ペトロ物語(12)
「神殿税について」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 詩編119編113-124節
新約聖書 マタイによる福音書17章221-27節
十字架と復活の主の栄光
 今日もご一緒にペトロ物語について学びたいと思います。受難週やイースターがありましたので、ペトロ物語とはいいながら、お話しがイエス様の十字架と復活ということに中心が移っていました。それで、もう一度、私たちの目をイエス様に従うペトロに向けるために、これまでお話ししてきたことを簡単に復習してみたいと思います。

 ペトロはガリラヤ湖の漁師でありましたが、バプテスマのヨハネの洗礼運動に興味を持ち、兄弟アンデレ、また漁師仲間のヤコブとヨハネを連れ立って、ガリラヤからバプテスマのヨハネの活動地であるユダヤの荒れ野にやってきました。聖書には書かれていませんが、ペトロたちがバプテスマのヨハネの洗礼を受けたということは十分に考えられます。そしてしばらく滞在し、ヨハネのもとでお手伝いや学びをしている時に、まずアンデレとヨハネがイエス様に出会います。イエス様という御方に触れ、ただならぬものを感じたアンデレは、すぐにペトロのもとに行き、「私はメシアにであった」と伝えます。それを聞いてペトロもイエス様にもとにやってくることなり、皆でイエス様の弟子となるのです。

 イエス様もガリラヤ出身でありましたから、ペトロたちはイエス様と共にガリラヤに帰ります。そして、イエス様のガリラヤでの宣教活動のお手伝いを始めるのです。またペトロは、自分の家にイエス様を食客として迎え、イエス様のお働きのために最大限の便宜をはかりました。こうしてペトロの家を拠点に、イエス様のガリラヤ宣教は進められていったのであります。

 イエス様の宣教は、言葉で「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と説くばかりではなく、水をぶどう酒にかえて婚礼を祝福するとか、病める人、悪霊につかれた人を癒し、解放するとか、五つのパンと二匹の魚をもって五千人の人たちを満腹させるとか、そのような数々の奇跡をもって、神の国の力を見える形で、人々にお示しになりました。人々はそのような奇跡を神の救いとして受け取り、イエス様の評判はたちまちガリラヤ中に広まりました。そして、イエス様のお話を聞こうとするもの、イエス様に病気をいやしてもらおうとする者がたくさんカファルナウムのペトロの家に集まるようになったのです。

 ペトロはこのようなイエス様の宣教活動のお手伝いをしながら、最初のうちには代々受け継いできた生業である漁師の仕事も続けていたようであります。しかし、ある日、イエス様から「あなたは人間をとる漁師になりなさい」という召命を受けます。その時以来、ペトロは家業を捨て、すべてをお捧げしてイエス様に従う者となったのでした。それは兄弟アンデレや、またヤコブとヨハネ、また他の弟子たちも同じでありました。

 イエス様はこのように献身したお弟子さんたちを連れて、カファルナウムのみならず、ガリラヤ中の町々、村々を行き巡って伝道しました。それと共にイエス様に従う者たちも次第に数を増していきました。イエス様はその人々の中からペトロを始めとする十二人と特別にお選びになり使徒に任じられます。

 ガリラヤでのイエス様の宣教は、このようにとんとん拍子に進み、大成功を収めたと、ひと目には見えるかもしれません。ペトロたちもそう思っていたでありましょう。しかし、イエス様のお心は違いました。人々が求めていたのは、イエス様という御方そのものではなく、イエス様が為し給う奇跡であるということを、イエス様は分かっていらしたのです。イエス様はこれまで本当に食する暇も、寝る間もなく、御業を求めてくる人々のためにお働きくださってきましたが、だんだんそのような人々をお避けになるようになりました。それでも、イエス様を捜してやってくる人々には、「朽ちるパンではなく、朽ちることがない食物を求めなさい。」と教えになり、「私こそが天のパンである。私を求め、私を食べなさい」とまでおっしゃったのでありました。つまり、奇跡ではなく私自身を求めなさいということなのでありますが、人々は現金なもので、奇跡を見ることができないとなると、たちまちイエス様に失望し、イエス様を離れていきました。

 イエス様は残った十二弟子に「あなたがたも、私のもとを去っていきたいのか」とお尋ねになります。すると、ペトロは「私たちはあなたを離れてどこに行きましょう。あなたこそ永遠の命の言葉をもっておられる御方で、神の聖者です」と答えたと言われています。このペトロの言葉は真実でした。ペトロのイエス様に従う道は、躓いたり、倒れたり、道を逸れたりと、決してまっすぐなものではありませんでしたが、いつでも最終的にはイエス様のところに戻ってきて、最期までイエス様に従い通したのです。

 さて、ガリラヤ伝道に行き詰まりを感じたイエス様は、この十二人の弟子たちを連れて、ついにガリラヤを離れます。そして、イスラエルの北の果てにはるフィリポ・カイサリアの町に来るのです。おそらくそこで一週間から十日ほどの時を過ごしたと思われます。滞在期間は短いのですが、群衆への対応に忙殺される日々を離れ、ヘルモン山のふもとの風光明媚なこの地で、イエス様と弟子たちは静かな、生涯忘れることができないような重要な日々をお過ごしになります。

 一つは、この地で、ペトロがはじめて「あなたはキリストです」と、イエス様への信仰告白をしたということです。敢えて「キリスト」という言葉を使いましたが、聖書には「メシア」と書かれています。同じ意味なのです。今でこそ、世界中の人々が、クリスチャンでない人も含めて、イエス様といえばキリスト、キリストといえばイエス様と思っています。しかし、キリスト(メシア)の本来的な意味は、旧約聖書の時代からユダヤ人たちが待ち望んでいた救世主のことなのです。ペトロは、世界で初めて、イエス様こそがそのキリストであるということを告白したのでありました。

 もう一つは、ペトロの信仰告白に答えるような形で、イエス様は、将来の教会について言及され、「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てよう」とおっしゃったと言うことです。ガリラヤ伝道の失意のうちにあったイエス様は、このペトロの信仰告白を聞いて、ガリラヤ中の人が福音を正しく受け止められなくても、ここには本当の福音を受け止める人たちがいるという慰めと希望を見いだされたのだろうと思います。

 そして、この時からイエス様は今までのガリラヤ伝道とはまったく違ったご自分の使命について、弟子たちに打ち明け始められます。今までは、イエス様は、この世の様々な問題や欠乏に悩み苦しむ人々を憐れんで、その一つ一つの問題にお答え下さるという形で、神様の救いを伝えてきましたが、それでは本当のところが人々に伝わらなかったのであります。もっと根本的な人間の救い、それは神様と人間との関係を修復するということでありますが、それを成し遂げるための道を、いよいよ歩み始められるということなのであります。

 それは、十字架への道でありました。イエス様は、弟子たちに「わたしは必ずエルサレムで長老、祭司長、律法学者たちの手によって苦しみを受け、殺されることになるであろう」と打ち明けられました。打ち明けたということは、あなたがたもこの道を、わたしと一緒に歩んでいくのだよということでありましょう。ところが、やはり「十字架の救い」を理解するには、弟子たちにはまだ早かったようであります。ペトロは、イエス様の言葉に驚いて、「主よ、そんなことをおっしゃってはなりません」と諫めはじめました。すると、イエス様はそのようなペトロに対していつにな厳しいお顔をなさって、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者だ」と一喝されます。この言葉は、ペトロに対する叱責もありましょうが、イエス様の十字架への道に対する覚悟を言い表したものだということもできるかと思います。これがフィリポ・カイザリアにおける三つ目の出来事であります。

 そして、このフィリポ・カイサリアでの忘れられぬ出来事の最後のことは、山上の変貌と言われる出来事でありました。これは先週お話したことですが、イエス様はペトロ、ヤコブ、ヨハネ、この三人の弟子だけを伴われて、ヘルモン山にお登りになりました。その山の上につくと、イエス様の姿がみるみる変わり、光りのように輝きはじめると、モーセとエリヤが現れ、イエス様とエルサレムで遂げられる最期について語り合っていたというのです。それを目撃したペトロは大いに感激し、自分でも何を言っているのか分からないまま「主よ、ここにあなたとモーセとエリヤのために小屋を三つ建てましょう。」と言ったといいます。ペトロは、この神秘的な光景を、いつまでこのままつなぎ止めておきたいと思ったのでありましょう。

 しかし、ペトロがこのように語ると、たちまち雲がたちこめて、イエス様の姿も、モーセとエリヤの姿も見えなくなりました。そして、雲の中から、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である。これに聞け」という天の声を聞いたのであります。ペトロたちは非常に恐れ、地に倒れ、イエス様に声をかけられて起きあがります。みると、そこにはいつもの埃にまみれたイエス様の姿があるだけでありました。

 しかし、ペトロの心の中には、「これはわたしの愛する子、これに聞け」という言葉が生き生きと響いていたと思います。そして、十字架についてはなお理解できないままであったかもしれませんが、それでもイエス様について行こうという新たな思いがペトロの心にふつふつとわき上がっていたのではないでしょうか。

 ペトロは興奮した状態で、イエス様と共に下山しました。山の上で目撃したことを、他の人たちに伝え、この素晴らしい出来事を共有したいという気持ちにはやっていたかもしれません。ところが、そんなペトロの思いを察してか、イエス様は三人の弟子たちに「今みたことは、人の子が死者の中からよみがえる時まで、誰にもしゃべってはいけない」と釘を刺されたのでした。人間というのは、奇跡とか、神秘的な体験をしますと、その体験ですべてのことが分かったかのように勘違いしてしまうことがあります。そうすると、かえってイエス様の真実の姿を誤ってしまうということが起こるのです。ですから、十字架と復活という、もう一つの出来事を経験するまでは、この出来事を封印しておきなさいと言われたのでありましょう。

 以上が、これまでお話ししてきたペトロの物語であります。今日は、山を降りたイエス様とペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人が、ふもとで帰りを待っていた弟子たちと合流し、再びガリラヤにお帰りになったというところから、お話しをしたいと思います。

後期ガリラヤ伝道の始まり
 このフィリポ・カイサリアから帰ってきてからのガリラヤ伝道を、後期ガリラヤ伝道と言うことがあります。しかし、イエス様はもはやガリラヤで以前のような伝道をなさることはありませんでした。以前のような伝道というのは、奇跡を行って人々の病気を治したり、悪霊を追い出したりして、人々に神の国の力をお示しになるような働きのことです。そういうことをもうなさらず、もっぱら弟子たちの教育にあたられたのであります。

 そして、ほどなくしてイエス様は使徒たちをお連れになってガリラヤを去り、エルサレムに向かって歩み始められます。その後、イエス様が再びガリラヤに戻ってこられるのは、復活なさった後の話です。ですから、この後期ガリラヤ伝道というのは、イエス様にとっても、ペトロをはじめとする使徒たちにとっても、故郷としての愛着をもったガリラヤでの最後の日々であったわけです。

 それは、フィリポ・カイサリアでなされたイエス様がご自分の受難と復活について予告を、もう一度再確認することから始まりました。『マタイによる福音書』17章22節には、このように記されています。

 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。

 フィリポ・カイサリアで最初の予告がなされた時には、ペトロが「主よ、そんなことがあってはなりません」と言ったというお話しをしましたが、さすがのペトロも二度目の時は黙ってイエス様のお言葉を受け止めました。しかし、「弟子たちは非常に悲しんだ」と記されています。弟子たちは、イエス様の使命を理解したわけではなかったのです。イエス様が固い決意をもってその道を歩まんとしていることは、フィリポ・カイサリアである程度理解したかもしれませんが、その真意は測りかねていたのでありました。

 同じ場面を『マルコによる福音書』で読んでみますと、その様子がもっとはっきりと伝わってきます。

 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。

 マタイは「一行がガリラヤに集まった」と書かれていましたが、マルコは、「ガリラヤを通って行った」と書いています。ガリラヤは、エルサレムに向かうために通り過ぎて行かれただけなのだという書き方なのです。しかも。人々気づかれないように通って行ったのだとまで言われています。イエス様の心はすでに覚悟ができており、エルサレムに、そこで迎える最期にまっすぐに向かっていたのだということが、『マルコによる福音書』でははっきりと告げられているのです。

 しかし、弟子たちの方にはイエス様のような覚悟ができていないのです。ですから、イエス様の御受難の予告については、その真意を測りかねていたけれども、怖くて尋ねられなかったのだというのです。認めたくない、聞きたくない事実を突きつけられることから逃げようとして、消極的な沈黙をしたのであります。そして、マタイの表現に戻りますと、ただ悲しみだけを深く募らせたというのでありました。

 イエス様のお心を理解できない弟子たちの姿がここにあります。この弟子たちは、イエス様を信じ、愛し、どこまでもついて行こうとする弟子たちなのですが、それでもイエス様のお心を理解できないこと、素直に受け入れられないことがあるのです。しかし、だからイエス様を離れるというのではなく、恐れや悲しみを感じながらも、それでもイエス様について行こうとする。それが最善の道なのだということを信じる。これが、この時の弟子たちの姿でありましょう。

 私たちの信仰生活、イエス様を信じる生活もそうだと思います。なぜ祈りが聞かれなかったのか・・・。なぜこんな辛い経験をしなければならないのか・・・。愛なるイエス様の御心を測りかね、恐れや、悲しみや、疑いや、空しさに襲われることもあるのです。しかし、そういう時にも、イエス様を離れないでついていくという信仰が必要なのです。福音とは、イエス様のしてくださったこと、してくださること、この二つによって私たちが救われることだと、私はよく申し上げております。それは、私に分からないことがあってもいいということなのです。わたしに信じられないことがあってもいいのです。しかし、そんな私をも、イエス様が愛し、導き、救ってくださるのだということを信じる。そして、イエス様に身をゆだねていく。それが、心弱く、知恵の貧しい私の持ち得る信仰でありましょう。
信仰と生活
 さて、ガリラヤに戻ってきたイエス様と弟子たちは、カファルナウムに戻ってきます。ペトロの家のあるところであります。そして、そのペトロの家で、イエス様とペトロの間に、ちょっと面白いやりとりが起こるのです。

 まず状況を見てみますと、イエス様はペトロの家の中におられます。ペトロは、何をしていたのかは分かりませんが、家の外にいるのです。他の弟子たちはいません。どこかに行ってしまっているのです。とても静かで、ひっそりとした情景が目に浮かびます。そこに、神殿税を集める者たちがやってきました。

 神殿税というのは、『出エジプト記』30章に定められている献げ物であります。イスラエルの民として登録された者(二十歳以上の者)は、すべて一年に一回、銀半シェケルを臨在の幕屋の維持、管理ために献げなければならないとあります。イエス様の時代には幕屋ではなく、神殿のために用いられるお金ということになりましょう。納めるべき銀半シェケルというのは、労働者四日分の賃金に相当する額です。

 ちょうど家の外にいたペトロは、この神殿税を集めにきた人たちに遭遇し、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と問われました。「納めてください」ではなく、「納めないのか」と、まるで非を責めるような言い方をされたのです。もしかしたら、町々村々を巡り歩く生活でしたから、滞納になっていたのかもしれません。ペトロは、イエス様をかばおうとして、とっさに「納めます」と答えます。そして、お金をとりに家の中に入っていくのです。

 すると、イエス様は外でのやりとりをお聞きになっていたのでありましょう。家に入ってきたペトロがしゃべる前に、イエス様の方から話しを切り出されます。

 「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」

 答えは明白であります。ペトロは、「他の人たちからです」と答えました。しかし、大切なのは、なぜイエス様がこのような問いをなさったのか、それを理解するかどうかでありましょう。ペトロは、フィリポ・カイサリアで、イエス様に対して「あなたは生ける神の子です」と、その信仰を告白しました。しかし、それならばイエス様は神殿税を納める必要はないはずであります。ところが、ペトロは「納めます」と答えてしまった。イエス様は、それは矛盾であるとおっしゃったのであります。

 ペトロは、イエス様が神の子であると信じていたに違いないでありましょう。決して、その心に偽りがあったのではないと思います。しかし、それならば、その信仰に見合った生活、行動をしなくてはいけません。それが出来ていなかったということなのです。

 私たちにもこういうことがあります。イエス様こそが救い主だと信じているのに、この世の富や名誉が失われそうになると恐れたり、不安になったり、絶望してしまうことがあるのです。本当にイエス様が救い主であるならば、何を失ったとしてもイエス様さえ失わなければそこに救いがあると信じるべきなのではないでしょうか。

 詩編119編113節には、「心の分かれている者をわたしは憎みます」とあります。信仰生活とは、信仰と生活ではなく、信仰による生活であります。信仰の心と生活の心が別々になってはいけないのです。信仰と生活、その心が一つになっていなければいけないのです。ペトロは、イエス様の指摘を受けて、改めてそのことを学んだに違いありません。

 この神殿税のお話しは、その後、イエス様がたいへんユニークな仕方で、それをお払いになるという話しなのです。イエス様は、ペトロに、「ガリラヤ湖に行って釣りをしてきなさい」と命じます。そして、「最初に釣れた魚の口の中に一シェケル銀貨があるはずだから、それでわたしとお前の分の神殿税を納めておいておくれ」と言うのです。

 聖書には、本当にこの通りのことが起こったのかどうかが書いてありません。ですから、これはイエス様一流のユーモアで、お前は魚釣りがうまいんだから、魚を釣って、それを売れば一シェケルぐらいなんとかなるだろう。それで、わたしとお前の分の神殿税を払っておいてほしいという意味だったのだと説明する人もいます。

 しかし、イエス様はともかくペトロという人はそんな器用な気の回し方ができる人ではありません。イエス様が「来なさい」というと、嵐の湖の上であっても降りたってイエス様のところに行こうとするような人なのです。そういうペトロの愚直な性格というものをイエス様もよくご存じであったでしょうから、きっとこれはそのままのことなのだろうと思います。ペトロは、このおとぎ話にも出てきそうな話しを真に受けて、勇んでガリラヤ湖に釣りに行ったでありましょう。それがペトロのいいところなのです。イエス様のお話を真に受けるということです。

 私たちがなかなか神様の恵みの力を体験できないとするならば、それはイエス様の言葉を、神様の言葉を、私たちのちっぽけな脳みそでいろいろと考えすぎてしまい、なかなかそれを真に受けようとしないからではないでしょうか。もっと素直に、幼子が母親の言葉を聞くように、全幅の信頼をもって御言葉を受け止めることが大切なのです。それが恵みを見ることができる信仰なのです。

 イエス様の言葉を疑いもせずに真に受けていそいそと釣り竿をもって湖にでかけていったペトロのようになりたいと思います。ペトロは、わくわくしながら釣り糸を垂れ、魚が釣れると、疑いもせず魚の口の開き、その中をのぞき込み、キラリと光る銀貨を見つけて大喜びしたに違いありません。私たちもそんな楽しい信仰生活を送りたいのです。
目次

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