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先週は、アナニアとサフィラという夫婦の話しでした。二人は、自分たちの土地を売り払って、その全額を教会に寄付をしようとします。ところが、売ってみますと、急に惜しむ気持ちが起こってしまいました。そこで、売り払った代金の一部を自分たちのためにとっておくことにするのです。そこまでは別に悪いことではありません。けれども、彼らは自分たちのためにとっておく分を差し引いた残りの土地のお金をもってきて、ペトロらの足下に置き、「私たちは、神様のために自分の土地を売り払ったお金の全額を寄付します」と、嘘をついてしまったのでした。
ペトロは、聖霊の働きによって、彼らの偽りを見抜きます。そして、「あなたたちは私たちを欺こうとしたのではなく、神を欺こうとしたのだ」と厳しく叱責をしたのでした。すると、二人は相次いでその場で倒れ、息を引き取ってしまったという、たいへん恐ろしい出来事のお話しでありました。当時の教会の人たちにとっても、これはたいへんショッキングな出来事でありまして、この事件を目の当たりした人たち、またそれについて聞いた人たちは、皆非常に恐れたということが書かれていたということが書かれていました。
今日は、まず「恐れとは何か」ということを考えたいと思います。恐れにも正しい恐れと、間違った恐れがあるのです。みなさんも、日々の生活の中でさまざまな恐れを、あるいは不安を感じるということがあると思います。しかし、その恐れが正しい恐れなのか、それとも間違った恐れなのか、そのことをよく考えてみなければなりません。
子供の頃、母親にお遣いを頼まれて、歩いて15分くらいのところにお店に買い物に行くことがとても憂鬱でありました。というのは、途中に大きな犬を飼っている家がありまして、その犬がよく吠えるのです。鎖でつながれていますから、絶対に自分に飛びかかってくるようなことは起こりえないのですが、そこを通るのがとっても怖かったのです。しかし、これは今思うと、間違った恐れですね。恐れなくてもよいことを、恐れてしまっている。そのために、自分の心が憂鬱になったり、不安になったり、消極的になってしまっているのです。
また、今年の5月から6月にかけて、子供たちの間に起こった奇妙な事故が連続して報道されました。5月29日、兵庫県で4歳の男の子が団地の5階のベランダから転落するという事故がありました。男の子はベランダに置いてあった洗濯かごを踏み台にして、1.2メートルの柵をよじ登り、誤って落ちてしまったのですが、13メートルの高さにもかかわらず、奇跡的に命を取り留めたということです。6月8日、今度はさいたま市のマンションで同様の事故がありました。3歳の男の子が1.3メートルのベランダの柵をよじ登り、7階から転落してしまったのです。彼は全身を強く打って亡くなりました。6月21日、世田谷区の小学校の二階の教室から三年生の男の子から転落し、4メートル下のコンクリートに頭を強く打ち、亡くなりました。男の子はかくれんぼをしており、窓側のロッカーに登り、カーテンの裏に隠れようとして誤って落ちたということです。まだあります。6月22日、大阪府で4歳と2歳の兄弟が三階から転落しました。6月26日、横浜市の6階のマンションから11歳の女の子が転落して死亡しました。6月27日、文京区のマンションの4階から4歳の男の子が転落して死亡しました。
これだけ立て続けに似たような事故が起こると、これはただの事故なのだろうかと疑問を持つのは当然でありましょう。すると、ある専門家が「高所平気症」が子供たちのうちに起こっているということを指摘したのでありました。「高所恐怖症」というのはよく耳にします。しかし、「高所平気症」とは何でしょうか? 専門家の弁によりますと、子供というのは初めから高さに対する恐怖を持っているのではなく、赤ちゃんの時に高い高いをしてもらうとか、ブランコや滑り台など高さを感じる遊びを経験しながら、学習していくものだというのです。ところが、そういう経験をしないで、高さに対する恐怖が欠如してしまっている子供たちが増えているというのです。そのうえ、高層マンションが増え、高所に慣れてしまった子供たちも多くなっているというのです。
恐れというのは、ある意味では私たちの命を守るものでもあるのですね。そういう私たちの命を守る恐れというのは、正しい恐れであります。私たちが命を守るためには、恐れるべきものを恐れなくてはならないのです。しかし、逆に、恐れなくてもいいものを恐れる、間違った恐れは、私たちの命を守るどころか、損ねてしまうものであるということも忘れてはならないのです。
聖書には、「恐れるな」という言葉がたくさん出てきます。アブラハムが、なかなか神様の約束が実現しないことにしびれを切らしたとき、神様は「恐れるな」と言われました。エジプトから解放されたイスラエルの民を、エジプト軍が追いかけてきたときにも、神様は「恐れるな」と言われました。喜びの知らせを告げるために天使ガブリエルがマリアのもとを訪れたときも、ガブリエルはマリアに「恐れるな」といいました。こういう話しを挙げたらきりがないほど、聖書には「恐れるな」という言葉が出てくるのです。ということは、私たち人間は、いかに間違った恐れを抱いているか、ということだと思います。恐れなくても恐れているのです。そして、逆に、恐れなくてはならない方、神を侮っている。だから、人間の生活がおかしなことになってしまうわけです。
イエス様はこう言われました。『マタイによる福音書』10章28節、
体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
イエス様もここで間違った恐れと、正しい恐れについて語っておられます。間違った恐れとは、肉体的生命を奪うものに対する恐れであります。これはどんな人間でも、いや人間だけではなくて犬や猫でも、本能的にもっている恐怖だと言ってもいいかもしれません。そういう意味では、「間違った恐れ」とは言い切れないものがありますが、しかし、イエス様は「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」と、肉体的な死は恐れるに足らずと言われるのです。そして、私たちが本当に恐れなければならないものは別にある、「むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と、霊的な生命に死をもたらすものこそ本当に恐れるべきものであると言っておられるのです。
霊的な生命に死をもたらすものとは何でしょうか。それは、神様の裁きであります。イエス様は、「地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ」とおっしゃいました。イエス様がおっしゃる「魂の死」というのは、この世のことではないのです。この世においても、私たちの魂は傷つけられ、苦しみ悶えるような経験をいたします。しかし、それは「死」ではありません。魂というのは、私たちの存在の根源的な部分だと言ってもよいと思いますが、それはこの世の生を終えた後、神様の前で裁かれるのです。それを「最後の審判」ともいいますが、その時、この世でどんな苦しみを味わってきた魂も慰められ、天国の永遠の命に定められるということもあります。しかし、この世でどんなにいい思いをしてきた魂であっても、地獄で永遠の死に定められるかもしれないのです。この裁きをなさる神様こそ、私たちが本当に恐れなくてはならないものであると、イエス様は教えておられるわけです。
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ところが、こういう話しをしますと、必ず起こってくるのが、天国だとか、地獄だとか、最後の審判だとか、そうはいうけれども、そのようなものがあるという証拠はどこにあるのか? この科学の時代に、この理性の時代に、そんなものが本当に存在すると本気であなたは思っているのですか? という反問です。つまり、神の裁きを恐れるどころか、神や、裁きや、地獄や、サタンや、そういうものの存在をすら実感できないということなのです。だから当然、そういうものに対する恐れも生じないわけでありましょう。
これは一人一人の信仰心の問題というよりは、私たちはそういう理性絶対主義の教育というものをずっと受けてきたことが大きな原因の一つだと思います
理性絶対主義というのは、要するに17〜18世紀にイギリスやフランスで始まった啓蒙主義であります。啓蒙とは「蒙を啓く」と書くのですが、その「蒙」というは「知恵の暗さ、愚か」です。当時の人間はそんなに愚かであったか、知恵に暗かったのかと思うかも知れませんが、そうではなくて、たとえば宗教とか迷信というものは理性によって実証的に検証したり、分析したりすることができるものではありません。あるいは、絶対王政における王権であるとか、昔からの伝統であるとか、そういうものを理性による反省なくして無条件に受け入れてしまうところに、人間の暗さ、愚かさがあるということなのです。ですから、理性の光を当てることによって、人間はもっと人間らしくなるし、自由になるし、進歩的自立的に生きることができるようになるのだという思想が啓蒙主義なのです。それは絶対王政に対する市民運動や革命にもつながりましたし、近代科学の発展にもつながりましたし、宗教と迷信、宗教と科学、宗教と政治との分離にもつながっていきました。そういう意味では有益なこともたくさんあるわけです。
しかし、問題は理性的に捉えられないものを何でもかんでも否定したり、その価値を低く見積もってしまうのが当たり前になってしまったということです。たとば、無神論や唯物論などが生まれました。それまで人間の歴史の中で、神がいないという考えはどこにもなかったのです。いろいろな宗教がありますが、どんな民族にも神への信仰というものがありました。しかし、人間の理性によって合理的に実証できないものは何でも否定するということによって、無神論というものが生まれるのです。
無神論までいかなくても、理神論というものも生まれてきました。これは神様の存在は認めるけれども、神様がわたしたちの生活や歴史に介入してくることはないという考えです。しかし、そうしますと、聖書に書いてある奇跡というものはありえない、ということになってしまいます。ですから、そういう人たちは、聖書に書いてある奇跡物語は事実ではなく神話である、もっと言えば宗教的な教訓を含んだ寓話であると受け止めるわけです。奇跡物語は文面通り受け取ってはいけないであって、理性の光によって合理的に解釈をしなおすことが必要だと主張するのですね。そうしますと、今日お読みしたペトロの手や影に触れた人々に奇跡が起こり、神様の力が示されたなどという話しは、真に受けてはならない話しだということになってしまうんですね。
イエス様の復活もそうです。死んだ人が生き返るなどということは何よりも理性に反することですから、理神論の立場では、そのままでは受け入れることができません。しかし、イエス様は死んでも、弟子たちの心の中に生き続けたのだといえば、万人に受け入れられる話しになるのです。あるいは、実はイエス様には双子の兄弟がいたのだという話しまであります。そうやって、聖書の読み方にまで啓蒙主義、理性絶対主義がはびこってしまっているわけです。
ただ注意しなくてはならないのは、そういう無神論とか理神論というのは、人類の長い歴史のなかでたかだか300年ぐらい前に始まった啓蒙主義、理性絶対主義によって生まれたことなのだということなのです。それまでは、宗教というのはキリスト教だけではなくいろいろあるのですが、いずれにせよ神の存在を否定するというような考えを、人間は持ってこなかったのです。そして、ここからが肝心なことですが、そのように神を否定することもいとわず人間の理性を絶対視してきた300年において、人間は本当に「蒙を啓いた」と言えるのでしょうか。理性によって人間は進歩し、自立した人間になったといえるのでしょうか。もっと分かりやすく言えば、人間は幸せになったのでしょうか。幸せになったというならば、どうして細木なんとかという人の占いがはやったり、江原なんとかという人のスピリチュアルがもてはやされたりするのでしょうか。
わたしはそういうものの流行を見ますときに、現代の人間が理性絶対主義によって大切なものを失ってしまったように思えるのです。それは人生観とか世界観であります。人生には、喜びだけではなく悲しみがあります。成功だけではなく挫折もあります。出会いだけではなく別れもあります。そして、私たちは生きているだけではなく、日々確実に死に向かっているのです。それなのに、悲しみの意味、挫折の意味、別れの意味、死の意味というものを、何も持てない人が多いのです。喜びがなければ人生ではない、成功しなければ生きている意味がない、死んだら何もかもおしまいだ、そういう片手落ちの人生観しかもっていないのです。だから、占いであれ、迷信であれ、そういうオカルト的なものに、人生の意味を尋ね求めるわけです。
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理性が「光」であるとするならば、オカルトというのは「闇」であります。オカルトの本来の意味は「隠されたもの」という意味なんですね。今はオカルトというと非正統的な禍々しいものというイメージが定着しておりますし、実際そういうものが多く存在するのですが、本来の意味からすると、オカルトというのは理性では取り扱うことができないものという意味なのです。そいうことからしますと、神とか、天国とか、地獄とか、復活とか永遠のいのちという聖書の信仰も、オカルトということになります。
実際、パウロは『コリントの信徒への手紙1』2章7節でこういうことを言っています。
わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
「隠されていた、神秘としての神の知恵」、これがまさにオカルトということなのです。オカルトにも良いオカルトと、悪いオカルトがあるわけです。しかし、何でもまぜこぜにされて誤解を受けやすい言葉なので、オカルトという言葉を避けて申しますと、信仰は理性の光では照らし得ない「闇」であるということなのです。
けれども、繰り返しになりますが、理性的でないものを排除したり、低く見る理性絶対主義というのは、たった300年で、はや崩れつつあります。理性の光で人間はより成熟した人間になると思ったけれども、そうではなかったのです。むしろ、人間は目に見える世界の幸せしか信じられない、非常に脆弱なものなってしまったのです。理性の光の限界、それだけでは人間は自立的に生きることはできないし、幸せになることもできない。つまり理性の光で人間の「蒙を啓く」というのは、幻想だったということです。
私は理性を否定しているのではないのです。理性の光で知り得ることは、理性によって知ることが大事です。しかし、すべてが理性の光によって知り得るわけではなく、理性の光の届かないところがあるわけです。それを認めようとしないところに啓蒙主義の最大の欠点があるのです。
ゲーテは『格言と反省』という書物の中でこういうことを言っています。
考える人間の最も美しい幸福は、究め得るものを究めてしまい、究め得ないものを静かに崇めることである
理性の光が届くことについては存分に理性的に追求し、理性の光の届かないことについてはそれなりの別の接し方がある、それは「静かに崇めることである」というのです。疑ったり、理屈をこねたりしないで、謙遜に、恐れをもって見つめること、受け入れること、そして祈ること、そういう姿勢で接しなければ知り得ないことがあるのです。
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さて、今日は理屈っぽい話しになってしまって申し訳ないのですが、ペトロの話に戻りたいと思います。ペトロがアナニアとサフィラを叱責すると、二人の息が絶えてしまった。それを見て、教会全体が恐れを覚えたということは、まさにそこに人間の理性では捉えることが出来ない理性の闇、神の現実というものを目の当たりにしたということからくる恐れなのであります。そして、ゲーテの言葉を借りれば、神の現実に人間の知恵とか言葉とかを失い、それを静かに崇めたのであります。
人間がそのように神様の現実を受け入れるとき、光と闇が逆転をするのです。5章12節
使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。
「手によって」というのは、手を置いたり、かざしたりということもあったかもしれませんが、もっと広い意味で「使徒たちの働きによって」という意味もあるのでありましょう。本来、人間の手や働きというものは、その人のもっている力以上のを発揮するということはありません。しかし、ここで、ペトロをはじめとする使徒たちの手や働きが、彼らのもっている能力以上のことをしたというのであります。それは、そこに復活のイエス様が働いておられるからであります。
その現実を目の当たりにした時の人々の反応が、その次に書かれています。
一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。
称賛しつつも、あえて仲間に加わろうとしなかった人々と、主を信じた多くの男女がいたということが書かれているのです。神様の光に照らされるとき、自分を知者だ、賢者だと思っている人はその光を暗くされます。逆に自分は愚かだ、無知だと思っている人はその闇を照らされるのです。ですから、自分の光を暗くされた人たちは、神様の前に自分を退け、謙遜になって神様の現実を受け入れなければなりません。ところが、自分の理性の光が届かないような神の知恵、力というものを目の当たりにしながらも、なお自分の光にしがみついて、なお疑い、なお理屈をこね、どうしても謙遜になれない人というものもいるのであります。そういう人が駄目というわけではありませんが、どうしても打ち砕かれるまでに時間がかかるのでありましょう。
他方、神様の光によって自分が明るくされ、主を信じた人々は、ペトロの影にさえ力があると信じたということが書かれています。
人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。
これは、ペトロがいかに聖霊に満たされてめざましい働きをしていたかということが書かれているわけです。
しかし、ちょっと深読みしてみますと、今日、私は光と闇という話しをしてきました。影というのは、光がとどかないところにできるものであります。成功があれば失敗もある。力もあれば弱さもある。称賛もあれば迫害もある。愛も受ければ憎しみも受ける。来る人もあれば去る人もある。ペトロの輝かしい部分だけではなく、光の届かない暗さの部分においても、神様は御業を行ってくださる。そういうことをここから読み取ることもできるのではないでしょうか。
そして、これはペトロだけではないのです。イエス様を信じて生きる私たちの人生においても、光だけではなく闇があります。明るさだけではなく暗さがあります。しかし、光においても闇においても、神様が共にいてくださる。預言者ミカはこのように言っています。「たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。」神様は私たちの人生の影においても、その栄光を存分に現してくださるのです。 |
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Translation
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