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先週は、ヨセフを頼ってエジプトに移住してきたヤコブの家族がファラオに表敬訪問をしたというお話をいたしました。その際、ヨセフは、あらかじめ一つのことを兄姉たちに言い含めておきます。それはファラオに「あなたがたの仕事は何か」と問われたとき、臆することなく「私達は先祖代々羊飼いです」と答えて欲しいということなのです。
その頃、エジプト人たちは羊飼いという仕事を卑しんでいました。それなら話は逆ではないか? 「郷に入っては郷に従え」とも言う。むしろ、羊飼いであることを隠した方が、エジプトでの待遇がよくなるのではないかと、普通は思うところであります。しかし、ヨセフは、そうではないと考えるのです。エジプトにあっても、イスラエルはイスラエルでなければならない。身も心もエジプト人になりきって、神様が与えてくださると約束してくださった自分たちの故郷を忘れてはならないと、兄姉たちに言ったのでありました。たとえエジプトで卑しめられたとしても、神に召し出された神の民としての誇りを捨ててはならないということなのです。
それからもう一つ大事なこととして、ファラオとの会見が実現した際、ヤコブがファラオを祝福したというお話もいたしました。これも不思議な話でありまして、当時のエジプトの国力を考えますと、ファラオは、エジプト一国の王というよりも、国々の王の王として世界に君臨する王でありました。いわば世界を所有し、世界を動かす偉大なるファラオに対して、この地上において国も土地も持たない貧しき羊飼いの翁が、天を、神を動かす者として祝福をしたというのであります。
神の民の誇りとは、そのようなものなのであります。使徒ペトロは「金銀は我になし。されど我に有るものを汝に与ふ。ナザレのイエスキリストの名によりて歩め」と言いました。使徒パウロも、「われ貧しき者の如くなれども多くの人を富ませ、何ももたぬ者の如くなれどもすべてのものをもてり」と語りました。主のものとされた私達は、この地上で何も持たぬ者であったとしても、この地上ですべてを持てる主を知らぬ者よりも豊かなのです。ファラオは世界を所有する者かもしれませんが、ヤコブは天を所有する者なのです。
明治時代、といえばまだ日本が欧米の知識、技術を取り入れることに一生懸命で、キリスト教においても外国から来た宣教師たちから学ぶことに頼っている時代でありました。そのような時代に、生涯にわたり三度の世界伝道旅行を果たした木村清松というパウロのごとき大伝道者が日本にもいたのであります。最初の伝道旅行で、彼はアメリカのナイアガラの滝に立ち寄り、じっと滝を見ていました。すると、一人の背の高いアメリカ人が、「どうだ、こんな凄い滝はお前の国にはないだろう」と、背の低い東洋人を見下すような言い方をしてきたといいます。そこで木村清松は、「何をいうか。このナイアガラの滝は、わしのお父さんものだ」と胸を張って答え、逆襲します。これを聞いたアメリカ人は目を白黒させて驚き、「なにっ? 君のお父さんのものなのか」と驚嘆の声を上げたので、木村清松は「そうだ。この瀧は、わたしのお父さんが造ったのだ。この瀧をもっているのはわたしの天のお父さんなのだ。わたしの天のお父さんにしてみれば、こんな瀧ぐらい、小指の先でチョコチョコと造れるんだ。へいちゃらだよ。わたしのお父さんのナイアガラの瀧は、ぜんぶ、我が輩のものさ。どうだ、ステキだろう」と言ってのけたというのです。
それから木村清松は、ナイアガラの観光を終えて帰ろうと駅で待っている米国人たちに向かって、路傍伝道を始めました。
「あなたがたが今日ながめてきた、あの世界一のナイアガラの瀧は、天におられる父なる神様が作られたのです。そして、あのナイアガラの瀧は神様のものです。あなたがたは、自分の国のナイアガラの瀧を誇りと思うなら、天の神様を知らなければなりません。天の神様は私たちのお父さんです。そして私たちはその子どもです。父なる神様のものは、子どもである私たちのものです」
このことがデトロイトの新聞記者の耳に入り、新聞の特ダネとして木村清松の写真入りで「この日本人の父はナイアガラの持ち主である!」と紹介されました。そして、その後、「日本より木村清松来たる! 彼の父はナイアガラの瀧を所有す。この日本人に聞け!」というふれこみで、デトロイトの教会で毎晩のように特別伝道集会を開かれ、大成功させたというのです。
クリスチャンは、必ずしもこの世の豊かさ、健康、平和が、神様によって保証されているわけではありません。しかし、わたしたちには神様ご自身が与えられているのです。自分一人では何もできない、何も持たない貧しい者、力なき者でありますが、神様がわたしたちの天の父として共にいてくださることによって、わたしたちは豊かな者、力強き者として生きることができるのです。 |
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さて、ファラオに対する表敬訪問を済ますと、ヤコブの家族はゴシェンの地を居住地として与えられ、そこで羊を飼いながら暮らすことになりました。ゴシェンの地は、羊を飼うのに最適の地でありまして、彼らはファラオの特別な待遇を受けつつ平穏な日々を過ごし、家族は繁栄をさせていきました。
イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増した。ヤコブは、エジプトの国で十七年生きた。ヤコブの生涯は百四十七年であった。(47:27-28)
17年の歳月が過ぎたと書かれています。ヤコブの波乱に満ちた人生から考えますと、この17年というのは本当に神様から与えられた慰めの時であったと思います。神様は私達の人生に厳しい戦いをお与えになることがあるのですが、それだけではなく慰めの時、励ましの時も備えてくださるのだなあ、ということを思わされ、ほっとする部分であります。
そして、よく考えてみると、この平安と慰めの日々というのは、あの家族崩壊を通してヨセフがエジプトに売られていったときから備えられていたものであったとも言えるのです。だからといって、あの家族崩壊の出来事が神の御心だったとは思えません。やはり、あれは人間のおぞましい罪の結果であり、あってはならないことであったとしかいいようがないのです。けれども、そのように人間の罪によって引きおこされた苦しみ、悲しみであったとしても、神様はそれを恵みに変え、救いに変えることがおできになるということなのです。
「覆水盆に返らず」と言います。しかし、神様の御手にかかれば、こぼした水も元に返るばかりか、あのカナの婚礼のようにただの水が葡萄酒に変わっているということすらあるわけです。『コヘレトの言葉』7章8節に、「事の終わりは始めにまさる」と記されています。これが神様のなさることです。
しかし、人間のすることはそうはいきません。だいぶ前の話ですが、家の水道が蛇口のところからぽたぽたと水が漏れるものですから、元栓をしめて、蛇口を分解し、きれいに掃除をしてから元に戻し、元栓を開けました。そうしたらぽたぽたと垂れていた水が、今度は噴水のように噴き出してしましました。私の手先が不器用だものですから、こんな風に良くしようとしていじるのですが、余計に悪くなってしまうわけです。
わたしたちの人生も、修復しよう修復しようと一生懸命にもがくんだけれども、ちゃんと修復する術を持たないのに下手に動こうとするものですから、余計に事態が悪くなってしまうということがあるのです。そういう時、わたしたちは自分で何かをしようとすることを止め、すべてを神様の御手に委ねれば良いのです。そうすれば、わたしたちは万事を益とし給う神様の栄光を見ることになるのです。 |
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17年の慰めの時が静かに過ぎて、ヤコブは147歳になりました。聖書は、「イスラエルは死ぬ日が近づいた」と語っています。このようにあからさまに言われると、ちょっとドキッとするのですが、死ぬ日が来る、これは誰も避けることができない現実であります。ヤコブは、この現実を静かに受け入れ、ベッドの上から、子どもたちに最後の言葉を遺そうとします。今日お読みしましたのは、息子ヨセフを呼び寄せ、自分が死んだ後のお墓について遺言をのこしたというお話しであります。
どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。(47:29-30)
「先祖たちの墓」というのは、アブラハムが亡くなったサラを葬るために買ったヘブロンにあるマクペラの洞窟墓のことであります。アブラハムも、イサクも眠るその墓に、自分も葬って欲しいと、ヤコブはヨセフに頼むのであります。
これは、人間の自然な感情として十分に理解されることでありましょう。もしエジプトで葬られるとするならば、ヤコブはエジプトの権力者であるヨセフの父親なのですから、それはそれは立派な葬儀が出され、立派なお墓が用意されたに違いありません。しかし、どんな立派なお墓よりも、敬愛する祖父アブラハムとサラ、そして父イサクとリベカ、そして生涯自分に忠実であったレアが眠る故郷の墓に葬られたいと思うのは、少しも不思議なことではないのです。
しかし、ヤコブが自分の墓にこだわったのは、自然の感情だけではないと思います。彼は信仰者でありました。信仰者として生き、信仰者として死ぬ者として、ヤコブは自分の墓においても、その信仰を言い表したいと願ったのであります。
ヤコブにとって、屍となってでもエジプトを出て、カナンの地に帰ること、そしてエジプトではなくここにこそ神の約束があり、祝福があるのだと言い表すことが、信仰の行為そのものだったのです。今日お読みしました『ヘブライ人への手紙』には、このように記されています。
この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。(13章13節)
この地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを言い表す、これが約束を望みつつ生き、約束を望みつつ死んだ者の信仰であったと語っています。だから、ヤコブも、エジプトに葬られることを拒絶したのでありましょう。そして、「エジプトから運び出し、先祖たちの墓に葬って欲しい」と、最後の最後まで約束の地への拘りを見せたのであります。
実は、拘る生き方というのは、あまり自由な生き方ではありません。信仰者というのは、すべてを神様にお任せしているのでありますから、些末なこと拘らないで、自由に、大らかに生きることができる者であると言うことができるかと思います。しかし、「拘る」(こだわる)とは、漢字をみればわかりますが、「拘わる」(かかわる)という意味であります。関係を持ち続けること、その関係から離れることができないことです。その人の拘りを知るということは、その人が何との関わりに生きているかということを知ることになるのです。
ヤコブは、エジプトでの豊かさや安定した生活には拘りませんでした。エジプトの富や力に縛られることはありませんでした。しかし、神の約束には拘ったのです。それを捨ててしまったら、ヤコブは神様との関係をなくしてしまい、信仰者でなくなってしまうからです。わたしたちも信仰者であるならば、どうしても離れることができない、捨てることができない拘りというものが有ってしかるべきだと思います。
しかし、何に拘るか、そのことはたいへん重要なことです。信仰者としての拘りと言っても、それは自分の考えや信条に拘ることではないのです。そういうものに拘っていると、了見が狭くなり、人を裁くような人間になってしまい、結局、イエス様の思いから離れていってしまうのです。
最後の晩餐が行われた夜、イエス様が身をかがめて弟子たちの足をお洗いになり、ペトロの足を洗おうとなさったとき、ペトロは、「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか。そんなことは決してなさらないでください」と、イエス様のご厚意を堅く拒絶いたしました。これは、一つのペトロの弟子としての拘りであったと思います。イエス様のために何かをせよというならば、どんなことでもするけれども、イエス様にそんなことをさせるのは弟子としてのプライドが許さないということでありましょう。
しかし、イエス様は、そのような拘りを見せるペトロに、「もし、わたしがあなたの足を洗わないなら、私とあなたとは何の関わりもなくなってしまう。それでもいいのかね」と言われます。イエス様は、自分の気持ち、考えに拘っているペトロに、本当はそうではなく、主である私の思い、考えにこそ拘るべきではないのかね、と「拘りの修正」をなさってくださったのであります。
信仰者が拘るべきは、自分の思いや信念ではなく、主のしてくださったことと、主のしてくださること、この二つでありましょう。このことに対する感謝、信頼、期待、それだけは自分の身に何が起ころうとも失ってはならない、自分のものとしなければならないという拘りを持つこと、それが信仰なのです。 |
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最後に、もう一つ、ヤコブがカナンの地にある先祖たちの墓に拘った理由について、考えてみたいと思います。今申しましたようにヤコブ自身が、自分の信仰を貫くこうとしたことが最大の理由だったと思いますが、さらになお、ヤコブには、自分のお墓を通して、子どもたちに、子々孫々に、神様から与えられたお約束に対する信仰を伝えなければならないという、家族の長としての強い使命感があったからである、ということも言えるのではないでしょうか。
ヤコブは、どうしても先祖たちのお墓に葬られなければ、自分は信仰者として失格だというようには考えていなかったと思います。ただ、信仰者が最後まで信仰者であり続けようと願うとき、そのような願いが、信仰者の自然な気持ちとして起こったのだと思います。実際にどこに葬られるかということよりも、死に際して、そのような願いをもったという事実こそが、ヤコブの信仰を表しているのであります。
しかし、ヤコブは、ヨセフに自分をカナンの地にある先祖の墓に葬ることを誓って欲しいと、非常に強く願いました。そこには、自分の信仰的な満足だけではなく、子どもたちにどうしてもこの信仰を伝達しなければならないという、ヤコブの並々ならぬ思い、使命感があったように思うのであります。子どもたちが、自分のお墓を通して、常に神様の約束を思い起こし、エジプトの豊かさや安定にではなく、神の約束と祝福にこそ本当の幸いがあるのだという信仰をもって生きて欲しいという願いが込められていたのだと思うのです。
みなさんも、お墓について考えたことがあるかもしれません。お墓なんかいらない。野にでも、山にでも、散骨してくれという方もいらっしゃるかもしれません。子どもたちのためにも、お墓を買っておこうとお考えの方もあるかもしれません。お墓については、クリスチャンだから、どうしなければいけないという決まりはありませんから、自分の希望やその他のいろいろなご事情を考えて決めてもよろしいかと思います。けれども、ヤコブのように、お墓によって自分の信仰を子どもたちに証ししたいという考えも、ぜひ参考になさってみてはいかがだろうかと思います。たとえば、教会墓地に埋葬されることによって、自分が神の家族として、天の故郷を望みつつ生き、また死んでいったのだということを証しするということもできると思うのであります。
もちろん、お墓だけが子どもたちに信仰を伝える手段ではありません。他にやることはいっぱいあります。ヤコブもそういうことをしてきたでありましょう。しかし、お墓に至るまで、親として子に願うのは、信仰であったということなのあります。信仰こそ永遠の富であり、何にも勝る力であり、祝福であると信じるからであります。
ヨセフは、ヤコブの先祖たちを慕う情、またヤコブの信仰、さらに子どもたちへの願いということも、きっと汲み取って、「お父さん、わかりました。必ずおっしゃるとおりにします。だから、そのことはもう心配しないでください」と、ヤコブに誓いました。すると、ヤコブは「寝台の枕もとで感謝を表した」と言われています。死の日が近づくベッドの上で、なお神様の約束への強い思いに生き続けると共に、自分を支えてくれた家族に感謝を表しながら、静かに神様のお迎えの日を待っている。そんなヤコブの姿が目に浮かびます。
わたしたちにも、きっとそのような日が来ます。その時にもなお、今わたしたちが持っている希望を持ち続け、また感謝を表すものでありたいと願うのです。
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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