■ 荒れ野の旅路
出エジプトから約束の地に至るまで、イスラエル人の救いへの道は荒れ野の中にありました。荒れ野というのは、宿るべき木陰もなく、石よりほか枕するものもなく、毒蛇やサソリが潜むところ、いわば生命を拒絶するところです。彼らは、そのようなところを四十年間も、「神の約束」だけを頼りに歩み続けたのでした。もっとも、それは試練の度に神様やモーセに愚痴をこぼし、泣き言を言い、駄々をこねながらの話ですが・・・。
■ 井戸を掘れ
しかし、ある日のこと、焼けつく太陽の下で民が喉をカラカラにして弱り果て、疲れ果てているときに、神様はモーセに語られました。「民を集めよ。彼らに水を与えよう」 最初は、こんな渇き切った大地から本当に水が出るのだろうかと疑う者もいたのでありましょう。しかし、民の指導者たちは御言葉を信じ、率先して固い土を掘り始めました。それを見て、きっと勇気が湧いたのでしょう。民は「井戸よ、湧き上がれ、井戸に向かって歌え」と歌いながらこぞって井戸を掘りはじめました。やがて、井戸は地下の水脈に当たり、冷たい水が溢れだし、彼らの命を潤したのです。
■ 荒れ野の下に生命の水が流れている
私たちは自然の荒れ野を経験したことはありません。しかし、まるで生きることを拒絶するような荒れ野のごとき人生は経験するのです。そのような時、愚痴を言っても、泣きわめいてもはじまりません。御言葉を信じ、命の神を讃美しながら、荒れ野の下に隠されている生命の水を見出すべく、人生を深く掘り下げて祈ろうではありませんか。荒れ野でも、地下には豊かな生命の水が流れているのです。
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