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先週は、フィリポ・カイサリアから帰ってきたイエス様と弟子たちが、最後のガリラヤの日々をどのようにお過ごしになられたのかというお話しをしました。今日は、その後、イエス様と弟子たちがいよいよガリラヤを後にしてから、十字架におかかりになるおよそ一週間前に至るまでのおよそ五ヶ月に及ぶ出来事を一気にお話しをしたいと思います。この間、聖書にはペトロ個人に注目した記事はほとんどなく、ペトロ物語としておもしろいのは十字架を前にした一週間の中にあります。今日はそのつなぎのようなお話しになるかと思います。
まず、イエス様の一行がガリラヤを出発される時の様子から見て参りましょう。『マタイによる福音書』19章1節には、このように描かれています。
イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
「これらの言葉」というのは、先週お話しした「弟子たちの共同体に関する説教」であります。フィリポ・カイサリアから帰ってきたイエス様は、群衆よりも弟子たちの教育に力を入れられて、イエス様が天にお帰りになった後に形成される弟子たちの共同体、すなわち教会への道備えとなるような教えをいくつもなさったのでありました。
それは、言ってみれば弟子たちの使命に関わる話しであります。エルサレムへの道は、ご自身を十字架に献げなければならないイエス様にとってはもちろんのこと、イエス様をそのような形で失う弟子たちにとっても耐え難い苦難の道、試練の道となることでありましょう。しかし、弟子たちはそれを乗り越えていかなければなりません。その時に力となるのが、主に与えられた使命を覚えるということではないでしょうか。
苦難というのは誰にとっても耐え難いものでありますが、それを乗り越えていく人と、それができない人の違いは、苦難の先に、なお私たちの新しい人生があるということを見ることができるかどうかにかかっているのであります。イエス様が、エルサレムに出発する前に、弟子たちに十字架の先にある教会形成を視野に入れて、弟子たちへの教育を始められたということは、そういう意味で大切なことであったと思うのです。
このような弟子たちへの教育というのは、これらからも折々になされていくのでありますけれども、ひとまずこれらのことについて語り終えられて、イエス様と弟子たちはエルサレムへの道を歩み始められたというのであります。
また、『ルカによる福音書』9章51節では、この出発の場面について、こういう言い方がなされています。
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
これはエルサレムに出発される時のイエス様の心の内を物語ったものであります。「天に上げられる時期」とは、具体的には十字架の死というものが意識されているわけです。しかし、イエス様はそれを敗北だとはおもっておられない。天に上げられる栄光の時、つまり地上の生涯におけるご自分の使命が果たされるときであると信じておられるのです。そして不退転の決意をもって、それに向かっていこうとされたといわけです。
もう一つ、『ヨハネによる福音書』7章でも、この出発の時について書かれているのですが、そこには他の福音書が記していない興味深い話しが書かれています。読むと長くなりますので、概略をおはなししますと、イエス様がガリラヤに滞在しておられると、兄弟たちがやってきて、「教えを世に広めたいと思うならば、こんなガリラヤの田舎くんだりで伝道していても意味がない。もうすぐ仮庵の祭りが始まるから、一緒にエルサレムに行こう」と誘ったというのです。ところが、イエス様は「わたしの時はまだ来ていない」とお断りになるのです。そこで、兄弟たちはイエス様を置いて自分たちだけでエルサレムに上っていきます。ところが、イエス様はエルサレムに行かないのかと思いきや、兄弟たちがエルサレムにいくと、こっそりとひと目を避け、隠れるようにして、エルサレムに上って行かれたというのです。
このエピソードから分かることの一つは、イエス様がエルサレムに行かれる目的はただひとつ十字架にあったということです。あわよくばガリラヤで成功したようにエルサレムでも成功しようなどということは考えておられなかったのです。ですから、兄弟たちの誘いを断って、ご自分の意志と決断に基づかれてエルサレムに出発なさったということなのでありましょう。
もう一つは、それは仮庵の祭りの時期であったということです。仮庵の祭りというのは10月中旬、一週間ぐらいかけて行われる祭りであります。イエス様が十字架におかかりになるのは過越しの祭りの時でありまして、これは3月中旬ですから、その四ヶ月前のことであったということが分かるのです。 |
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さて、エルサレムに向かう旅の途中でも、イエス様と弟子たちにいろいろな出来事がありました。イエス様を歓迎しないサマリアのとある村の話し、どうしたら永遠の命を得られるかと尋ねてきた律法学者に「良きサマリア人のたとえ」をお教え下さった話し、行く先々の村や町に72人の弟子たちを遣わされた話し、そして、エルサレムに近いベタニア村でマルタとマリアの接待を受け、「なくてはならないのは一つだけである」とマルタを諭された話しなどです。しかし、ペトロ個人について焦点を当ててお話しできるようなところは、残念ながら記されておりませんので、詳細は割愛することにいたします。
ともかく、このような旅路を経て、イエス様と弟子たちは、仮庵の祭りで賑わうエルサレムにお入りになったのでした。エルサレムにお入りになると言いますと、ロバの子に乗って入城されるお話しを思い起こされる方もあるかと思いますが、これはそれとは違い、その前に一度エルサレムにお入りになった時のお話しであります。
イエス様と弟子たちは、仮庵の祭りを祝うために国中から集まってくる巡礼者たちの中に混じって、ひっそりとエルサレムに入られました。しかし、ユダヤ当局は、その情報を早々に掴み、巡礼者でごった返すエルサレムの街中をかき分けて、イエス様の姿を探しておりました。
ここで言うユダヤ当局というのは、ユダヤの国会と最高裁判所を兼ねたようなサンヘドリンという最高議会がありまして、サドカイ派やファリサイ派などの宗教的指導者たちがその議員になっておりましたが、そのような人たちのことであります。彼らは、ガリラヤでのイエス様のお働きについて調査し、これは神を冒涜し、群衆を惑わす危険人物であるという判断を下し、捕らえて殺そうと企んでいたのです。
祭りの半ばになって、ようやくイエス様の姿を発見しました。なんと、イエス様は神殿の中で、巡礼に訪れた人々を相手に、どうどうたる説教をしておられたのです。しかし、彼らは目の前にいるイエス様を逮捕することはできませんでした。イエス様の説教を聞き、その教えの力強さに驚嘆してしまったからです。そして、あんなにイエス様を捕らえようとやっきになっていた人たちが、神殿で説教するイエス様を目の前にしながら一向に捕らえようとしないのを見て、エルサレムの人たちは、「もしかしたら、この人がメシアであるということを、あの人たちも認めたのではないか」と言い出しました。そうかと思えば、「いやいや、あの人はガリラヤ人だ。ガリラヤからメシアが来るなんて話しは聞いたことはない」と反論する人たちもいました。すると「いや、あの方のように多くのしるしを行われる方は、きっとメシアに違いない」という人も現れ、エルサレムでのイエス様の評価はまっぷたつに分かれてしまったのです。
いずれにせよ、今このような群衆の前で、イエスを逮捕するのはよろしくないと判断としたユダヤ当局は、いったん引き返し、祭司長たちと相談した上、態勢の建て直しを図ります。その結果、自分たちが直接手を下すのではなく、神殿警察を派遣し、神殿内の秩序を乱すような活動をしているという罪で、別件逮捕をしようということになったのです。
ところが派遣した神殿警察は空手で帰ってきます。「どうして、あの男を連れてこなかったのか」と、ユダヤ当局は問いつめます。すると何としたことか、彼らまで「今まで、あの人のように話した人はいません」と、イエス様の御言葉の力の圧倒され、恐れをなして帰ってきてしまったことを告白したのでありました。彼らを派遣したユダヤ当局の者たちは「お前たちまで惑わされてしまうとは・・・」と地団駄を踏みます。
こうして彼らは、結局、イエス様を捕らえることに失敗するのです。彼らの力をもってすれば、イエス様一人ぐらい捕まえることは簡単なはずでした。しかし、いざイエス様を前にし、その語る言葉を聞くと、何もできなくなってしまうのです。
仮庵の祭りが終わってからも、イエス様はエルサレムに留まり、神殿で教え続けられました。そのもとに、姦淫の罪を犯した婦人がファリサイ派の人々によって連れてこられ、慇懃無礼な物言いで、「先生、この女は姦通の罪を犯している現場で捕らえられました。モーセの律法によれば、こういう女は石で打ち殺せと言われていますが、先生はどう思われますか」と尋ねました。イエス様が「石で打ち殺せ」と言えば、人々の心はイエス様を離れていくでありましょう。「この女をゆるしてやれ」と言えば、イエス様がモーセの律法に反したことを教えている言質を取ったことになります。これは、ユダヤ当局がイエス様を陥れるために考えた罠なのです。ところが、イエス様は彼らの意表をつく言葉で切り返されます。「あなたがたの中で罪のない者が、この女に石を投げなさい」ファリサイ派の人たちは、返す言葉もなく女をおきざりにしてすごすごと退散をしました。
その後も、イエス様は神殿での活動を続け、ご自分が世の光であること、父なる神に属する者であることを大胆に証しされました。その一方で、ファリサイ派たちの再三再四にわたる反論を退け、彼らの偽善や信仰の過ちを痛烈に批判したのでありました。業を煮やしたユダヤ当局者は、石を取り上げ、イエス様に投げつけようとします。有無を言わせぬ暴力によって、イエス様を殺してやろうというわけです。しかし、イエス様はそれをかわし、神殿を去って行かれました。
神殿を後にされたイエス様でありますが、まだしばらくエルサレムに残っておられます。その間、ユダヤ当局のイエス様に対する憎しみはますます深くなっていきます。イエス様は逃げも隠れもしないのですが、彼らはどうしてもイエス様を捕まえることができません。約二ヶ月後、十二月になりますが、エルサレムで神殿奉献記念祭が祝われている時、再びイエス様とユダヤ当局との激しい衝突が起こります。
そのきっかけとなったのは、皆さんのよくご存じであろうと思いますが、生まれつき目の見えない盲人の癒しであります。弟子たちが、「この人が生まれつき目が見えないのは誰の罪ですか」と尋ねると、イエス様は「誰の罪でもなく、神の栄光が表れるためである」と言われ、盲人の目に泥を塗り、シロアムの池で洗い落としなさいと言われます。盲人がそのとおりにすると、目が見えるようになっていたのです。
ところが、この人が「イエスという方が、わたしの目を癒してくださった」と言うものですから、人々の間で再びイエス様はメシアかどうかという議論が起こります。ユダヤ当局は、これを問題にしまして、癒された男に「本当にイエスという男がお前をいやしたのか」、「お前は本当に目が見えなかったのか」と、「あの男は罪人なのだぞ。あの男をかばうと、お前も同罪だぞ」と脅かしながら詰問します。しかし、癒された男は、きっぱりとこう言うのです。「あの人が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです」、さらに「あの方が神様のもとから来た方であることを先生方が知らないなどとは不思議千万です。生まれつき目の見えなかった者の目を開けられる方が罪人であろうはずがありません」とまで言うのでありました。
しかし、このためにこの人はユダヤ教から破門されてしまうことになります。そのことを知ったイエス様は、ファリサイ派の人々に対しての批判を強めるのです。その結果、ファリサイ派の人たちは再び石でイエス様を撃ち殺そうとします。しかし、イエス様は彼らの手を逃れ、エルサレムを離れ、バプテスマのヨハネが洗礼を授けていた場所、ペレア地方と言いますが、そこに退かれたのでした。
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イエス様がペレア地方に身を潜めておられる時、一つの知らせが御許に届きました。エルサレム近郊のベタニア村に住むマルタとマリアから人が遣われてきて、弟のラザロが病気であると言ってきたのです。イエス様は弟子たちにラザロに会いに行くことを告げます。すると弟子たちは、「エルサレムに近いベタニア村は危険です。二度も石で撃ち殺されそうになったのをお忘れですか」と尻込みをします。しかし、イエス様の決意が固いと見ると、十二使徒の一人トマスが「私たちも行って、一緒に死のうではないか」と、仲間を激励したと言われています。トマスというと頑として復活を信じなかったことばかりが注目されますが、こういう一面も持っていたのです。
イエス様と弟子たちがベタニア村に着くと、ラザロは死んで四日も経っており、すでに墓に葬られていました。しかし、イエス様は、泣き崩れているマルタに「わたしは復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる」と言われ、ラザロの墓に行くと、「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれました。すると墓の中から、手足を布で巻かれた姿でラザロが出来てきたというのです。
イエス様が死んだ人を蘇らせたという衝撃的なニュースは、たちまちエルサレムのユダヤ当局のもとに届きました。彼らは緊急にサンヘドリン、先ほどお話ししましたユダヤの最高議会を招集しまして、イエスという男の取り扱いについて審議します。そして、「イエスを捕らえて殺すべし」との決定が下されました。こうしてイエスへの逮捕状が出されたのです。
そのような中、イエス様は敢えてエルサレムに近づかず、ユダヤの外れにあるエフライムという町に退かれ、そこで何週間かを過ごされます。 |
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さて、その頃にあったと思われる話しが、今日お読みしました「金持ちの議員」と言われるお話しです。議員というのは、イエス様への逮捕状を出したサンヘドリンの議員です。ということは、この人もイエス様を陥れようとする論客であったかというと、どうもそうではないのです。この人は、イエス様に対して「善い先生」と呼びかけています。イエス様を尊敬しているわけです。
実は、エルサレムにおける迫害について、ざっとお話しをしてきましたが、ユダヤ当局も決して一枚岩ではなかったようなのです。このことについては丁寧にお話しする時間がありませんでしたが、たとえばイエス様への逮捕状を出すときも、ニコデモという議員が慎重さを促す意見を述べたということが書かれています。ニコデモというのは、夜中にこっそりイエス様を訪ねて来て教えを乞うたり、十字架で死なれたイエス様の埋葬許可をピラトに願い出たあの人物です。このように、ごく少数だろうと思いますが、一部の議員たちはイエス様に好意的な印象をもっていたようです。
特に、ここに登場する金持ちの議員は、『マタイによる福音書』によれば「青年」であったと言われています。日本の議員でもそうですが、年をとって来るとだんだん自分の利益や保身を考える老獪さを身につけていきます。それに対して若い人はまだウブなものがあります。この青年議員も、そういう純粋な心をもっていて、イエス様のうちに真実なものがあることを感じ取っていたのでありましょう。
ところが、そのウブさが彼の弱点でもありました。彼は「良い業」によって自分が完璧な人間になれると信じていました。そして実際、親や教師に教えられてきたことは、ほぼ完璧に成し遂げてきたという自信に満ちあふれていたのであります。金持ちで、議員で、若くて、挫折を知らず自信に満ちあふれている・・・なんともうらやましいばかりの人間であります。そんな人が、イエス様のところに来て何を求めたのかといいますと、「わたしは永遠の命を得るために、完全に律法を遵守して生活をしてきました。わたしにはまだ何か足りないことがあるでしょうか。あるなら教えてください」と言ったのでありました。
彼に足りないもの、それは挫折の経験ではなかったでしょうか。逆に私にあるもの、みなさんにあるもの、そしてペトロにもたくさんあるもの、それもまた挫折の経験ではありませんでしょうか。挫折というのは、今まで信じていた自分の姿が崩壊していく経験です。今まで信じてきた自分の姿が崩壊すると、その中から化けの皮をはぎ取られた本当の自分の姿が現れてきます。それは、弱さ満ち、欠けに満ち、醜く、狡く、罪深く、何の良い希望も持てない惨めな姿です。これこそ自分であるということを否応なしに認めさせられるような経験、それが挫折なのです。
それは本当に辛い経験でありますが、実はこれこそ、自分の本当の姿を知る経験なのです。そして、このようなまったく惨めな人間である自分を、なおも愛してくださる神様がいるということを知ること、それが恵みの体験であり、救いの体験なのです。イエス様を知るということは、そのような恵みを知り、救いを知るということなのです。
イエス様は、この自信に満ちあふれた青年に、「あなたに欠けているものがまだ一つある」と申しました。そして、「あなたの持っているものを何もかも売り払い、貧しい人々に施しをしなさい。」と言ったのでした。イエス様は、この人にできないことを知って、敢えてそれを言い渡したのです。この人にできないこと、それはイエス様になることでありました。イエス様になるとは、どういうことか。パウロは、イエス様についてこう語っています。
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(『コリントの信徒への手紙二』8章9節)
人々が豊かになるために自らを貧しくし、人々が高められるために自らを低くし、人々が命を得るために自分の命を捨てる。これがイエス様の善き業、恵みの業でありました。これぞ究極の善き業と言ってもよいでありましょう。もし、あなたが本当に善き業によって自らを救いたいと思うならば、そうしなさいと言われたのです。彼にはそれができないことをご存じの上で、そう言われたのです。彼だけではありません。どんな人間も自己愛を捨てることはできません。それができるのは、愛なる神の御子なるイエス様だけなのです。そのことを、彼に悟らせたかったのでありましょう。そして、自らの善き業によってではなく、イエス様の善き業によって生きる者、すなわち恵みに生きる者になって欲しかったのでありましょう。ですから、イエス様はこの青年に、「それから、わたしに従いなさい」とも言われたのであります。
ところが、彼は非常に悲しい顔をして、イエス様のもとに立ち去ってしまいました。それをごらんになったイエス様は、やはり悲しい顔をなさったでありましょう。そして、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」という、あの有名な言葉を口になさったのです。
弟子たちはこれを聞いて驚き、「それならいったい誰が救われるのでしょうか」と尋ねます。すると、イエス様は「人間にはできないことも、神にはできる」とお答え下さいました。らくだが針の穴を通るのは不可能です。それより難しいということは、まったく絶望的であるということでありましょう。しかし、この人間にはできないという絶望が、神への希望に転じます。自分の可能性を信じるのではなく、神の可能性を信じるのが信仰なのです。
さて、ようやくペトロが登場します。ペトロは、イエス様と金持ちの青年議員のやりとりをずっと見てきて、イエス様にこう言うのです。
「このとおり、わたしは自分の物を捨ててあなたに従って参りました。」
たしかに、ペトロは多くのものを捨ててイエス様に従いました。しかし、それはペトロの立派さというよりも、ペトロの貧しさの表れではないのでしょうか。以前、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を言い表したこと学びました。この信仰告白もさることながら、それよりも以前に、ペトロは彼らしい素晴らしい信仰を言い表しています。それは、イエス様から多くの弟子たちが離反していった時のことでありました。イエス様がペトロらに向かって、「あなたがたも私を離れていきたいのか」と問うと、ペトロは、「私たちはあなたを離れてどこに行きましょうか。あなたこそ永遠の命を持つ神の聖者です」と答えるのです。「私たちはあなたを離れてどこにいきましょうか」というのは、イエス様に従うペトロの固い決意の言葉でもありましょうが、裏を返せば、イエス様を離れたら、もうどこにも自分のいくところはないというペトロの貧しさの表れなのです。イエス様を信じて生きる他、自分の生きる道はない。この貧しさが、ペトロの信仰の力であり、宝となっていたのです。
イエス様は、そのようなペトロに言われます。
「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を得る」
分かりやすく言えば、自分の貧しさを知り、弱さを知り、ただイエス様にのみ寄りすがって生きることこそ、他のどんなものを持って生きていくよりも、祝福された生き方なのだよと、イエス様がおっしゃってくださったということなのです。
私たちは、多くのものを持つ者であるがゆえに、イエス様を離れていくあの金持ちの青年議員のようにではなく、貧しさ、弱さ、惨めさ抱えながら、しかしそれゆえにこそ「主よ、あなたを離れてどこに行きましょう」と言えるペトロにように生きて参りたいと思います。そのような恵みに生きる道こそ、永遠の命に至る道だと、イエス様は教えてくださっているのです。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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