ペトロ物語(04)
「ペトロの家」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 サムエル記下23章5節
新約聖書 マルコによる福音書1章29-39節
真の信仰とは
 ペトロが最初にイエス様に出会った時のお話しから始めまして、すべてを捨ててイエス様に従う者となったというところまでお話しをしてまいりました。イエス様と出会ってからすべてを捨てて従う者となるまでに、いったい何があったのか? このことをもう一度振り返るところから、今日のお話しを始めたいと思います。

 ペトロははじめてイエス様に出会った時から、イエス様に惚れ込んで、イエス様の御跡に従う者となりました。そして、イエス様と日々を過ごしていくうちに、ますますその思いは高まっていきました。そして、すべてを捨ててイエス様に従う者とされるのでありますが、この際、気をつけて理解しなければならないのは、ペトロのイエス様に対する熱心さが、ついにはペトロに出家を決心させたというは、ちょっと違うということであります。何が違うかと言いますと、イエス様に従う者になったのは、ペトロの思いではなく、イエス様の思いによって実現したことであったということであります。もう一つは、ペトロは決して出家をしたのではないということであります。

 最初、ペトロは夜中の2時とか、3時とか、そういう早い時間に漁にでて、朝方、漁から帰ってくるとそそくさと後片付けを済ませ、イエス様のもとにすっ飛んでいくというような生活を送っておりました。肉体的にはたいへんきつかったはずです。しかし、それをものともしないような熱心さが、ペトロにはあったのであります。この熱心さによって、疲れを忘れ、毎日、喜びをもって、イエス様に従う生活をしていたのでありました。

 ところが、そんなペトロの熱心さがいっぺんに吹き飛んでしまうような出来事が起こります。それは信仰上のことではなく、この世のことでありました。一晩中漁に出て、あちこちに網をおろしたのに、その日はついに一匹の魚もかからなかった、というのです。これは、一見、信仰とは何の関係もないことのように思えますが、仕事がうまくいないということが、ペトロの心をまったく萎えたものとし、イエス様に従う気持ちも弱らせてしまったのであります。

 自分の気持ちというものを拠り処とした信仰生活は、その気持ちが変われば信仰も消えてしまいます。そのことは、私達もまた、自分自身の経験としてよく知っていることなのではないでしょうか。イエス様が悪いわけではない。教会が悪いわけでもない。それなのに、仕事がうまくいかないとか、家族と喧嘩をしてしまったとか、世の中のイライラすることや、煩わしいことがあると、イエス様に対する思いもどこかへ吹き飛んでしまう。聖書を読む気がしなくなる。お祈りをする気もなくなる。教会も休んじゃえ、となってしまう。どんなに熱心であったとしても、どんなに自信に満ちあふれていたとしても、人間の気持ちというのは強い気持ちのままでずっと続くと言うことは有り得ないのです。必ず弱くなるときがある。その度に信仰も弱くなってしまうのでは、とても信仰生活なんて成り立たないのではないでしょうか。

 私達の心が弱くなり、気力が失せ、疑いや迷いの中を歩き出してしまったような時にも、なお私達がイエス様のもとに留まり続ける者であり続けるためには、いつ何時変わるかもしれない自分の気持ちを拠り処とした信仰では駄目なのです。確かな信仰を持つためには、何があっても変わることのないイエス様の恵みを拠り処としなければなりません。自分の気持ちでイエス様を信じる者ではなく、イエス様の恵みに捕らえられた者になることが必要なのです。

 ペトロは、ガリラヤ湖における大漁の奇跡を通して、そのような者に変えられました。奇跡のお話しは、今日は繰り返しません。ただこの奇跡がペトロに何をもたらしたのかということを、もう一度申しますと、それは真の信仰でありました。

 ペトロは、イエス様に惚れ込んで、自分の熱心さだけでイエス様についていこうとしたけれども、その熱心さを失ってしまったとき、イエス様をも失ってしまった。しかし、イエス様は、そういうペトロを決して離そうとしなかった。恵みによって、その魂を捕らえてくださり、恐れず私に従ってきなさいと言ってくださったのであります。ペトロは、自分にはまったくイエス様に従う資格がないということをつくづくと心に感じながらも、このような自分を招き給うイエス様の恵みをありがたく思い、その恵みに答えるという形で、すべてを捨ててイエス様に従う者となりました。

 信仰とは、このように恵みに対する応答なのであります。信じられるとか、信じられないとか、愛しているとか、愛していないとか、資格があるとか、ないとか、そういう自分の変わりやすい気持ちを中心に据えた信仰というのは、本当の信仰ではありません。そういう信仰は、自分の気持ち次第で、あったり、なかったりしてしまうものだからです。

 真の信仰とは、昨日も今日もとこしえに変わることないイエス様を信じる信仰でありますから、昨日と今日で変わってしまうようなものではないのです。昨日と今日で自分の気持ちが変わろうとも、イエス様が私を愛し、恵み、招いてくださっている事実は少しもかわることがない。そのことを信じ、受け入れ、全人格的な応答をもって、イエス様に従うこと、それが信仰であります。

 ペトロも、弱き人間の一人でありますから、これからも相変わらず失敗を繰り返します。しかし、自分の気持ちや自信に依り頼む信仰ではなく、イエス様の恵みに依り頼む真の信仰をもっていればこそ、ペトロはイエス様を離れることなく、御許に留まり続けることができたのでありました。どんなことがあっても、イエス様を離れないで生き続けるためには、この恵みに対する信仰こそが必要なのであります。

所有権を主に献げる
 さて、イエス様は、このように恵みによってお召しになった弟子たちを引き連れて、ガリラヤの町々、村々を巡り、神の国の福音を宣べ伝えておられました。たとえば、今日お読みした38節にはこう記されています。

 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 イエス様の、この伝道者としての生活については、イエス様後ご自身の口から「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(『マタイによる福音書』8章20節)というような言葉も飛び出しております。こういうお言葉から察するに、イエス様は旅から旅へと遍歴を重ねる放浪生活を送りながら、町々、村々に福音をお伝えになっていたようにも思われます。

 しかし実は、イエス様には生活の拠点がまったくなかったというわけでもないようなのです。聖書によれば、イエス様はカファルナウムに「家」があり、しばらくガリラヤを巡り歩かれると、そこに戻ってこられたというのであります。『マルコによる福音書』2章1-2節には、こう記されています。

 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。

 イエス様は数日間、ガリラヤの町々を行き巡り、会堂で説教をしたり、重い皮膚病を患っている人を癒したり、悪霊につかれた人を正気に戻らせたり、人々に福音を告げ知らせると、再びカファルナウムに戻ってこられたというのです。それを聞きつけたカファルナウムの人々が、イエス様の家にわっと大勢押し寄せてきたというわけです。同様の箇所は、3章20節、9章33節にもあります。

 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。3章20-21節

 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。9章33節


 特に3章20-21節は、カファルナウムの家でイエス様が人々のお相手をしておられると、そこに身内のもの、つまり母マリアとイエス様の兄弟たちが、イエス様のそのような働きを止めさせようとしてやってきたということが書かれています。ここから分かるのは、カファルナウムのイエス様の家というのは、母マリアや兄弟たちの住む家とは違うものであったということであります。

 そうしますと、イエス様の生活の拠点となったカファルナウムの家というのは、実はペトロの家ではなかったかと思われるのです。今日、カファルナウムの会堂から30メートルぐらい離れたところに立っている古い教会の下に、このペトロの家ではないかと思われる漁師のは家が発掘されています。本当にペトロの家かどうかは必ずしも明らかになっていないのですが、調査によると時代的にはペトロの家であっても少しもおかしくないそうです。しかも1世紀中頃に、この家が住居としてではなく何らかの集会所として改装された跡が残っており、4世紀にはそこがペトロの家として信じられており、5世紀には教会堂が建てられています。

 復元図を見る限り、なかなか立派な家ですが、ペトロはこのような家に、お嫁さんとお姑さん、そしてアンデレと一緒に住んでいたのでありました。聖書には登場しませんが、お舅さんも一緒であった可能性は十分にあろうかと思います。そして、イエス様ご自身の生活と、お働きのためにも、この家を開放していたのであります。

 そして、今日、お読みしましたところにも、イエス様がカファルナウムの会堂で、他の律法学者たちとはまったく違う権威ある説教をなさって、人々を圧倒的し、また力ある業をもって悪霊につかれている男を正気に戻した後、ペトロとアンデレの家にいらしたということが書かれているのであります。

 このことから、ペトロは、すべてを捨ててイエス様に従った後も、自分の家に家族と共に住んでいたということが分かります。先週もお話ししましたが、「すべてを捨てる」というのは、それを無用のものとしてゴミ箱に捨ててしまうということではないのです。そうではなくて、所有権をイエス様に御手に帰し、イエス様のものとして、イエス様の御手と御心にお委ねするということなのです。

 確か、高校生の頃だったかと思いますが、たいへん心に残って、今も時々思い起こしている忘れない説教があるのです。それはモーセの召命の説教でした。神様は、エジプトで奴隷となっている民を解放させるために、ミディアンの地で羊飼いをしていたモーセをエジプトに遣わそうとします。しかし、モーセは頑なにそれを拒み続けるのです。「わたしはいったい何者でしょう。私ごときがそんな大きな仕事ができるはずかありません」と。すると神様は、モーセに「あなたの手にもっている杖を地面に投げなさい」と言います。モーセは言われたとおりに杖を地面に投げます。すると、その杖は蛇になるのです。びっくりして、モーセが飛び退くと、今度は「手を伸ばして、尾っぽをつかめ」と、神様はおっしゃいます。モーセが言われたとおりにすると、蛇は再び杖に戻ったというのです。

 私が聞いたのは、いったいこれは何を意味しているのかという説教でありました。杖というのは、私達の歩みを支えるものであります。しかし、それを地面に投げてみると、蛇に変わります。これは、私達が支えとしているものの正体が、蛇すなわちサタンであったという意味であるというのです。次に、神様はその蛇の尾っぽを掴みなさいと言われます。逆さまに掴むのです。すると、蛇はモーセの手の中で杖にもどります。けれども、その杖は元の杖とは違うのだというのです。元の杖の正体はサタンであった。それをモーセは、御言葉に従って地面に投げ捨てたのです。その上で、モーセは御言葉に従って、つまり神様が与えられたものとして、杖を新たに受け取ったのです。モーセは、この杖を携えて、エジプトに国へと旅立って行きました。そして、この杖によって、神様の働きをしていくのです。

 私達もいろいろな持ち物があります。お金や、家や、いろいろな資格、そして家族もそうです。そういうものを守ろうとする気持ちが、実は私達のイエス様に従う生活の後ろ髪を引っぱっているということがあるのです。それを一度、地面に投げ捨てなさい。そして、全部、一度自分の手から離して、今度は神様が受け取りなさいと言われたものから順番に受け取っていきなさい。このように神様の手から受け取ったものだけが、あなたがたの信仰生活を支える大切なものなのです、という説教でした。

 ペトロは自分の家も、家族も、みな一度は捨てたのです。その上で、イエス様に従うために、その支えとなるために、神様から新たにそれらのものを受け取っているのです。ですから、同じ家でも、同じ家族でも、以前とはまったく違う意味をもった存在となっているのです。それは、主の栄光のためなのです。主に従うため、主に仕えるためのです。

 ですから、ペトロは喜んで自分の家に主をお迎えしたでありましょう。そして、「これは、あなたのために、私が神様から授かった家なのですから、どうぞあなたの御心のお使い下さい」と言ったに違いないと思うのです。

主が愛し、主が守られる
 イエス様が、ペトロの家に入られると、ペトロの姑が熱を出して寝ていたとあります。30節、

 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。

 これを読みますと、ペトロは姑が病んで寝ていることを、イエス様にはお話ししなかったようです。ですから、周りの人たちが気を遣って、イエス様にそのことを話したというのであります。しかし、なぜペトロは姑の病を、イエス様に告げなかったのでしょうか。一本気なペトロのことですから、すべてを捨ててイエス様に従ったからには、自分の家族のことでイエス様に患わせるのは良くないとでも思ったのかも知れません。

 しかし、イエス様はイエス様で、ペトロがご自分のためにすべてを献げたからには、ペトロの家族もまたご自分の家族として愛してくださるのです。イエス様は、人々から姑の病を聞くと、すぐに側に行き、手を取って彼女を癒されたのでした。

 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

 癒されたペトロの姑は、すぐに元気になって、甲斐甲斐しくイエス様にお仕えしたと言われています。私達が、自分の体も、家族も、家も、財産も、すべてのものを主にお献げするならば、そのすべてものを主はご自分のものとして受け取ってくださり、主の愛をもってこれを守ってくださる。そういうことが、ここに示されているのではありませんでしょうか。こうして、ペトロの家族は、主のものとして救われたのであります。

 さて、32-35節には、ペトロの家が、主の恵みの御業のために豊かに用いられたということが記されています。

 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

 私達も、ペトロのように、家族を主に導き、家族で主に仕え、家を主の御業のために用いていただきたいと思います。しかし、ペトロが自分の努力や熱心でそれをしたのではありません。主がしてくださったのであります。ペトロは、ただすべてを捨て主に従っただけなのでありました。私にできるのも、そのことだけなのです。私達が、自分で守り、自分で救おうとするのではなく、主にすべてをお献げして、そういうものに後ろ髪を引かれることなく、主に従うことを第一とするならば、主がそれらをご自分のものとして愛し、守り、栄光の器として祝福してくださるのです。

主を捜すペトロ
 最後に、35節から39節に記されていることを学びたいと思います。翌朝のことです。ペトロが目を覚ましてみると、イエス様のお姿がありません。そのうちに、またカファルナウムの人々がペトロの家にぞくぞくと押し寄せてきます。困ったペトロと弟子たちは、あちこちとイエス様を捜し回り、人里離れたところで祈っておられるイエス様を発見したというのであります。

 ペトロは「みんなが探しています」と、イエス様に言いました。ここで、ペトロは、「みんな」、つまりイエス様を尋ね求める人々の代表として、イエス様のもとに来ているのであります。本来、ペトロは、人を漁る者としてイエス様の弟子となったのでありました。ところが今、ペトロは民衆の代表としてイエス様を漁る者となってしまっています。

 イエス様の弟子たる者は、これではいけないのです。後に、ペトロは足の不自由な物乞いに、「金銀は我に無し。されど我にあるものを汝に与ふ。ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め」と言いました。イエス様の弟子たる者は、このように人々にイエス様を与え得る者になるべきでありまして、イエス様を探し求める人々と一緒になって、さて、イエス様はどこにいったのかと探し求めているようではいけないのです。

 しかしイエス様は、そのペトロを叱ることなく、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出てきたのである」とおっしゃり、ペトロをはじめとする弟子たちをお連れになって宣教の旅に出られたのでした。

 イエス様はカファルナウムの人たちを見捨てたのではありません。しかし、カファルナウムの人たちだけに関わっていれば、他の町の人々は救われません。このジレンマを解決するのかといえば、それはペトロたちが真の弟子として成長し、全世界に出て行って主の教会を建て、人を漁る者としての働きを力強く為していくしかないのだということを、イエス様はお考えだったのであります。イエス様の大切なお働きの中には、人々に神の国の福音を伝えるということだけではなく、弟子たちを教え、訓練し、伝道者として、証し人として育てるということがあったのであります。
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