『忘れられた村』    カガチ村訪問 


 カトマンドゥ市内よりリングロードを抜け北西へ約15qカカニの丘に向かう途中に位置する。車で約30分そこから徒歩40分山道を下った所にある谷間の農村で濃緑の麦の穂を乗せた「だんだん畑」は空まで続いている。雨季になるとこの畑に田植えをし秋の収穫祭の頃には黄金色の稲穂が見られるのだろう。この村は山道を利用するしか交通の手段が無く当然車、バイクすら入れない秘境である。この地に来た日本人は我々の前に1人だけだそうで、カトマンドゥよりさほど遠くないところにネパール人も知らない村があるとはさすがネパール?と言うよりほかならない。現在車道より車の入れる道路を建設中である。


村の歴史 その昔、バクタプルで戦いがあり、新しい王様にそこを追われた人々がこの谷を通りかかった。その時、けがをした人、身重の人など動けなくなった人がそのままここに留まったと言う。事実、村人はバラミーというカーストで周辺はもちろんバクタプルも含めても4カ所しかこのカースト名を持つところがないヒンドゥ教の村である。周辺の村はバウン、チェトリのカーストであるため交流が少ない。

村の行事、風習として一般的なヒンドゥ教のお祭り、10月ダサイン祭り、11月ティハール祭り等が行われるが特筆すべき村の風習として2月に行われるシュリー・パンチャミー(ShreePanchami)というサラスバティの誕生を祝うお祭りの時村の若者の集団結婚式が開催される。村には司祭がいないため祭りの時訪れる機会に一緒にという考えらしい。シュリー・パンチャミーというお祭りは春の訪れを祝いカトマンドゥなどでも町中で結婚式が見られるが、この村では、毎年20組以上、7,8歳からの幼児婚(子供のうちからの結婚)がおこなわれ本人達は意味さえ知らぬまま結婚式を上げさせらている。 実際結婚した子供(男、女)が学校に通っている。その弊害として低年齢時の出産、育児により出生率、生存率、母親の健康などの低下があげられる。村人も法律で定められている年齢に達していないのを知っているのだが昔からの風習ということで続けている。

村の村長 ジェット・バハドゥル・バラミー氏はもっと村の開発、医療設備、教育設備の充実など図りたいと話している。村の現状として、村人の90%は農業をし日雇いで仕事をしている人も多く、70%の家庭は貧しい生活を送っている。主な家庭は、1家族子供4名で食事は1日1食の家も多く、毎年約500名の子供が亡くなっている。原因として栄養不足・出生率が低い・うまく育たないなど考えられる。又学校に通えない子供も非常に多い。村人自身もどのようにすればいいのかわからないと話している。

村の人口5,000人、
就学児童1,600人、
小学校に在籍している子供233人
実際登校している子供100人前後
村の識字率 約10%未満
医療機関 なし

 最近この村の現状をネパールの新聞で特集記事として報道されたことにより多くのネパール人の関心が寄せられている。
事実このホームページで紹介しているネパール ライオンズクラブ カトマンドゥ 【スクンダ】のカガチ村への活動や他の団体の援助も聞こえてくる。


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2000年ネパールの旅


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