唄を忘れたカナリア

ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。

旧約聖書『雅歌』2章 11-12節

 童謡「かなりあ」

 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
 いえいえ それはなりませぬ
 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す   

 今はあまり歌われる事もありませんが、童謡「かなりあ」(詩・西条八十)です。 童謡というのは唱歌とは違います。唱歌は明治時代に教育のために国が主導して作られた歌であり、童謡というのは大正時代に、鈴木三重吉、北原白秋など唱歌に飽きたらぬ文学者や詩人たちが、「子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むような歌と曲」を与えようと立ち上がって作られた子供のための文学なのです。

 子供の心にも暗い悩みがある

 私は小学生による同級生殺害事件のニュースを聞きながら、その被害者、加害者の子供の不幸を考えながら、この「かなりあ」を思い起こしました。

 西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。会堂内に華やかに灯されていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていたのだそうです。その時、幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげに囀っている中に、ただ一羽だけ囀ることを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」と言います。

 子供は子供なりに孤独や悩みを一人で抱えているものです。それは昔も今も変わりません。身を以てそのような子供の心を知る西条は、そのように傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、この「かなりあ」を作詞したのでした。唄を忘れたカナリアも、自分の居場所を見つけることができれば再び美しい声で歌い出す・・・現代の子供にも、ぜひ「かなりあ」を歌って欲しいものです。
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