願い求める祈りD 信仰をもって祈るlこと

いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。

『ヤコブの手紙』1章6節

「御心をなしたまえ」という信仰

 私たちの祈りが切実で真剣であればあるほど一つの壁にぶつかることがあります。それは「御心をなし給え」と祈れなくなってしまうということです。

 祈りは信仰をもって祈らなければなりません。そして、本当に信仰に立って祈ろうとするならば、すべての願いを神様の愛にまったく委ねて、「主よ、私の願いではなく、あなたの御心をなしてください」と祈るべきでありましょう。

「祈りは聞かれる」という信仰

 ところが実際は、祈りがせっぱ詰まったものであればあるほど、「もし、この祈りが御心でなかったらどうしようか」、「この願いを諦めろという御心だったらどうしようか」等々、巨大な恐怖の感情が、神様への信頼をぐらつかせてしまうのです。場合によっては、祈りが神様への訴え、強要、時には非難めいたものにさえなってしまいます。実は、私もそのようなことをしばしば経験してきたのでした。

 祈る場合、私たちは必ずこの壁を乗り越えて行かなければなりません。イエス様は「恐れるな。私を信じなさい」とお語りになっておられます。信仰が恐れに勝たなければならないのです。その信仰とは、たとえ私の祈りがそのまま実現しなくても、私がもっとも恐れている事態が起こるとしても、イエス様は私を愛してくださっていることを信じるという信仰です。この信仰こそ、私たちをすべての恐れから解き放つ信仰なのです。

信仰はひとつ

 「神様はどんな祈りも聞いてくださる」という信仰と、「たとえ聞かれなくても、神様は最愛をもって御心をなしてくださる」という信仰は、なかなか一つに結びつかないように思えます。私もうまく説明できないのです。けれども、実際は一つのことです。みなさんが、どちらも心から信じて祈るとき、きっとその答えが分かることと思います。

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