではないか。たったの七年間、ビートルズとして活動しただけだった。にもかかわらず、あんなに大きな遺産を残した。才能ある者たちは一つのところにとどまってはいられないのだ。それにしてはチューリップの十八年は、長かった。その長さは、まさにビートルズほど才能をもっていなかった証拠なのかもしれない。」(後略)筆者にとってビートルズを持ち出すことに意義があるのだろうと推測されますが、比較する対象が違いすぎると感じます。バンド生命が短い例として「オフコース」を挙げていますが、それじゃ「サザンオールスターズ」は才能が無いのか。「ローリングストーンズ」はやはり才能が無いのか。この本を編集された方々はそのことについてはなにも感じなかったのでしょうか。

この本で私の「名前」が登場するのはP.32の13行目「次にビートルズと向き合ったのは、映画『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』を見に行ったときだ。高校の同級生だった吉田彰から誘われたのだ。ただし、彼らの音楽に期待したわけではなくて、「女の子で超満員らしいから、うまくいけばさわれるぞ」という、実に不純にして、かつ、これ以上ないというほど高校生らしい動機からであった。・・・(後略)」この1998年5月発行「心の旅永遠に」には「吉田彰から誘われたのだ」。1975年発行の「謎の財津和夫」には「クラスの中のワル(実名は無い)」。ところが私が自分の事に関して「間違い」を訂正するきっかけになった2007年12月18日付けの日本経済新聞によれば、「吉田彰の誘いに乗った」。「謎の財津和夫」に登場する(実名では書いていない)「クラスの中のワル」は吉田彰ということになる。

さらにP.32から P.33に読み進んでいく。14行目「それからはひまさえあれば、ビートルズを聴いていた。ぼくが非常に幸いだったのは、吉田という裕福な家庭の友達がいたことだった。普通の高校生ではめったにレコードなど買えない。あの時代に、彼の家に行けばレコードがあって、そればかりか、非常に高価で、限られた人しか持てなかったオープン・リールのテープレコーダーまであって、ビートルズナンバーが録音してあり、自由に聞くことができたのだ。ぼくはビートルズにのめりこんでいった。」
この数行の中に「嘘」があります。「勘違い」、「記憶違い」ではありません。しいていえば「自分で作った新たな記憶を検証する気がない」ということです。

まず一番目「ひまさえあれば、ビートルズを聴いていた。」裕福ではないという設定の「彼自身」はレコードを持っていないのだから暇があれば始終私の家に来ていたことになる。が、実際にはそうではなかった。

二番目「吉田という裕福な家庭の友達」これは前回の日本経済新「人間発見」で説明しました。ここでは省略します。

三番目「普通の高校生ではめったにレコードなど買えない」これも二番目と同じ理由で省略します。

四番目「非常に高価で、限られた人しか持てなかったオープン・リールのテープレコーダー」。仰々しく書いてありますがその当時はオープン・リールのテープレコーダーしかありませんでした。音質のクオリティーで値段の差があり、音楽で使用するものは高価でステレオ録音出来、大き目の金属製のリールが付いていました。私の家にあったのはモノラル録音のもので直径10cmほどのプラスティック製のリールが付いていました。[英語の発音などの勉強を録音してやりたい]。という理由で姉と二人で使っていました。当時、ネイティブの声で英会話などが入った高価な教材のテープはありましたが、私は持っていませんでした。

五番目「ビートルズナンバーが録音してあり、自由に聞くことができたのだ。・・・(略)・・・。」
そのテープレコーダーはオーディオ用ではないので声を録音するマイクだけしか使えない機種です。その当時、家庭用ではそれしかありませんでした。現在では当たり前のライン入力などありません。それから数年後の「ラジカセ」の時代になってもライン入力ができるものは少なかったと記憶しています。ということで「ビートルズナンバー」をポータブルレコードプレーヤーで流した音をマイクで拾って録音したとしても多分、音質はかなり悪かったでしょうから、いい音で聴きたいならポータブルレコードプレーヤーで直接聴くことを選んだと思います。

P.59の7行目「二DKといえば、これまた聞こえはいいが、土を削り取ったがけに面したアパートで、六畳、四畳半、キッチンという部屋には、ムカデがはいずりまわり、ヘビも出た。そこに五人の男がいるのだから 鼻突き合わせてひしめいているという感じで、かなりつらいものがあった。やがてひとりが、恋人をみつけて、その女性のアパートで暮らすようになって出ていった。もうひとりが、知り合いの女のところを渡り歩く、という暮らしのスタイルを選んで、おかげで、常時、三・五人がそこで暮らすようになった。」
2007年12月の日本経済新の「人間発見」によれば「五人で共同生活していた1DKのアパートを出て、マンションに一人で住めるようになったことくらい。・・・」になっている。ここでも記述の違いがあります。

2008年4月17日 吉田彰