ペトロ物語(18)
「ペトロの最大の危機(2)」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 詩編51編
新約聖書 マタイによる福音書26章31-35,69-75節
つまずきを予告されたペトロ

 「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(『マタイによる福音書』26章33節)

 「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを『知らない』などとは決して申しません」(同上 26章35節)

 ペトロは自分の信仰の確かさを、このような熱烈なる言葉をもって、イエス様に誓いました。この言葉だけをとれば、素晴らしい信仰に思えます。私たちも信仰をもっているからには、主に命を捧げる覚悟をもって、主の御跡に従って参りたいと願っているのです。

 しかしこの時、イエス様は、このようにペトロの健気で、命がけの信仰の言葉をまったく信用なさらなかったと、聖書は書いています。

 「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うであろう」(同上 26章34節)

 「今夜、鶏が鳴く前に」とは、一番鶏が鳴く前のことですから、「今夜中に」、あるいは「夜が明ける前に」、ということであります。そんな舌の根も乾かないうちに、お前のその信仰はもろくも崩れ去ってしまうであろうと、イエス様は言われたのでありました。

 これは命がけの言葉を伝えたペトロに対して、非常に厳しいお言葉です。ペトロは、決していい加減な気持ちでこういうことを言ったのではありません。本気で、自分はイエス様のために命を捨てることができるのだと思っていたし、そういう覚悟をしていたのです。そのことを少しでも評価してくださるならば、イエス様もこんなつれない言い方はなさらなかったのではないでしょうか。たとえイエス様には、ペトロがつまずくことが見えていたとしても、もう少しやんわりとした言いようがあるのではないかと思うのです。

 しかし後になって、ペトロはイエス様がこのように厳しい言葉でお答えになった意味が分かります。実は、一見厳しく、無情に思えるこのイエス様のお言葉のなかには、ペトロに対するイエス様のこよなき優しさが隠れているのです。ペトロは、まさにイエス様の預言通りに、自分の信仰が崩れ去ってしまった後に、そのことに気がついたのでありました。
ゲツセマネの祈り
 そのことをお話しする前に、聖書に書かれている順序に従って、「ゲツセマネの祈り」と「イエス様の逮捕」についてお話ししておきたいと思います。

 最後の晩餐は、今お話ししたようなペトロのつまずきを預言するイエス様の言葉で終わりました。この後、イエス様はエルサレムの東、オリーブ山の麓にあるゲツセマネというところに行って祈られたというのであります。ゲツセマネの園にこられると、イエス様は弟子たちを入り口に残し、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを伴われて、園の奥に進んでいかれました。そして、ペトロらに「わたしと共に目を覚まして祈って欲しい」と言い残されると、自らはもう少し先に進んだところで、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と、苦しみ悶えながら祈り始めたというのであります。

 これを先ほどのペトロの言葉と比較してみると、気づくことがあります。ペトロは、「私は、あなたのためなら死ぬことを恐れません」と言ったのであります。しかし、イエス様はここで御自分の死に恐れおののいておられる。その死が、神様の与え給うものであり、自分には避けることができないものであるということは、これまでのイエス様の言動から百もご承知のはずであります。それにもかかわらず、イエス様は死を恐れ、「できるなら遠ざけてください」と祈られたのでした。弟子たちの祈りの応援を必要とするほどに、イエス様は御自分の弱さを体験しておられたのでありました。

 大瀬敏昭さんという教育者がいます。神奈川県茅ヶ崎市が描いた学校改革を具現化するために、1998年に開校した浜之郷小学校の初代校長となられた方です。大きな期待を受け、またご自身も夢と希望をもってその任につかれたのでありますが、二年目にガンを患ってしまいました。しかし、手術をして学校に帰ってきた大瀬さんは、その自らの闘病の経験や、そこで考えたことなどを子供たちに率直に伝えながら、子供たちと共に命について考える「いのちの授業」を始めます。この授業がたいへんな評判を生み、大瀬さんの生活も平穏を取り戻し始めました。ところが、2002年、ガンが転移し、余命3ヶ月を宣告されてしまうのでありました。さすがの大瀬さんも絶望します。その絶望に苦悩する姿を見た息子の圭介さんが、この方はクリスチャンだったと思われますが、父親に一冊の本を手渡すのです。苦難の中に隠れている神様について語る信仰の本でした。それを読み終えた大瀬さんは、圭介さんに「とてもいい本だった。ぜひ教会の牧師さんに会いたい」といい、ふたりで教会を訪れることになったのでした。

 大瀬さんは、1999年に胃がんで胃を全摘出する手術を受けたこと、最近になって再発し余命宣告を受けたことを船窪牧師に話していった。
 「死ぬのが怖い。怖くてどうしようもなんです。残りの三ヶ月を、一体どうやって生きればいいのか・・・」
 大瀬さんは声を震わせた。次の瞬間、うつむいた大瀬さんの目から堰を切ったように涙があふれ、テーブルの上にぽたぽたとこぼれ落ちた。
 すぐ隣に座っていた圭介さんは衝撃のあまり言葉を失った。生まれて初めて見た父の涙だった。厳格な父、組織のトップとして改革を断行してきた強い父が、死の影に怯え、人目もはばからずに泣いている。・・・大瀬さんは涙顔で訴えた。「信仰を持って死にたいー」(川久保美紀、『いのちのリレー』、ポプラ社)


 大瀬さんは、この後、毎週日曜日教会の礼拝に通うようになり、洗礼をお受けになりました。そして心の救いを得た大瀬さんは、再び新しい学校づくりに邁進されるようになります。仕事に差し支えないように抗ガン剤の治療を最小限度に抑え、毎日12時間の点滴をしながら、いのちの授業も再開されました。そして、余命三ヶ月との宣告を受けたにもかかわらず、主の恵みによって二年間、命を延ばされて、2004年に亡くなられました。

 ペトロはこのような死の恐怖を知りもせず、それとの戦いもせず、あまりにも軽々しく、「わたしは死を恐れません」などということを言い過ぎたのはないでしょうか。彼は、イエス様ですら、苦しみ悶えるほどの恐怖がそこにあるということを直視したうえで、「わたしは死を恐れません」と言ったのではないのです。なぜなら、聖書によれば、イエス様が死の恐怖と戦いながら祈っている時、イエス様に私と一緒に目を覚ましていて欲しいと頼まれたにもかかわらず、ぐっすりと眠りこけてしまったと書いてあるからです。もし、それを見ていたならば、ペトロは「死ぬことが怖くない」と言った言葉をきっと取り消したでありましょう。そして、イエス様のために必死になって祈っていたに違いありません。結局、彼は、死をも恐れない勇気をもっていたのではなく、死を感じないほど心が鈍くなっていただけなのです。
イエス様の逮捕
 イエス様は、眠っているペトロたちを起こし、「まだ眠っているのか。時が近づいた。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」と声をかけられました。ペトロたちがハッとして目を覚ますと、どこからともなく祭司長や民の長老たち、剣や棒で武装した人たちがやってきました。そして、その一群の中から、よく知った男、イスカリオテのユダが現れ、イエス様に近づくと、「先生、こんばんは」と言って口づけをしました。それが合図となり、武装した人たちが一斉にイエス様を取り押さるために飛びかかります。

 その時、ペトロは剣を抜いて、それを振り回して、果敢にもイエス様を守ろうとしました。ペトロの剣は、マルコスという男の片耳を切り落としたと、『ヨハネによる福音書』は記しています。しかし、イエス様は「剣をさやにおさめなさい。剣を取る者は剣で滅びる」と叱責されます。そして、自分を捕らえに来た人々に向かって、「あなたたちはまるで強盗でも捕まえるかのように剣や棒を持って捕らえにきたのか。私はいつも堂々と神殿で教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえることができなかった。しかし、今は神様があなたがたに私を引き渡されるのだ」と言って、自ら御自分を彼らに委ねられたのでした。

 ゲツセマネにおいて眠りこけてしまったペトロ、そしてイエス様を守ろうとして剣を抜くペトロ。片方はだらしない姿でありますし、片方は勇ましい姿でありますけれども、どちらもペトロの本性を現している姿であると言えます。それは何かといいますと、ペトロは、決してイエス様に従おうとしているのではなく、自分に従っているだけなのだということです。イエス様が祈っておれというのに寝てしまう。イエス様が自らを十字架に委ねようとしておられるときに、剣で戦ってしまう。そして、その延長線上に、ペトロの最大の危機、つまる信仰の総崩れが起こってしまうのです。

 信仰とは、イエス様に「アーメン」と告白することであります。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」というペトロの言葉は、イエス様が「あなたはつまずく。あなたは私を知らないと言う」という言葉に対しては、「否」という言葉でありました。どんなに立派なことを言っても、イエス様に対して「否」と言っているならば、それは信仰ではありません。自分を肯定して、イエス様を否定しているに過ぎないのです。

 思い返してみますと、ペトロの信仰の初期は、必ずしもそうではありませんでした。たとえば、まだペトロが漁師をしていた頃の話しです。魚が一匹も捕れないで漁から帰ってきたペトロが、岸で網を繕っていると、イエス様がいらして「もう一度、沖に船を出して網をおろしてみなさい」とおっしゃるのです。くたびれ果てていたペトロは思わず、「先生、私たちは夜通し漁をして一匹の魚もとれなかったのですよ」と言います。それでも、ペトロはこう続けるのです。「しかし、お言葉ですから、やってみましょう」 心の中では、もう今日は漁に出たくはない、出たとしても、一匹の魚も捕れないに決まっている、と思っているのです。そういう意味では、イエス様のお言葉を信じて、従ったわけではありませんでした。けれども、信じられないけれども従った。これはものすごいことではないでしょうか。これこそが信仰です。信じられることを信じるのは、誰でもすることです。しかし、信じられないことを信じるのは、自分ではなくイエス様を信じるという気持ちがなければできません。これが信仰なのです。

 はじめの頃、ペトロにはこういう信仰があった。しかし、だんだんイエス様に従って歩む日々が長くなるに従って、妙な自信が出てきて、それが失われてしまうのです。実は、こういうことは決して珍しいことではなく、多くの信仰者に見られることなのです。

 聖書の中にも、こういう話しはたくさん見られます。今日は旧約聖書からダビデの悔い改めの詩編を読みました。ダビデは、神様を信じてゴリアトを倒したり、自分の命をつけねらうサウル王をゆるしたり、多くの苦難の中を素晴らしい信仰をもって歩んできました。ところが、王様になって、国が平和になると、人妻を奪い、その夫を殺してしまうという怖ろしい罪を犯してしまうのです。しかも、もっと怖ろしいのは、その罪を犯しておきながら、自分ではまったく神の怒りに気がついていないということであります。そこに、ナタンという預言者が遣わされてきて、ダビデの罪を指摘するのです。その時はじめてダビデは自分の犯した罪の大きさに気がつくことになるのです。

 ペトロやダビデですらこの有様なのですから、私たちのような人間が、このような信仰者の傲慢に陥らないとは考えない方が良いのではないかと思います。私たちの誰もが、このような危険にさらされているのです。そして、それは避け得ないことなのかもしれません。しかし、大切なことは、このような信仰の挫折を経験し、自分が打ち砕かれた時に、もう一度ペトロやダビデのように主の言葉を思い起こして、悔い改め、主に立ち帰る者になるということなのです。
つまずくペトロ
 さて、イエス様が逮捕されると、弟子たちは、イエス様をおきざりにして一斉に逃げ出してしまいました。ペトロも逃げ出すのです。しかし、途中で引き返し、イエス様がどうなるかを見届けようと、こっそりと後をつけていきます。そして、イエス様が大祭司の官邸に連れて行かれると、赤の他人を装って、こっそりと官邸の中庭に入り込み、イエス様の行く末を見守ろうとしていたのでした。

 その時です。一人の女中が近寄ってきて、ペトロの顔を確かめるようにのぞき込みながら、「あなたも、あのガリラヤのイエスと一緒にいた人ですね」と言います。その声に、周囲の人々の目が一斉にペトロに向けられます。ペトロはあせり、みんなの前で、「何のことだが、わたしにはわからない」と白を切ったのでありました。なんとか、その場をやり過ごしたペトロは場所を変え、入り口の近くから再び様子を窺っていました。するとまた、他の女中がペトロの存在に気づくと、周囲の人々に声をかけます。「この人も、あのナザレのイエスと一緒にいました」ペトロは再び「そんな人は知らない。誓ってもいい」と、強く打ち消します。すると、その騒ぎに何事かと人が集まってきて、ペトロの顔を見ると、「そうだ、お前も確かにあの人の仲間だ」と言い出しました。すると、ペトロはなりふり構わず、イエス様に対する呪いの言葉さえも口にしながら、「あんな男は知らない。私は関係ない。」と、自分がイエス様の弟子であることを否定しはじめたのでした。その時、鶏が鳴きます。26章74-75節を読んでみましょう。

 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

 私は、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」というイエス様のお言葉の中に、実はイエス様の隠れた優しさが、愛があるのだというお話しをしました。それはどういうことかと申しますと、たとえば、ペトロが「命も捨てます」と言ったとき、イエス様が「よし、わかった。命を奪われることがあっても、必ず私に従いなさい」と言ってくだされば、ペトロは満足し、いよいよ奮起したことでありましょう。けれども、実際にはペトロは従い得ないのであります。その信仰はもろくも崩れ去ってしまうのです。その時、もしイエス様がペトロの強さに期待をかけている御方であったならば、ペトロがその強さを失ったとき、弱く、ぼろぼろに敗北してしまった人間になりさがってしまった時、彼にはもはや立ち帰る場所がなくなってしまうのです。

 ペトロは、鶏が鳴いたとき、イエス様のお言葉を思い起こします。しかし、その思い起こした言葉が、「お前の言葉通り、命を惜しまずわたしに従ってきなさい」という言葉であったら、その言葉は、信仰の挫折に崩れ落ちるペトロに、さらに鞭打つような言葉となっていたでありましょう。そして、ペトロは二度と立ち上がれない人間になっていたでありましょう。ペトロは自分を裁き、否定し、惨めさの中で生涯を送るか、あるいはユダのように自殺を図ったかも知れないと思うのです。イエス様は、そういうことがないようにと願われていたのです。「あなたは必ずつまずく。しかも今晩のうちに私を離れていく」と、ペトロに言うことによって、「わたしはあなたの弱さを知った上で、あなたを愛し、選び、弟子としたのだ。だから、崩れても、倒れても、わたしのところにもう一度帰ってきなさい」というメッセージを伝えているのです。

 そう言われたとき、ペトロは不満でならなかったでありましょう。自分の信仰をそんな程度のものだとしか受け止めてくださらないイエス様にがっかりし、苛立ちさえ覚えたかもしれません。しかし、イエス様の預言通りのことが起こったとき、ペトロはイエス様が自分に言われた言葉をもう一度思い起こすのです。その言葉を抱きしめながら、泣くのです。「ああ、わたしはイエス様がおっしゃるとおりの人間だった。イエス様という御方は、こんな私の弱さ、惨めさ、心の醜さを、すっかり承知しておられたのだ」と。

 ペトロの信仰が総崩れになったとき、「ああ、自分はイエス様の期待に添えない駄目な人間だ」という自分自身に対する裁き、否定的な感情が最終的なものとして残る場合と、そういう気持ちはあるのですけれども、それで終わらないで、「ああ、イエス様のおっしゃるとおりだった」という、今更ながらではありますが、イエス様を肯定する思いに至る場合とでは、その後のペトロの歩みに大きな違いが出てくると思うのです。

 今までペトロの信仰は、イエス様を信じると言いながら、自分自身の感情や力を信じてきたに過ぎませんでした。しかし、それが総崩れとなったとき、最後に「イエス様が正しかった」という思いが残るならば、そこから今までとは違う信仰が芽生え育っていく可能性があるのです。それは、たとえどんなに自分の感情や力とかけはなれたことであっても、イエス様の思いや力に「アーメン」と告白していく信仰であります。

 ペトロはすべてを失ったところから、本当に主に恵みよって立てられるまことの信仰者へと成長していくのです。
目次

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