実践哲学研究会会報
実践哲学とは、自然界の法則に添った論理に基いたもので、実際の生活の中で、即、役に立つ、物事の見方と考え方のことを言う。人間が為し得ない、理想を追い求めるものではない。
実践哲学研究とは
自然界や、日々の暮らしの中に有る法則を見つけ、互いに報告、発表し、その事柄が理に合っているかどうかを、調べること。調べるに当たっては、事実だけが全ての人に共通する真実である、という認識に立ち、憶測や、事実を証明できない事柄は、研究の枠外とする。
会の自主性、自由を守るために
自分たちの学びの為に、必要が有れば身近なところでのボランティア活動をするが、それ以外は、社会活動や政治活動、宗教活動は、個人の思考の問題として、会の中には持ち込まないこととする。
三つの願い
小学校2年生の時の音楽の授業の時、「海は広いな大きいな…・行ってみたいな他所の国」という歌を習った。この歌を歌っていると、夢はどんどん膨らんで、大人になったら船乗りになり、外国を回ってみようと思い立ったのです。そのことが後年、船員となるきっかけとなりました。
また、小学6年生の時、盛岡美術高校の学生が家に下宿していた事が有ります。この学生さんが「どん底」という居酒屋で、彫刻の個展をした時のことです。招待されて見に行きました。漆喰の白壁を基調として、古い田舎やの太い梁や柱で組み立てられた迫力のある店の作りに私はびっくりしました。なにより感動したのは、店主が個展会場として店を解放して、貧乏学生を支援してくれていることだったのです。私は即座に思い立ちました。将来、街の文化を創って行く飲食店をやろう、そして若い人たちを応援出来るような場を作りたいと。
多感な少年であった私に、大変な試練がやって来ました。小学校5年生の時に氷販売や運送業をやっていた父の死。続いて、6年生の時に母も亡くなり、家庭が崩壊し、7人もいた兄弟がバラバラに暮らす事になるのです。末っ子である私は、中学卒業まで姉の嫁ぎ先で、面倒を見てもらう事になるのです。しかし、寡婦であった姑にいじめられ馴染むことが出来ず、辛い3年間を過ごす事になったのです。
次々と出される人生の色々な無理難題に、幼い私は対処する術が有りません。どう生きていけば良いのか、相談する人も見つけられず、本を読んでみても、立派なことばかり書いてあるのです。自分の境遇と比べ合せて、しっくりくるものがありません。戸惑うばかりの日々です。
そんな中で、私は、人はどのように生きれば良いのかという課題をいづれの日にか見出し、絵に描いた餅ではなく、実生活に即役に立つ考え方、方法、それを実践哲学と名付て、自分のものとしようと願った日々がありました。これが私の3つの願いです。
今振り返ってみれば、何と私の願いが全部叶えられているではありませんか。
19才の時より10年間、船員として世界各国を見て歩けたし、盛岡で、大陸料理の店「馬賊」や、自然食レストラン「菜根亭」を経営。2店舗とも全国誌や英国と米国で発行される外人向けの旅行マップにも載せて頂けるような店でした。
そして実践哲学の課題は、40才の時、縁あって受けた内観研修で、自分自身の本当の姿を知る事で、実践哲学研究への糸口を掴むことが出来たのです。深くて広い実践哲学の研究は、今始まったばかりです。まだまだ遠く、命尽きる日まで学ばせて頂く、私のライフワークです。 任天山人
任天山人の由来
内観研修によって、大いなる世界が有る事に気づかされました。何を気づいたのかと問われれば、「生きてきたのではない、生かされて生きて来たのだ。」と答えるでしょう。
しかし、一番大きな気づきは、ほどほど正しく生きて来たと思っていた自分が、実は何ともどうしようもないほど醜く、汚い心のはたらき方をしていた人間であったということです。そして己の本性を見、自己嫌悪に陥ったものの、すぐ変転し気づいたのです。己の本性を知ることこそが、他の人間の本性とは何かを分かる基になるということを。己を見据えることこそが全ての謎を解く鍵になるのです。人の話や本で読んで、知識として頭で分かるのではなく、自分自身が心から、また腹で分ったという体験を経て、真の知る喜びに出会ったのです。
それから、心は何かあったかいものに包まれているような感じがして、ふわふわしている時期があり、全てのことは天に任せて行けば良いのだという心境になり、任天山人と号することになったのです。
その後、望んでも望まなくても、来るものは来る、ということが分かり、天に任せても任せなくてもどちらでも良いことなのだと分かったものの、「全てが空であり無であるのです」と言えば言葉の無い世界と同じですから、姿を現わせしめるために、やはり号は任天山人としている次第です。
実践哲学の根幹
私は、本当は何か、を知りたくて色々なものを見たり聞いたり求めてきたのですが、腹に落ちるというか自分で納得できるものに出会うことができませんでした。それが40歳の時に内観研修に出会い、自分自身を調べることによって、この世界をまた別な見方で見ることが出来る
ようになったのです。幸せの青い鳥は身近なところにいたという話の通り、真理は山のあなたの空遠くにあるものではなく、今この場の真っただ中にこそ存在することでした。
哲学の祖ソクラテスが、紀元前にすでに哲学の真髄である「汝自身を知れ」ということを言ってくれております。今までその言葉は知っていても知識としてだけで、腹に落ちるというか心で感じるという身体的認識をしていなかったのでした。なるほど知識や理屈は何の役にも立たないなどと書いてある本がありましたが、その意味を知ることができました。私も今こうして文章を書いておりますが、私が言わんとしていることは、この文字から読み取ることは出来ません。文字や言葉では伝えることは出来ません。これこそが本当の真理と言えるものではないでしょうか。何故ならばそれは特定の宗教や思想、教えという枠を超え、教わったり勉強することではなく、自分自身で分かる世界です。
教わること無く自分自身で分かるということは、大きな喜びであり自分にとって確かなものです。その裏付けは自分一人のことではなしに、全人類に共通することであったということが認識できるからです。この世界を司っている法則そのものであると思えるからです。そしてその法則を現しているものがこの世の全ての自然の中にこそあるのです。DNAの記号を読み取って行ったように、森羅万象の中に全ての法則が書き込まれているのです。その意味を読み取って行くことこそが、実践哲学研究の意味となるのです。実践哲学の師は、人間や人間の作ったものでは無しに、全人類に共通して主義主張、宗教、人種に関係ない、大自然の法則そのものなのです。これはDNAの記号の読み取りどころではなく、無限と言えるほどの時間がかかることです。ある意味では我々人類の発生以来積み重ねた精神文化とも言えるものかもしれません。今私たちの時代に来てそれを引き継いで行けるのも幸せの一つだと思います。そして今、色の着かない新しい言葉で現し直し、次の世代へと引き継いで行くことも大切な役割の一つだと思うのです。
学ばずしてわかり、教わらずして知る
ものの本質は言葉や文章を持って伝えることが出来ず、いくら学んでも学ぶことができません。例えば劣等感にさいなまれている人がいます。その苦しみをどのようにして取り去ったら良いのか、苦の基は何か、それは自分は劣等なのだという事実を認めることができないところにあるのです。私はもっと優秀なはずだという思い込み、すなわち感という部分の妄想と事実の間にずれが生じ、そのギャップが苦となるのです。面白いことに劣等感は優越感と裏と表の関係に有って、両方とも事実から離れ、感の世界に入り込んでいます。例えどんな妄想でも間違いでも本人が絶対的に信じているものなら苦しみや迷いは生じてこないでしょう。ところが自分が信じているつもりでも、人間の心には表面的な自我、頭とも言う部分で組み立てる思考と、全ての本質をとらえている真我、本音とも言う部分が有り、その意見の違い、段差が大きい程、自己の中で分裂が生じて悩みや苦しみも多くなるのです。
さて今まで書いたこの文章を読んで、劣等感で苦しんでいる人が悩みを解決出来るでしょうか。それどころかここに書いてある内容に反発でもしようものなら、ますます悩みが増すことでしょう。伝えようとして伝わらず、学ぼうとして学べないという意味はここにあるのです。ものの本質的なものは頭で知識として論理的に理解するものではなく人に教わるものでもなく、自分自身が心や腹で感じ取る、すなわち身体的認識をすることなのです。教わらずしてわかり、学ばずして知るとは自分の中に有る真我と出会うこととも言えるでしょう。
この幸せホルモンは病気ばかりでなく、人生の万能薬です。人類が求め続けてきた幸せの青い鳥です。この幸せホルモンは、自分で気づかぬうちに出たりしています。例えば、電車に乗った時、両手に荷物を下げたお年寄りがやって来ました。思わず駆け寄って荷物を持ってあげて、席に座ってもらいました。「ありがとう」とお礼を言われ、「どういたしまして」と答えて、自分の席へと戻ります。その時、何か胸の奥の方がぽーっと温かくなります。それが幸せホルモンの分泌された時です。何にもまして最高の薬、幸せホルモンが自由自在に必要な時に分泌されれば良いのですが、自分の体の中にありながら、自分ではコントロール出来ません。自我ではなく真我が司っているのです。人に優しくすれば幸せホルモンが出ると人に教えられて、電車に乗った時回りを見渡して、さあお年寄りが荷物を下げてやってこないか、そんな気持ちで優しくしても幸せホルモンは分泌してくれません。頭が働いている時は、出てこないようです。
この幸せホルモンは時には麻薬と同じ働きもします。末期癌の人でも幸せホルモンが分泌すると、痛みを感じません。友人から聞いた話ですが、盛岡医大の看護婦さんが子宮癌になりました。独身を通して来た人だそうですが、自分が助かりたいと思っている間は、不安でもあり、痛みもひどかったそうです。その苦しみの中でふと、私は子供を産んだことがなかったが、もしかしたら分娩する時の痛みとは、こんな風な痛みかもしれない。長いこと看護婦をして患者さんたちを見てきたけれど、患者さんたちの痛みをわかってあげることが出来ていなかった。よし、もしこの病に打ち勝つことができたら、この痛みを生かして今後の看護に生かそう、そう思ったら、なんと幸せホルモンが分泌され、痛みを感じなくなったそうです。顔も安らかになり、私の友人に感謝の言葉を述べて、一週間後に亡くなられたそうです。
麻薬を使用した時に感じる、天国にいるような心持ち、まさしく幸せの一つの形だと思います。幸せホルモンが分泌されれば、麻薬を使わなくても誰もが味わうことが出来ます。そのことをナチュラル・ハイと言います。
でも、自分の体の中から分泌されるなら幸せなのですが、薬として外部から取り入れると、逆に中毒となり、地獄の苦しみに見舞われるのです。麻薬ばかりではありません。今、万能薬として何かと話題になっている副腎皮質ホルモン、ものすごく効き目があります。でも、副作用が恐いと言われています。肝臓病に効くといわれているインターフェロンもそうです。合成した薬を外部から入れるから、副作用が起きるのです。強くて局部に効く薬ほど恐いのです。
人類最高の薬は、癌すら治してくれる、自分の中に内在している幸せホルモンなのです。
幸せホルモン2
大自然は私たちに常に語りかけてくれているのです。幸せホルモンが分泌されるような生き方をしなさいと。大自然の本質は愛なのです。なぜなら、大自然の法則は人間に幸せになりなさいという、方向性を持っているのですから。
この幸せホルモンはまだまだ色々なところで活躍しています。どうも、人間が死ななければならない時にも出てくるようです。死の瀬戸際まで行って生還してきた人たちの体験談を読むと、共通していることがあります。恐怖心が無い、気持ちが良かった、お花畑とか美しい場所に行った、体が空中に浮いていたなど、麻薬を使用した時と同じようなビジョンを見ているのです。人体が危機に陥った時、幸せホルモンが分泌するのです。私たちが最期を迎える時、大自然の法則に添って生きていれば、死の恐怖に脅えなくても良いということです。
また、長いこと寝ている病人が、ふと意識を取り戻したり、頭がはっきりして一時期元気になったりする時があります。そんな状態を中治りなどと言うそうですが、回りの人たちはただ喜んではいけません。大自然が死の直前、最後のプレゼントに幸せホルモンを出してくれたのです。みんなに最後のお礼やら、お別れの挨拶が出来るようにしてくれたのです。
自然から学ぶ食
「天地自然の理を料りて食を作るを料理という。食とは人に良いと書いて、命を涵養す」
料理一つただ作れば良いということではなく、自然の法則に耳を傾けながら作ることで、命が養われる、そんな意味でしょうか。
改めて回りを見渡せば、大自然そのものの姿が、私たちに一つの方向を指し示してくれています。大自然の法則に添って生きて行くことが、人生を全うすることであり、迷子にならずに行くことが出来る道だと思うのです。
食べ物一つとっても実にうまく采配されています。春になり、山の雪が解け始めると、人間が手をかけて作っている里の畑には、何の野菜も出来ていないのに、野山にはもう、山菜が芽をふいて、さあお食べなさいと言ってくれています。春一番の山菜には苦みがあります。苦みのある山菜を食べると、胆嚢が刺激されて、冬の間に体に貯まった脂肪や塩分などを排泄してくれます。冬眠していた熊なども、穴から出て来ると、木の芽を食べて、冬の間に貯まっていた宿便を出すのだそうです。春には春の体に合った野菜が出て来ます。夏には、新陳代謝が良くなるので、血の流れが良くなるような、夏野菜がいっぱい出回ります。夏には夏野菜をいっぱい食べていれば夏バテなどはしません。
秋には糖質の多い果物や、魚なども脂質が多くなり、冬に備えて体に脂肪を貯えるようなものが多いのです。冬になると、毛穴や細胞が引き締まって、体温を逃がさないような体になります。また、体を温めてくれる根菜類が出回ります。大昔には、果物の干した物や根菜類の保存したものばかりでは、食べるものが不足したことでしょう。男たちは狩りに出て獣肉を食べようとしたのです。獣肉の脂肪分は、寒さから体を守ってくれたことでしょうし、冬の寒さは天然の冷蔵庫となり、囲炉裏の上に下げていた肉は、干し肉か燻製になったことでしょう。
そしてまた春がめぐって来て、体を掃除してくれる山菜が用意されているのです。
自然の法則を取り入れながら、昔の人は色々と工夫してきたのです。発酵食品である沢庵や糠漬け、漬け物、豆腐や納豆、梅干しに味噌、醤油、どれも日本人の健康に欠かせないものばかりです。
夏になると麦茶を飲みますが、インスタントの水出し麦茶は理に合ってはいません。麦茶というものは、麦をばいせんして熱を入れ、それをまた水から沸騰させて陽性にし、生水や、夏野菜で体が陰性に傾きすぎないようにしようとするのが、夏に飲む麦茶の意味です。ですから、生水に漬けて作る麦茶は本来の意味からすると、ちょっとズレていると思います。いずれ、自然の声に耳を傾けていると、色々なことが見えてきます
自然から学ぶ暮らし方
食べ物ばかりではなく、人間の生き方まで大自然は教えてくれているように思います。
末期癌になり、医者も見離したような重病の人たちが、見事に回復したというような話を聞きます。そんな例を全国から集めて本にした人もいます。それを見ると、みんな共通点があります。
私たちは重病に侵されると、何とか病を治したい、死にたくない、生き延びたいと願うのですが、大病から生還した人たちは、治したい、死にたくないという世界から、ある時点で大転換しています。
まず、癌に罹ったことに感謝しています。大病に罹ったお陰で、真剣に自分の人生を考えることが出来た、というのです。そして、本当の自分、わがままで傲慢な姿を知らされたと言います。また、そんな自分は、生きて来たのではなく、生かされてきたことに気がついたとも言います。己の力で頑張って生きようとせずに、死んでも良い、生きても良い、大自然にお任せして行こうと思ったら、癌が治った、もしくは進行が止まったと言います。
なんと人生は逆説に満ち溢れていることでしょう。死を目前にして、どうしても生きたいと思っていた人が、死んでも良いと思えた時、死が遠ざかっていくのですから。
奇跡と言ってしまえばそれまでです。私はこの不思議な出来事のもとを尋ねようと思ったのです。必ず大自然の法則に当てはまる筈だという思いがあったのです。
この自然治癒力を高めるものは何か、それは人間の中に内在されているホルモンの一種です。医学的には色々な名前が付いています。ドーパーミンとかインターフェロン、副腎皮質ホルモン、脳内モルヒネ、まだまだ脳内ホルモンは色々ありますが、その都度互いに作用し合って、その時に一番良い形になり、自然治癒力を高めてくれるので、私は一括してそれらを幸せホルモンと名づけたのです。 任天山人
(山人とは俗人にもなれず、さりとて幽谷深山に暮らす仙人にもなれない人)
2005・1月発行
2005・2月発行
2005・3月発行
2005・4月発行
幸せホルモン3
幸せとは何か、人に聞くと答えます。自分を含め家族が健康であること、自分の持ち家があること、老後の心配がないこと、みんなが仲良く暮らすことなど、まだまだ色々なことがあるのでしょうが、答えはそんなところです。これらは全部条件付の幸せです。例えばお金が無くなったり、病気になるとたちまち不幸になってしまうのです。
条件なしの幸せ、それが幸せホルモンの分泌です。何も求めるものはありません。今、そのまんまで幸せなのです。「春のうららの隅田川」という歌がありますが、その一節に「げに一刻千金の流れを何に例うべき」とあります。幸せホルモンが出てくると、何も桜の花咲く隅田川まで行かなくても、今この自分のいる場の景色が千金の値のある所だと気付けるのです。
空を見上げて下さい。紛れも無くこの場所は宇宙の真っ只中です。足元を見れば、アスファルトの隙間を割って青々とした草が生えています。街の中で暮らしていても、あまねく大自然の法則の中です。
条件の無い幸せとは「この今文句なし」の生活です。いや、「この今すべて有り難し」と思えることでしょう。「広い世界に出してもろうた」などと聞きますが、広い世界に出たのではなく、この世はもともと広い世界だったことに気付いた言葉なのです。「救われた」ということも、誰かに救われたのではなく、もともと救われていた事実に気が付いたということなのです。
足の無い人は無い足に気をとられるのではなく、手もある、目も口もあることに気付くことによって幸せになれるのですが、そのように思いなさいと理屈で言われて努力しても、一生かかっても難しいことでしょう。
幸せになるにはこうしなさい、ああすれば良いのですと理論的に説く人も多いのですが、複雑で難しく、その為に多くの人が勉強だ、修行だなどと称して何十年も無駄に年月を費やすのはもったいないことです。幸せへの道は実に簡単明解です。幸せホルモンが出るような生き方をすれば良いだけなのです。
愛のムチと称して人に厳しい言葉や行いをする人がいます。そのことが人にとっていいことなのだと自我が主張し言い訳をします。でも本当に良いことをした時には、心の中はさわやかです。正しいと思ってやったことでも自分の心の中がスッキリしないで、むしろ気分が良くない時は幸せホルモンが出ていません。自分の行った行為が正しいかどうかは自我に聞いても答えは出ません。真我の幸せホルモンだけが本当のことを教えてくれるのです。
幸せホルモン4
幸せホルモンが有るということは、実は不幸せホルモンというものも有るのです。怒り、不信、孤独、恐怖など人類が作り出したイマジネーションの地獄に通じています。人類という言葉を使ったのは、天国も地獄のイマジネーションは国籍、人種に関係なく共通しているからです。この不幸せホルモンの分泌に関係している感情は恨みです。人のことを恨んだり呪ったりした時に分泌されるのです。人を呪わば穴二つという言葉がありますが、科学的に言うと穴は一つです。呪うということ自体、呪う側の妄想ですから相手の人は関係ありません。不幸せホルモンが出ている方は呪っている本人です。人のことを恨んで悪者にしている人は、幸せにはなれないということです。
幸せホルモンも不幸せホルモンも気を通じて回りに伝播していきます。ですから自分が幸せになることは、少しでも周りが幸せになっていくお手伝いが出来るということです。勿論その逆もあります。
幸せホルモン5
幸せホルモンを見ることが出来ますか。そりゃあ見ることが出来ません。でも幸せホルモンが分泌している状態は見ることが出来ます。幸せホルモンが分泌すると、血流が良くなりますので体がホカホカと温かくなります。毛細血管が開くので顔色がピンク色になり肌がしっとりします。目に潤いが出て体全体がしなやかになります。つまり美人になるのです。女性にとってどんな高価な化粧品より幸せホルモンの分泌の方が有用に作用します。
女性の魅力とは幸せホルモンの分泌なのですね。
では男性はどうでしょう。一言で言うと風呂上りのさわやかさでしょう。人物を見ようとする時、服装やブランド品に目を向ける必要はありません。全体からさわやかなオーラが出ているかどうか、まずそれが一番ではないでしょうか。人間は自然の美に出会う時幸せホルモンが分泌します。山の頂上から見渡す雲海の景色や、今まさに沈まんとする夕日の美しさに無心になって見とれている時、心が温かくなってきませんか。大自然の幸せホルモンと感応しあっているのでしょう。
自分の中に幸せホルモンがにじみ出て来た時、何の気なしに見ていた景色が一変してしまいます。秋のイチョウの木が黄金色に輝きだして自然界の命そのものを感じることができるでしょうし、足元の一輪の花にも輝く光を見てとることが出来ます。死んだ後に素晴らしい世界にたどり着くのではなく、今、この世の中こそが命輝く、美しく素晴らしい世界だったと思うことでしょう。
任天山人
2005・5月発行