あした来る人

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作品情報

作品名 あした来る人
さくひんめい あしたくるひと
初出紙 朝日新聞[2]
連載期間 1954年3月27日〜11月3日[2]
連載回数 220回[2]

収録状況

文庫/全集 文庫本名/副題
新潮文庫 - あした来る人
井上靖小説全集 7 あした来る人・波濤
井上靖全集 5 短篇5
井上靖全集 10 長篇3

掲示板から

おなまえ 記事No.
日付
書き込みから
伊豆さん [845]
2002/10/22

遅れ馳せながら、先日NHK衛星第2で放映された映画「あした来る人」(昭和30年 日活)を皆さん注目してくださってうれしいです。

僕はすでに録画したのであまり気に止めてませんでした(汗)。

手元にビデオがないのでなんですが、確か僕もNHKBS−2で録画したと思います。

これで2回目の放映でしょうか(曖昧、笑)。

今回はちらっとだけ見たのですが、モノクロでも画像はとてもきれいでしたね。

この頃の日本映画は白黒が主流でした。カラー作品は数えるほど。

ロケも結構多く行われていて、当時の伊豆や東京の街の様子もわかります。

大貫克平を演じたのは現在放映中のNHK朝ドラ「まんてん」に出演されている三橋達也さんです。

「あした来る人」、原作を読んでいる時から思っていたのですが新聞に連載されていた昭和29年にすでに時代を先取りしていてさすが井上先生!です。

それは・・・

  1. 芦屋育ちのお嬢様、八千代が実家の援助で裕福な生活をしている。

    最近やっと言葉ができましたが‘コマダム’のはしり。

    この頃は今と比べ「大人の時代」だったし、映画では演じた月丘夢路さんがとても美しく華やかで「マダム」と言っても過言ではないです。

  2. この頃の日本はまだ海外旅行が自由化されておらず(昭和39年から)一般の人々が海外へ行くのは至難の技だった時代に克平はカラコルムへ海外登山に出かける。

    映画でも出発シーンがあり、ロケした当時の羽田空港の様子も知ることができます。

  3. 杏子が「ブティック経営」というのも昭和20年代当時としてはめちゃくちゃおしゃれ。

でもさすがにブティックという言葉は一般的でなく、原作や映画でも確か洋装店と言っていたと思います。

伊豆さん [862]
2002/12/01

『水野晴郎と銀幕の花々』という水野さんの日本の戦前や戦後の名女優達のインタビュー集の本を読んでいて、月丘夢路さんが井上先生の『あした来る人』執筆のこんな秘話を披露して下さっています。

<井上先生原作の映画『昨日と明日の間』の話になって>

(水野さん)
「女性の自覚が世の中で話題になり始めた頃ですよね。」
(月丘さん)
「私はその頃から(役の上で)少しよろめきだしたといいますか(笑)、よろめき奥様役が多くなって、この時も進藤英太郎さん(彩田周平役)の妻でありながら(彩田萄子役)、鶴田浩二さん(白戸魅太郎役)を想ったりして」
(水野さん)
「日活に入られてからの第1作は『あした来る人』ですか?」
(月丘さん)
「そうです。(中略)これも井上靖先生の原作です。そしたら当時、井上先生が話して下さったんですけど『書いてるうちに、また月丘さんみたいな人が出てきちゃったの』(笑)。(終戦から)世の中がちょっと落ち着きかかって遊びの精神が旺盛になってくると‘よろめく’ということはもう必然的なことになってくるんですね。住む所がなかったり、食べるものがなかったらそんな気にはなれませんものね。世の中が落ち着いた証拠かもしれませんけど」
(水野さん)
「井上さんのイメージの中に月丘さんが出てくる。確かにぴったりでしたもんね(笑)。いえ、よろめきがぴったりというんじゃなくて(笑)、雰囲気がぴったり。」

※よろめき→今でいう「不倫」。ちなみに三島由紀夫原作の「美徳のよろめき」が書かれたのはこのすぐ後。これも映画化(1957年)されましたがヒロイン役を演じたのは月丘さんです(笑)。

※映画『昨日と明日の間』が封切られたのは1954年(昭和29年)6月15日。『あした来る人』の新聞連載開始は同年1954年(昭和29年)3月からです。

映画化情報**

映画の題名 あした来る人
制作 日活
監督 川島雄三
封切年月 1955年5月
主演俳優 山村 聡、月丘夢二

参考

[2] 旭川市・井上靖記念館ホームページ

文庫本限定!井上靖館作品