警笛を鳴らす前に

見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。

新約聖書『ヨハネによる福音書』9章41節

 短気な運転手の話

 こんな話を読みました。ある人が車の運転をしていると、左折をしようとしている車に出会ったので、曲がりきるのを待っていました。そこへ後ろから別の車が近づいてきて警笛を鳴らしたので、ルームミラーで後ろを見ますと、運転手が手を振り回し、前方の左折車をよけて先に進めという合図を送っていました。しかし、彼はそうしませんでした。一時停止の理由は左折車だけではなく、その先の道路が工事で半分ふさがっていたからなのです。後ろの車はそういう状況が見えませんから、「なぜ左折車をよけて先にいかないのか」とイライラし、乱暴に警笛を鳴らし続けたのでした。しかし、再び車が動き出して、その工事現場を目撃したとき、後ろの運転手は事情を知り、警笛を鳴らし続けたことを反省しただろう、と言うお話しです。

 警笛を鳴らす前に

 この気短な運転手のように、私たちも軽率に隣人を裁き、非難し、傷つけたあと、「なんだ、そうだったのか」と事情を理解して赤面し、自分の短気さを情けなく思うことがあるのではないでしょうか。

 イエス様は「見えなかったのであれば、罪はなかった」と言われます。人間は全知全能ではありませんから、見えないことや分からないことがあっても良いのです。しかし、だからこそ私たちは人に優しくあるべきです。見えないことがいっぱいある人間なのに、さも見えているつもりになり、無神経に警笛を鳴らし続けてはいけないのです。そんなことをして人を傷つけてしまった後で、「知らなかった」では済まされません。「だから、あなたたちの罪は残る」と、イエス様は言われるのです

 警笛を鳴らす前に祈りましょう。それが間違いのないことなのです。
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