蓮の花は泥があってこそ咲く
20年も前のことです。街からこの山村に移り住んで田舎暮らしを始めたころ、人の生き方というようなテーマで、ラジオ番組に出させてもらったことがあります。インタビュアーの繰り出す質問に、何の迷いもなく、即答える私にチクリと「さぞご立派なご家庭でお育ちになったのですね」と言うのです。40歳そこそこの私には、人の生き方について語るのは、当時まだ早かったのかもしれません。今でも指導者でも先生でもない私がものの理(ことわり)について話したり書いたりすることに気恥ずかしいものがあります。わたしは立派な家で育ったり、高等な教育を受けた者でもありません。むしろその逆の者です。幼いころに両親と死に別れ、家庭崩壊を体験し、兄弟に捨てられたと思い込み、その恨みを抱き続け、ひねくれて生きてきた者です。それが40歳の時に、本当の自分の姿に気づくという研修に出会って、それまでの自分の生き方考え方の間違いに気が付いたのです。
それまでは、人に話すことは恥ずかしいことだと思っていた自分の生い立ちや悲しい出来事が、実は宝物だったのだと思えた時のありがたいこと。喜びの種は、悲しみの泥の中にこそ潜んでいるのです。気付いてみればすべての体験は無駄ではなかった、幸せに至るための学びだったのだ、と気付いた時の嬉しさ、そのことを伝えたくて、私は書かずにはいられなかったのです。「風雨有情」は、あの時はこうすれば良かった、あんな言い方をして人様を傷つけてしまった、と言う私の反省の書です。そのような思いに立って、人様の姿を見させてもらったりしながら、私なりに伝えやすい形に工夫して書いているのです。
許せば許される
人の言葉に傷つきやすい人がいます。私から見れば、自分のことを認めて欲しいというメッセージであったり、その人のためのアドバイスの言葉に思えるのに、その人は、そのようには受け止めることが出来なくて、深く考えることもなく、ストレートに腹を立ててしまうのです。そしてそのことを、私は一生忘れませんと言うのです。何かそのように、物事にこだわり続けて生きていくことが、格好良いことだと思っているようです。「えっ!!忘れないと言うことは、死ぬまで腹を立てるような思いや恨みが、積もりに積もっていくことなのですね」と思いました。私にはあまり良い志には思えないのです。このような人の姿を通して、嫌な思いはすぐに忘れた方がよいとか、人のことを許すということは、自分のことを許すことだということを、学ばさせてもらいます。
種あってこそ花開く
60歳も半ば頃になってくると、今までの体験を通して、こんな風にした方が良い結果が生まれるよとか、こうすれば楽に生きれるのになどと、おせっかいに人のことを思ったりもします。でも反面、ひとはそれぞれ好きなように生きれば良いのだともおもうのです。迷いながら生きているようにも思える人でも、そういう姿をしながら、結局は精一杯の自分を生きているのです。誰しもが自分の心の赴くままに生きていけば良いのです。ただ、はっきりしていることは、原因と結果の法則は厳然としてあるということです。誰もが蒔いた種は刈り取ることになっているのです。このことに気付けない人が、後になって汗をかきながら、苦労の草を刈り取ることになるのです。かつて自分が蒔いた種だったことに気付けずに。
60年以上もひとさまの生き様を見てくると、見事に計算が合っていることに気付くのです。40年も50年も前に蒔いた種の刈入れを今している姿を見せてくれる人もいます。私は何の不思議も無い、目の前に有る当たり前の世界に驚き、感動しながら見せてもらっているのです。