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エルサレムに教会が発足してから、教会はたいへんな勢いで発展していきました。まずペンテコステの時にペトロが語った説教を聞いて3000人が洗礼を受けたと記されています。まは、ペトロが神殿の門に座って乞食をしていた足の不自由な男を「金銀は我になし、されど我にあるものを汝に与ふ。ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め」と言って癒したのを見て、今度は5000人の人たちが主を信じたとも記されていました。さらに信者たちの生活も、主に対する祈り、礼拝、信仰はもちろんのこと、互いの交わりにも心を砕き、自分たちの財産をもちよっては教会の働きのために、あるいは貧しい人々を扶けるために惜しみなく分けち合ったということも記されていました。
けれども、教会は何の問題もなしに順風満帆な歩みをしてきたわけではありません。美しの門における奇跡の後では、ペトロとヨハネが逮捕、投獄され、最高法院で「今後二度とイエス・キリストの名によって語ってはならない」と脅されました。教会の信者であるアナニアとサフィラが献金をごまかして厳しい神の裁きを受けたという、たいへんショッキングな出来事もありました。十二使徒全員が逮捕され、最高法院で取り調べを受けるという迫害も経験しました。そして、前回は教会の中の二つの派閥、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンのグループと、ヘブライ語を話すユダヤ人クリスチャンのグループの間に軋轢が起きたという話しをいたしました。つまり、教会が成長していくということが、こういう問題をひとつひとつ乗り越えていくということであったのです。
その際、今私たちがその物語を追っているペトロの果たす役割というのは、たいへん大きなものがあったに違いありません。いろいろな問題が起きたとき、指導者にちゃんとした問題処理能力をもっているかどうかということが本当にだいじなんですね。では、その問題処理能力というのは何かといいますと、まず問題の本質を見抜くということです。
世の中にも色々な問題が起こります。最近のテレビ・ニュースでは、時津風部屋の新人力士の死亡事故をめぐって、相撲協会の問題がよく取り沙汰されていますね。こういうニュースを見ていても、北の湖理事長とか、元時津風親方とか、こういう責任ある立場の人たちは、問題の本質をちゃんと分かっているのだろうかと思ってしまうのです。本当の問題は、若い力士を死なせてしまうようなリンチが部屋の中で行われたということであり、そのようなことを招いた相撲部屋の体質でありましょう。ところが、理事長にしろ、親方にしろ、いかに批判の嵐をかいくぐり、相撲協会のメンツとか、部屋の存続を守るか、つまり組織防衛こそが一番の問題だと思っているのではないでしょうか。だから、どうにもじれったい対応になっているように思えるのです。世の中にも、教会にも、人間の弱さとして色々な問題が起こりえます。そのことは先週もお話ししました。大切なことは、そういう問題が起こったときに、ちゃんと問題を解決できるような力を持っているかどうかということなのです。
今、わたしは相撲協会の話しを引き合いに出したのですが、これに限らず世の中の問題解決というのは、いかに自分を守るか、いかに組織を守るか、そういうことに集中しているのはどこもかしこだと思えるのです。たとえば大きなミスをやらかしてしまった。本当の問題はなぜそういうミスが起こってしまったのかということにあります。しかし、実際には、ミスを犯した人は、すぐに頭の中で、このミスの故に自分はどんな罰を受けなければならなくなるのか、その結果、自分の将来はどうなるのか、そういうことなのです。そして、その人にとっての問題とは、ミスの原因を知ることではなく、また二度とそういうミスが起こらないようにすることでもなく、自分が被ることになるだろう信用の失墜や損害をいかに小さく抑えるかということになってしまうのです。そのために問題をあらゆる知恵と力を用いようとするのです。
これは私たち一人一人の人生における問題に直面した場合も同じです。いかに今までの自分を守ることができるか、それこそが問題処理能力だと思っている人がいっぱいいます。失った財産、健康、名誉をいかにして取り戻すか、邪魔者をいかに取り除くか、そうしていかに自己防衛をし、自己実現を果たすか、そういうことが問題なのです。それができないと、もう駄目だ、お終いだ、生きている意味がないとなってしまうのです。
しかし、本当にそうでしょうか。私もずっと若いつもりでおりましたけれども、最近、老眼鏡なしに聖書が読めなくなりましたし、もともと悪かった耳も難聴が進んできましたし、徹夜も身に堪えるようになって、老いの始まりというものを感じるようになりました。そうなってきますと、当然、自分の死ということを、今まで以上にリアリティをもって考えるようになりました。そして、人間というのは、生きることが最終目標ではなく、死ぬことが最終目標なんだと思うようになりました。いかに死ぬか、いかなる死を死ぬか、それを目標に考えると、当然、いかに生きるのかといことになってくるのです。死ぬときにも望みをもって、讃美をして、感謝をしていたい。あるいは自分の命を誰かに捧げるような死を死にたい。少なくとも、世を儚んだり、人を恨みながら、死にたくないと思います。だからこそ、今自分はどう生きるのかということを考えさせられるのです。
そうしますと、人生の中で色々な問題が起こったときに、今まで自分をどうしたら守り続けることができるかではなく、自分の命を如何なることに用い、如何なることのために捨てるのか、そういうことが第一のことになるのです。平安な人生、苦労のない人生ではなくても、戦いの人生、重荷を負った人生であってもいいのです。戦いのあること、重荷があることが、私たちの人生の問題ではなく、私たちが何のために戦うのか、何のための重荷なのか、そういうことこそ大事に思えるわけです。何のためでしょうか? それは色々ありましょうけれども、クリスチャンにとって、それは自己実現とか、自己保身ではなく、御心がなりますように、御国がきますように、御名があがめられますように、ということに尽きるのではないでしょうか。そのための苦労ならば、あるいは私たちの死がそのお役に少しでも断つのなら、それが本望だと思うのです。そういう人生の本質的な意味を知ると、人生にどんな問題が起こっても、くよくよせず、おろおろせず、問題の中に座り込んでしまうことなく、自分がどう生きるべきかというしっかりとした問題解決への道が生まれてくるのです。
いずれにせよ、問題処理能力というのは、問題の本質を如何に見抜くかということにかかっているんですね。そこを誤れば、正しい問題解決はありません。そこで、ペトロの問題処理能力を見てみますと、たとえば迫害されて「二度とイエスの名によって語ってはいかん」と言われたとき、「私たちは人間の命令ではなく、神の命令に従います」と言っています。あるいは、アナニアとサフィラが献金をごまかそうとすると、「あなたは私たちではなく、神を欺いたのだ」と叱責します。そして、先週学んだ教会内における二つのグループの軋轢が起こると、「私たちは祈りと御言葉の奉仕に専念します」と言っています。つまり、どんな問題も、どうしたら御名を崇めることになるのか、どうしたら御国を来たらせることになるのか、どうしたら御心が天になるごとく地になるのか、それを軸として捉えているのです。そのためならば、自分の命を守ることとか、苦労することなんかどうでもいいという態度なのですね。そして、それが功を奏して、つまり神様の祝福を受けて、教会は成長し、発展していくのです。
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さて、今日はペトロの話ではありませんが、ペトロの物語を続けていくためには、避けることができないお話しなので、ステファノの殉教のお話しを見て参りたいと思います。このステファノの殉教の後、教会に対する迫害は非常に激しいものになります。そのために、エルサレム教会は使徒たちを中心としてごく少数が残り、多くの信者たちはエルサレムを出て行かざるを得なくなってしまうのです。ところが、出て行った人々は、行く先々で主の福音を宣べ伝えます。その結果、ユダヤ地方、サマリア地方、さらには異邦人に対してまで、福音が伝えられ、各地に教会が出来るようになるのです。イエス様は弟子たちに「あなたがたがエルサレムばかりではなく、ユダヤやサマリア、さらには地の果てに至るまで、わたしの証し人になるであろう」と言われいましたが、まさにその御言葉が実現していくのです。そういう中で、ペトロも教会の指導者としてエルサレム教会を死守するというよりも、一人の伝道者として世界伝道へと導かれていくのです。
ステファノは、エルサレム教会の中に生じた二つのグループの軋轢を解決するために、また使徒達を祈りと御言葉の奉仕に専念させるために、教会によって選ばれた七人の役員の筆頭でありました。彼は、聖書の言葉をもって紹介すれば「霊と知恵に満ちた評判の良い人」であり、「恵みと力に満ちた人」でありました。知恵に満ちた人は他にも多くいましょうが、彼は霊に満ちた人でもあった。力に満ちた人は他の多くいましょうが、彼は恵みに満ちた人であった。そこが大事なポイントでありましょう。
「霊に満ちていた」というのは、神様との深い交わりに生き、その中で神様の素晴らしさをいつも仰ぎ、また神様の御心をいつも汲み取っていたということです。「恵みに満ちていた」ということは、自分の義しさや賢さによらず、神様の愛によって力を与えられ生きていたということであります。私たちは良く生きるためには、あるいは良い仕事をするためには、知恵と力が必要だと思っていますが、それだけでは駄目なのです。霊に満ちること、恵みに満ちること、つまり神様との交わりを大切にし、神様の愛に対する全き信頼に生きること、それが私たちの知恵や力を本当に主に喜ばれるものにするわけです。そして、これが先程来お話ししている問題の本質を見抜く力、問題解決の力ということにも深く関わってくるのです。 |
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ステファノは、教会内部に生じた軋轢を解決するために選ばれた役員でありました。この軋轢というのは、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンたちが、自分たちの仲間のやもめに対する配給がおろそかにされていると、ヘブライ語を話すユダヤ人クリスチャンを訴えたことによって生じました。ギリシャ語を話す人たちというのは、ユダヤ本国を離れて、長いこと外国で暮らしていた人々や、外国で生まれ育った人々のことであります。そういう人たちがエルサレムに戻って暮らしており、そこでペトロたちの伝える福音を聞いてクリスチャンになった人たちが大勢いたということなのです。先週もお話ししましたが、実際にこういう人たちに対する差別があったのではなく、言葉や習慣の違いで気持ちがうまく伝わらないということから生じた不満ではなかったと思うのですが、ステファノはそういう問題を解決するために、ギリシャ語を話す人たちを訪問したり、その話をじっくりと聞くということをしたと思います。
それはそれできっと良い結果を生んでいたと思いますが、思わぬ事態が生じてしまいます。「解放された奴隷の会堂」の人たち、この人たちはユダヤ教徒なのですが、やはりギリシャ語を話すユダヤ人でありました。この人たちからの迫害を受けることになってしまうのです。『使徒言行録』6章8-15節を読んでみたいと思います。
さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と"霊"とによって語るので、歯が立たなかった。そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。
最初は、「解放された奴隷の会堂」の人たちがステファノを議論でやりこめようとするのですが、「彼が知恵と"霊"とによって語るので、歯が立たなかった」とあります。そこで、彼らはステファノを冒涜者である中傷し、民衆、長老、律法学者たちを煽動し、法廷論争に持ち込み、偽証人まで立てて、有罪にしようとしたというのです。しかし、このように迫害者たちが中傷、煽動、偽証までしてみっともなく騒ぎ立てている中、ステファノは天使のような顔をして落ち着き払い、静かに、凜としていたというのです。
そして、ペトロがこの最高法院に立たされた時もそうであったように、ステファノも大祭司らユダヤ教のお偉方を前に少しも臆することなく、堂々たる説教をし始めたのでありました。どうしてこんなことができるのか、それはステファノが自分の命を守ろうとする者ではなく、御名が崇められ、御国に来たり、御心が地に行われることのみを願い、そのために命を捧げていたからであります。生きるのも主のため、死ぬのも主のため、そういう覚悟ができていたのです。
ステファノの説教を丁寧に解説する時間はありませんが、ステファノの信仰をよく示していると思われる二箇所だけをちょっと取り上げてみたいと思います。一つは、7章4節です。
それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、
ステファノは、イスラエルの信仰の原点は何かということを、この言葉で表しています。それは、アブラハムの選びにあるのです。では、アブラハムの選びとは何か。ここには、「アブラハムは」という主語で語られている事と、「神は」という主語で語られていることがあります。『創世記』11章27節以下によりますと、アブラハムはカルデアのウルで生まれます。三人兄弟の長男でナホル、ハランという二人の弟がいました。しかし、末っ子のハランが幼き子ロトを残して死んでしまったり、妻サラに子供ができなかったりと、悲しみや悩みを負った人生を生きていました。父テラは、そんなアブラハムやナホルの一家を連れてウルの町を出ます。そして亡くなった息子と同じ名前を持つハランの地に住み、そこで人生の最後を迎えるのです。ところが、ここからアブラハムの人生の主語が「神が」に変わります。アブラハムの人生を、神が主となって導き給うのです。そして、アブラハムもまた主なる神に従う人生を生きるようになります。このように私たちの人生の中に、神が主として生きてくださること、それが神の選びなのです。そして、それこそがイスラエルの信仰の原点、救い、祝福の原点だとステファノは語るのです。
それから、もう一つ7章44節を見てみたいと思います。
わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。
これもまたイスラエルの信仰の原点を示す言葉です。「荒れ野」とは、命を育むような優しさ、恵みが何もないところ、命を拒む場所です。イスラエルの民はそんなところを四十年も彷徨いながら生きていたのでありました。なぜ、荒れ野を四十年も生きられたのでしょうか。それは荒れ野を歩むイスラエルと共に神様がいましたからです。荒れ野の中にあっても、神様がイスラエルの命の主となって、イスラエルを養い、命への優しさ、恵みを備えてくださったのです。その象徴が「証しの幕屋」と言われる移動式の聖所でありました。
それはソロモンが建立した神殿に比べたら、まことに小さな、ささやかなものであります。しかし、ステファノは、これこそエルサレム神殿にまさって大切なことであると言ったのです。神殿も本来は幕屋と同じような意味をもっていたのでありましょうが、今、ユダヤ人たちが大切にしている神殿はどんなに立派であっても、人間がつくった決まり事や形式に支配され、私たちの人生の荒れ野に共に住んでくださる命の主、生ける神を失ってしまっているからです。
このようにステファノの説教は、生ける神を失った死せるユダヤ教を批判したものだったのです。あなたがたは神を主として生きているのか、それとも神を自分に従わせて生きているのか。あなたがたは生ける神を拝しているのか、それとも立派な神殿の石を拝しているのか。ステファノはそういうことを問うたわけです。
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すると、これを聞いていた最高法院の人々は、激しく怒り、歯ぎしりをしたり、大声を上げて説教を止めさせようとしたり、耳を塞いでステファノの言葉を拒絶しようとしました。ついにはステファノをめがけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して、石で撃ち殺してしまったというのです。こうして、ステファノは、教会が出した最初の殉教となったのでした。
驚くべきごとに、ステファノはこのような迫害の中で、天を見つめ、神の栄光とイエス・キリストの御顔を仰いで、まったく静かであったといいます。そして石で打たれながら、イエス様が十字架の上で祈られた言葉と同じ言葉をもって、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈ったというのです。
ステファノの死は、教会に大きな悲しみをもたらしました。しかし、教会は迫害を恐れたのではありません。迫害を恐れるならば、迫害で死んだステファノの葬式をしたりはしません。むしろ、こそこそと隠れるのではないでしょうか。しかし、教会はステファノを丁寧に葬りました。教会の悲しみは、ステファノとの別れを惜しむ悲しみであって、決して挫折感や恐れに満ちた悲しみではなかったのです。
それから、聖書はステファノを石で撃ち殺す現場に、サウロという若者がいたと告げています。サウロは後の大伝道者、そして偉大な教会の指導者パウロです。この時、サウロはステファノを殺害する側の人間でした。しかし、ステファノの説教を聞き、ステファノの最期の姿を見て、何かを感じないではいられなかったはずです。はっきりとは書かれていませんが、ここでサウロ、つまりパウロが登場するということは、神様がステファノの信仰を受け継ぐ者としてすでにサウロを準備されていたということを示しているのではないかとさえ思うのです。
さて、今日はステファノの殉教のお話しでしたが、クリスチャンにとっては、生きることはキリストのために死ぬことであり、死ぬことはキリストのために生きることだということが言えるのではないかと思います。今も申しましたパウロは、後に「私は日々死んでいます」という言葉を語っています。自分を生かそうとする気持ちに死んで、キリストのために生きる者となっているということでありましょう。このように自分に死んでキリストに生きる者こそが、永遠の命を持つと聖書は教えているのです。
永遠の命とは死んでも生きる命であります。私たちの人生には死ぬほど苦しいこともある。望みを砕かれ、大切なものを失った底なしの喪失感を味わう時もあります。しかし、それにも意味を与え、そういう経験を通しても、神様の目的を達成させてくださる、そういう命を生きることが永遠の命を生きるということなのです。 |
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Translation
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