作品名 | 星と祭 |
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さくひんめい | ほしとまつり |
初出紙 | 朝日新聞[1] |
連載期間 | 1971年5月11日〜1972年4月10日[1] |
連載回数 | 333回[2] |
文庫/全集 | 巻 | 文庫本名/副題 |
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角川文庫 | - | 星と祭 |
角川文庫 | - | 星と祭(上・下) |
井上靖小説全集 | 32 | 星と祭 |
井上靖全集 | 20 | 長篇13 |
おなまえ | 日付 | ちょっと一言 |
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リンゴ・スターさん | 2004.06.04 | 私はこの作品が出た頃、学生だったのですが、あまりに重いテーマなので読みませんでした。昨日、図書館で立ち読みに近い状態で読んでみたのですが、序盤から涙がぼろぼろと出てきました。 |
おなまえ | 記事No. 日付 |
書き込みから |
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黒砂真墨さん | [630] 2002/04/02 |
観音様拝みにいきたくなりますね。 しかしそれよりも印象に残ったのはエベレスト月見。絶対真似はできませんが、贅沢で雄大。一歩一歩自然に触れつつ登っていく様に、井上文学の大きさを感じます。 どちらも、根っこでつながっているものなのでしょうが。 |
yakkoさん | [680] 2002/05/25 |
「星と祭」の冴え渡った美しさが好きです。特にラスト辺りの唸るくらいの美しい情景が。(まだ読んでいない人のために、内容は秘密♪私は本当に唸ったくらい、すごい描写でした)ヒマラヤでの観月は、是非私もしたいです。 |
ユミさん | [681] 2002/05/25 |
主人公の架山がしきりに亡くした娘のみはると会話を交わしているのを読みながら、井上先生がおかのおばあさんが亡くなったあとに彼女と交わしたという会話と同じだあと思いました。 架山の場合、みはるとの会話が架山にとっていいことなのかよくないことなのかは判断しづらいところですが、幼いころ世話になった祖母と、自分が年齢を重ねてから話をしたという井上先生はうらやましいなあと思います。 「星と祭」の中で印象に残ったのは、クムジュンの小学校に行ったとき教室に入っていった架山に向けて、子供たちが手を合わせて挨拶をしたというくだりの「問題はその小さい目の黒さであった」という一文。そして、二人でいたときふいに歌いかけた架山に応じてシェルパのピンジョが「よく意味も判らぬ異国の歌を、楽しそうに歌」ったところでした。何か、突き刺されるような気がしました。 |
ころすけさん | [682] 2002/05/26 |
星と祭の会話の件ですが、僕も読んでていつまでも現実の世界から逃げて、(?)死んだ娘との会話を続ける架山に疑問を持ってたけれど、今では死んだ娘に対する心境の変化を文学という形式で表現するための表現法だったんじゃないかな、と思います。実際その問題が決着するのと共に会話もなくなったし。井上作品ではこの死者との会話を通してその人の中での、ある人や事柄に対する真実を追求する場面が多いようです。 |
[1] 井上靖ノート
[2] 旭川市・井上靖記念館ホームページ