掲示板ログ 2001年7月


[320] 「茶の湯の名人」 投稿者:茶のみオヤジ 投稿日:2001/07/06(Fri) 22:08
はじめまして、大変お恥ずかしいのですが、教えていただけますでしょうか?

井上靖小説の中で、千利休を主人公にして描かれている小説は、どれでありましょうか。

フランス人の愚妻が先日買って読んでおりますフランス語に翻訳されている井上靖小説なのですが、オリジナルのタイトルが分かりません。「利休の死」のような短編ではありません。「茶の湯の名人」といったタイトルになっております。
すみませんが、どなたかご教示いただけますれば有り難く存じます。

[321] 井上靖、好きです 投稿者:三毛猫 投稿日:2001/07/06(Fri) 22:11
はじめまして。
パソコンを求めて、初めて検索した作家さんが「井上靖」さんでした。ですがここのようなページが見つからずがっがりしたものです。
今回このHPにであえたこと大変嬉しく感激です。

まだ全部廻っていないのに、書き込みさせていただきました。
おいおいじっくり読ませて頂いて、「井上靖」の世界に浸りたいと
思っております。文庫の情報が素晴らしいですね。これだけ集めるのは本当に大変だったのではありませんか?
私にとっては大変貴重なものばかりです。

『蒼き狼・額田女王・氷壁・・』もちろん『しろばんば』好きです。
それではまたきます。

[322] 茶のみオヤジさんへ 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/07(Sat) 11:30
「茶の湯の名人」は長編なら「本覚坊遺文」ではないでしょうか。
そんな気がしますが間違っていたらごめんなさい。
ー三井寺の・・、
−三井寺の・・ 
ー三井寺の本覚坊とは違うか。本覚坊さんだろうが・・
で始まるその本は秀吉、家康、利休、古渓、織部の絡みの中で利休の死を考えて行きます。私は嘗て共に歴史の判定に任せて死に赴いた東西の偉人、古代ギリシャで自分は真に客殿に於いて供応に与るべきだとしながら若者の心を惑わす者として毒杯を仰いだソクラテス、何ら弁解もせず死に赴いた利休、その間に介在する何かに西洋の社会的合理性と東洋の個人の情緒的顕在化があると社会人大学生の小論文を書いて感情移入過多でB戴いたのを思い出していました。
ソクラテスの「賢者は知らないことを知る。広く論ぜよ」として20世紀の今、最も繁栄する社会体制を証明してみせた。利休は後生の作家にその死を芸術の世界で花開かせた。
 京都に行くと聚楽第跡地に長次郎の子孫が芸大出て今尚窯と小美術館を守ってお出でになる。秀吉と利休の中にあってご町内の長次郎が
何を考えたであろうか。今は知る由もないが只文学者の領域でその心理を推測する他はない。名作の誕生する由縁だ。

[323] 石見洪太さまへ 投稿者:茶のみオヤジ 投稿日:2001/07/08(Sun) 20:38
ありがとうございます。
「本覚坊遺文」に間違いないと思います。仏語版ですが「三井寺の」のくだりで始まっています。
この作品館の情報によりますと講談社文庫であるようでので、早速に購入を致したく存じます。心よりの感謝を申し上げます。

ちなみに仏語版は「Le Maitre du The」というタイトルになっています。

[324] Le Maitre du The 投稿者:ばりばり蟹座 投稿日:2001/07/09(Mon) 23:50
三毛猫さん、初めまして。
このページを気に入ってもらえたようで、嬉しく思います!
文庫の情報は、ここを訪れてくださった皆さんの協力で、出来上がったものです。
僕一人ではとても無理でした。本当に感謝です。
これからも、よろしくお願いしますね!

茶のみオヤジさん、石見洪太さん、初めまして。
フランス語の「本覚坊遺文」で出版されていたんですね。
「Le Maitre du The」の仏題名も、今後の情報をまとめる時に参考にさせてもらいますね。

[325] コメントの件ばりばり蟹座様 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/10(Tue) 11:08
何か勝手に人の庭覗き込んで将棋の駒を差し出口したようでご免なさい。teen agerの時から井上靖にはまりこんだ65歳爺です。よろしくお願いいたします。

[326] Re[325]: コメントの件ばりばり蟹座様 投稿者:ばりばり蟹座 投稿日:2001/07/10(Tue) 12:35
とんでもないです!
書き込みをしていただいて、感謝しています。
この掲示板などで答えられない質問があった時に、石見さんのように答えてくださる方がいると大変助かりますし、嬉しく思います。
新しい情報を知って、勉強にもなしますしね。
こちらこそ、石見さんにそう思わせるようなところがあったようで、申し訳ありませんでした。
それでは、これからもよろしくお願いしますね。

[327] 「本覚坊遺文」ゲット! 投稿者:茶のみオヤジ 投稿日:2001/07/11(Wed) 04:10
おかげさまで昨日、神保町の東京堂書店にて「本覚坊遺文」を購入致しました。石見様、本当にありがとうございました。

バリバリ蟹座様、仏国では「楼蘭」「敦煌」「しろばんば」「風涛」は容易に手に入ります。哲学的な語り口を好むフランス人は、安倍公房とならんで、井上靖を尊敬する外国人作家として認めていると愚妻が申しておりました。

[328] 茶飲みオヤジ様 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/11(Wed) 09:06
「本覚坊遺聞」入手できて良かったですね。最近田舎の本屋では井上靖の文庫本がめっきり減って寂しい限りです。このような本がフランスの方に好まれるのは嬉しい限りです。私は「猟銃」はフランス、利休はドイツ好みかなと思っていました。現役の頃パリ、モンマルトルでパリ記念に絵でもと思って出かけて結局日本人の絵を求めました。それは日本の墨絵を洋画にした様なモノでしたが「貴方の絵誰が買うか」に「ドイツ人だ」の答に佐伯祐三の「コルドネリ?」ドイツ人が求めてたの思い出していました。奥様のご感想お聞きしたいものです。 6年前京大院留学の人の下宿で中国人の方々と中国文化研究会(要するところは餃子食う会)で井上靖知ってるかと聞いたら意が伝わらず困りましたがよく知ってると言う事でしたが感想聞くのわす 
れて残念な事しました。その訪欧時ドイツで私の英語聞いて「フランス語分かるか」と行く先々で聞かれました。日本人の発音はフランス語的だそうです。但しフランスで英語で質問した積もりが「何ですか英語分かりますよ。英語で言って下さい。」と全く通じませんでした。奥様にフランス語的英語指摘されませんか。


[329] 『蒼き狼』 投稿者:三毛猫 投稿日:2001/07/11(Wed) 11:13
私の中でこの作品は1・2・に位置するものです。
そして「たがたぐんさん」のコメントを読ませて頂いて、作品の内容とは別に色いろ考えさせられました。「大岡」氏との論争のことは知らなかったものですから、それ以後歴史物が影を消したということに
今更にショックを受けました。
美しく、優しくそれでいて鋭い刃物のような一面をもつ井上氏の文章でたくさんの歴史を書いてほしかったと思う。
素人のわたしなどは、史実を曲げる事はしてはならないけれど、あくまで小説なのだから「想像力」が許されて、その豊かさが素晴らしい読み物を作るのではないかと思います。
ノーベル賞候補にもたびたびと聞きますし、惜しいです。
時代を恨みます。
『蒼き狼』は大陸の雄大さと力強さ、
そして人間の本能剥き出しの非情さを伴う覇者への執着真と、ふと頭をもたげる拭い去る事の出来ない男の不安な心理をみごとに描いている作品だと感じる。

[330] 『しろばんば』 投稿者:不二子 投稿日:2001/07/11(Wed) 13:53
こんにちは。私は『しろばんば』が大好きです。
中学1年の時の教科書に載っていたのを覚えています。
大学の時に、井上文学館にも行ってきました。
また、ちょくちょくここにもよらせてもらいます。


[331] こんにちは 投稿者:ばりばり蟹座 投稿日:2001/07/12(Thu) 21:01
不二子さん、はじめまして。
書き込みありがとうございます!
僕の学校の教科書には載っていなかったんですよね。
おかげで、井上作品との出会いが遅くなってしまいました。
そういえば、『しろばんば』は教科書ではどの部分が使われているんでしょうね。
それでは、これからもよろしくお願いしますね!

[332] 外語版のタイトル(仮) 投稿者:ばりばり蟹座 投稿日:2001/07/13(Fri) 07:34
この掲示板でもたまに話題にのぼる、外国語に翻訳された井上靖の作品を幾つか調べて、まとめてみました。
まとめたといっても一部ですし、ここでは外国語でのタイトルが分かっているものだけを取り上げています。
まだ暫定版なので取り敢えず掲示板だけでの公開ですが、いずれは正式にアップしたいと思っています。
みなさんからの情報も待っています、よろしくお願いしますね!

http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/foreign.html

[333] 三つの出会い 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/14(Sat) 11:55
昭和30年前後の私の学生時代、私は三つの小説に出会った事を今でも鮮やかに思い出します。一つは文気春秋に掲載された「それは拒否されるでしょう。しかし言わねばならないのです」と反ヒットラー宣言で始まる遠藤周作の芥川賞受賞作「白い人」です。次は下宿の窓の向こうに広がる金閣寺の森を眺めて、再建未だならない金閣のない金閣寺の庭に思いを馳せ「今、世紀の傑作が生まれている」臨場感に浸った「新潮」連載三島由紀夫の「金閣寺」を大学図書館で読んだ日々の事です。
 もう一つは北野天満宮の夜店で求めた古雑誌「オール読物」に読んだ上高地五千尺旅館の看板前で袴高下駄で腕を組む旧制高校生の挿し絵が象徴する井上靖の「錆びた海」です。ドイツ人教師に日本唯一のドイツ的風景と聞き二人で上高地に徳本峠越える青春物語ですが、井上靖は当時「明日来る人」で読んでいた筈ですが、その時井上靖は忽然と私の前に姿を現しました。前二作に比較、文学的には余り評価されないかも知れませんが将に私の前に井上靖は姿を現したのです。
”徳本(とくごう)峠を越すと、全く風景は一変した。気温も降っ  た。立ち停まると寒気が身に沁みてきた。上高地に到着したのはそ の日の夕方だった。五千尺旅館と言うのが、一軒だけ表戸を開いて おり、内部にこれも六〇くらいの老人が囲炉裏の側に座ってい   た。その老人の横には大きな瓶が一個置かれてあった。”
それに魅せられて私は何度上高地に徳本峠を越えた越えた事で有りましょう。最初は二回生の秋、、小説通り午後の陽を受けて峠の向こう
の黒々と広がる神々の座、穂高の岩壁。宿代七〇〇円が喉につかえてその日は五千尺旅館には泊まりませんでした。京都駅で意気投合、そのまま朝日新聞「氷壁」連載中を二人で峠小屋を独占したのは翌年春連休中の事でした。それから残雪深い社会人新人の四月。受験を控えた末娘に「お父さんの遊びには付き合いきれない」と言われ一人で越え念願の穂高初登頂を果たした夏。最後は退職前、果たせなかった進行旅行を家内と二人残雪深い春連休の峠を越えました。その日快晴越えたのは4パーテイ、徳本峠小屋は中年登山者で満員。四〇年前、湯闇の中何時までもグリセイドやってたマツシタの彼はいませんでしたが今でも話題の中心は「氷壁」でした。その日約束の五千尺ホテル泊。忘れられない井上靖。私は「錆びた海」一読を薦めます。期待を裏切らないと思います。新潮社全集第四巻、挿し絵入りなら国会図書館MF「オール読物」昭和二九年十月号で見れます。




[334] 三つの出会い修正 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/14(Sat) 12:09
進行旅行→新婚旅行、湯闇→夕闇
年寄りの冷や水で済みません。ご免なさい。

[335] ご無沙汰していました。m(__)m 投稿者:野々子 投稿日:2001/07/16(Mon) 17:50
忙しいのもあって、読書と遠ざかっているなんて
情けないこともあって、なかなか顔をだせませんでした。m(__)m
ちょっと覗いてみました。。。

>ばりばり蟹座さん
おひさしぶりです。
お元気でしょうか?
外国語版のタイトル、見ました。
あんなにたくさんあるのですね。
びっくりしました。
大変な作業だったのじゃありませんか?
お疲れ様でした。それからありがとうございます。

>石見洪太さん 三毛猫さん 不二子さん
はじめまして、どうぞよろしくです。

[336] 教えて 投稿者:まさ 投稿日:2001/07/26(Thu) 10:10
氷壁の感想教えて


[337] 氷壁の感想 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/26(Thu) 20:09
「錆びた海」を「オール読物」に見つけ、次に「あすなろ物語」を又古本「オール読物」で夢中で読んだ年の秋上高地に徳本峠を越えた。その次の夏やるなら北からと大雪山に登った。秋は立山に登り工事に入ったばかりの黒四ダムの工事現場を下った。その12月朝日新聞に「氷壁」連載が始まった。
登山は徳本峠、上高地で見た穂高の岩壁に魅せられて始めたのであったから井上靖の連載は舞台もそのままに待ち望んでいた時にそのまま始まった。単独行に終始した行程ではただ一人の山小屋で囲炉裏の火に考えることは多かった。それだけに思い込みが多くて冷静には批評は無理だと思う。只当時の登山をしていた人には次の点で共感を呼んだと思う。
第一は街中で今度はあの山に行こうと決心した時、その時山への第一歩を踏み出したの表現、山屋の心衝いてると思った。その日から出発日までのおののく心はその人でなければ分からない。
第二は前穂アタックの前夜の会話「明日は晴れるさ、吹くだけ吹けば」の会話、誰でもそんな夜はキットキットそんな会話交わすと思った。余りに前夜の心理衝いてるので止めてくれと思わず一人叫んだの覚えてる。後は女の人に縁のない力学の世界を4年間彷徨ったので男のメルヘンだ。若い女の人に一度でよいから「結婚し欲しいと思ったのです」と言って欲しかった。そう思いつつその声聞かないまま子供もその年を過ぎてしまった。そんな世代は昔の話になってしまった。昔吉田さんがつれづれ草で余り若者の話に突っ込まないのが年寄りの嗜みだと言ってたが我が子一人としてそんな話聞いてくれなかったのが寂しいのです。末娘が高一で剣、高二で北岳、高三は遊びには付きあえんと穂高単独初登山したのが、唯一の子供との登山でした。そいつも「氷壁」には感動していましたが、当節は五木寛之だ。井上靖は時代遅れだと女子美に行ってしまいました。「ヴァイキングの祭り」でもイメージしてたのでしょうか。既に10年一昔前の話になってしまいました。

[338] Re[336]: 教えて 投稿者:三毛猫 投稿日:2001/07/27(Fri) 15:24
> 氷壁の感想教えて
まささんはじめまして。
『氷壁』は数年前再読したきりですが、「魚津」だけでなく登場人物
それぞれがとても魅力的で、物語の中できっちりと役割をこなしているのを感じます。氏の小説のパターンなのでしょうが、そこにわざとらしさや、不自然を感ぜずに物語にすっぽりと入りきれる。
心の動きの描写は素晴らしいと思う。繊細ななかにも鋭い面があり、
人の脆さ激しさがひしひしと伝わってきます。
雪山にいどむ男のロマンを充分に感じさせてくれたのに、最後に「魚津」が死に行く場面はあまりにも悲しく胸を打ち、あの魚津の手帳の文面から立ちのぼる、登山家の最後の姿が、この雄大なドラマの締めくくりに、大きな余韻となって残っております。
山の張り詰めた緊張感と雑多な日常とがうまく絡み合っていたなと思います。

まささんはどう思われましたか?

>野々子さん、遅くなりましたがこちらこそどうぞよろしくね。
>ばりばり蟹座さん、翻訳ものが数多くあるのにびっくりいたしました
海外でもたくさんの方が読まれているのかと思うと、嬉しいです。
>石見洪太さん、氏の小説との出会いを読ませて頂いて、その弾むお気持ち目くるめくような出会いの感動、なんだかわかるような気持がします。(生意気をいってゴメンなさい)素晴らしい時を持ったことは一生の宝ですね。いろいろとお聞かせください。


[339] 氷壁2 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/27(Fri) 17:25
三毛猫さんの批評、その通りだと思う。私には旨く表現できないが、思い入れは人一倍強い。その前新潮で「射程」、三島の「金閣寺」、阿川弘之「雲の墓標」夢中になって読んでた頃の話なので、それらの中にはその時代の時代性が大きく影を落としていた。マナスル初登山等を含めて若い心を集めた読者に時代を共にする共感を得られたと思う。しかもそれが今尚若い方々に共感を持って読み次がれ、的確に表現されるのは感動だ。私に言えるのはその時連載中の穂高周辺を歩き次いでその感動を共にした思い出に終始する。
「氷壁」連載中の五月連休雪の徳本峠を越えて、峠別れで京都からの同行の彼は上高地へ、私は徳沢園に分かれた朝、萌え始めた落葉松の小雨の中、ひっそりと若い岳人が一人下ってき小さく挨拶して去っていった事があった。彼は私にとって3年前小坂を前穂東壁に小坂を失った魚津でなければなかった。実際その日井上靖は開業前の上高地に入り、春を迎えた上高地の私も見た蝦蟇蛙の饗宴を感動を持って回想している。井上靖に会いに落葉松の道に消えた後ろ姿が今でも魚津の幻となって甦る。連載の思い出は生沢朗氏の挿絵のロマン性も小説の展開と共に欠かせない。その新聞の切抜きは当時母親が毎月食料を送ってくれる包紙を伸ばしたもので今でも懐かしい。50才過ぎて奥穂高に登りその頂上付近にその挿絵イメージしたのかピッケルがコンクリで固めて立てかけて有ったのには驚いた。
 その後ふと秋の夕焼を見て、涸沢を見ながら鳥足の唐揚げ食べたら美味しいじゃろなと新幹線に乗って上高地から徳沢園新村橋を経て奥又白谷に入った事あった。小坂の霊に一応お目に掛かって置きたかったのだ。一人の紅葉の谷は小坂に相応していた。5年前奥穂高小屋から河童橋まで一時過ぎに下山したのに、一時間遅れで下山して四時の帰宅最終バスには間に合わなかった。私の「氷壁」への旅は終わった事を実感した。

[340] 小坂を失った魚津 投稿者:三毛猫 投稿日:2001/07/28(Sat) 22:27
>ひっそりと若い岳人が・・。
石見洪太さんにとってその岳人は、魚津そのものだったんですね。
石見洪太さんほどに氷壁に入り込んでしまうと、魚津とも小坂とも
無言の会話をもてたことでしょう。
一時間遅れで下山したのに遅れてしまったというのも、ひたすらに
彼らとの会話を楽しみ別れを惜しんでいたからではないでしょうか。
氷壁への旅が終わったとありますが、その後の石見さんにとって
氷壁への思いはどのようになったのでしょうか?
うまく言えないのですが、一つの小説と作家さんがいつもどこにいても、付いてきていますよね、きっと。

ちょっとびっくりしたのですが、連載中にわたしは、産声をあげたんです。もっと新しいものだと思っておりましたのに。

『星と祭』を読んだとき、ヒマラヤの澄み切った情景を思うたびに
魚津の最期ばかりが思い出されたものです。


[341] 『氷壁』について─墓標としての「山」─ 投稿者:ぴかちゃん 投稿日:2001/07/30(Mon) 22:34
 『氷壁』について、書かれていらっしゃる方がおられましたが、
私は、いつも、この作品を読むたびに、『猟銃』と『比良のシャクナゲ』との関連を思います。『猟銃』では、最後の場面で猟人・三杉穣介が、孤独な後姿を残したまま、天城の山中へと分け入って行きました。『比良のシャクナゲ』では、やはり孤独な老学徒三池俊太郎が、いつか、登ってみたいと思って、なかなか果たせないでいる山、として琵琶湖岸にある比良山をあげています。そして、『氷壁』では、深い霧の中に消えていった魚津はとうとう戻ってきませんでした。
 一般的に「山」は、多くの文学作品の中で、異世界との境界にあるもの、として表象されることが多いのですが、そういった意味でも、井上靖もそうした形で用いることがあったのではないかと…。つまり、生か死かの境目のところに、「山」というものを考えていたと思うのです。もちろん、魚津自身は、死のうという気はなかったでしょう。しかし、それを思いやればやるほど、井上靖の描いた山々の峻厳さと清冽さが、よりいっそう、ある種の哀しみとともに、胸にせまってくるような気がします。

[342] 氷壁(3) 投稿者:石見洪太 投稿日:2001/07/31(Tue) 15:30
氷壁について思うことは多い。ぴかちゃんの生と死の境界についてのご意見は興味尽きない。井上靖の四高時代の回想に当時の山岳部室に行くと死の出てくる落書に異様なモノを感じたと書いたのが有ります。死と言うモノが観念論でなくそこにある死として存在した所に若者の心を動かす何かが有ったのは氏の小説の中に一つの詩情として清冽に流れて居る気するのですが如何でしょうか。
 死を目的とした華厳の滝厳頭の感とは別のよりよく生きようとして突き進まざるを得なかった、その結果として倒れて行った若者の心に詩情を見るのです。私は友と共に雪中に死を覚悟した松濤明の話、二回目の徳本峠冬季越単独行を敗退した年末葛温泉で聞きました。数年前の実話でした。その詳細は後日「雪と岩」誌で知りました。
 彼も又よりよく生きようとして雪山に遭難したのです。
 彼は死して後世にその鮮烈な生き様を関係者に明らかにされ、「氷壁」にもその生き様が引用された。                そして生き残った者は私は貴方はどうなるのか。         その自分に対してよりよく生きようとしてのその結果、自分が世間に理解されない、その基本的な部分への孤独感に詩情を見るのではないか。自分は自分に対してよりよく生きた。その結果のこの孤独感は何か、その世間の無理解は何だ。その世間の大半の人々の自分を納得させようとしてもしきれない所に詩情で自分を慰めようとする心の揺らめきに自分を映して見る内面描写に井上靖の人生の応援歌を見る気がするのです。
そして又その美しすぎる所に世の批評家に物足りなさを与える気がするのです。小林秀雄は溺死体の漂う描写で美文調の安易な表現を「風濤」に指摘していますが、私にはそれはそれで良いと思うのです。降りた人間の心理、運命を変えられて果たされなかった人間の冷厳な描写、それらの一つ一つが果たされない夢を持つ大半の人々への応援歌でなくて何でありましょう。その意味で人生への果たされなかった夢への挽歌として井上靖は語り継がれて行く気がするのです。 結局私はそのように井上靖を読んできた様な気がします。
 それにしても一つ一つの言葉に美しい詩情が込められていた事で今日まで何も考えず、夢中で読み次いで来た日々が懐かしい。
「まさ」さんの「氷壁」への問いかけは私の青春を思い起こさせて際限を知らない。実際「猟銃」は将にウットリとする様な詩のような人生思わせて、私にはパリ三日間のモンマルトル、セーヌ、ムーランルージュに漂った様な小説でした。若い人々には人生にバラ色を見る「北の海」に夢を見てお出でになる。その通り、私も又息子にその本買い与えたの只一回だけの受験の年の事でした。沼津の奴同級生にいると聞いたのも昔の話になりました。