■ 天は自らを助くる者を助けるのか?
「人事を尽くして天命を待つ」、「天は自らを助くる者を助く」と、諺に言われます。神を頼るばかりではなく、自分にもできる事がある。自分でできる事は自分でやるべきだ。そういう人にこそ神は味方をしてくれるのだ。そういう意味です。
しかし、それはキリスト教信仰とはまったく関係のない諺であることに注意しなえければなりません。イエス様は「わたしを離れては、あなたがたは何もできないのだ」(ヨハネ15:5)と仰いました。そればかりではなく、ご自身についてさえ「わたしは、自分では何も行うことができない」(ヨハネ5:30)と仰ったのです。
■ 無力を基盤として祈れ
多くの御言葉、そして多くのキリストの証し人たちが、「自分では何もできない」という無力を率直に認め、それを基盤として祈ることを教えています。
もしあなたの祈りに力がないとしたら、それは「自分に出来ることをしていない」からではなく、「自分にはできない」ということを率直に認めていないことに原因があります。あなたは、神に祈りながら、少しもその問題を神様に委ねようとしないで、結局は自分でやろうとしているのではないでしょうか。
■ 天命を信じて人事を尽くせ
これは間違った考えであるばかりではなく、神様を悲しませる罪でもあります。家を離れて自分で生きていこうとした放蕩息子の為に、父親はどれほど心を痛めて悲しまれたかを思い出してください(ルカ15:11-)。ほんの少しでも神様を離れてひとり立ちしようとすることは、あなたを片時も忘れることなく愛し給う神様を深く悲しませる罪なのです。
自分の無力を率直に認め、弱い者として、何もできない者として、神様の愛を信じましょう。その愛に支えられて祈り、また人事を尽くすべきです。「人事を尽くして天命を待つ」のではありません。「天命を信じて人事を尽くす」のです。これが神様の待ち給う祈りです。このような者を憐れまずにはおれないのが、父なる神の深い愛なのです。
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