作品名 | 蒼き狼 |
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さくひんめい | あおきおおかみ |
初出誌 | 文藝春秋[1] |
連載期間 | 1959年10月号〜1960年7月号[1] |
連載回数 | 10回[1] |
文庫/全集 | 巻 | 文庫本名/副題 |
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新潮文庫 | - | 蒼き狼 |
旺文社文庫 | - | 蒼き狼 |
井上靖小説全集 | 16 | 蒼き狼・風濤 |
井上靖全集 | 12 | 長篇5 |
登場人物の紹介 | 作品の登場人物から、主要な34人を簡単にまとめてみました。 |
おなまえ | 日付 | ちょっと一言 |
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ぺさん | 2003.12.07 | 「モンゴルは狼になる」 名前すらない登場人物のセリフですが、鉄木真に生きる道を決意させた決定的な一言だったと思います。この話の核とも言える部分として私の心に強く残った場面でした。 |
ムリグンさん | 2005.01.07 | 私は内モンゴルの東北にある町に生まれた。モンゴル人として自分の民族の歴史を著しく書かれたこの本を10年前に読み見ました。当時モンゴルの事、良く知らなかった私にすごく新鮮ですごく好奇心をもたらしました。日本人なのにモンゴルの歴史をこんなにはっきりと世に広げた事を心から尊敬します。ところで私の妻はジンギスカンの32代名に当たる末裔です。私は現在井上靖の生まれた旭川に留学している「北海道教育大学」、こうした縁のある珍しい事などから始めて作者に対する尊敬心も強くなり、これかも井上靖の作品をどんどん読んでもっともっと我が民族を世に知らせた井上靖を知りたいと楽しんでいます。 |
おなまえ | 記事No. 日付 |
書き込みから |
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たがたぐんさん | [138] 2000/07/20 |
「蒼き狼」論争について 昭和36年1月「群像」1月号に大岡昇平が発表した「蒼き狼は歴史小説か」を発端とする井上との論争です。大岡はここで「蒼き狼」というモチーフ自体井上の勝手な解釈でありひいては史実を改変するものであるという批判を提起し、これに対し井上が同じ「群像」誌上でその反論を試み論争へと展開していったものです。歴史小説においてどこまで史実を尊重すべきかあるいはどこまで想像力は許されるかという問題なのでしょうが、少なくともそれまで井上の作品ではかなり明確にその区分が出来ていたのに(前者の範疇が「天平の甍」後者が「楼蘭」「敦煌」)、この論争以後どうやら「歴史そのまま」への手法に転換していったようです。その代表作が「風濤」とうことになりましょう。 個人的には、楼蘭のようなロマンチズムあふれる作品が(それが井上の一つの大きな美点だと思います)歴史を題材にしたものからはその後影を潜めざるをえなかったことを残念に思います。 同じ伊豆の出身(田方郡です)として、井上の気質について理解できる部分があり、恐らく彼はこの論争にて大きく傷ついたのだと思います。その痛みの影響があえてそれ以上その道を進む(意地を通す、固執する)ことに向かわず静かに方向転換をする方を選んだ、これが静岡県人の一つの特質であり、今一つ大物を生み出せない土壌に結びつきます。もっともこのことは決して悪い事ではなく、井上の中にある伸びやかな部分に昇華されているとも思います。 「ちびまるこちゃん」の世界や、県勢が甲子園で優勝できない世界は同質です(ただし、浜松を中心にする世界はまた少し異質のようです。本田宗一郎・ゴンに代表されるエネルギッシュな人達が出ています)。話がそれました。ただ井上の分析において伊豆・沼津の風土が与えた影響は恐らく多大なものがあり、それが金沢・京都という気候的にも厳しい風土(あるいは文化の先進地)でどのように変質していったかは面白い研究テーマになるのではないでしょうか。 |
三毛猫さん | [329] 2001/07/11 |
私の中でこの作品は1・2・に位置するものです。 『蒼き狼』は大陸の雄大さと力強さ、そして人間の本能剥き出しの非情さを伴う覇者への執着真と、ふと頭をもたげる拭い去る事の出来ない男の不安な心理をみごとに描いている作品だと感じる。 |
[1] 井上靖ノート