■ 礼拝奉仕者
言ってみれば、レビ族というのは礼拝奉仕者でありました。礼拝奉仕者も礼拝者に違いありませんが、ただ「礼拝を守る」だけではなく、「礼拝を護る」ための務めをもっているのが、礼拝奉仕者なのです。
■ 役割分担
レビ族には、ゲルション氏族、ケハト氏族、メラリ氏族と、三つの氏族がありました。そして、それぞれ役割が分担されていたと書かれています。
ゲルション氏族は、聖所を覆う幕屋の「幕」に対して責任をもっていました。幕屋の幕というのは、聖所という神聖な空間を造るものです。神と人が出会う礼拝の空間を造ると言っても良いかもしれません。教会でも、礼拝堂が、礼拝にふさわしい空間であり続けるために仕え、働く人が必要です。
ケハト氏族は、契約の箱、机、燭台など聖具に対して責任をもっていました。これは今日的に言えば、聖書、十字架、聖餐机、説教壇、オルガンなどに対する責任ではないかと思います。それらのものがお飾りではなく、神を礼拝するために意味をもったものとなるために、これらの聖具を扱う人たちが信仰をもって奉仕しているということが大切です。
メラリ氏族は、幕屋の壁板、柱、台座、つまり直接目に触れないところ、礼拝所の土台や骨格に責任をもったとあります。教会の土台は何かといったら、それはイエス・キリストの十字架です。この福音に対する正しい聖書的、教理的な理解に、深く、まっすぐに立っていなければ、礼拝は曲がった方向に傾いてしまうのではないでしょうか。
■ 礼拝に対する責任
礼拝者はそれぞれに、「礼拝とは何か」「どうあるべきか」、そういうことに責任をもって、礼拝を護るということも大切です。このような礼拝を護る者が、荒川教会でしっかりと務めを果たせるよう、互いに祈り合い、支え合い、また自らをもって働きたいと願うのです。
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