願い求める祈りC 忍耐して待つlこと

兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

『ヤコブの手紙』5章7節

聞かれなかった祈り

 「祈りは聞かれる」と言うと、「答えられない祈りもある」と言う人が必ず現れます。確かに私たちの願いが退けられ、祈りが聞かれないで終わるということがあるのです。

 しかし、その場合にも、神様は私たちを決して失望で打ちのめすような御方ではありません。「わたしの恵みはあなたに十分である」という神様のメッセージが聞かれるはずです。そして、今まで見えなかった神様の恵みに心の目が開かれ、神の恵み深さを味わうことになるのです。

忍耐強く祈り続けよ

 なかには祈りが聞かれなかったと失望し、信仰を弱くしてしまう人がいないわけではありません。その場合、神様は本当に祈りを聞かれなかったのでしょうか。そうではなく、神様が答えられる前に、自分で祈りをやめてしまったということはないのでしょうか。

 祈りには、しばしば待つということが必要なのです。聞かれるまで忍耐強く祈り続けることが必要なのです。聖書は、幾たびとなく「主を待ち望め」と私たちに語っています。「聞かれない」と早とちりをして、自分で失望してはいけないと注意してくださっているのです。

待つことの意味

 なぜ、待つことが必要なのでしょうか。待つためには、揺るがぬ信頼、確かな希望が必要です。つまり本物の信仰が必要なのです。神様は、私たちを待たせることよって、私たちの信頼と希望を鍛え、より確かで力強いものにしようとされているからなのです。「主を待ち望む者は新しい力にみたされる」(イザヤ40:31)と言われています。この新しい力とは、鍛えられた信仰の力のことなのです。そして、こうも言われています。「子よ、父の訓練を軽んじてはいけない」(ヘブライ12:5)

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