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イスラエルの北の果てに、ヘルモン山という山がそびえております。ヨルダン川の源流はこの山にありました。イエス様は、お弟子さんたちを連れて、この山の麓にあるフィリポ・カイサリアという町をお訪ねになります。
イエス様がこの北の果ての町にいらしたのは、これまでのガリラヤ伝道に一つの限界を感じておられたからだと、私は理解しております。イエス様はカファルナウムのペトロの家を拠点として、ガリラヤの町々、村々を巡って、たくさんの人々に神様の愛を説き、またその神様の愛がいかに私たちの近くあり、迫ってきているのかということを、病の癒しなど数々の奇跡を行うことによってお示しになってきました。イエス様の評判はたちまちガリラヤ中に響き渡るようになり、遠くから近くからたくさんの人たちがイエス様を求めてやってきました。イエス様に従う弟子たちの数も、十二使徒を中心に数を増やしていきました。しかし、イエス様にはそれを手放しで喜べないような現実があったのです。
一つは、イエス様のガリラヤでの評判を聞きつけたエルサレムのユダヤ当局が、ガリラヤに調査団を派遣し、イエス様の教えや行いを監視するようになりました。その結果、イエス様を異端者だと決めつけ、次第に対決姿勢を明確化していったのであります。
もう一つは、イエス様に従う弟子たちや、後を追いかける群衆たちが、必ずしも本当の信仰を求めているのではなく、奇跡による即物的な救いを求めているに過ぎなかったということであります。イエス様もそのことはよくよくご承知で、「朽ちる食べ物ではなく、朽ちない食べ物を求めなさい」と、彼らに教えられますが、なかなかそのことを分かってもらえない現実がありました。それどころか、「わたしは天のパンである。わたしの肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を手入れる」というお話しをなさいますと、弟子たちの多くが「実にひどい話しだ。だれがこんな話しを聞いていられようか」と言って、イエス様を離れていったというのであります。
もっとも十二使徒は踏みとどまりました。先週もお話ししましたが、この時、イエス様は十二使徒に向かって「あなたがたも離れていきたいのか」とお尋ねになります。すると、ペトロが「主よ、私たちはあなたを離れてだれのところにいきましょうか。あなたは永遠の命の言葉をもっておられます。あなたこそ神の聖者あると、わたしたちは信じ、知っています」ときっぱりと答えたのでした。
しかし、イエス様は、このままガリラヤ伝道をお続けになっていくことに限界をお感じになっていたに違いありません。限界を感じるなどと申しますと、なんだかイエス様に似つかわしくない弱気な印象を受けるかも知れません。しかし、イエス様がそのような人間的な弱さを経験されるということは、そんなにおかしなことでありましょうか。決して、そんなことはありません。聖書には、イエス様は神様の御子でありながらも、わたしたちと同じ人間の苦悩をなめ尽くされた御方であったと言われています。だからこそ、わたしたちの弱さも、悲しみも分かって、救ってくださる方なのだと言われているのです(『ヘブライ人への手紙』4章14-16節)。
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フィリポ・カイサリアにお着きになると、イエス様は弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と、お尋ねになります。「人の子」とは、イエス様がご自分のことをさしておっしゃるときの言い方です。人からの評判を気にして、弟子たちに尋ねるということも、いつものイエス様らしからぬ様子に見えます。精魂を傾けたガリラヤ伝道であるにも関わらず、イエス様の真意を受け止めてもらえなかったということに、イエス様は悲しみでいっぱいになっておられたのかもしれません。
しかし、イエス様が失意に満ちて北の果ての町に逃れてきたというのはちょっと違うと思います。むしろ、この行き詰まり感を、神様の新たな御心をいただく時と受けていたと思うのです。イエス様のご使命は、ガリラヤ伝道で終わるようなものではありませんでした。十字架、復活という全人類の救いのための御業を成し遂げるという大業が残されているのです。
いったいイエス様は、いつからそのようなご使命をご自分のものとして受け止められたのでしょうか。先ほども申しましたが、天のパンの説教の中で、イエス様は「私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を手に入れる」と言われました。この時すでにイエス様のお心の中に十字架の道が見えていたかもしれません。しかし、はっきりとそれを受け取って、十字架の道を歩み始めたのは、このフィリポ・カイサリアであったと言えます。その契機となった一つの出来事が、ペトロの信仰告白でありました。
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになると、弟子たちは口々に「バプテスマのヨハネだと言っています」、「エリヤだといっている人もいます」、「いやいやエレミヤだと言っている人もいました」と、答えます。イエス様は重ねて弟子たちに問います。
「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」
すると、すかさずペトロが答えます。
「あなたはメシア、生ける神の子です」
この信仰告白の持つ意味については先週お話ししましたので、今日は割愛します。ともかく、イエス様はこのペトロの信仰告白を聞いて、たいそう喜ぶのです。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」
この意味についても先週お話ししました。真の信仰は、人間の知恵によって得られることではなく、神の恵みであるということであります。そして、イエス様を救い主として信じる信仰を、神様の恵みとして戴くことこそ、人間にとっての一番の幸せの基であるということであります。
いずれにしましても、このペトロの信仰告白を聞いて、イエス様はうれしかったのであります。少なくとも、ここにひとり、ガリラヤでのイエス様のお働きをしっかりと受け止め、その信仰を成長させている人がいる。そのことに、イエス様は神様のお働きを見、希望を感じたのでありましょう。
そして、ちょっと先を読みますが、21節にこう書いてあります。
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
ここから、イエス様はエルサレムに目を向け、ご自分の十字架と復活をしっかりと見つめて、歩み出されるのであります。この後、イエス様はヘルモン山に登られ、山上の変貌と言われる栄光を弟子たちに現されます。そして山を下りると、ひとまずガリラヤにお帰りになり短い期間滞在なさいますが、そこではもう奇跡をなさいません。イエス様の目は、人々よりも弟子の教育に向けられておりまして、幾つかの教えをなさると、まもなくエルサレムに向かって旅立たれるのです。
フィリポ・カイサリアというのはなかなか風光明媚なところで、日本でいえば軽井沢のようなところであった、と何かの本に書いてあったのを読んだことがあります。軽井沢と言えば、実は荒川教会の開拓伝道者である勝野和歌子牧師も、下谷教会の副牧師を辞任された時、軽井沢で過労を休め、そこで新たな再献身の思いを醸成して上京し、荒川の地に立たれたということが、『教会二十年の歩み』に記されております。
このように、わたしたちもまたしばし歩みを止め、神様から新しい心をいただいて、再び歩み出すということが必要なのではないでしょうか。何も軽井沢に行かなくても、毎週の日曜日の礼拝は、そのような時としてわたしたちに与えられているのだと言えます。
ともすると、わたしたちは日々の忙しさにかまけて、神様の御心を忘れ、自分の願望とか、人々の要求とか、そのような声に自分の生き方が支配されるようになってしまうことがあります。うまくいっている時は、なかなかその問題点に気づきませんが、それに気づかぬままに生きておりますと、必ず追いつめられてにっちもさっちもいかなくなるという経験をするのです。その結果、体をこわす人もいますし、心を病む人もいます。そうなってから、「今までは忙しいから礼拝に行けないと思っていたけれども、本当は忙しいからこそ礼拝にいかなくてはならなかったのだ」と気づく人も多いのです。
聖書にはこのような御言葉があります。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
『イザヤ書』40章30-31節
疲れたり、倒れたりするのは、人間の常です。しかし、そこから再び元気を持って立ち上がることができるかどうか、それがとても大切なことだと思うのです。どんなに忙しくても、困難があっても、神様を忘れないで、神様に望みを置いているならば、必ずや神様の力強い御手によって新しい力や新しい使命を与えられて、再び立ち上がることができるのです。
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さて、お話しを元に戻しますが、イエス様にとって、フィリポ・カイサリアでの滞在は、神様の新たな御心を受け取る大きな転機であったということと、その際にイエス様の問いに促されてペトロがなした信仰告白は、イエス様にとってとても大きな意味のある出来事であったということなのであります。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」
これは、ペトロの信仰告白が神の恵みの賜物であるということを意味するだけではなかったのです。ペトロの信仰告白が、ペトロの血肉に由来するものではなく、天の父なる神様からの声であるということは、イエス様がそのペトロの信仰告白の中に、神様の声を聞いたということをも意味するのであります。「あなたメシア、生ける神の子です」というペトロの言葉のなかに、イエス様は「お前はわたしの子、救い主として世に遣わしたのだ」という神の声を聞いたのであります。
そして、それに対するイエス様の応答が、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」という言葉なのです。ペトロのもともとの名前はシモンでありました。しかし、イエス様は固い岩を意味するペトロという名前をお与えになり、その上にわたしの教会を建てるとおっしゃったのであります。
しかし、ペトロは果たして岩のように揺るぎない人間であったでしょうか。そうではありません。イエス様のご受難を前にして恐ろしくなり、「わたしはあの人の仲間ではない。あんな人は知らない」と狂わしいばかりに主張したのもペトロだったのです。
ペトロという名前は岩を意味すると申しましたが、実はもっと広い意味がありまして、岩から崩れ落ちた石ころもまたペトロという言葉で言い表されるのです。
「石ころ」ということを聞いて、私はすぐに二つの御言葉を思い起こします。一つは、バプテスマのヨハネが「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことができるのだ」(『マタイによる福音書』3章9節)と言った言葉です。これは、ユダヤ人として血統を誇り、それこそ救いの徴だと信じている人々に向かって、「そうではなく、悔い改めにふさわしい実を結ばなければ、たとえアブラハムの血統をもっていようとも、神様は切り捨てられるのだ。しかし、逆にあなたがたが路傍の石と軽蔑しているような人々であっても、神様はそれを拾い上げて神の子供らのうちにお加えになり、そのような石ころからでも神の民を作り上げることがおできになるのだ」と言ったヨハネの説教であります。
もう一つは、イエス様が「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」(『ルカによる福音書』19章40節)と言われた言葉です。これは、イエス様がロバの子にのってオリーブ山を下り、エルサレムに入ろうとされるとき、従う者たちが「ダビデの子にホサナ! 主の名によって来る者に祝福あれ」と歌い出したときに、それを芳しく思わないファリサイ派の人たちが、イエス様に「お弟子たちを黙らせてください」と言ったときに、イエス様がお答えになった言葉です。
取るに足らぬ無きに等しい路傍の石ころのような存在であっても、それを集めて神の民とし、讃美の歌を歌わせることがおできになる。この神様の恵み深さ、力強さこそ、岩のように固く確かなものではありませんでしょうか。イエス様は、ペトロの信仰告白のうちに、そのような神様の揺るぎない愛をご覧になったのです。石ころに過ぎない者にすら、「あなたのメシア、生ける神の子です」という信仰をお与えになる神様の愛です。ペトロという人間が岩なのではありません。石ころのようなペトロをも顧みて、真の信仰に立たせ給う神の恵み深さ、血卯から強さこそ、頼むべき岩、揺るぎない岩なのであります。そして、「この岩の上にわたしの教会を建てよう」と、イエス様はおっしゃったのです。
そして、「陰府の力もこれに対抗できない」と、おっしゃいました。陰府の力とは何でしょうか。文語訳では「黄泉の門」となっています。この門はどんな人でも入ることはできますが、出ることはできないのです。人を死の中に閉じこめる門、それが陰府の力です。しかし、イエス様のこの陰府の力に勝利し、その門を破られるのです。それが復活という出来事でありました。「陰府の力もこれに対抗できない」とは、イエス様の教会、新しい神の民は、死に閉じこめられることはない。死んでも生きる。永遠の命を勝ち取る。そういう約束であります。
ペトロという一人の人間が、たとえどんなに立派な人間であったとしても、死の門を打ち破る力をもっているわけではありません。しかし、路傍に石にも命をあたえ、讃美の歌を歌わせることがおできになる神様の愛を礎に置くのならば、死は力を失うでありましょう。「この岩の上にわたしの教会を建てる」とは、やはりペトロという人間ではなく、ペトロをも真の信仰者として立たせ給う神の愛の力の上に教会を建てるということなのであります。
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さらにイエス様は、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」とおっしゃいました。皆さんもご承知でありましょうが、カトリック教会では、この御言葉のゆえに、ペトロをイエス様の代理者とみなし、代々の教皇をその後継者としてみなしています。しかし、イエス様がペトロに約束されたことはそういうことだったのでしょうか。
確かに、ペトロは十二使徒の中でも特別な位置にあり、ペンテコステ以後に成立した教会において指導権を持っていました。それは他の使徒たちが、ペトロに委ねられたイエス様の特別な御心を認めていたからに違いありません。しかし、果たしてそれは、代々と教皇に受け継がれていくものであったのでしょうか。イエス様はそこまでは何もおっしゃっていないのです。
では、ペトロの死後、天国の鍵は誰に受け継がれるのでありましょうか。わたしは、そもそも天国の鍵を、ペトロひとりが持っていたという考えが違うと思うのです。『マタイによる福音書』18章18節を読みますと、イエス様は他の弟子たちにも「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とおっしゃっています。この御言葉からしますと、天国の鍵は、ペトロだけに授けられたものではないと言えるのです。それならば、天国の鍵は、ペトロという人間にではなく、新しい神の民である教会に授けられたものだと受け止めた方が良いのではないでしょうか。
そう考えますと、わたしたち荒川教会もまた天国の鍵を授かっているのです。それはいったい何を意味するのでしょうか。陰府の力に閉じこめられた人たちを解放し、天国が約束された新しい神の民につなぐ使命と力が教会に与えられているということなのです。それならば、天国の鍵とは福音のことではありませんでしょうか。福音はすべて信じる者に救いをもたらす神の力であると、聖書に言われています。では、福音とは何か。それはいつも申し上げていることでありますが、「イエス様がしてくださったことと、してくださること、この二つによってわたしたちが救われる」ということであります。イエス様がしてくださったこととは何か。してくださることとは何か。
一つは、イエス様が、わたしたちのすべての罪を赦すために十字架にかかってくださったということです。二つ目のことは、復活のイエス様がわたしたちを死に打ち勝つ者として生かして下さることです。三つ目、イエス様は、聖霊によって、わたしたちのそばにいつも一緒にいてくださるということです。この福音こそ教会の持つ天国の鍵であり、この福音によって教会は世の光となり、地の塩をなるのです。
わたしたちはペトロではありません。しかし、ペトロに信仰を与え給う神様によって、わたしたちもまた「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白を与えられました。イエス様は、そのようなわたしたちに、「あなたたちの上に、わたしの教会を建てよう。あなたたちに天国の鍵を授けよう」とおっしゃってくださるのです。感謝し、讃美し、世にイエス様の救いを証しして参りましょう。
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Translation
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